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危険区域と無邪気な天使
「へー、これが藤凪かぁ」
6歳ほどの外見の銀髪の少女は、まじまじと少年を眺めた。
小柄で華奢な、幼女と言ってもよさそうな子供だ。
「みあお、『これ』なんて言っちゃダメ。それに、じろじろ見るのも失礼だし……」
それを青髪の少女、みなもが少し恥ずかしそうにいさめる。
そういうとしっかりした印象も与えるが、小さな子供を相手に戸惑うような、おろおろしたような態度をとるため、どこか頼りない雰囲気も漂っている。
「とりあえず、遊びに来たよっ♪ はいこれ、手土産!」
みあおは、悪びれもせず無邪気な笑顔で袋を差し出す。その中には、山盛りの柿が入っていた。
「……どうも、ご丁寧に」
少年、一流は呆気にとられつつも頭を下げる。
「みなもちゃんの妹さん?」
「まぁ、そんなとこ。あのね、お父さんが時間とれないから、みあおが代わりに視察するの!」
元気のいいお返事だった。
視察なんて、年の割に難しい言葉使うなぁ、と一流は感心している。
「代わりに視察って……」
一瞬、考え込んだ一流がそっと、みなもに視線を向ける。
みなもはそれに、苦笑を浮かべたまま小さくうなずいた。
みなもの父は、前に夢世界へ赴いたことがある。
それを再度、しかも急を要して視察する、となると……。
原因には、思い当たるものがあった。
先日、みなもは奇妙な体験をするはめになった。
自分というものが2つに別れ、もう1人の自分に身体を乗っ取られたかのような感覚。
誰にも声が届かない。自分自身は、その声を恐れ、不安を覚える。
まるで、多重人格のそれのようだった。実際、夢世界と現実世界の2つの記憶を持つみなもには2つの人格が備わっていてもおかしくないのかもしれないのだが。
今はとりあえず、同化している。あれはきっと、一時的なことなのだと思いたい。
とはいえ、父がそれを知れば……当然、見過ごすはないだろう。
「お姉さん思いなんだね、みあおちゃん」
「そ、お姉さん思いなの。安心して、準備万端だから!」
自信満々に差し出されたのは、デジカメに観光案内。
「観光案内って……それ、いつの!?」
「なんと、かなりの情報通だね!?」
みなもと一流が驚きの声をあげる。後者はかなり冗談くさかったが。
「では、みあお隊員。夢世界にレッツゴーだ!」
「ゴー!」
拳を振り上げる一流に、みあおも合わせるように拳を振るう。
一流はどうやら、みあおの外見年齢とその言動から、完全に子供扱いしているようだった。
みなもはそれに微かな不安を感じつつも、何をどうとも言い出せずにいた。
それぞれの手を重ね、イメージをつなぎ、夢世界へと旅立っていく。
夕陽に染まる森、朝陽に照らされ空に浮かぶ逆さの島、そして雪のような花びらが飛び交う月夜の水辺。
「あっちの森に獣人がいてぇ、向こうには翼人、この下は人魚の生息地、なんだよね?」
観光案内を片手に、みあおは自信たっぷりに声をあげた。
「よぉし、さっそく偵察してみよー!」
言うなり、みあおはパッと、小鳥に姿を変えた。
夢先案内人の一流は、普段なら身体を変化させる手助けをするか乗り物を出してやるため、拍子抜けしたようだった。
父親も確か、当然のように姿を変えたようだが、変身に長けた家系なのだろうか。
みなもはもちろん、すっかりおなじみとなった蝙蝠娘の姿。
両手の代わりに黒い皮膜の翼を広げ、悠然と羽ばたいている。
「すてき! みなもお姉さんと空が飛べるなんて」
小鳥のみあおは、歌うようにさえずった。
「あ、そういえば観光案内……」
「はい、ちゃんと預かってますよ。デジカメも重そうだし、お持ちしましょうか? それとも何か乗り物出しましょうか?」
一流は観光案内を掲げ、みあおが重たげに首に下げているカメラを手にとった。
「紳士だね、藤凪。ポイントアップだよ!」
一体何のポイントかは不明だが、案内人は「やったぁ」と喜んでいた。
小鳥に向けて案内を広げると――その中には、世界の全体図や、それぞれの観光スポット、特色などが明記されていた。
随分と昔のものかと思えば、最新の情報らしきものまで載っている。新種の実を発見、という地元新聞じみた内容まであるようだ。
「どこから行こうかなー。お父さんたちと同じルートも、おもしろそうだけど、もっと遊べるとこがいいから〜」
「……あれ、このマーク、何ですか?」
一緒になって覗き込んでいたみなもが、軽く首を傾げる。
黄色い三角の枠にエクスクラメーションマーク――要するにビックリマークなるものが入っている。
現実世界では明らかに、注意、警告を促すものだが……。
その印が、それぞれの地域に1つずつ記されている。案内の中に、それに対する説明はない。
確かにこの世界は少しずつ変化していっているようだが、この世界で暮らすみなもが、知らぬことなのあるのだろうか?
「んん? 何だろ、こないだまではなかったよね?」
それに、一流までが頭を捻った。
「って……これ、藤凪さんが作ったんじゃないですか?」
みなもが驚きの声をあげる。
「だと思ってたんだけどね。昔、宣伝用に作ったヤツの余りかと。でもそれ、かなり前のことだし……これは、明らかに更新されてる。みあおちゃん、一体これ、どこで手に入れたの?」
「さぁ、どこだったかな〜?」
小鳥は楽しげに答え、すいっと飛び去ってしまう。
「あ、ちょっと!?」
逃げるみあおは、藤凪は慌てて追いかける。わざわざ、鷲の姿に身を変えて。
傍から見れば、捕食しかねない光景だ。
しかしみあおの小鳥は、中々に素早かった。
追跡者を焦らすように右に左に、ふりふりと尾を揺らしながら踊るように空を泳ぐ。
「みあお、待って」
だがみなもの声かけに、驚く程あっさりと、速度を緩めた。
「どこに行くつもりなの?」
「さっき、マークがあったとこ。だって、何があるか気になるでしょ?」
「ダメだよ。とりあえず、他の人に聞いてみるから」
「えーっ」
不満そうな声が返る。直接向かった方が早いのに、とでも言いたそうだ。
しかし普段はおとなしいみなもも、こればかりは譲らない。
危険を想起させるあのマークが気にかかったのだ。
まずは手近なところ、獣人の森に降りて聞き込みを始めることにした。
「マーク? 何だい、それ」
「さぁ、あそこには何もなかったはずだけどなぁ」
などと、不思議そうな声があがる。
あまりに収穫がないので、誰かがイタズラで書き加えたのだろうか、と訝り始める頃だった。
「あぁ……あそこは、近づかない方がいいぜ。多分、土が悪いんだ。変な植物が生えててさ、不気味だからって、立ち入り禁止になってる。本当に、つい最近のことだけど」
狼の青年が、そんなことを口にした。
「変な植物?」
「そう。形も変だし、勝手に動くんだ」
今まで、この世界にはなかったものらしい。異世界から種子を持ち込んだ、とも考えられるが、果たして夢世界でもそれは成立するんだろうか。
そもそも、彼が言う植物は現実世界にもあるものなんだろうか?
それは、実際に見てみなければわからない、けど。
「みあお、行こう」
みなもは妹にそう声をかけた。
「うん、見に行かないとね!」
「そうじゃないの。他のところに行こうって言ってるのよ」
元気に答えるみあおに、首を振って答えた。
「どうして。夢世界の異変だよ? 気にならないの?」
もちろん、気にならないはずがない。
みなもにとっては、自分の暮らす世界でもあるのだから。
「調べるのは、後でもできるから。それより、今日はみあおが観光に来てるんだもん。あたしが案内するって決めてたの」
みなもは懸命に、そう語った。妹を危険に巻き込みたくはないのだろう。
対するみあおは、姉のそうした性格をよくわかっていた。
少し真面目すぎるほどの、優しいお姉さん。
「ん〜。じゃあ、みなもお姉さんに任せちゃおうかな♪」
おどけるように、笑顔で答える。
みなもは、少しでもそこから離れようと、獣人の森をあえて避けた。
しっかりとした地面があって――浮島の場合は逆さになっている――両手を使える種が多い森は、観光にはもってこいなのだが。
みなもは、せっかくみあおが鳥になっているのもあって、自分の暮らす浮島を重点的に紹介することにした。
地面から逆さに樹や建物が生えた場所へ。
その途中、水辺に真っ白な細い木が1本、立っているのが見えた。どこか硬質な印象のある鋭い枝に、葉は一枚もない。
あれも、今まではなかったはずだ。
変化はあっておかしくない。この世界は、新たな人を受け入れることで影響を受け、変わっていく。今までだってそうだった。
だけど、何だか。不吉な予感が拭いきれなかった。
みなもが愛用している果樹園。長老の住む塔のような家。机や椅子の変わりに止まり木のある学校。そして、みなもの暮らす家。
日常的な環境から浮島の『神の降り立つ地』――信仰の場所となる、大きな洞を持つ大木。
若干苔むした樹は、いくつもの巣がつくれるほどの枝を伸ばし、緑の海を繰り広げているが、そこに巣をつくるような不届きものはいない。
ただそこで羽を休めると、癒しが得られるという話だ。そこで告白すると必ず成功するという、いかにも女の子がつくったらしい定番ジンクスもあるけれど。
「そういえば今、滑空ゲームっていうのがはやってるんだってね。羽をたたんでまっすぐに落ちていって、水につく直前に旋回するっていうヤツ」
「へぇ、そうなんだぁ。みあおもやってみたい!」
一流の言葉に、みあおが勢いよく手を上げる。
「それより、見てこれ。新種の実なのよ。噛むと粘質になるんだけど、人肌や獣毛にはくっつかなくて、木とか貝殻にだけくっつくの」
みなもは慌てて興味をそらそうとするが、成功はしなかった。
好奇心が強いのも困ったものだ。もしもみあおが怪我でもしたら……自分ももう、ここには来られなくなるかもしれないと思う。
実際、誰に反対されずとも、みなもなら自責の念でそうしかねなかった。
「じゃあ、やってみようか。大丈夫、何かあっても僕が絶対助けるから」
「頼もしいね、藤凪。でも平気だよ〜。だってみあお、飛ぶの得意だもん」
「みあお、無茶しちゃダメよ」
「心配性だなぁ、みなもお姉さんは」
あはは、と軽い笑い声が返ってくる。やる気十分、になってるらしい。
この遊びは、逆さになった木の枝にぶら下がり、羽をたたんだまま足を離す、というものだった。
普通、木の枝から地面というのはそれほどの高さではない。だけど水辺から遠く離れた場所に浮かぶ島は、とてつもない距離を誇る。
空中から魚を狙う海鳥だって、そんな高さから滑空することなどあり得ない。
しかし、みあおは少しも怯えることなく、挑戦しようとする。
みなもも、気が乗らないまま一緒にやることになってしまった。
一流は、審査のためと水面間際に待機しているが、いざとなったら助けるためでもあるのだろう。
今日は人間の姿のまま、箒で宙に浮いている。
普段からそこで暮らすみなもと、初めてやってきた観光客との勝負、ということで、他の翼人たちも物珍しげに集まってくる。
地元新聞にでも載りかねないな、とみなもは苦笑する。
審判役を買って出た鳩の翼人の合図を受け、2人はいっせいに海に身を投げた。
身を投げた、という表現は実に的を射ていた。飛んでいるのではなく、落ちていく。まるで、自殺でもするかのように。
それを下から見上げ、一流はようやく、危険な遊びであることを認識する。
翼のある翼人にとって、バンジージャンプのようなものだろうと高をくくっていたけれど。
翼を広げるタイミングを失えば、そのまま水辺に突っ込んでしまう。
2人ならまるで泳げないということはないだろうが、その衝撃はかなりのものだろう。
それに、何より……翼をもたぬものが浮島に近づけるよう設けられた宙に浮かぶ階段に、ぶつかってしまわないかとヒヤヒヤする。
一流は顔を引き締め、箒を握る手に力をこめた。
2人の身体を、速度を増しながら落ちてくる。それは一瞬のようにも、長時間のようにも思えるものだった。
「――危ない!」
みなもの身体が、階段の1つに向かっていた。
しかし風の流れでそれを感じたのか、みなもはギリギリで翼を広げて、それを回避する。
みあおは!?
2人の視線が、みあおに移る。
彼女はまだ、翼をたたんだままだった。
意識でも失っているように、ただ真っ直ぐに落ちていく。
「みあお、早く……っ」
それ以上は、間に合わなくなる……っ。
みなもの悲痛な声が届いたのか、みあおはようやくのことで翼をひらき、それからすいっと、流れるように方向転換をして見せた。
ほとんど、水面ギリギリで。
息を呑む観客。次いで、拍手が沸き起こる。
「すごいな、あんなの初めて見た!」
「観光客って本当なの? 私たちよりうまいんじゃない?」
心からの賞賛の声があがる。
それに、みあおは得意げに胸をはった。
「おもしろかったね!」
嬉しそうなみあおに、みなもは生きた心地もしなかった、とばかりにため息をもらす。
「みなもお姉さん、勝ったみあおに、ご褒美とかくれたりしないの?」
「ご褒美?」
「うん。みあおね、あのマークがあったとこに行きたいなぁ、って」
「それはダメ。危ないもの」
「だからでしょ」
言うなり、みあおの身体は形を変えた。
背が伸びて髪も長くなり、背に翼の生えた女性の姿。
それは翼人、と言っても差し支えはないのだろうが、天使のように神秘的な美しさがあった。
一流は、一体何事かと目を白黒している。
「あんまり子供扱いしないでね。みあおは、お姉さんを助けにきたんだから」
優美な笑みを見せる銀髪の女性。
「子供扱いしてるつもりは……」
「前は、嫌いだったの。この能力……自分で望んだものでもないし。だけど、今は。お姉さんの役に立てるなら、嬉しいと思う。だから、必要ないって言われると寂しいんだよ」
「必要ないなんて、そんなこと言ってない。ただ、みあおのことが心配で」
「みあおも、お姉さんのことが心配」
天使は柔らかな翼をひろげ、包み込むようにみなもを抱きしめた。
外見的には、『お姉さん』という発言が不可思議だった。あの、六歳の姿とは似ても似つかない。
「もちろん、人格を統一するにせよ、無意識で独立するにせよ、お姉さんは自身が納得する道を選択するだろうし、それ自体は全然、心配してないんだけど」
予定調和の1つだからね、付け加えながら、軽く微笑む。
「あ、あの……君、本当にみあおちゃんなの?」
姉妹のやりとりに、一流は気まずそうに声をあげる。
「そうだよ。ひょんなことから、変身できるようになっちゃったの!」
元気のいい返答に、あんぐりと口を開く一流。
「他にもね」
言うなり、パッと翼を失くした女子高生へと変化する。
その瞬間、ぐらりと体勢を崩す。
「わぁっ」
一流が慌てて、箒を駆使して救出に向かう。
「あはは、ごめん。この格好じゃ飛べなかったんだった〜」
照れくさそうに頭をかく、銀髪の美少女。
「この夢世界の支柱になってるのは、お姉さんの存在だよね。そのお姉さんが不安定になると、世界が乱れる。綻びができる、って言った方がいいのかな。あの場所の発生は、多分そのせい。もちろん、お姉さんの所為ではないよ。植物や生物が、自然に進化を遂げようとしただけだから。……そうでしょ? 藤凪」
伸びた箒の端に腰をかけ、高校生のみあおが言った。
「――君、は?」
「びっくりした? みあおも実は、夢について詳しいの。この姿のときだけだけどね」
無邪気に、けれど容姿のせいか多少の色気も含まれた笑みを浮かべる。
「それで……あたしのために、危険な場所を確かめようとしてくれてたの?」
「状況を分析しようとしてたのはまぁ、本当かな。好奇心っていうのもあるけど」
「……ありがと」
「わかってくれた? だったら……」
「でもダメだよ。あたしのせいでできた綻びなら、それこそ自分で何とかしないと」
一瞬嬉しそうな顔をしたみあおは、続く言葉にぷぅ、と頬をふくらませた。
「それでも無理なら、またお願いする」
「頑固だなぁ。藤凪も苦労するだろうけど、よろしくね」
「へ? あ、はい」
ぽん、と背中を叩かれ、一流はとりあえずうなずいて見せる。
「どうして藤凪さんにふるの?」
「だって……付き合ってるんじゃないの? 結婚前提だって聞いたけど」
「ち、ちが……っ」
「照れない照れない。それとも藤凪、みあおにしておく? こっちの姿なら悪くないと思わない? もちろん、普段もキュートだろうけど」
「えぇっ!?」
ぴっとりと寄り添われて、一流は困惑の声をあげる。
「もう、みあお! 藤凪さんを困らせないの!」
そして、みなもが顔を真っ赤して叫ぶ――。
完全に振り回されてしまったようだ。
――もう、何があってもみあおには頼らない。
そう心に決め、ようとはするが。自分のことを想ってくれているのは本当だとわかっているので、やっぱりいつかは頼るかもしれない、とみなもは思った。
結局、この妹に弱いのだ。可愛くて仕方がない。
だからこそ、怖い存在でもあるのだけど。
夢世界のことに、自分自身のこと――問題は依然、山積みのようだった。
END
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