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<東京怪談ノベル(シングル)>


動物と人間の境目


 明るい照明に照らされている廊下には、汚れ一つない。外から建物を見ている限りは古そうな施設だったのに、この付近一帯は新しいのか、白い廊下は照明の光を反射させ、ジッと見ていると目が痛くなるほど明るく、海原 みなもは思わず片手を目に翳し、光を遮ろうと目を細める。

「海原さん、大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫です。少し、目が痛くなっただけですから」
「ははは。この廊下は明るいですからね。慣れない頃は、私もよくそうしていましたよ。お陰で書類を落としたりもしましたけどね」

 笑いながら、みなもの前を歩く研究員。研究員が着ている衣服も綺麗な白衣で、廊下と共に光を反射し、少しだけ目に痛い。だが流石にそれを指摘する気にはなれず、みなもは研究員に笑い返しながら、今回のアルバイトのことを思って心中で深い溜息をついていた。
 今日、みなもは普段住んでいる町の郊外に出て、人気のない場所に建っていた研究所にやってきていた。
 研究所と言われてしまうと、何となく人をゾンビに変える薬品や超能力開発等と言った、怪しい研究を思い浮かべてしまうかも知れない。しかしこういった研究施設は、色んな所にある。薬品や食べ物、衣類に金属‥‥‥‥色んな研究をする場所がいくつもあり、そんな研究所に様々な企業が「こういった物が欲しいんだが‥‥」と依頼を出す。研究所はそれに答え、報酬を得る。大きな研究施設に依頼を出す資金のない会社は、自らの会社の中に研究部を作る事も多い。
 みなもが来ていたのは、その中でも大きな施設に当たる研究所だ。様々な分野を研究しているらしいが、みなもがアルバイトとして入る部門は、主にペット用品について研究をしている所らしい。ペットの健康管理のための薬や餌、衣服や遊具などを開発しては売り出している。
 こういった研究所は、外の人間を気軽に雇う事は少ない。これから売り出そうという新商品の情報を持つ者は、出来る限り少ない方が良い。外に情報が漏れれば、それだけで致命的な損害になりうるのだ。だからこそ、信用のある者だけを雇い入れる。短期間のアルバイトを研究員に組み込むなど、言語道断だろう。
 ‥‥‥‥しかしそれでも、研究員がしたがらない仕事‥‥と言うものもある。そんな仕事が出来た時には、アルバイトを雇う。出来るだけ信用出来る者を探し、念入りに検討した末に機密保持を約束して引き入れる。
 みなもが憂鬱になるのも、よく分かるだろう。
 誰も引き受けたがらない仕事だからこそ雇われたのだ。たぶん、ろくな仕事じゃない。

(お父さんたら、変な話を持ってくるんですから‥‥‥‥)

 みなもは、数日前にこのアルバイトの話を持ちかけてきた、父親への不満を溜息と共に吐き出した。
 今回の仕事は、父親から頼まれたものだった。
 父親は、取引先から頼まれ、研究所へ派遣するアルバイターを捜していた。
 しかしもし、推薦したアルバイトが研究所で得た機密情報を外で漏らすような事になれば‥‥‥‥父親の信用はガタ落ち、最悪の場合は責任を取らされ、路頭に迷うことも‥‥‥‥
 どこまでネガティブに考えればそんな結論に至るのかはともかくとして、絶対に裏切らないと言える人材を確保する必要があった。それならば、いっそ心の底から信用出来る身内を推薦してみようという事で、みなもに研究所でのアルバイトを勧めたのだ。
 みなもも、一応審査だけは受けてみると履歴書を書き、面接を受けた。結果は合格。みなもは一週間と経たないうちに、研究所へと招かれた。

(引き受けはしましたけど、こういう研究所は、やっぱり少し‥‥‥‥)

 研究所の雰囲気に押され、みなもは僅かに身を縮めていた。
 自分が人魚だという事を隠しているためか、こんな研究所にいても大丈夫なのかと思ってしまう。もちろん父の口から自分の正体がばれているなどとは思っていないし、自分から言う事もない。バレないように努めるつもりだが、心のどこかで不安を感じている。もしもバレたら、自分も何かの研究材料として扱われてしまうのではないかと不安を感じているのだ‥‥‥‥

(そんな事、ありません‥‥よね?)

 自分に言い聞かせ、みなもは研究員の後を歩き、やがて一室の扉の前にまで案内された。

「仕事の内容は、どこまで説明されていますか?」
「えっと、ペットと意思疎通が出来る新しいペット用品のモニター‥‥と聞いています」
「ええ、それであっていますが、正確には“ペット”と言うよりも“動物”なら何でもいけますよ。まぁ、どこまで正確な意思疎通が出来るかは、まだ分かりませんが‥‥‥‥」

 扉を開け、中に入りながら研究員は言う。
 研究室の中は、まるで警察の取調室のようだった。とは言っても、決して本物の取調室(ドラマなのイメージでしたが‥‥)のように狭苦しい場所ではない。木製のテーブルと椅子が一組、暖かそうなソファーが二つ壁際に並べられ、毛布が適当に放置されている。さらにそこかしこに動物が遊ぶような玩具が転がり、何匹もの犬や猫、モルモットなどが歩き、寝そべり、走り回っている。
 テーブルの上に置かれているスーツケースのような鞄が気になったが、それを除けばペット広場のような光景だった。

「みなもさんには、ここで作業をしていただきます」
「ここ、ですか?」
「はい。動物との意思疎通を行う事が出来る道具を使い、ここで半日ほど過ごしていただきます。途中経過で質問をしたりしますが、基本的には動物達と遊んだり話したりして貰えていれば、問題ありません」

 予想以上に簡単な仕事だった。
 どんな仕事かと身構えていたみなもは、安堵の溜息をつきながら、足下を擦り抜けて部屋の外へ逃走しようとしている子犬を抱き上げた。モフモフとした白い毛皮が気持ちいい。

(か、可愛い!)

 人懐っこくみなもの手をペロペロと舐める子犬に、みなもは頬を緩ませて抱き締める。ぬいぐるみがそのまま動いているようだ。子犬はみなもの手から逃れようとジタバタと藻掻いていたが、すぐに慣れたのか、みなもの腕の中で大欠伸をして大人しくなった。

「私は、他のスタッフと一緒に隣の部屋にいます。こちら側が、全面鏡になっているでしょう? これはマジックミラーになっていて、隣の部屋から様子を見る事が出来るようになっているんですよ」
「わざわざマジックミラーを使ってるんですか?」
「人間の姿が見えると、動物がみんな集まって来ちゃうんですよ」
「なるほど‥‥‥‥でも、この仕事、誰もしたがらなかったんですか? 難しいとは思いませんけど‥‥‥‥」
「普段、実験に動物を使っている身ですから。“動物の‥‥ましてやモルモットの気持ちなんて知りたくない”と言うのが本音です」

 研究員は頬を掻きながら、苦笑を浮かべながらそう言った。
 なるほど。普段、様々な実験をするために動物を扱っている研究員にとっては、良くも悪くも動物の気持ちなど、知るべきではない事柄なのだろう。懐かれていたら実験がし難くなるし、自分たちの実験で苦しんでいる動物の気持ちも、やはり知ったら実験がし難くなる。
 家で飼っているペットならまだしも、実験のために飼っている動物の言葉など知りたくもないという事か。みなもはそう納得し、抱えていた子犬を解放した。

「なるほど。そうでしたか‥‥‥‥」
「まぁ、ここにいる動物達は、みんな実験に使われた事なんてありませんから、私達を嫌っているなんてことはないと思いますけど‥‥‥‥変な事を言われても、気にしないで下さいね。まぁ、それも実験がうまくいけばの話ですけど」

 そもそも実験が失敗すると、この子達との意思疎通なんて出来ませんからね‥‥と付け足し、研究員は扉を閉じ、テーブルの上に置いてあったスーツケースに歩み寄った。

「こちらが、動物と意思疎通が出来るようになる新商品です。これを首に付けていて下さい」
「はい‥‥って、これは、あの、これがその新商品ですか?」
「そうですよ」
「でもこれって‥‥‥‥首輪じゃないですか」

 研究員から手渡された道具を見つめ、みなもはポカーンと口を開けていた。
 渡されたのは、どう見てもペット用の首輪である。茶色い丈夫そうな革にボタン式の留め具が着いている。

「一見すると首輪のように見えますが、中身はそれはもう科学技術の粋を結集したような作りになっていますよ」
「でも首に嵌めるんですよね?」
「そうですね」
「それじゃあ、一見するも何も、首輪じゃないですか」
「まぁ、そうかもしれませんね。デザイン的に」
「趣味ですか?」
「少なくとも私の提案ではありませんよ」

 しかしそう言いながらも、研究員は真っ直ぐにみなもの目を見ようとはしなかった。

「とりあえず、その首輪は非常に複雑な機構となっている試作品ですので、無理矢理取り外そうとはしないで下さい。この仕事が終わり次第、こちらで回収しますので」
「はい。わかりました」

 みなもは研究員から首輪を受け取ると、自分の首に首輪を嵌め、封をする。マジックミラーを見るてしっかりと装着されている事を確認しながら、妙にしっくりと来る首輪の感触に眉をひそめる。
 何となく、自分が本当に犬猫になったような気がしたのだ。

「では、私は隣の部屋に居ますので、何かあったら言って下さい。マイクがマジックミラーの隅にありますので、言ってくれれば聞こえます」

 研究員はそう言うと、実験室から出て行った。扉を開けた瞬間に子犬が外に脱走したが、数秒もしないうちに部屋の中に放り込まれ、扉はピシャリと閉じられてしまう。

『またでられなかったなぁ‥‥』

 どこからか、そんな声が聞こえてきた気がして、みなもは耳に手を当てる。
 そんなみなもの足下を、脱走しようとしていた子犬が一匹、颯爽と通り過ぎていった‥‥‥‥


●●●●●


 みなもが変化に戸惑っている時、マジックミラー越しにみなもを観察していた研究員達は、口々に二人の会話について話し合っていた。

「科学技術の粋を結集して作られた首輪、ねぇ‥‥‥‥解析も出来てない癖に」
「ああいうのが一番でしょう。魔法だの呪いだの、そんなモノよりも科学ですよ。その方が安心するでしょう?」
「そうだけどね。あんな危険な物、了承無しで使わせるのかい?」
「彼女は科学者ではありません。ただのアルバイトです。仕事が終われば、丁重にお帰り願うだけですし、あの首輪はこっちで回収しますから。バレませんよ」
「まぁ、呪具なんて言っていたら着けてくれないだろうし、良いんじゃないですか?」
「前の持ち主だって、別に死んだ訳じゃないんでしょう? “元に戻れなくなっただけで”」
「半日ぐらいなら、“変化”してもすぐに戻れるでしょう。万が一の場合は‥‥‥‥まぁ、事故という事で」
「そうそう。交通事故なんて珍しくもないじゃん?」
「事故なんて、起こらないに超した事はないですけどね」
「彼女の最後の勇姿にならないように、しっかりと見守っていてあげましょう」
「そうしましょう」

 研究員達は、納得したように頷きあってから、それぞれの担当するモニターに向かい合った。


●●●●●


 研究員が部屋を出て行ってから、みなもは自身の変化に戸惑っていた。
 研究員と話している時には意識しなかった変化が、自分に起き始めている。人と話している時には人の言葉しか聞こえなかった。しかし部屋に一人となり、周りに動物しかいなくなった事で、みなもは感じ取れる空気が一変している事を察知し、耳を塞いだ。

『あ〜、おなかすいた。きのうからなにもたべてないや』
『もううごけないよ』
『なぁ、こいつうまそうだぞ。おまえむこうからおいこめよ』
『おいかけてこないでよー!』
『まてやぁ!』

 部屋のあちこちから、そんな“意思”が伝わってくる。
 耳を塞いでも意味はなかった。外から伝わってくる“意思”は、脳内に直接語りかけてきているかのように響き渡り、反響する。それも一匹、二匹の“意思”ではなく、十数匹の“意思”である。脳内を駆けめぐる“意思”の波はみなもの思考を揺らし、耐えきれずに膝を付く。
 動物達の“鳴き声が人語に聞こえる”のではない。相変わらず、犬や猫達はワンワンニャーニャーと騒いでいる。しかしその犬猫達の“鳴き声”の“意味”を瞬時に理解し、みなもは思考の中で、誰がどのように鳴いているのは、いったいどういう意味で鳴いているのか‥‥いったい何をしたがっているのか、それを漠然と理解する事が出来るようになっていた。

「これは‥‥いったい何なの?」

 動物との意思疎通が出来る道具だとは聞いていたが、これは想像以上の世界だ。てっきり動物達の声を人語に翻訳してくれるような機械かと思っていたが、これはそんな生易しい物ではない。
 動物達の意思は、人間とは違い裏も表も存在しない。嘘を付くという行為を知らず、思考と行動が直結している。自分の行動に疑いもなく遊び、襲い、眠る動物達の意思が伝わって来るという状況は、つい先ほどまで人間としてやりとりをしていたみなもにとって、あまりにも懸け離れた世界の出来事だった‥‥‥‥

(頭が‥‥痛い)

 まるで酔っ払っているような酩酊感。頭がふらつき、膝を付いたまま倒れ込んでしまいそうだ。

(うぅ‥‥‥‥なんだか、眠く‥‥‥‥)

 首輪を着けた事による影響か、酩酊感と共に眠気が湧き起こってくる。心なしか、胸も熱く、気分が高揚している。こんな状態をどう表現すればいいのか‥‥‥‥みなもは纏まらない思考に溺れながら、ついに耐えきれずに床に倒れ込む。
 グニャッ

『きゃいん!』
「あれ?」

 倒れ込んだ瞬間、床に打ち付けるはずだった頬から柔らかい感触が伝わってきた。
 それと共に、耳元で可愛らしい鳴き声が響いてくる。本当に間近で叫んだらしく、鳴き声は耳のみならず頬を伝わり、みなもの意識を叩き起こした。

『おもいよ! ど、どいてぇ!』
『あ、ごめん!』

 頬に触れている柔らかな感触が、倒れ込んだ拍子に下敷きにしてしまった子犬の悲鳴だという事に気付き、みなもは慌てて体を起こした。
みなもの枕にされかけた子犬は、スルリと抜け出してみなもを振り返り、抗議する。

『あぶないじゃない! いきなりたおれないでよ!』
『ごめんなさい。痛かった?』
『痛くはないけど、苦しかった。もう、“け”がみだれちゃったじゃないか』

 子犬はそう“思う”と、器用に体を丸め、自分の毛皮を舐め始めた。みなもが倒れ込んだ事によって乱れていた毛並みが揃い、綺麗に並んでいく。
 その光景をボーっと見ていたみなもは、たった今、自分が行ったやりとりを思い、口をポカンと開けてしまった。

(今、会話‥‥した?)

 みなもは自分の口に手を当て、試しに言葉を発してみる。口から出て来たのは、これまで自分が扱ってきた声その物だった。別段、動物の声を出しているわけではない。
 そして相変わらず、犬猫はそれぞれ違った鳴き方で鳴いている。人間の言葉になど聞こえない。
 みなもと子犬の間で“意思の疎通”が出来たのは、あくまで“相手がそう思っていると分かった”と言うだけの事だった。しかし、今度はそれだけではない。みなもの意思を、子犬もちゃんと読み取っていた。いや、読み取っているのだと分かったのだ。

(本当に出来るんだ‥‥‥‥)

 動物との意思の疎通、研究員から渡された首輪の効果は、確かなものだった。動物との意思の疎通は成功し、動物が何を思っているか、自分が何を思っているかを伝える事が出来る。
 これまで、動物と人間の“意思”の擦れ違いによって起こってきた事故も、この首輪を使えばいくらか減らす事が出来るだろう。何しろ、相手が何をする事で怒り、悲しみ、暴れるのかを知る事が出来る。
 人間が思い描いてきた夢の一つが、うまくいけば実現するかも――――

「痛っ!」

 思考を走らせていたみなもの脳裏に、鋭い痛みが走る。まるで針で突かれたような、電流を走らされたかのような痛みだ。そして再び襲いかかってくる酩酊感。子犬と意思を疎通させていた間は全く感じられなかった感覚が、みなもの意識を揺さぶり、思考を吹き飛ばす。

(またこの感覚‥‥いったい何で‥‥‥‥)

 一度目は耐えきれなかった。ならば二度目は‥‥‥‥
 抗えるようなものではない。気力を振り絞っても、時間稼ぎにしかならない事を、みなも自身が痛切に感じ取っていた。

(もう、いいかな?)

 抗う事にも疲れた。この感覚が首輪によるものならば、この感覚はアルバイトが終わるまでの間はずっと続く事になる。それならば、早い段階の内に研究員を呼び、伝えておいた方がいいのかも知れない。無理に続けて、体を壊すような事になっては元も子もない。

「――――」

 声は出なかった。マイクに向かって声を出そうとしても、自分の声が聞こえてこない。いや、自分の声が、周りの動物達の意思によって塗りつぶされていて、何を言っているのかを認識出来ないのだ。

(‥‥‥‥)

 みなもは助けを呼ぼうにも呼べない現実に、気が遠くなった。
 それまで必死に繋ぎ止めていようとした意識を手放し、いっそ楽になってしまおうか‥‥‥‥

「‥‥‥‥あれ?」

 みなもがそう諦めて頭から力を抜いた時、それまでの酩酊感が嘘のように晴れ渡った。
 数秒前までは目を回しそうな勢いだった視界が、ハッキリと見えるようになる。耳を揺らしていた動物達の声も、僅かに離れたように感じ、苦にならなくなる。
 何故、突然元に戻ったのか。
 それを考えようとすると、再び軽い酩酊感が襲ってくる。

(もしかして、頭を使うとダメなのかな?)

 試しに、深呼吸をしてから頭から力を抜き、思考を鈍らせる。酩酊感に任せて眠らぬように気を僅かに引き締め、部屋の中を見渡してみる。
 酩酊感はない。この部屋に入った時のように、意識はしっかりとしている。
 首輪をしてからと言うもの、みなもは動物達の“意思”を異質なものと感じていた。だと言うのに、気分を落ち着かせてみると、騒がしい鳴き声や仕草による“意思”の伝達も何事もなかったかのように受け入れる事が出来る。
 人間的な思考に縛られると、動物達の“意思”が聞こえにくくなる。人間の思考はあくまで人間として、動物達の声を聞くには、動物としての視点が必要になる。その二つの事柄を無理に同時に処理しようとするがために、頭痛と酩酊感を覚えたのだ。

(簡単な事だったんですね)

 答えを得たみなもは、思考を放棄し、動物達に目を向けた。
 ここでは何も考えず、ただ思うがままに行動すればいい。単純だが、そうと分かれば気を楽にして、動物たちの相手が出来る。
 それまで苦しんでいたみなもを遠巻きに見ていた子犬達はみなもを心配し、助けられないかと右往左往していた。猫達は自分たちよりも小型の動物達をからかい、追いかけ回して遊んでいた。モルモットたちは猫達から逃げまどい、現在はソファーと壁の間に逃げ込んでいる。
 そんなモルモット達の恐怖が、みなもには直に伝わってきた。子犬達の不安も、猫達の狩りによる高揚も感じられる。

「こらこら、いじめちゃダメですよ」
『うわっ、なんかきた!』

 みなもがモルモットを助けにソファーに近付くと、猫達は一斉にあちらこちらへと散っていった。そして遠巻きにみなもを見て、ムッとした表情で隙を窺っている。
 そんな猫達を余所に、みなもはソファーを僅かに動かし、壁との隙間で震えていたモルモットを抱き抱えた。みなもが動物達の心情、意思を察しているのと同様に、動物達もみなもの心情と意思を感じ取っているらしく、モルモットは逃げるどころか、自分の方からみなもの胸に飛び込んできた。

『こわかったよぉ!』
「もう大丈夫ですからね」

 モルモットの背中を撫でさすりながら、みなもは自分の胸が高鳴るのを感じていた。
 街中で見かけるような犬猫達は、こちらから近付いていくと一匹残らず逃げていってしまった。だからなのか、こうして簡単に触れ合えた事が無性に嬉しく、モルモットから伝わってくる感謝と幸福感が、より一層みなもの高揚を後押しする。
 胸の高鳴りは全身に広がり、思わずモルモットを抱いている腕に力が入る。しかしモルモットは苦しむどころか、心地よいらしく嬉しそうに鳴いている。
 ‥‥‥‥そしてそんなモルモットを羨ましく思った子犬達が、尻尾を振りながら近付いてきた。

「あれ? みんな‥‥‥‥ちょ、待って!?」

 みなもの声はむなしく響き、手に抱いていたモルモットは危機を察してみなもの腕から抜け出し、子犬の波の中に姿を隠す。
 ワンワンもふもふワンもふワンワン
 足下に殺到する子犬達。
 怖がっている時には遠巻きに、しかし害はないと分かった途端に好奇心旺盛に近寄ってくるのが子犬達だ。我先にとみなもの足下に駆け寄り、中には器用に立ち上がってみなもの足に縋り付いているものもいる。

「危ないから! ちょ、わふん!?」

 何とか子犬の波から逃れようとしたみなもは、犬に足を取られて転倒する。幸いにも子犬は素早く倒れ込んだ先から逃れ、子犬が潰されるような事はなかった。しかし倒れて尻餅をついたみなもは、体に走った衝撃で硬直し、動けなくなる。

「気持ちは嬉しいけどちょっと待ってくださいぃ!?」

 尻餅をついた事で体勢を崩したみなもに、動物達が殺到した。


●●●●●


 そんな光景を、マジックミラー越しに見ていた研究員達は、揃ってこの研究の責任者である研究主任に顔を向けた。

「あれ、まずくないですか?」
「子犬は好奇心旺盛だ。人間には良く懐くし、あれぐらいは普通だろう」
「いえ、そうではなくて‥‥‥‥」
「あれで良いんだ。せっかく数を揃えたんだから、大勢の意思に揉まれた方が、良いデータがとれる」

 研究員は、再びミラー越しに見えるみなもに目を向ける。
 果たして、あの少女はいったいいつまで“人間”でいられるのか‥‥‥‥
 不安よりも好奇心に負けた研究員達は、誰一人としてこの実験を止めようとはしなかった‥‥‥‥


●●●●●


 ああ、楽しい‥‥‥‥
 床に横たわり子犬達に体を揉まれながら、みなもは夢心地にそう思った。
 子犬達は人懐っこく、まるでみなもを母親だと思っているかのようにまとわりついてくる。温かな子犬の体温は心地良く、毛皮が肌を撫でるたびに、みなもは体を震わせる。
 子犬に触るなんて事は、これまでに何度も機会はあった。友人の家、散歩中、アルバイト先‥‥‥‥動物と触れ合う事は何度もあった。しかしここまで動物に囲まれて懐かれる事は、それまでにはなかった経験だ。
 最初の頃こそ抵抗し、立ち上がろうとしていたみなもだが、今では自ら望んで寝転がり、子犬達の相手をしている。全身に子犬達をまとわりつかせ、同じ目線で子犬達の“意思”を読み取り、そしてそれに答えていく。わふわふと体を這う毛皮、偶に下の冷たい感触が伝わり、体がビクリと痙攣する。

「だ、だめですよ。そこはだめです」

 衣服の中にまで潜り込んできた子犬を引っ張り出し、注意する。子犬は残念そうに項垂れたが、すぐに気を取り直してみなもに甘えてきた。
 子犬達に甘えられながら、みなもは言いようのない高揚感に身を任せ、体の動くがままに子犬達を撫で、つつき、甘噛みされながら遊んでいた。それがまた、何ともいえずに楽しく、嬉しい。親しい友人と遊んでいる時でも、こんなに楽しかった事はない。家族の団欒の中でも、こんなに嬉しかった事はない。
 みなもが感じる幸福感は、子犬達の興奮が伝播し、後押しされたものなのかも知れない。
 しかし子犬達もまた、みなもから伝わってくる高揚感に後押しされ、好奇心が止まらなくなる。感じ取れる幸福感が増幅され、楽しい時には徹底してそれを追求し、疲れたら眠る。そんな野性的で単純な習性が、首輪の魔力か、みなもに集中して向けられる。

「ふにゃぁ‥‥わふ」

 子犬達とじゃれついているみなもは、子犬達に玩具にされながら、火照った体をムクリと起こし、室内を見渡した。
 何かを思って体を起こしたわけではない。何かを考える‥‥等という事は、完全に忘れ去っていた。まるで熱に浮かされているかのように、ボーっと室内を見渡している。
 と、そうして見渡している間にも、子犬達はみなもにじゃれついてきていた。みなもに擦り寄れないモノ達は、モルモット達を追いかけ、まとわりつき、遊んでいる。首輪を着ける前は虐めているようにしか見えなかったが、モルモット達も楽しみ、子犬と遊んでいるのが感じ取れる。

(たのしいなぁ。ねぇ、みんな、もっと――――)

 みなもは、心の底から楽しんでいる子犬達を見習い、遊ぶ事にのみ専念する。邪魔な人間としての思考は放棄した。その方が楽しめる。動物は何も考えず、ただやりたい事をする。それだけだ。人間では出来ない事、したくても出来ない事、理性で押し止めてしまう事を、動物は思うがままに実行する。
 それを見習うみなもは、まるで犬のようだった。外から見ていると、子犬とみなもとの間に境界はなく、同じ生き物のような錯覚すら思わせる。声、仕草が子犬と酷似していて、あまりにも自然に動物達と触れ合っている‥‥‥‥

『もっとあそぼうよぉ』
『みんなであそぼう?』
『おなかすいたぁ』
『ねむたいねぇ』

 同時に何匹もの動物達が声を掛けてくる。言葉は分からずとも、声と仕草で何を言いたいのかがよく分かる。人と会話をしている時よりも、確かに理解出来る。隠し事をすると言う事を知らない動物達の思いは、直にみなもの心に伝わり、既に頭で考えずとも読み取れる。

 ピーーーーー

(あれぇ? なにかなってる?)

 室内に響き渡る電子音に、室内中の動物達が耳をそばだて、立ち上がった。音の正体が分からずに警戒し、胸中に不安を募らせる。
 そしてその不安はみなもの心にまで伝播した。あらゆる仕草から動物達の意思を感じ取れるようになったみなもにとっては、電子音よりも周りの動物達による仕草の方が、より強い警告となる。
 みなもは傍の子犬達と同様に“四つん這いになりながら”、音の発生源であるマジックミラーに目を向ける。

「――――――――!」

 何かを言っている。部屋のどこかにスピーカーがあるのだろう。隣の部屋にいると言っていた研究員達が、何かを言っている。
 しかし、その言葉がリカイ出来ない。なんでだろう。みなもは首をかしげた。動物達でさえ自分に“意思”を伝えられるのだから、人間もちゃんと“意思”を伝えて欲しい。ワケもワカラナイ事を言っていないで、何を望んでいるのか、ちゃんと言って欲しい‥‥‥‥
 何を言われているのかが分からず、みなもの胸中が不安で満たされ、周りをキョロキョロと見渡し、右往左往してしまう。周りにいた動物達も同じだ。モルモットも子犬も落ち着きなく歩き回り、猫達はいつでも逃げられるようにと立ち上がっている。
 みなもは、記憶をなくした訳ではない。ここに来る前の事も、来てからの事も覚えている。しかし例え人間だろうとも、何が起こっているのかが分からないという状況は不安で堪らないだろう。
 みなももそうだ。さらに人間としての不安に加え、周りの動物達の不安まで伝わってくる。
それが‥‥‥‥みなもの胸中を冷まし、不安を与えてくる。

「――――――――‥‥‥‥」

 やがて研究員は諦めたのか、スピーカーのスイッチを切って沈黙した。動物達の動きが止まり、そして周りを警戒しながら、時が動き始めたかのように再び騒々しい喧噪に包まれる。
 みなももまた、その喧噪の中に飲み込まれた。動物達も切り替えが早く、不安が一瞬で拭い去られる。

(ふぁ、つかれた‥‥‥‥)

 しかし緊張の糸が切れたためか、みなもは強い睡魔に襲われ、目を瞬かせた。それから自分と同じように欠伸をしている子犬に近寄り、床に倒れ込む。
 子犬はみなもの意思を酌み取ったように、何も言わずにみなもの胸に寄り添い、体を丸めて目を閉じた。それまで遊び回っていた子犬達の何匹かに、みなもと眠った子犬の意思が伝播し、子犬達は思い出したかのように眠った子犬と同じように欠伸をし、眠そうにみなもに寄り添っていく。
 みなもは何もせず、寄り添ってくる子犬達と共に目を閉じ、意識を手放し始める。

 がちゃり

 音が聞こえ、薄く目を開けた。まだ眠りの浅かった子犬と、眠っていなかった動物達が音の出所に目を向ける。
 音の出所は、部屋に一つしかない扉だった。見えたのは白衣を着た研究員。その研究員が、自分をここに連れてきた研究員なのだと思い出し、みなもは薄く開いた目を向けながら、何かを言おうと口を開いた。

『どうしたんですか?』

 何をしにここに研究員が来たのか、みなもには分からない。
 だからこそそう訊いた。だが研究員は、顔をしかめ、答えようとしない。
 聞こえていないのか、みなもは睡魔に耐えながらもう一度だけ訊いてみた。

「くぅん‥‥‥‥」

 みなもの声は、研究員にも届いていた。
 しかし理解は出来ず、研究員はただ、首輪を外す事でみなもが元に戻れる事だけを祈って扉を閉めた。
 ガチャリと、中の動物が外に出ないように、堅く扉は閉められた‥‥‥‥




Fin?


●●●参加PC●●●

1252 海原・みなも (うなばら・みなも)


●一見するとライター通信みたいな後書き●

 その後、みなもは二度と、人間に戻ることが出来なかった。
 これからはずっと、犬っぽい人間として生きることになったのだ。
 そしてあまりにも可愛らしかったため、研究員に思わずお持ち帰りされてしまうのだが‥‥‥
 それはまた別の話‥‥‥‥
 なんて事にはなりません。メビオス零です。
 今回の作品はいかがでしたでしょうか? 人間の意識と記憶がありながらも犬になってしまう‥‥結構苦心した部分です。完全に犬になると、やっぱり記憶も無くあるのかなぁ、などと考えながら書いていたので、微妙に納得のいかない部分もあるかもしれません。
 いつも通り、ご感想、ご指摘、ご叱責などが御座いましたら、遠慮無く送って下さいませ。
 それでは‥‥この度のご発注、誠にありがとう御座いました(・_・)(._.)