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<東京怪談・PCゲームノベル>


 真夜中の仮面舞踏会 第1章《人形たち》

 サイレンが近付いてくる。
 夏樹が首を傾げた。
「消防車、どうする? 来ちゃったわよ」
「ええー! あのねーちゃんが電話した時間から考えたらおっそいくらいだって! なにやってんのこの街の消防ってば。職務たいまーんナマケモノー」
 五月のいう「あのねーちゃん」とはビルの中に吸い込まれた深沢美香のことである。
 九郎が腕を組んで唸った。
「ともかく消防車が来ても、騒ぎになるだけ、犠牲者が増えるだけ。……どうするか」
 九郎の難しげな顔を見ていたのは五月である。だが「あ」と小さく呟くと、はたと手を打った。
「俺、いーコト考えたっ!」
「いいこと?」
「うん、いーコト。なあ、アンタ、……って、ええと。夏樹、このヒト名前なんてゆーんだっけ?」
「コイツは九郎よ。神木九郎」
 そこは夏樹のこと、しっかりコイツ呼ばわりしたのだったが、五月はそれを知ってか知らずかご丁寧にも「コイツは九郎ね、九郎九郎〜」と「コイツ」ごと口の中で繰り返してから九郎を見た。
「俺はイツキヨウってんだけど。じゃなくて、なぁ、九郎。消防署が来ちまったら怪我人が増えるだけって言うけど、使いようはあると思うんだよね。ここらへん、すんごく危ないじゃん? ごうごう燃えてて。でもあのおっちゃんたちなら防火服着てるしさ」
 腕を組んでいた九郎がふと眉間を開いた。
「なるほど。警備役に当たらせようということか」
「そーゆーこと。俺が消防署のヒトたちのここんトコをちょこっと弄ってやるよ」
 そういって五月は米神のあたりを指さして見せる。
 五月は洗脳能力を持っている。自身の声によって精神ある存在に対して影響を及ぼすことができるのだ。だがその力が実際どういうものなのかは知らないはずの九郎に不思議がる様子はない。慣れているのか、不思議を不思議と思わないのか。
「そうか。五月がそれをやってくれるとすれば、助かる」
「おっけーぃ。それと、このビルが崩れてもヤバいしね。警備のついで、周りの住民を避難させるお役目もやってもらうつもり。てことで、手始めにアッチのみんなには帰ってもらおーかな」
 不思議を不思議と思わない男を、五月も五月でこれまた不思議と思わないらしい。
「夏樹、九郎、いちおー耳塞いでて? 俺の『声』は優秀だから指向性あるけどさ、いちおー。そんじゃー、いくぜーっ! せーのっ!」
 五月の「せーの」に合わせて夏樹が耳を両手で塞いだ。九郎も顔色ひとつ変えないままに耳を塞ぐ。
 五月は野次馬群衆へと向き直るとスゥと息を吸い込み、手を口元にあてメガホンの形を作って、
「れっでぃーす、えーんど、じぇんとるまーん!!」
 辺りの空気を震わせる大音声を放った。
「ちょーっと危ねーから、まわれぇーみぎっ!! カラスが鳴いてなくてもかーえろっ!!」
 特撮番組のロケだと思い込んでいた野次馬のじーさんばーさんたちは一瞬きょとんと目を瞬いたが、その目つきが見る見るうちに焦点の合わないものへと変わっていく。
「なんじゃぁ……? ……そいや、ワシ、隣の爺と碁を打っとったんじゃった……帰らにゃぁ」
「私もお昼御飯を作っていたんだったわ……あらいけない、コンロにお鍋をかけっぱなし……」
「俺も、そういえばゴルフの7ホール目で抜け出してきたんだった……バンカーに落ちたあのタマ、どうすっかなぁ……」
 寝間着姿の一群が、うわごとを呟きながら文字通り回れ右をして、ふらふらよろよろと歩き出した。
 そろ、と耳元から手を離し、夏樹は呆気にとられた顔で帰っていく野次馬たちの背を見送る。
「……ヨウ。あんたの力って面白いわね。私、あの人たち追っかけてみたいわー」
「だろ? 俺の術にかかったヤツらって観察してるとたのしーの。んで、お次は消防車くんかなーぁ?」
 徐々に音量を増して近付いてきていることを教えていたサイレンの音が、不意に破裂するよう大きく聞こえ、五月たちの正面、通りの路肩に停まった。後続の消防車も次々に停車する。
 サイレンはすぐに止み、かわりに赤く回転して明滅するランプが辺りを染める中、銀色の防火服を着た消防隊員が駆け降りてきた。
「大丈夫ですかーっ! 怪我人は、建物の中に取り残されている人はいますか!」
 炎に包まれるビルを見上げ、その有様は彼らの予想を超えていたのか、険しい表情で五月へと問いただす。
「あー、ひっどいでしょー? いつ崩れるかわかんない、みたいな。で、怪我人? んーと、怪我人もいるだろうし、取り残されたっていうか、吸い込まれた人もいる」
「ナニッ!? 吸い込まれた!?」
「うん、吸い込まれた、け、ど」
 五月はまたもや息をめいっぱいに吸い込み、詰め寄る消防隊員たちの眼前で割れんばかりの声を張り上げた。
「火ィは俺らが消すからだいじょーぶっ!! 人も俺らが助けるからだいじょーぶ!! おっちゃんたちはぁー! みんなを避難させるのだーっ!!」
「おっちゃんたち」こと消防隊員たちは、ぽかーんと口を開け互いに顔を見合わせた。
「……なんが、よぐわがんねげど、こご、大丈夫そだな……」
「……ンだな……」
「……とりあえず、人を寄りつかせんようにだけしときゃぁいいべ……」
「……それがエエかもなァ……」
「……んで、隣と後ろのマンションのモンば避難させておきましょたい……」
 ぼんやり呂律も回らない調子で口々に言い合い、そして燃えさかるビルを背に、ザックザックと立ち去っていく。
 必殺仕事人よろしく横一列に並んで歩き去っていった消防隊員を見送ってから、夏樹がぼそりと呟いた。
「なんだか、国際色豊かなおじさんたちだったわね」
「それ国際ちがうから」
 五月が夏樹の額にチョップをかましていると、辺りをぐるりと見回していた九郎が言った。
「よし。これで外野の安全は確保できた。突入、と行くか」
 五月のチョップを虎手で白刃取りして、夏樹がうなずく。
「いそがなきゃね!」
 白刃取りに、うぐ、と呻いていた五月が「でも」と首を傾げた。
「夏樹、さっきは入れなかったじゃん。どーすんの?」
「それ…は、ねぇ」
 獣と化した手と脚を伸ばし、「あんたちょっとどいてなさい」とばかりに五月に手振りで、どいてどいて、とやる。
 虎爪を生やした手が頭を抱えるようにぐっと屈曲し、
「こーっの、夏樹サマがふぁいとーいっぱーっつ! って、やんのよーっ!!」
 ボゥン、と音を立てて、勢い狂った赤い炎が夏樹の身体を包んだ。急激に膨張した空気が熱風となって五月の顔を叩く。
「うわぁっ」
 頭を腕で庇って、五月がその隙間から覗くと、学生服はどこへやら、全身が虎の姿と化した夏樹がそこにいた。紅金色に燃える全身の獣毛が炎の中にゆらいでいる。
「そっちの炎がタダの炎じゃないってーんなら、私の火だってタダじゃないのよっ!! 私の炎の鎧をあなどるなってーのッ!!」
「うっわ、夏樹っておっかねー! じゃなくて、あぢ! あぢ! あぢっ! おめー! 俺まで焦がす気かッ!」
 火傷しかけた腕をフーフー吹きながら五月が飛び退ると、九郎が駆け寄ってきた。
 ビルのエントランスへと顎をしゃくり、
「夏樹っ! 俺があの入り口に気を打ち込む。火の壁が薄らいだら突っ込む! 援護しろ!」
「オッケィ!!」
 夏樹と共にエントランスへと走り出す。
 燃え上がるビルは、鉄筋が溶けはじめているのか、壁面に赤く輝く血液のようなものが伝い落ちている。狂ったように踊る炎はいったい何を燃料に燃えているのか、火勢が衰えるきざしはない。
「まったくもー! そいつには『意志』があるんだって! 一筋縄じゃあいかねーってのに」
 ぶつくさ言いながら五月もたったか走り出す。
「夏樹! いくぞ!!」
 九郎がぐっと腰を落とす。
 前後に手を構え、鼻孔から大気を吸い込み、腹からゆっくりと吐き出す。次第に吸い込む呼気の量が増えているのか、傍目にもわかるほどに胸が、肩が、呼吸にあわせて動き出す。
 腰まわりの筋肉に緊張が走り、後に引いた腕が脇腹に引きつけられ、眼前にゆるくかかげた腕の皮膚にも見る間に血管が浮き上がりはじめる。
 一瞬、九郎は息を止め、カッと目を見開いた。
「はあああああぁぁぁッ!!」
 夜空を貫く叫びとともに、引きつけた腕を目にも留まらぬ速さで突き出す。
 普通の人間には捉えられぬほどの速さで突き出された掌の前で、音速もかくやとばかりの突きに押し出された空気と九郎の『気』とが、白い衝撃波を従えてスクリュウのように螺旋を描き、エントランスへと真っ直ぐに突き進んでいく。超重量の砲弾にも等しく。
 ドォン!!
 エントランスのドアへとぶち当たった『気』に、そもそもはガラスかアクリル板で出来ていたのかもしれないが、いまや得体の知れない物質と化して堅く入り口を守っていた扉が、破裂するように弾け飛んだ。だが、火焔の渦が堰を切った土石流のように噴き出して来るではないか。
「ぐあッ!! バックドラフトのつもりかっ!!」
 とっさに九郎が地面に突っ伏すと、背の上すれすれのところをうねる火焔が駆け過ぎていく。横目に見ると、渦なす火焔からはカギ爪をつけた手のような炎の腕が伸びていて、背後を見遣れば、竜の頭のようなものまで見える。だが、今は動けない。
 火竜の胴体が去るまでと耐えて目を瞑った九郎の耳に、咆哮が聞こえた。
 かろうじて女のものであるとわかるその声は、夏樹のものだと、九郎には見ずともわかる。
 九郎を喰らいそこねた火竜は、次の餌食にと夏樹に襲いかかったのか。九郎が歯を食いしばり、火竜の長い胴体に背を灼かれるのにもかまわず上体を起こすと、第二の咆哮が聞こえた。ただし、言葉を成した咆哮だったのだが。
「焔虎の夏樹サマをぉぉぉーっ! ナメてんじゃないわよおぉぉぉーッ!!」
 瞳孔を黄金色に輝かせ、紅蓮の炎を纏った手で火竜の首元をがっしと掴んでいるではないか。
 炎と炎。どちらも人外の司る領域のものであり、異なる属性のものではあるだろうが、二つの炎の化身が、互いを喰い遂せんと炎の牙剥き絡みあう。
「……きっと、同族嫌悪ってヤツだな」
 アプローチの通路脇に立っている看板の裏からひょっこり顔を出して、五月が何やら言った。
 夏樹の瞳が爛と光る。
「散れえぇぇっ!!」
 力任せに腕を振るい、火竜を地に叩きつける。そればかりではく、夏樹の全身から立ち上がる炎が腕を伝って火竜へと一斉に襲いかかり、それはまるで夏樹の命に従う僕のように、地面でのたうつ火竜を包み、飲み込んでいき、そして。火竜は断末魔の悲鳴を思わせる青い炎を一度燃え上がらせて、空中に四散した。
 夏樹が獣身の肩をせわしく上下させて荒い息を吐く。
「夏樹、大丈夫か」
 叫びこそしなかったが、年がら年中無表情そうに見える九郎がさすがに気遣わしげな声をかけた。
「いきなり来るとは、思わなかったわ……。でも」
 夏樹が九郎へと親指を立ててみせる。
「私の炎で勝てるってことは、わかったわよ」
「それに入り口も開いたしねー」
 火竜が斃れたのを見計らって看板裏から出て来た五月が、九郎たちに自分の腕に嵌めた腕時計の文字盤を指さして見せた。
「けど、俺のカウントだと、今のヤツを倒すのに4分38秒はかかってた。もし万が一、ヤツみたいのが次々と出てこられたら……?」
 九郎が眉間に縦皺を刻む。
「苦しいだろうな」
 そう言った九郎を見て、夏樹が慌ててかぶりをふった。
「そんなことないよ! 今のなんて、私の全力じゃない! ただ不意打ちだっただけで……!」
「だが、余力は残しておかねばならんだろう。先がある」
 夏樹は拳を握り、唇を噛んだ。
「てぇことで」
 苦しげな表情の夏樹を横目に見ながら、五月が一歩前に出た。
「俺が助っ人やってもいーけど」
「やってあげてもいい」みたいな言い方をした五月だったが、胸元を指さして言うその顔に「俺、頑張る」と書いてある。
「俺、思ったんだけどさー。こいつらって、俺たちを撃退しようっていう意思は持っているんじゃん? てことは、俺の力でもちょっとはコントロール出来るんじゃないかなって。完全にコントロールすることは出来なくてもさ」
「隙が出来ればいいってことね?」
「そーゆーこと! 九郎、どーよ?」
「なるほど。であれば、いけるかもな」
 腕を組んで話を聞いていた九郎が浅く頷いた。
「五月があの炎を混乱させる。夏樹は、五月の術を抜けて襲ってくる炎があれば迎え撃つ、そして俺が突入する、と。この三段構えで行こうか」
「よぉっし! そうと決まったら善は急げ! いっちにっちいっちぜーん! じゃねーと、あのおねーさんが焼け死んじゃうっ」
 仁王立ちした五月が、スゥゥ、と息を吸い込んだ。
 そして。





 その小さな手に体温はなかった。
 指の縁には縫ったあとが見え、ドレスの袖口から続く手首の奥は、ほころんだところから詰め込まれた綿が覗いている。
 自分の手を握る小さな少女をまじまじと見て、美香は首を傾げた。
 そんな、どう見ても人形である少女が自分の手をたしかに握っている不思議。
 信じられないことだが、美香を見上げる作り物の瞳が動いているのを見れば、それは信じざるを得ない。これが目の前の現実なのだ。
「……ここは、オルゴールの建物だって、あなた、言ったわね」
 人形は巻き毛を揺らして笑った。
「わたくしはクリュティエ。この建物はオルゴール博物館だったのです」
 見回してみると、なるほど、煤に塗れて何が何だかわからなくなっているが、そこここに展示棚の残骸らしいものは見て取れる。元は壁に掛かっていたのだろう額縁が、床に落ちて割れている。焼け焦げた写真立てのようなもの。そして、壁に凭れたまま黒くなっているパネルのようなものもあった。
「どうしてこんなことに?」
 尋ねると、人形は不意に俯き、そして首を傾げた。
「それは……わたくしたちのせい、です」
 言いにくそうに言って、美香を見上げた。哀しげに震えて瞬く睫を見て、美香は人形もこんな顔をするのだ、と思った。
「ごめんなさい、あなたも巻き込んでしまいました」
 まかり間違えば焼死するところだったのだが、その心底辛そうな顔を見ると、どうしてくれるなどとはとても言えそうにない。
 思わず黙り込んでしまった美香だったが、ふと、今聞いた言葉に、気にかかる言葉が混じっていたことに気付いた。
「わたくしたち? 『たち』って……」
「あ。……ええ。わたくしのような者が他にもいるのです。ほら、わたくしは人形、でしょう? 同じ、仲間がいるのです」
 世にも珍しい動いて喋る人形はこの一人――この一体だけかと思っていたが、そうではないらしい。
「ええと、じゃあ、その人……人たちはどこに?」
「人」と呼んでいいのかどうかわからなかったが、とりあえずそう呼ぶことにした。
「あなたのように『呼ばれた』方たちを、迎えに。手荒なことをしていないといいのですが……」
 そう言ってまた眉間を曇らせた。
「『呼ばれた』人たち……」
 美香ははっと顔を上げた。思わず黒瀬の顔を見る。
「私と一緒にいた人たちが、いたの! あなた、見た? 無事だった?」
 いきなり突きつけられた問いに面食らったのか、黒瀬は瞬いた。
「ああ、彼らか。3人ほどいたな。だが、無事かどうかは知らない。俺はそこの窓から入ったんだ。貴女が飲み込まれたのを見て」
「窓から……」
 隙間なく炎に包まれていたように見えたこの建物にも火の手の回っていないところがあったということか。ならばそこから脱出も出来るだろうと美香が考えたとき。
「あなたを助けたいというこの方の意図がわかりましたので、わたくしが、微力ながら手助けを」
 どうやらこの少女は動いて喋る人形というだけではなく、なにがしかの「力」を持っているらしい。ますます美香は頭の中が熱くなってくるのを感じたが、それでこの人形が先ほど自分たちを見ていたのだと、そこだけは得心した。
 あの分厚い炎を割って黒瀬を招くことができるなら、と美香は希望の光を見た思いでクリュティエの手を握りかえした。
「だったら、私、ここから出られるのね?!」
 だが、そんな期待を破るように、クリュティエは首を横に振る。
「わたくしの力はほんとうにごくささやかなものなのです。でなければ、この有様をどうして放っておきましょう? この人を招くことが出来たのは、この建物を取り巻く炎の意思が外の『呼ばれた』かたがたに向いていたその時に、ほんのちょっとの隙があったればこそ。哀しいことですが、わたくしにはあなたを帰してあげられるほどの力はないのです」
「……そう、なの。じゃあ、『呼ばれた』っていう、あの人たちも……」
 じきにここに来てしまうのだろうか。入ったら最後出られないというこんなところには来てもらいたくない。美香だって、出られるなら出たいのだから。
「ねえ、どうにかならない? あなたの仲間が迎えに行っているとかって、あなた言ったけど、あの人たちがここに来るのを、私、止めたい」
 しかし、クリュティエはまたも首を振った。
「外にいらっしゃるあの方たちは、きっとお強い。……わたくしたちよりも、きっと、ずっと。わたくしやわたくしの仲間たちにとって、あの方たちに出会えることは、悲願でし、た」
 何かを耐えるかに苦しげにそこまで言うと、クリュティエは頭を激しく振り、人形とは思えぬ必死な顔で美香の手首を掴んだ。小さな手が強く握りしめてくる。
「わたくしたちだけでは止められない。永遠に繰り返されるこの悲劇を、止められないのです……! これ以上、何も関係のない人たちを犠牲にするわけにはいかない。だからと言ってあなたたちを犠牲にしていいわけではない、そのことも充分にわかっています。でも、他に手段がないのです。美香様、許して。わたくしたちの力は致命的に弱すぎる。だから、わたくしたちの身勝手で、あなたたちを巻き添えにする。そのことを……許して、ください……」
 嗚咽が聞こえた、と思った。手首を握ったまま俯いてしまった人形の旋毛を美香様は見下ろす。
「美香様、って。『様』なんていらないわ。…でも、関係のない人々を犠牲に、って。 繰り返されるって、どういうこと?」
 は、と小さな溜息をついて、クリュティエは顔を上げた。
「美香様、あなたはわたくしたちの希望なのです。だから、そう呼ばせてくださいませ。……かつて、ここのような博物館や宮殿、ホテルや、コレクターの方たちの家が火災に見舞われることが多くありました。普通の火災として片付けられたものもあれば、不審火、放火事件として捜査されたものもありました。ですが、どれも原因は謎のまま。それらの火災で亡くなった方たちには、どれだけお詫びしてもきりがありません。……もうおわかりでしょう? 火災のあった所というのは、わたくしたちの束の間の居所だったのです」「でも、あなたは今もこうしてここにいるじゃない……?」
 美香様がそう言うと、人形は小さく笑った。
「わたくしたちは滅びることは出来ないのです。灰すら残らないまでに燃え尽きても。何度も何度も生まれ変わる。そして何の関係もない人々を道連れに、また炎に焼かれるのです。……この炎は、わたくしたちへの呪いですから。ええ、巻き込まれてしまった貴女には、すべてお話しなければなりません。話は長くなりますけれど。……参りましょう?」
 そう言って美香の手を取ったままクリュティエは歩き出した。
 たたらを踏みながら引っ張られるままに歩き出した美香だったが、
「えっ、ちょっと待って。どこへ?!」
 いったいどこに連れて行かれるというのだろうか。心に不安が過ぎった。
 思わず黒瀬に助けを求めるよう目で合図を送ると、黒瀬は髪を掻き上げて肩が凝ったといわんばかりに首を鳴らした。
「行こうか。ここから当分出られない以上、前進あるのみだ。行かねばならない場所にはこの人形が連れて行ってくれるのだろう? ……この人形の口ぶりからすると、俺はきっと『呼ばれて』はいないんだろうが」
 ゆったりと歩きながら黒瀬が小さな背へと声を投げる。
「クリュティエと言ったか? 俺は今から『呼ばれた』この人のガードマンだ。……共に行動することはもちろん許可する、な?」
 クリュティエは肩越しにちらと見返り、小さな白い顎を頷かせた。
「無論でございます。美香様は『呼ばれた』方ですから」
「えっ、でも! でも私、どこに連れて行かれたって、何も出来ない……」
 振り向かないまま歩む人形の、笑う声が聞こえた。
「美香様、貴女は似ているのです。わたくしたちに似た方。そして『呼ばれた』方。……貴女はきっと持っている。わたくしたちの悲劇に幕を下ろすための、鍵のひとつを」




「ォアアアアァァァァ――ッ!!」
 耳の鼓膜を突き破る絶叫が辺りに響き渡る。
 樹木の木の葉から街灯の鉄柱、電線に至るまでもがビリビリと震えている。
 長く尾を引くその絶叫は、五月のものだった。
 逆巻く炎が、ゴウ、と大きな唸り声を上げた。そして、ビルを包む炎の全体が大きく揺らいで上空へと長く細く伸び上がる。身を捩るように細く。これほど大きな火でなければそのまま消えたかもしれない細り方だった。
「よっしゃ! 効ッくぜ!!」
 五月はガッツポーズをして飛び上がり、お次とばかりに息を吸い込んだ。
「もーちょっと腰が括れてる方が俺の好みだ、なァーッ!!」
 ビルを包む巨大な炎の中ほどが、キュッと締まった。
「いーやいやいやいやいや! もーっともーっと!! 逆三角形ぐらいの方が俺は好きだ、なぁーッ!!」
 キュッとウェストが括れていた炎の上半身にあたるあたりがブォと膨らみ、そう見ようと思えば見えないこともない逆三角形体型を作る。
「おぉー! 上手上手ーッ! すごいじゃん、やればできるじゃん!」
 拍手しながらやんやと褒めちぎる。
「ちょっと五月っ! あんた、何遊んでんのよッ!」
 虎女な夏樹が文字通りに牙を剥いた。
「えぇー? 遊んでないってーぇ。ま、ちょっと見ててよ」
 へら、と笑ってまたもや大きく息を吸う。
 そして、背を撓らせての大音声が響いた。
「胴体ちょーんぱぁッ!!」
 逆三角形マッチョになっていた炎が一瞬大きく揺れた。そして次の瞬間、ウェスト部分から上がズバンと斬られたように吹っ飛んだではないか。
「……え……」
 夏樹は忽然と炎が消し飛んだビル上空を茫然と仰いだ。
「ほいっ。これで火力三分の一っ」
「どう?」とばかりに胸を張る五月を、九郎も夏樹も唖然と見る。少なくとも半減したビルの火勢と見比べながら。
「……首チョンパならぬ胴体チョンパ命令、最強だな……」
 九郎がぼそりと呟く。
 どうだとばかりに「はっはっはっはっはぁーッ!」と戦隊物の悪役みたいな高笑いを上げていた当の五月だったが、しかし、ヘロヘロヘロ、と膝から崩れた。
「えっ!? ちょっと五月ってば! どうしたの!!」
 慌てて駆け寄った夏樹が、自身が纏う炎で火傷させてはならないと、伸ばしかけた手を引っ込める。
「九郎、ちょっと! 五月が……!!」
「おい、五月、どうした!?」
 夏樹の代わりに九郎が五月を抱き起こす。ぐったりとしている頬をピタピタと叩くと、五月は、ふーと息を吐いた。
「……俺、疲れた……。もうダメ、1回休み。九郎、負ぶって」
「……。おまえのことはこれから双六野郎って呼んでやる」
「いででででで!」
 負ぶり賃とばかりに頬をぐいぃとつねってから、九郎は双六野郎、もとい五月を背負った。短時間で能力を使いすぎたらしい五月は、頬につねられ痕をつけて九郎の背中にべったり額を押しつけている。口ぶりが口ぶりなだけに遊びついでか何か軽く見えた五月の攻撃が、全力でのものだったのだと、今ならば九郎にもわかる。何しろ、あれだけ手こずっていた炎を半分以上も消滅させたのだから。だが。
「くそ、計算外の荷物が……」
 ぶつくさ言う九郎を眺めて夏樹が笑った。
「五月のおかげでやりやすくなったんだから、九郎も労ってあげなさいよ。まったく素直じゃないんだから」
「頑張ったのは認める。だが、荷物代はあとできっかり支払ってもらうからな。俺の食費来月分で」
「九郎……食費ってどうなの……」
 そんなことを言い合いながらも、夏樹と九郎は既に走り出していた。五月の働きを無にするわけにはいかない。決して。
 九郎は駆けながら途中で地面に転がっていたスポーツバッグを背負い、そして赤く暗く口を開けたエントランスへと突っ込んでいく。
「九郎、それ、私のっ!」
「おまえが担いだら一瞬で、灰、だ」
 そこらへんツーカーな九郎が拾い上げたスポーツバッグは夏樹の着替え入り、だったりする。
「夏樹! 突入するッ!」
「あったま下げててよーっ! はあぁぁッ!!」
 爆発音を上げて焔虎たる夏樹の身体から炎の柱が立ち上がる。それは夏樹の腕の動きに従って水平に伸び、放たれた。
 太い火柱が地面を焦がして一直線に走り、勢い衰えたとはいえ相も変わらず九郎へと躍りかかってくる魔性の炎を、蹴散らし、吹き飛ばす。
 夏樹が両の腕を交互に振り切るたび、続けざまに打ち込まれる炎の柱。九郎はその間隙を縫って走り、そしてエントランスに躍り込む。
 前面から吹き付けてくる熱風の壁が、九郎の眼前に立ちはだかったが。
 二つの掌を前面に押し出し、夏樹の炎の『気』すらも取り込んで、九郎は憤怒の形相で身構えた。膝を曲げて、衝撃に備える。炎の色に染められた額に、こめかみに、太く血管が浮き上がる。
「ハァァ――ッ!!」
 掌から放たれた『気』は白い爆風をともなって、光気が一瞬九郎の姿を消し飛ばす。辺りに爆音が響いた。夏樹も同時に炎を放ったらしい。九郎の左右で火柱が上がる。辺りに蔓延っていた炎が、あるいは夏樹の炎に相殺され飲み込まれ、あるいは九郎の打ち込んだ『気』に吹き飛ばされ。
 堅牢無比を誇っていた炎の要塞の門扉に、夜の暗さと静寂が訪れた。
「……やった!!」
 駆け寄ってきた夏樹が拳を掲げて、肩で息をしている九郎の背中をはしゃいだように叩いた。
「……実に、実にしつこいヤツだった」
「でも、これで心置きなく行けるじゃない?」
「中はまだ燃えているだろう。火の気配がする。……というか、夏樹、もうしばらく虎オンナでいた方がいいと思うぞ。その……」
「――がっ!! あんたが見なきゃーいいのよっ!! てか、虎オンナって何よ、失礼ね!!」
 うっかり気を抜いて炎の獣身を解いていた夏樹である。何やらガキッと骨に拳のぶちあたる音が響いたが、痛いを思いしたのは果たして誰だったのか。九郎の背中では五月が平和そうに眠っていた。何を夢見ているのか、寝言に「ばんざーい」とか言っている。
 地鳴りのような音はまだ聞こえている。
 九郎たちの足元から暗く伸びる通路の先で、黒い影が蠢き出した。





<了>




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 6855/深沢・美香/女性/20歳/ソープ嬢 
 2895/神木・九郎/男性/17歳/高校生兼何でも屋
 8114/瀬名・夏樹/女性/17歳/高校生
 7578/五月・蠅 /女性/21歳/(自称)自由人・フリーター

(※以上受注順)
 
NPC1381/黒瀬・アルフュス・眞人/男性/32/代行者
NPC/クリュティエ/女性/???/オルゴール人形



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■         ライター通信          ■
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まずは第1章へのご参加、ありがとうございました。
テンション的に燃え尽きている工藤です。すみません…。
ようやくビルの中に入れたという感じでありますが、
もしも次章にも参加してくださいます場合は、
以降ビルの中で対モンスター戦が続く予定ですので、
プレイングは基本的に「おまかせ」で大丈夫です。
追加で「こんな戦い方したい」「こんなことしたい」などの
ご希望がございましたら、お書き添えくださいませ。
本当にありがとうございました。



>深沢美香PL様
なかなか合流できない美香さんで申し訳ないのですが、今回は情報収集面で頑張って頂きました。次章(にご参加頂けたらの話なのですが)黒瀬+クリュティエガード(パラディンガードっぽく)で参ります。


>神木九郎PL様
ツーカー漫才コンビと私の中ですっかり定着してしまい…かけています。
今回は九郎さんのマイペース度は抑え気味に進めてみましたが、どんなときでも現実的な日常生活の匂いだけは抜けないんだろうと思ったりします。「生活費大事!」みたいな。

>瀬名夏樹PL様
「愛と友情のツープラトン!」(古)と某懐かしゲームの技ネームを呟きながらの執筆でありました。シリアス面とギャグ面を自由自在に扱う夏樹嬢、次回も(ご参加頂ければでございますが)「愛と友情の(略)」で参りたいと思います。


>五月蝿PL様
「五月くんはきっと傍目に一見凄さがわからない戦い方をするけど、フタを開けたらモノ凄い、みたいな能力の使い方をするに違いない!」と思ったらこうなりました。そして精神力では力尽きることのない五月くんなんだと思いますが、何故かおんぶに。大丈夫です。眠り姫にはなりません。