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<東京怪談ノベル(シングル)>


『愉しい』と思えた初めての

 窓の閉め切られた暗い暗い陰鬱な部屋の中で音がした。
 電話の着信。
 暗くとも特に惑う事も無く、受話器を取る。
 電話の内容は、鏡夜神彦に『仕事』の予約。
 いつもの通り受け答えの声だけは爽やかに返してみる。

 話を聞くと、大好きな『呪殺』の仕事。
 …依頼人は、頭の悪そうな若い子、らしい。
 で、とっても厳しくていつも偉そうにしているお父さんを殺して欲しいって、凄く軽いノリで。
 神彦にしてみれば別に、断る理由は何も無い。
 …依頼人さんが自分で後の始末を付けられるのならね。
 …僕はそこまでのアフターケアはしていない。
 その旨釘を刺したら、依頼人さんはあっさり安請け合い。
 …まぁいいけど。
 本当に本気なのかな?
 そこからしてちょっと心配になる。
 …後が色々と面倒になるのは目に見えているからね。

 僕も自分の経験があるから。

 だから、珍しく忠告してあげただけなんだけど。
 …どちらにしろ、僕にしてみれば大歓迎のとっても愉しめる依頼。

 愉しめる。
 愉しい。

 …。

 ………………そういえば、僕が『愉しい』って感情を初めて知ったのはいつだったかな?



 それは。
 鏡夜神彦がまだほんの幼い子供だった頃。…ずっとずっと昔、犬公方と揶揄される将軍に生類憐みの令が発布され、敢行されていた御世の事。
 …そんな世で、神彦は初めて自分の『感情』を知った。

 何を考えているのかわからない、とか言われる事が多かった。
 …それは当然だと思っていた。
 だって、自分でも自分が何を考えているのかなど全然わからなかったのだから。
 ついでに言うなら、わからなかろうがわかろうが、それが何なんだろう、とも思っていた。
 何も、全く気に留める必要がある事でも無い。
 …ただ、表情を読んだつもりでこちらの考えを勝手に察した気になって色々話し掛けられる――今思えば気遣われていたのかな? とにかくそんな事が比較的よくあって、それにいちいち付き合うのも面倒臭いような気がして、前髪を伸ばしっぱなしだった…と言うのはある。
 目の表情が見え難いとそういう余計な反応はあまりされない。
 いや、ひょっとするとその時点で――話し掛けられても何の反応もしないで、鬱陶しいくらいに伸びてしまった前髪を切ろうともしない時点で――気味が悪いと避けられていただけなのかもしれないけれど。

 神彦が生まれたのは、人里から隔絶されたとある山奥に住み付いていた、陰陽師の血を引く家系。
 住まいは割と立派な屋敷で、恐らくはそれなりに家の格式も高かった。
 そんな家の、十人兄弟の七番目として生を受けている。
 …非常に無口で大人しくて、とことん目立たない少年だった。

 そんな少年でも、家の方針で陰陽術を仕込まれる。
 神彦だけではなく、兄弟姉妹全員、一人の例外も無く。
 で、どんな風に仕込まれたかと言えば――現代の言葉で言えば、スパルタ教育。
 …今思えば、そんな身近に呪術を浴びるように習える環境がある事はとても有難く、恵まれていたのだと思うけれど、当時は全く興味の欠片も無くて。
 それが辛いとも、面白いとも…とにかく何も思う事はなかった。
 ただ、仕込まれる通りに日々陰陽術の修行を続けていただけ。
 …行を修める、なんて僕には何だか物凄く似合わない表現のような気がするけれど。
 それでも、ただ同じように毎日を繰り返していて。

 兄弟とすらあまり会話はしていない。
 …そもそも、何を考えているのかわからないと言われたのも、腫れ物に触るみたいにして色々気遣って?話し掛けてくるのも親兄弟だけだし。人里離れた山の中だから他の人間には滅多に会わない。…勿論、話す事も無い。
 それもこれも、どうでもいい事だけれど。
 ただ、そんな事もあったな、と言う事実が頭の中を探れば出てくるだけ。
 特にこれと言った興味も無い。

 神彦が家族以外――人以外に見る『動くもの』は、鳥とか狸とか鼠とかの山に棲む小動物ばかりで。
 …この動物たちは、当然ながら自分の親兄弟のように話し掛けては来ない。
 特に僕を避けもしないし。
 何も文句を言わない。
 声を出さない。
 …出させてみたくなった。
 ほんの気まぐれ。
 僕に出来る事。
 ふっと思い付いたのが『人形』の――『ヒトガタ』の呪術。
 …これなら大変な思いをしてすばしっこい動物たちを捕まえたりする必要も無いし。
 いい思い付きだと思った時点で、その為の『ヒトガタ』を作ってみる事をした。

 それから。
 作った『ヒトガタ』で術を使って、色々な小動物の呪殺をしてみた。
 何か声、出すかなと思って。

 けれど。

 どれもこれも、
 あっさり、ころりと。

 動かなくなる。
 …だから何だろう、と思う。
 茶碗が割れるのとあまり変わらない。
 声も聞いたけど、大して面白くもなかった。

 けれど何だか、
 止められない。

 この『遊び』も単なる日課の一つ。
 …いつの間にかそうなっている。

 そしてまた陰陽術修行の合間に新しい『ヒトガタ』を作っていたりして。
 また、ささやかな呪殺を繰り返す。
 何も感じない。
 何にも心を動かされない。
 ………………もう、自分が生きているのか死んでいるのかもわからないほど。
 ずっと、ずっと。

 数年経って。
 そろそろ元服――現在で言うなら成人、と言う頃。…実際の年齢で言うなら、十五の頃。
 その頃に、神彦は三番目の兄と諍いを起こした。
 理由は、今以てよくわからない。
 難癖、に近かったんじゃないかと思う。
 三番目の兄は前からずっと、僕の事を気味悪がって嫌っていたみたいだったから。
 元々仲は悪かった。…と言っても、その逆に仲がよかったと言える兄弟も別に居ないのだけれど。
 とにかく、手を出してきたのは兄の方が先だった。
 僕から手を出すような事なんてする訳無いし。
 …それ程の興味を兄上に対して持ってない。
 けれど、何かちょっと話したところでいきなり掴み掛かられた事は確かで、そのまま振り回すように揺さぶられて乱暴に壁に押し付けられたのも確か。
 目が回った。
 …何をするんだろう、と思った。
 これに近い事は何かあったかと自分の頭を探ってみる。
 …と、勿論そのままでは無いけれど、ごく、近いと思えるものが見付かった。

 ――――――修行。

 ああ。
 そうか。

 ――――――『習った術を行使すればいい』。
 …殺しちゃえばいいんだ。
 思ったところで、自分の服の袂に意識を向ける。
 …日課になっている『遊び』の為にいつも作って持っている『ヒトガタ』。
 脳裏に過ぎった時点で、考える前に袂に手を入れていた。
 そうする為に、自分に掴み掛かってついでに首まで絞めて来ようとしてる兄上を――反射的に引き剥がそうとしていた自分の腕も、自分から放していた。
 …他にやるべき事が出来たから。
 神彦が袂から取り出していたのは『ヒトガタ』と太い釘。
 その釘の先端で。
 ――――――『ヒトガタ』を刺した。

 兄上の事を考えて。

 そうしたら。
 神彦に掴み掛かって来ていた兄上の腕の力が緩んだ。
 がくり、と態勢を崩している。
 力無く床に膝を突いて、それでも神彦を見上げてきたその目は、これでもかと言うくらい目一杯見開かれていて。
 何処か滑稽にも見えるくらい、普段と違う表情で。
 目の中に何とも言い難い色が見えた。
 何処か弱々しいような。
 それでも同時に、何か凄い激情が籠められているような。
 …どういう意味の表情なんだろうと思う。
 とても興味が湧いた。
 こういう時は、どんな風に思うんだろう。
 思いながら、また『ヒトガタ』に針を刺した。
 途端。
 びくりと兄上の身体が不自然に震える。
 ぎゃ、と叫び声も同時に聞こえた。

 わ。

 …もう一度してみた。
 兄上の身体が、びくんと跳ねた。
 …恐らくは、苦悶で。

 思わず、生唾を飲み込む。
 何だろうこれは、と思う。
 凄く、身体が熱い。
 心臓がどきどきしている。
 それで、初めて生まれた強い強い欲求。
 …もっと見たい。

 また、刺す。

 形容し難いくらいの叫び声。
 膝を突いてさえいられなくて、兄上は床に倒れ込んでいる。
「…兄上?」
 答えは無い。
 ただ、倒れたところでびくびくと痙攣染みた動きを繰り返していて。
 口から泡も吹いていた。
 ちょっとびっくりした。
 それで自分も屈んで、兄上の身体を揺さぶった。
「兄上…苦しいの? 痛いの?」
 やっぱり、答えは無い。
 いつしか兄上は目を見開いたまま動かなくなっていた。
 そうなるまで、ずっと神彦はその表情を見ていた。
 全然飽きなかった。
 凄い凄いと思った。
 山の奥で殺していた小動物どころの話じゃない。

 …狂喜に興奮する神彦がその時に浮かべていたのが。
 生まれて初めての満面の笑み。
 神彦はその時に生まれて初めて、『愉しい』と言う感情を知った。
 呪術と言う手段が初めて面白いと思えた。
 満足感が、生きている実感が初めて生まれた。…殺しておいてそれは何か変な気もするけど、そうだった。
 兄上、有難う。
 動かない姿にお礼をする。
 兄上は何も言わない。
 また、揺さぶってみる。
 …不意に背後に人の気配がある事に気付いた。
 誰だろうと思う。
 振り返る。
 そうしたら。
 父上が。

 ………………今まで見た事も無いような凄い形相で、神彦を見下ろしていた。



 …その後は。
 どうしてか怒り狂っていた父上も兄上と同じように殺して、何だかよくわからないけど色々面倒臭くなりそうだなぁと思って、神彦はその家から逃げた。
 それから色々あって、今に至る。
 …逃げてからも暫くは色々面倒臭かったけれど、それでも生きていれば結構何とかなるもので。

 ――――――あの時の兄上の表情は、三百年以上経った今でも忘れられない。
 思い出すだけで、今でも口許に笑みが浮かんでくる。

 うん。

 …さて、昔の事を思い出すのはこのくらいにして、仕事仕事。
 今回入った仕事もまた、僕の大好きな『呪殺』の仕事なんだから。

 さァ、頑張ろう♪

【了】