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[ 雪月花3.5 今、真実を語る時 ]
「よくもまぁ、降り続くな……」
吐き出したのは独り言と、凍りつくんじゃないかと思うほど白い息。
倒れた柾葵を連れてきたのは、偶然見つけた洞窟。一面雪原かと思われたこの地でも、しばらく歩けば木が見えたり、それ以外にも山肌や岩場が見当たり、そこに手ごろな洞穴を見つけた。まるで熊が冬眠しているのではないかという穴には何の気配もなく、そこに柾葵を寝かせると紫苑も近くに腰を下ろす。
最初こそ火を熾し暖を取り寒さをしのぎ、ある程度暖かくなって来た所で火の始末をし夜を明かし今に至る。
遭難したというわけではない。柾葵が持っていた鞄の中身を見る限り食糧難に苦しむということもないが、このまま此処に居るのもしょうがない。
一夜明けた今朝、外を見に行けば雪はそれほど酷くもなく、もう少しすれば止みそうな気もした。そうすれば視界も少しは良くなり――とは言え、紫苑に視界の問題はそれほど無い。有るとすれば柾葵の迷子問題くらいで……――行くべき道も分かるだろう。
「とりあえずは――洸…か」
穴の奥へと戻り、頭の中で整理するよう呟いては隣の柾葵を見る。少し前までは血痰混じりの咳が止まらなかったものの、ようやくそれは治まり、今はまだ少し荒い息を立てながらも眠っているようだった。
「…………」
ふと右手を見つめる。なんとなくさっきまでの感触が残っていて、今になってみればそれは確かな暖かさなのだと気づく。
「――ん、目ぇ覚めたか?」
なんとなく身動ぎした気配に気づき紫苑が手から目を離すと、ぼんやりと目を開けた柾葵がジッと自分を見上げていた。
「…………」
その目は何か言いたそうで。けれど、開かれた口から声は出てこない。
「声は昨日までに元通りか…まぁいい、ほら」
そうしてペンとメモ帳を手渡したものの、寒さで手が悴んでいるのか、柾葵のペンを持つ手はいつものようにスムーズに文字を書くことはなかった。そうして少しぎこちない様子で書き終わると、今度は逸る気持ちで書ききったメモのページをスムーズに破ることも出来ず。思わず紫苑が「落ち着け?」と言った直後、ビリッと明らかに紙が破れた音がする。見れば柾葵は眉を顰めている。そんな文字の書かれている部分が少し破れてしまったメモを手渡され、紫苑は思わず苦笑いを浮かべた。
『悪い、俺どれくらい寝てた?それにここはどこだ?外が暗くないならすぐに行こう。』
そしてその内容と、今すぐにでも立ち上がるのではないのかと思う勢いで上半身を起こした柾葵を制止する。
「今は朝、だな。でもまだ大事とってお前はまだ横になっとけ、柾葵」
『ならこのまま何もせず、俺が動けるようになるまでここにいるのか?』
メモの最後には"それとも"と書かれた字が必死に消された跡が残っていた。続きを書くことを諦めたその先は、不安そうな柾葵の表情を見ればなんとなく予想はつく。
「なんだ、俺に傍に居て欲しいのか?」
だからわざとらしくそう言って笑みを浮かべては、せめてその不安くらいは拭ってやろうと、メモ帳に何かを書き示そうとした柾葵の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「っはは、冗談だ。とは言え確かにずっと此処に居るつもりはない」
「……」
その言葉に、髪を撫でられることを少し鬱陶しがりながらも拒みはしなかった柾葵が、ハッと顔を上げる。そしてどういうことなのか理解できなかったのか、そのまま押し黙ってしまった彼に「心配するな」と言い髪を撫でる手を離し、言葉足らずだった部分を補った。
「これから看病係の洸を連れてくる。見つけたらすぐ戻るから大人しく待ってろよ」
そう言えば、柾葵は少し考える素振りを見せた後ただ小さく頷いてみせる。それを確認すると立ち上がろうとするが、「そういや、……」とふとその動きを止めた。
「?」
てっきりすぐにこの場を立ち去るのかと思ったのか、寝直そうとしたらしい柾葵が「なんだ?」と言いたそうな顔を上げる。
「柾葵は洸を殺したいのか?」
「っ……!?」
柾葵が酷く動揺したのは手に取るように分かった。けれど、それを承知で聞いた言葉でもある。
「まぁ、希望なら聞いてやらんでもないが……翠明の力を半減させる為なら…受けないからな」
最後の方は、紫苑自身無意識の内に少しばかり声を尖らせていた。けれど、最後まで柾葵は目を離すことなく、ジッと紫苑の話を聞いている。
「……どうする、俺がこれから洸を呼びに行く前に話したいコトがあんなら、聞いてくぜ?」
倒れて目覚めてからすぐこんなことを聞くのも酷かもしれないが、洸が居ない今だからこそ話せることもあるかもしれないし、今だから伝えておくべき事があるかもしれない。案の定柾葵はその言葉に促されるまま、メモ帳に何かを書き始めた。
『さっきも言っただろ?はっきりとした理由が分からない以上、やっぱり訳無く殺せない…それは変わらない。
多分だけど、分かっても殺せないとは思う。それで取り戻した俺の声はこの先発狂し続けることしか出来ないと思うから。』
そんな言葉にただ頷くと、続きを書き綴る柾葵の手元をしばらく見つめていた。
『声が出た瞬間、今まで忘れていたことを思い出した。忘れていると自覚すらしてなかった沢山の事を。
それは又声が出なくなった今も、当時の記憶として残っている。
そして思い出すと同時にあいつの考えと思惑も少し流れ込んできた。』
「翠明のが、か?」
『ああ…それで、俺は確かに翠明に声を奪われてる。能力者でもなんでもない俺に、それを破る術はない。』
渡されたメモに、表情には出さずとも引っかかりを覚えた。あの時の翠明の言葉をそのまま受け取るのならば、ただの人間には無い力を柾葵は持っているはずだ。
「…………(忘れてるってワケじゃないなら無自覚ってことか?)」
『そして、命と記憶を対にされ、自分で命を絶とうとすると代わりに大切なことからどんどん記憶が失われていった。
生かされ続け、終には親戚に引き取られたとは言え恵まれてる自分がどうしてこんなにも死にたがっているのかさえ分からなくなって。家族が能力者に惨殺された頃すらいつからか忘れかけてた。』
「ということは、一度今回みたいに何かがきっかけで忘れたことを思い出したのか?」
問いかけに柾葵はすぐ頷いてみせる。
『差出人不明で封書が届いて、その中に一つのシルバーが入っていた。
それに触れた瞬間、家族に何があったかを、どうしてそんなにも死にたかったかまでは思い出した。』
戻ったとは言えそれは歪でおぼろげな記憶。だから結果的に殺しの能力者全てに嫌悪感を抱いていたのだろうか――それを聞くことはないまま、ただ続きのメモが渡される。
『迷った末、俺は手放せてなかった紙切れとそのシルバーを持って、当てのない目的だけの旅に出た。
無力なあの頃より少しは復讐でも出来るんじゃないかって。でも、本当は多分 呼ばれた気がしたんだと思う。』
「翠明に、か?」
『分からない。ただ、旅に出てわりとすぐ、どういうわけか洸と知り合うことになった。
今になってみれば、偶然とは言えないとは思う。洸とあいつに繋がりがあるなら、尚更。』
そこで柾葵の手は止まった。メモ帳とペンを足元に置くと目を逸らした仕草は、もうこれ以上言うことはないという現れなのだろうか。ならばと、柾葵が目を覚ました時から気になっていた空気の正体を知りたく、紫苑はそれを聞くことにした。
「そうして今まで失われた分の記憶は取り戻した、か――だが柾葵、お前代わりに何かを新たに失ってないか?」
「…………」
柾葵はゆっくり顔を上げ、紫苑を見たかと思うと苦笑いを浮かべる。そして膝を抱えると、しばらく膝に顔を埋め微動だにしない。五分か十分かそのままの状態が続き、思わず紫苑は名を呼んだ。
「……柾葵?」
しばらくの後、顔を上げた柾葵は座ったまま紫苑へ近づくと、おもむろに右手に触れた。
「『どうしてかくしごとができないんだろうな』――だって?」
掌にゆっくりと書かれる文字は久しぶりで、その感触に思わずいつかと同じくすぐったさを思い出す。手元にメモ帳とペンはあるにも関わらず、直接掌へと書かれた少しだけ長い言葉。それと少し自嘲交じりの表情に、わざとらしいと思うほど明るい返答を返した。
「まぁ、なんだかんだ付き合いも長くなってきたからじゃねぇのか?」
元々柾葵は分かりやすいというのもあるが、半分は勘である。
さっきの柾葵は殺されても良いと思っていたと、そう翠明は言っていた。それは要するに命を絶とうとしたことに等しい――寧ろ、あれほどの吐血を見れば死ぬ行為に等しいと思う。要するに鎌を掛けたものの、どうやらそれは正解だったようだ。
「一体何を忘れた。いや、忘れてるって自覚があるならまだマシか?」
そう言うと柾葵は悩んだ末右手から手を離し、手を伸ばしメモ帳にペンを走らせた。
『言われるまで洸の存在も、それが誰だったかも忘れていた。
翠明のことも勿論だ。』
その告白に、さっき見せた考える素振りの原因を理解する。それからの流れとここに書かれた言葉から考えるに、今はしっかりと思い出しているのだろう。ならば……もう一つ引っかかったことも多分――と、そこまで考えた所で柾葵の動きが再び止まっていることに気づく。
どうしたのかと聞こうすると、口を開く前に柾葵はゆっくりとかぶりを振り、再びメモ帳にペンを走らせる。そして一枚破いた後、それを渡してこないままもう一枚何かを書きだした。そうして手渡されたのは後から書いていた筈だったメモ。
『やっぱどうしても自力では思い出せない。
ちゃんと顔だって 出会った時から今日までの事だって どんな人だって事までは全部 覚えてる筈なのに。』
そうしてメモから顔を上げると同時手渡された次のメモは、左手に握らされるとその手ごと柾葵に握り締められた。クシャッと小さな音と同時掌に感じる紙の質感。それは言葉として書いたし伝えたい、伝えなければいけないと思いながらも、まるで読んでもらいたくないと言うような仕草。
ただしばらくすれば、紫苑の手を今にも泣き出しそうな顔で握り締める柾葵の手から、ゆっくりと力が抜けていった。こんな事をしていても時間の無駄だと分かったのか、気持ちを察してくれたのか。そんな柾葵の手を「悪いな」と言いながらすり抜けると、まだ彼の体温が残る手を開き、ぐしゃぐしゃになったメモを広げる。そこには普段より小さい文字が書かれていた。
『ゴメン アンタの名前も
いや、名前だけが 抜け落ちてるんだ‥』
起き上がった時、自分をジッと見つめていたこと、そして洸や翠明の事を忘れていた時点でこんな言葉が来ることの予測はついていた。多分記憶が全て戻り、けれど再び翠明の力が働いた際、今の柾葵にとって大事なことから綺麗に抜け落ちたのだろう。こうしてすぐに思い出せるだけ、存在全てが一気に消されなかっただけまだマシなのかもしれない。
「……俺は、紫苑。眞宮紫苑だ」
こうして名乗るのは二回目なのに、あの時とは全く状況が違う。今の柾葵には警戒心の欠片も、嫌悪もない。
『ああ しおんさん だ』
再び右の掌にゆっくりと書かれると同時、唇の動きがその名を紡いだ気がした。
『もうわすれない ぜったいに』
途中掌に冷たい感触を感じ、文字を読み取ることから僅かに集中を移動させれば、そこには小さな水溜りが出来ている。思わずギョッと顔を上げれば、案の定柾葵は無言のままぼろぼろと涙を流し続け、それが紫苑の掌へと落ちていた。
思わず上げそうになった言葉は内心に留め、「んな泣くなよ、な?」と小さい子供をあやすよう優しく声を掛ければ、柾葵はそのままワッと紫苑に抱きつく。
「!!!?」
ただでさえ大きな身体で予想外の馬鹿力だ、紫苑はそのまま後ろに押し倒される形になり、あまりにも唐突なことに不覚にも後頭部を思い切り強打した。一瞬目の前が真っ白になるが、意識を手放さぬようその痛みには耐える。
しかし、続いて鼻を啜るような音に、思わず気が遠くなりそうになった。
「ま…てっ、鼻水は!」
柾葵が顔を埋めているのは明らかに紫苑の胸の辺り。体温のせいだと思いたいものの、心なしか先ほどから湿った感触がするような気がする。
「…………」
柾葵は上から退くことはなく、紫苑はゴツゴツとした天井をしばらく見つめた後、涙で濡れた右手をそっと握り締めると、空いた左手で大きな背中を撫でてやった。
「あー…分かった、分かったから落ち着いたら離れような、柾葵」
そう言うと柾葵は何かの枷が外れたのかのよう、嗚咽を漏らし肩を震わせる。
よしよしと頭を撫でながら、冬場の人肌はこんなに暖かいものかと紫苑はぼんやり考えた。
しばらく泣いた後は泣き疲れたのか、自分の上でスゥッと寝息をたてかけた柾葵を紫苑は叩き起こす。案の定眠気眼で目も真っ赤に晴らした柾葵は、ゆっくりと起き上がると紫苑の上から無言で離れ、すぐ隣にやはり眠そうなまま座り込んだ。
そして舟を漕ぎながら紫苑の左手に一言。
「ん、……『あたまが いたい』? そりゃあんだけ泣けばな」
『久々に泣いた。家族が殺された時は確か泣いちゃいけないって、泣いてなかったはずだから。』
今度はメモを渡してくると、柾葵は小さく鼻を啜った。
「別に泣くことは悪くないだろ。そりゃ人前で泣いて周囲に迷惑かけるのはどうかと思うが。身体の中の、悪いモノを流してくれるだろうしな」
『なんだろうな。あの時は、泣けなかったのかもしれない?確かに…今、なんか気持ちはスッキリしてる。』
「それじゃ、もう少し此処で休んでろよ?」
そう立ち上がり背を向けたところでスーツの裾を引っ張られる。「なんだ?」と振り返れば、柾葵は口の形をなんとなく「あのさ」と動かした後、メモ帳に手早く文字を書き綴り手渡してきた。
『俺、翠明に忘れさせられていた以外にまだもっと、
とても大事な何かを他の誰かの手によって忘れさせられていると思う。』
「……それは、どういうことだ?」
思わず外へ向き動きかけていた足が完全に止まってしまう。
それも、流れてきた翠明の考えの一部ということだろうか。
『真相までは分からなかったし、俺自身記憶が戻った時もそんな自覚はなかった。でも、多分翠明がそれを知ってる。
後‥いや、これは今は良いや、ゴメン。』
紫苑が顔を上げると、柾葵は思いのほかケロッとした表情で首を傾げた。だからそれが深刻なことなのかどうかサッパリ分からない。ただ、もう一度メモに目を落としたところで下にもう一行文章があることに気づく。
『それはそうと、寒いから早く帰って来て。』
「出来る限りは早く戻ってくる」
そう返せば柾葵は又メモを渡し、受け取った紫苑の反応を見る前にその場にコロンと寝転がり丸まった。
『気をつけて 行ってらっしゃい。』
そのメモをポケットにねじ込むと、紫苑は外気の冷たい外へと出る。話し込んでいる間に雪は完全に止んだようだ。時計の針は昼近くを指しているが、仰いだ空の色も含め外の景色は朝から大きな変化がなく、紫苑は颯爽と歩き出した。
□□□
しばらくは煙草を銜えながら雪原を歩いてみるが、どこまで行っても人の気配は無く、たまにどこかで獣の動く気配がする程度。どうやらこうして歩いているだけでは、洸には遭遇出来るわけも無く、都合よく出てきてくれるようでもないらしい。
「――――ならば…思い切り呼べばいーのかね?」
別れ際の言葉を思い出すと同時、いつだかに柾葵が迷子になった頃の事を思い返す。あの時の洸は紫苑の気配に対し『俺は此処だぜ』という勢いを抑えるように言った。あの時くらいの気配を周囲にばら撒けば良いのだろうか。そう考え、一つ深く深呼吸をする。
近くの木々から鳥が一斉に羽ばたいた。遠くで獣の声が聞こえた――気がする。
「何…やってんですか、そんなに気配ばら撒いて。そんなことしてたら獣に襲われますよ」
気配はしなかった。けれど、声は上から降ってくる。
「おまえがそうしろって言ったんだろ……近くに居たんなら声くらい掛けろ。危うく通り過ぎるトコだったろ、洸」
見上げれば、すぐ近くの大木の枝に洸が腰掛け空を仰いでいた。この辺りは常葉樹ばかりのようで、洸の姿は半分以上が生い茂る葉に隠されている。けれど、よく見ればその肩には二羽の小鳥が留まり、二人の会話など気にしない様子で洸を小突いていた。
「いや、本当に俺を追いかけてくるとは思わなかったんで…しかもこんなすぐに」
そう苦笑いを浮かべると、洸はかけていたサングラスを外しジャケットのポケットに挿すと肩の小鳥に触れる。すると二羽の鳥は躊躇いながらも彼の肩を離れやがて見えなくなり、それを見送った洸は紫苑を見ると身体を枝から離した。そのまま軽々と雪の降り積もった地面に着地する。
「それで、何か?」
「いや、お前を連れ戻しに来た。それだけだ」
そう言うと洸は表情を変えないまま、ただ数度瞬きをした。
「連れ戻し……どうして? てっきり俺を殺しにきたのかと」
そして平然と「そうすれば柾葵の声は多分、戻るのに」と小さく付け加え、洸は紫苑に背を向ける。
「お前、んなこと希んでんのか?」
「それくらいされても当然かなとは」
「でも、柾葵はそれを希んじゃいない」
「……」
沈黙したまま洸はゆっくり空を仰いでいた。気づけば戻ってきたのだろうか、二羽の小鳥が洸の右肩に再び留まる。それを見るでも追い払うでもなく、洸はただ顔を左へと逸らした。
「俺は、お前らが二人揃って歩いてんのを見たいんだよ」
動きも反応もない。ただ、まるで洸の代わりに返事をするように小鳥が囀った。
「それに……桜、見たいんだろ、お前」
その言葉に、洸の肩がわずかに揺れる。そうして、ゆっくりと持ち上がった左手が目の辺りを押さえているように思えた。
「っ…そう、ですね。その時――春が来た時はもう決着がついていて、それで俺の目が見えてれば。でも、そのためには柾葵を……あぁそうだ、今の俺を柾葵の所に連れてったら俺、きっとあいつ殺しますよ?」
紫苑には、洸の声が微かに上ずった気がしていた。小鳥は物騒な単語など気にならないかのよう、穏やかに囀り続けている。
「柾葵も殺したくないなら、何か方法探しゃいーんじゃねぇのか?」
「そんな都合の良い話があるわけ…っ……」
途中で切れた言葉は、本心が出たことに気づいた、あるいはそれに自分自身驚いたということだろう。紫苑からは少しばつが悪そうな洸の横顔が確かに見えた。
「なぁに、探し物ってのはノンビリやるもんだ。いずれ何かしら見つかるだろ」
「前にもそんなこと、言ってましたね」
「あぁ、そうだ。シケた面してっと運まで逃げる……そうも言ったろ?」
その言葉にあの時の結果を思い出したのか、それともこの先のことを想像したのだろうか、少しだけ洸の表情が和らいだ。
「柾葵の家族のコトだって、殺したのはお前じゃないんだから気にすんな」
「でも、それでも俺が生まれなければ、柾葵の家族が死ぬことも無かったのはやっぱり事実なんですよ? 気にするなって言われたって……」
そういう洸の姿は、いつかに見た柾葵を思い出させた。人を殺す力を持つ者全てに嫌悪を抱き、割り切れないと言っていた、あの時の柾葵の姿だ。ならば、話し次第で考え方を変えることは充分可能だと紫苑は思った。勿論、簡単に受け入れてもらえるとは思えない。洸の固定観念は、年月にしても考え方にしても柾葵以上のものという可能性が高い。
「お前は……事の成り行きを全部その目で見てきたのか?」
「その目で、って……」
きっと見てきたわけがない。それは視力が有る無い以前の話。
「そういうわけじゃない、ですよ。でも、俺が原因で母さんが殺されたのは、生まれたばかりだったのになんとなく覚えてる。だからこそ、それが事の発端だってことも安易に想像がつく」
しかし簡単にそれを認めた洸は、少し俯きながら更に後を続けた。
「桂に、あの男の隣に居た彼から俺の生い立ちから、母さんが殺されたこと、伯父さんとあの男のことを聞かされました。それで大体の辻褄はあっていたから、だからやっぱり柾葵の家族は――」
「ならそうだな……それは結局他人の言葉に惑わされてるに過ぎない。そもそも、そんなに桂って奴の言葉全てを鵜呑みにしていいのか?」
どうして桂は洸にそんな事を伝えているのか、洸はどうしてそこまで彼の言葉を信用しているのか。そんな奇妙な感覚を覚えながら、紫苑は洸に口を挟ませないよう言葉を続ける。
「そうしてお前は自分が殺したも同然とか今も言ってるが、んなのは詭弁だ。どれも殺そうと考えて実行したのは、翠明であって、お前じゃないんだからな」
そこまで言いきった後、言葉を挟んでこない洸を確認すると一つ呼吸を置いた。吐き出す息の白さは増し、寒さが続く地とは言え、更に少しずつ気温が下がってきていることが安易に分かる。
いつの間にか再びはらはらと雪が降りだし、心なしか薄暗くなってきた景色に夜の訪れを予感した。時計の針は気づけば夕刻近くを示している。時間の流れがやけに早い気がした。
無意識の内掌を空へ向ければ、そこに落ちた雪はあっという間に溶け水となる。それはまるでさっきの涙のようだった。それを再び握り締め、紫苑は洸を見る。
「お前の両手は、汚れていないはずだろ?」
「――――――」
洸は否定も肯定もせず、ただゆっくりと顔を上げ自嘲的な笑みを浮かべた。
「あなたをみちづれにしたのは、間違いでしたね。本当に…唯一の失敗だ」
遠くで鳥の囀りが聞こえる。
「あなたと出会って柾葵が変わった、それが悪いとは言いません。でも俺はきっとそうはならないと、ずっと思ってた。自分が生まれたせいで皆不幸になった、その罪を背負ったまま死ぬんだと覚悟してた。どうせ、後数年の命だろうし…今更って……」
言いながら洸は足元の雪を靴先で掘りだした。
「でも……見直してみるって、言ったでしょう? 眞宮さんが来なければ、俺はこのままあいつか桂の元に行こうと思っていた」
「独りでか。またどうして」
紫苑の短い問いかけに、洸は足を止め今度はピアスに指先を触れる。
「一生会わなければ良かった、それは事実なんですけどね。二度と会いたくもないけれど、本当は会ったら直接確かめなければいけないことが幾つかあったから」
その先はきっと聞かれると思っての先手だったのだろう。
「俺が旅に出るきっかけになった、あいつの手紙…その内容の確認。後このピアスのこと、とか」
言い終わるとピアスから手を離し、掘り起こしてしまった足元の雪を今度は固め始めた。その落ち着きのなさは紫苑から見れば、らしくない行動に思えたものの、足元の雪が固まる頃洸の忙しない動きはようやく完全に停止する。
「――でも、こうして眞宮さんに迎えに来られてしまったから」
そして声色が確かに変わった。
「そりゃ悪かった」
「別に、悪いなんて言ってないでしょ」
そしてどこからか別の鳥が飛んできて。
「こうして迎えに来て、そう言ってくれるのならば…せめて真実を知るまでは、」
それは、紫苑を振り返り見た洸の左肩に降りた。
「仮に嘘だとしてもあなたの言葉を信じておきますよ」
微かに浮かべた笑み。それはすぐに消え失せ、表情はいつもとさほど変わらないものへと落ち着く。けれど、確かに洸の中の何かが少し溶けたことを紫苑は感じていた。それは柾葵の雪解けのように目には見えないけれど、一度一部が溶けたなら、余程の事がないかぎりこの先時間をかけてでもゆっくりとそれは溶けていくだけだろう。
「だから、興味本位でも依頼でも仕事でもいい、今はただそこに居て。……生かしてくれなんて言いません、ただどうか俺たちを生かせておいてください。これは俺からの、頼み――というか、我侭です」
洸が頭を下げると同時、三羽の鳥は暗い空へと飛び立った。
□□□
再び本格的に降りだした雪と、月明かりすらない夜。それでも紫苑が先を歩きその後をピタリと洸が追い、二人揃って柾葵が待つ洞窟へと到着する。
「こんな場所が…うわっ、意外と中暖かいし」
紫苑の後を歩く洸は、キョロキョロと付近を伺い壁に片手を当てながら、一定の距離を保ち続いていた。
あまり奥まで入った記憶はないものの、歩けど柾葵の姿が見当たらない。歩いてみて分かるものの、意外と洞窟は一本道で奥深くまで続いていた。奥へ行くほど単純に外気から離れ、暖かさと薄暗さは増していく。
「おい戻ったぞ。柾葵、居るんだろ!?」
声を上げれば、思ったよりも反響が酷く思わず二人揃って耳を塞いてしまう。ただ、その声にようやく柾葵の姿を確認した。と同時、紫苑は横に避け、洸は数歩後退する。
「っ……!?」
そうすれば一拍も置かず、二人の足元に柾葵が転がってきた。
「又抱きつくつもりだったのか、お前は」
「何、ちょっと離れてた間にどうしてこいつはこんな情熱的な出迎えするようになったわけ」
紫苑は勿論、洸の反応も驚きは含まない。ただ、無様に転がっている柾葵がピクリとも動かないことから、いつ起き上がるつもりなのだろうとぼんやり見下ろしていた。
「しっかし大分奥まで移動してたんだな。暗くないか?」
紫苑にとっては全く許容範囲内の暗さではあるが、常人の目にとってこの闇は目が慣れたとしてもまともに動けるものか、少々考えてしまうものがある。
しかし立たせるつもりで差し伸べた紫苑の手には『おかえり』の文字が書かれた。暗くても文字を書くことに不自由はなさそうだ。
「ただいま」
そうすると柾葵はむくりと起き上がり、膝立ちの状態で洸が居るであろう前の前に行くと、やはりその右手を掴み指を滑らせている。
「……うん、ただいま…」
洸にも同じ言葉をかけたのだろう。柾葵とは顔を合わせないようにそう言うものの、それ以上に続く言葉に「え?」と声を上げた後紫苑を見た。
「あ、どうかしたか?」
「『腹が減ったから何か食わせろ。まだ寒いけどこれ以上奥はもっと暗くて嫌だ、どうにかしろ』って、なんで俺にばっかこんな!?」
その言葉に嫌な予感がし、二人にゆっくりと背中を向けながら煙草に手を伸ばす。
「…………へぇ? 俺が、柾葵の、看病係、なんですか――って、こんな狭い場所で煙草吸わないでください」
その背中にとても冷たい声が突き刺さり、手を止めると同時振り返った。
「ああ、悪い悪い。まぁ、看病係は言葉の綾というかだな」
「はいはい。でも今の柾葵は元気そうだし、このまま放って置いても死なないとは思うけど。まぁ、朝までなら…少しくらいは付き合いますよ」
その言葉を聴いた柾葵は、ギュッと洸の右手を握り締める。
「はいはい、少し落ち着け、手が痛い。っても、食料は柾葵の鞄の中、確か…懐中電灯がどこかにあったか――」
柾葵の手を容赦なく振り払うと、洸はそのまま灯りの確保と食事の準備に取り掛かり始めた。何か手伝おうかと申し出るものの、特別調理するというわけでもないから必要ないと断られてしまい、結局柾葵の隣に腰を下ろして洸を見守ることにする。
『なんだか、出会った頃みたいだな。』
隣から伸びてきた手がそう書かれたメモを脚の上に置いていく。
今このシチュエーションはあの時とは場所状況共に、似ても似つかないと思うものの、紫苑が何か言う前にもう一枚メモが脚に置かれる。
『結局また紫苑さんに介抱されてるようなものだから。』
「柾葵限定で、な」
笑いながらそう言うと、洸が少し振り返った気がした。状況を見ていなければ、まるで独り言だからだろう。会話中だったことを理解すると洸は再び背を向け、それを確認したように柾葵が続きを紫苑の手に握らせ立ち上がる。
どうしたのかと思えばそのまま洸の横へ行き、紫苑と同じように何か手伝えることはないかと聞いているようだった。最初こそ鬱陶しそうに追い払っていた洸だが、食い下がる柾葵に負けたのか何かを指示し始める。それは洸を避け始めた柾葵の事を考えると、大きな変化だった。
そんな二人の様子を見つめながら、紫苑は握らされていたメモに目を落とす。
『 いや‥洸も、きっと同じだよ。 』
その文字、その言葉に、紫苑は言葉は勿論、思いすらも浮かばなかった。
ただ、それはホンの一瞬のことで。丁寧にそのメモを折りたたむと。
「そうか…じゃあ、また此処から始まりだな」
面白そうに呟いた。
「…ちょっ、柾葵!?」
丁度そのタイミング、洸が上げた声に二人の方を見ると、丁度真っ白い顔をした柾葵が倒れていく所で。
「って、やっぱお前無理すんな、大人しく寝てろ!」
素早く立ち上がると、紫苑は二人のもとへ向かった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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→PC
[2661/眞宮紫苑/男性/26歳/殺し屋]
→NPC
[ 柾葵・男性・21歳・大学生 ]
[ 洸・男性・16歳・放浪者 ]
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、ライターの李月です。3.5話ご参加ありがとうございました。
部分部分が今までの総集編のようにはなってますが、柾葵の方は特に今までの情報を統合した形になっています(アナザー入手の情報も纏め…た筈です)ただ、新たに出てきた"翠明以外の誰かに消されている記憶"や、最後に濁した言葉は3話の結果を引き継いでいるものになります。濁した言葉に関してはまだ確信が無く話すべきか少々戸惑っています。内容的にも、隠し方的にも悪いものではないので、その内自然に話してくれるかと思います。
スキンシップが過剰になっていますが、大型犬だと思っていただければ(笑)そうして懐くほどまでになっているということでもあります。
洸のお迎えもありがとうございました。無事遭遇、合流となりました。洸側は、鳥や洸の行動が色々な現われになっています。
そんな洸のちょっとした変化により、柾葵から洸への一方的な壁も消え、そういう意味でもこの先二人が揃って、並んで歩く姿を見ることが出来るでしょう。
最後はちょっとほのぼのとなりましたが、これがまた始まりだとすれば、出会ったばかりの頃とは違う形でまた三人は共に進むのではないでしょうかね。
紫苑さんの言葉や気持ち、今までの行動を反映しつつ洸と柾葵の言葉だらけでしたが、若干紫苑さん視点の三人称になっています。
少しでもお楽しみいただければ幸いです。
それでは、またのご縁がありましたら……。
李月蒼
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