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<東京怪談ノベル(シングル)>


 Secret mission part2

 耳に響く自らが発する呼気の音。
 滑らかで艶やかな曲線を描きだす全身は、乱れた息の元で大きく揺れている。
 そんな中で、水嶋・琴美はふと呟く。
「こんなふざけた奴に……」
 黒く怒りに満ちた瞳が眼前を見据える。そこに佇むのは、嫌な笑いを顔に貼り付ける男――ギルフォードだ。
「遊びは愉快痛快、何より俺が楽しくなければ意味無いじゃん? だーかーら、俺が楽しむために、も〜っと刺激的なことしようじゃねーか」
 なあ? そう相手の首が傾げられる。そして相手の手が琴美に向けて伸ばされた。
 記憶に新しい動きだ。掌を上に向け、指で招く姿に、切れた息を吸い込む。二度目の挑発行為に、琴美の奥歯がギリリと軋む。
「後悔させてくれるんだろ? なあ、遊ぼうぜぇ」
 ギルフォードの声を聞きながら、グローブをきつく握り締める。
 それを目にしたのだろう。相手の口角がゆったりと上がり、顎がしゃくられた。
「さあ、第二ラウンド開始と行こうかあ」
 ギルフォードの声が通路内に響き渡る。これだけ騒いでも誰も出てこないという事は、この男に全てが一任されているということか。それとも……。
「この男に任せれば、間違いないと踏んでる?」
 そう呟いた琴美の思考を遮るように、ギルフォードが飛び込んできた。
「おらおら、遊びの最中に他所事考えてんじゃねえよ!」
「!」
 ヒュッと顔面ギリギリの場所で風が切られた。
 わざと外された拳が、琴美の綺麗な黒髪を掠める。それに危険を感じて飛び退くが、相手の反応の方が早かった。
 開けたはずの間合いがあっという間に詰められ、即座に左手が伸びる。その手が琴美の髪を掴んだ。
「ぃ、ッ!」
 反射的に髪を押さえて顔を顰める。
 そこに薄ら笑いをした気味の悪い顔が覗きこんできた。
「長すぎじゃね? ちょうど良いし、このまま引き千切ってやろうか?」
 囁くように発せられた声に、琴美の眉が上がる。と、その瞬間、蹴りと同時に、相手の肘めがけて拳を突き上げた。
「――離しなさいッ!」
 琴美の動きは確かに早い。
 常人であれば彼女の動きに付いて来れる者は少ないだろう。だがギルフォードはその上を行っている。
「おっと!」
 同時に放たれる攻撃に、ギルフォードは髪を掴んだ手をあっさり離した。
 虚しく拳が宙を突き上げる中、琴美が振り上げた足が彼の身体に迫る。だがそれさえも容易に受け止められた。
「ひゃははは! 楽勝、楽勝!」
 唾を飛ばして笑う相手に、眉を潜めたまま足を掴む手を振り払おうともがく。だがビクともしない。
「好い加減に、離しなさいっ!」
 軸になっていた足が地面を蹴った。
 ギルフォードに支えられる形で、上体を捻って足を振り上げる。狙うのは相手の頭だ。
 このまま足を掴んでいる保証はない。だがこの勢いなら途中で離されたところで、攻撃が直撃するのは間違いなかった。
 だが顔面に琴美の足が到達する直前、ギルフォードはニヤリと笑うと、掴んだ足に力を込めて地上に彼女の身体を叩きつけた。
「ガハッ! ――……、ッ、ぁ……」
 突然のことで受け身が取れなかった。
 全身を強く打ったショックで今度こそ息が奪われる。そこに更なる衝撃が迫る。
「――ァ、ッ!」
 相手の靴底が息の出来ない彼女の腹を踏みつけたのだ。
 目を見開いて喉を詰まらせる琴美に、ギルフォードはご満悦に呟く。
「良いねえ、その顔。そう言う顔が、超セクシーじゃん?」
 そう言いながら更に足を振り上げる。と、そこに意識が朦朧としている筈の琴美の手が伸びた。
「!」
 一瞬の内に掴まれた足に、ギルフォードの目が見開かれる。足を掴む指にギリギリと力がこめられ、徐々に指が喰い込んでゆく。
「……はあ、ぁ……まだ、でしょ? もっと、遊ぶんじゃないの?」
 口の中が切れたのだろうか。唇から血を滲ませる琴美の目が妖しく光った。
 その目にギルフォードの唇が弓なりに形をとる。
「良い根性してんじゃん。良いぜ、ご期待に添えてやるよ」
 ギルフォードは琴美が掴む足を蹴り上げると、彼女の手を払ってちょうど良い間合いを計った。
 その上で彼女が立ちあがるのをじっと待つ。
 琴美はと言えば、振り払われた手の反動で、地面に仰向けに倒れたまま豊満な胸を上下させて荒い息を繰り返している。
 目は虚ろ、意識は朦朧としているが、それでも拳を握り、上体をうつ伏せて腕に力を込めた。
「ァ――……ッ!」
 身体を裂くような激痛に悲鳴を呑みこんで立ち上がる。視界は揺れて焦点は定まらないが、プライドはまだ残っている。
「負け、られない……こんな、奴にッ」
 キッと睨む勢いで振り返った先に立つ男。
 未だに飄々と表情を崩さない相手に、腹の底から痛み以外の怒りに近い感情が湧きあがる。それを握り締めた拳に納めて、大きく息を吸い込んだ。
「まともに行けば、返り討ちに……合う。何か……何か、あれば……」
 そう呟き視線を巡らせた彼女の目に飛び込んできたものに、スッと黒の瞳が眇められた。
「――使える」
 彼女の視界に入ったのは自らが通って来た排気口だ。その入口は彼女が訪れた時と変わらない様子で口を開けている。
「さて、立ち上がったことだしぃ。第三ラウンドを始めようか?」
 ニイッとギルフォードが笑った時だ。
 琴美がその場で身を翻した。そして背を向けたまま走り去ろうとする。
「おいおいおいおい、逃げるのかよぉ?」
 拍子抜けしたというよりは、逃げたことすら面白い。そうとれる笑い声を零して、彼は追いかけてきた。その姿をチラリと見やって、通気口の下に辿り着く。そして足を止めると、身を反転させて迫り来る相手に向き直った。
「この瞬間に、賭けるわ……」
 腰を低くして上体を倒す。踏み込むのために広げた足は地面を強く踏みしめ、片手は地面に添えられ次の行動に備える。
 その姿を目にしたギルフォードの目が細められた。
「……ふぅん?」
 琴美を見つめ、徐々に唇を弓なりに変化させる。そして口角が際限まで上り詰めると、一気に間合いを詰めてきた。
「面白そうじゃん」
 クッと笑って迫る相手の動きは、今までのどの動きよりも早い。琴美は表情を引き締めると、頭上を見上げて飛びあがった。
 悲鳴を上げている身体には過酷な動きだ。だが、琴美の手は確実に通気口の縁を掴んだ。そして迫り来る相手の動きをギリギリの所でかわして、その背後に回り込む。
 そのまま渾身の力を込めて、拳を叩き込んだ。
「落ちなさいっ!」
――ドンッ。
 低く鈍い音が辺りに響いた。
 その音に琴美の目が見開かれる。目の前にあるのは、自らが拳を落とした筈の人物。しかし相手は平然とした様子で彼女のことを見下ろしている。
「ガッカリさせないでくれよぉ」
 冷めた目にゾクリと背筋が震える。
「あーあ、期待してたのに。残念」
 そう言いながら琴美の背にギルフォードの容赦ない蹴りが落とされた。
「ぅ、アッ!」
 息が奪われ目の前が白くなる。そこに間髪入れずに、今度は身体を掬い上げるような蹴りが入った。
「――ハッ、あ……ッ!」
 重い荷物が落ちるような音がして、琴美の身体が地面を転がってゆく。そこにゆっくりと近付く足音に、彼女の霞んだ瞳が向かった。
「ひゃははは! おもしれえぇ!」
 明らかに現状を楽しんでいる相手に、無意識に手を握り締める。そうして起きあがろうとするが、身体が軋んで言う事を聞かない。
「ッ……」
「そうだ、立てよ。立って俺の相手をしてくれよ」
 狂喜に満ちた笑い声を上げながら、琴美を挑発する声に、力を振り絞って立ち上がろうとする。だがこれ以上は限界だった。
 腕に込めたはずの力が抜け、その場に崩れ落ちる。彼女の目に映るのは、無傷で彼女を嘲るように笑う相手の姿だった。


――To be continue…