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<東京怪談ノベル(シングル)>


【白球にかける思い、なんてない!】





 気に入らないわね。
 それが三島玲奈(みしまれいな)の第一印象だった。
 講演を聞き終えた玲奈は、講堂と校舎を繋ぐ渡り廊下をすたすた歩く。
 授業でなければ、誰が聞いてやるもんかっ。
 「なにをそんなに苛立ってる?」
 落ち着いた少女の声に、ぷんすかした調子で玲奈は答える。
 「超高校生級のピッチャーだかなんだか知らないけどさ。まだ高校生やってる奴が、同い年の連中に偉そうに講釈垂れるって、どれだけ偉いってのよ。たーかがボールをちょーいと速く投げれるだけの人間がさ。人間ってのはね、謙虚が一番なのよ。謙虚が」
 「感情が昂ぶると、また意味なく変身するぞ? ダウン系のクスリでも打ってやろうか?」
 「いらないわよっ! 犯罪者にさせるつもり! って鍵屋! なんであなた、ここにいるの!?」
 隣を歩いていた小柄な少女、鍵屋智子(かぎやさとこ)は肩をすくめる。
 「なに、って? 観察だよ。私は貴方の身体をマネジメントするよう、上から命令されてるからな」
 「学校は?」
 「あ?」
 「あなた、まだ十四でしょ? 義務教育――」
 「海外で飛び級してる」
 「…………」
 天才科学者、だったわね。この子。
 「私たちは常に一緒にいなくてはならない。命令のせいでね。一時も離れられないの。お互い、多少不便なこともあるけど。何かあったら、すぐに投薬できるからね。貴方も安心でしょう?」
 ダークパープルの白衣を羽織っている鍵屋は、その肩に大きな鞄を担いでいる。
 その中にはノートパソコンや様々なクスリがきちんと整理されて収められている。
 コスプレの重ね着が趣味となっている玲奈は、外見だけでなく遺伝子をも、多種多様なそれを重ねている。人狼、魚人、エルフをはじめ、白鳥、犬、鹿、水母。
 遺伝子のスイッチシフトによる変身は、ときに予期せぬ変身を発現する。
 その対策が、科学者鍵屋。玲奈を監視観察し、問題が起こったときに対処する。
 ワンマンでやってきた鍵屋にとって、チームを組むことはストレスとなるようだが、あらゆる遺伝子をシフトすることができる玲奈の得意体質に興味を覚え、楽しくやっているようだ。
 「あ。ちょっとトイレ」
 そういって、鍵屋は校舎の方へ小走りに去っていった。
 「片時も離れないんじゃなかったっけ?」
 苦笑交じりの溜め息を漏らすと、玲奈は窓の下の人だかりに視線を落とした。
 「うちの学校もミーハーよね」
 講堂のすぐ外では、投手にサインを求める輪ができている。
 そのとき、玲奈は匂いを嗅いだ。
 あやかしの匂い。
 自然ではない、異物の匂い。
 「これは――」
 こないだ戦った、ダチョウのキメラと同じ匂い?
 少しだけ開いている窓を開けはなち、玲奈は渡り廊下から上半身を乗りだした。
 目が合った。
 あの投手と目が合った。
 その瞬間、匂いが男から出ているのだと確信した。
 人間じゃない?
 人狼の遺伝子をもつ玲奈は、鼻が利く。
 あたしに知らせた?
 講演会ではしなかった匂い。
 今ここで、あたしに気づかせた――誘ってる?
 「あっ」
 逡巡してると、投手は野球部員の男たちに連れられて、部室棟へと歩きだす。
 「ま、待ちなさいっ」
 玲奈は窓に足をかけ、飛び出した。
 三階の高さから飛び降りた玲奈は、スカートをはためかせ、生足とブルマを見せつけるよう落下する。
 驚いて悲鳴を上げる生徒たちをよそ、着地した玲奈は平然とした様子で振り返り、野球部員の後を追う。



 部室棟の一階、野球部の部室の前には女生徒が群がっている。
 女人禁制。
 半紙に毛筆で書かれた達筆の文字が、入り口のドアに貼られている。
 投手の後をついてきた女生徒たちは、不満を言いあいながら解散していく。
 玲奈はというと、焦りで気が狂いそうになっていた。
 人質を取られた――
 いきなり飛び込むのは、まずい。
 女人禁制とか、そういったことは問題じゃない。
 行くべきときは、行く。
 ただ。
 あたしは今、追いつめられている。
 不用意には飛び込めない。
 けど、ほおってもおけない。
 玲奈は部室棟脇の茂みの中で変身した。
 ネコに変化し、部室のちょうど裏に回り込んだ。
 うわ。
 なにやってのよ?
 野球部の部室の裏、その大きな窓の下に、女生徒が数人しゃがみこんで身を潜めていた。
 投手を諦めきれず、隠れて聞き耳を立てているようだ。
 「あ、ネコ」
 女生徒のひとりが玲奈に気づき、咽喉を撫でる。
 「にゃ、にゃー。みゃにゃー」
 思わず鳴いてしまった。
 「うるせえ!」
 部員が怒鳴りながら窓を開けた。
 ネコを追い払おうとしただけだったろうが、思わぬ発見をして目を丸くする。
 「お前ら」
 女生徒たちは部員と目を合わせないよう、身をかがめたまま、そそくさと立ち去った。
 一匹残されたネコの玲奈は、
 「にゃ?」
 と部員に声をかけたところ、バケツの水をかけられた。



 今度は大丈夫。
 玲奈はいがぐり坊主の少年に変身し、部室に潜入した。
 鍵屋から渡されていた、奥歯を着替えに変質させる注射キットを使い、男子の制服に着替えた。
 野球部の部員が多くて助かったわ。
 部員数の多い野球部は、特別に一番広い八畳の部屋を貰っている。
 それでも壁にロッカーが並べられ、道具が置かれ、二十人以上の部員がいると、足の踏み場もないほど狭い。
 そしてなにより、汗臭い。
 よく分からないフェロモンめいたものを嗅いで、ぞくぞくとはするものの、尋常ではない汗臭さに少年玲奈は顔をしかめる。
 投手は玲奈を一瞥し、にこりと微笑む。
 目が合って、玲奈も不敵な笑みを返す。
 部員に囲まれた投手は、その剛腕の秘密を尋ねられていた。
 「特別な訓練なんてしていないさ」
 投手はいう。
 「あえていうなら――たゆまざる努力を厭わない、野球を好きだという想いかな」
 おおお、という歓声が部員たちから沸き起こる。
 その話、さっきも聞いたし。
 講演の内容、ほんっとつまんなかった。
 みんなは甲子園とか見てかもしれないけれど、あたしは仕事で忙しかったから全然見てないし。思い入れないし。
 「そうだね、あとは」
 つまらないといった顔で溜め息をつく玲奈に、投手はじっと視線を向ける。
 その凝視に気づいた玲奈は、にらみ返す。
 男は続ける。
 「自然食と天然水で暮らしてることくらいさ」
 「天然水? 六甲の?」
 部員のひとりがいった声に、部員たちから笑いが起きる。
 「いや、日本のじゃない」
 投手は笑いながら訂正する。
 「欧州にある小国の」
 男は言葉を区切った。
 「湖にそそぐ、せせらぎ」
 「なんていう国なんですか?」
 「それは――」
 玲奈は瞬時に身構えた。
 男が口にした国の名に、玲奈は聞き覚えがあったのだ。
 その国は、先日玲奈が任務のために訪れた国。
 


 まずい。
 男は両手を広げている。
 その両脇には部員たち。その前後にも部員がいる。
 こんなところでは戦えない。
 玲奈は後ずさり、部室から出た。
 変身を解かないと。
 部室棟から慌てて飛び出た玲奈だが、その右手は掴まれていた。
 「いけないな」
 男がいった。
 玲奈の背中を取った男は、玲奈の右手を逆さに極めた。
 「んくっ」
 「話は最後まで聞くのが礼儀ですよ。三島君」
 「なぜ、あたしの名を?」
 男は背後から玲奈に顔を近づけて言う。
 耳に男の息がかかってくる。それは、異物の臭い。
 「我が『祖国』の領土保全、感謝しますよ」
 「あら? それはそれは――」
 玲奈はいって、遺伝子のスイッチをシフトする。
 「どういたしまして」
 「ぬあっ」
 水面は水母に変身し、男の腕からぬるりと逃れた。
 玲奈は服を脱ぎ捨て、排水溝へと転がり落ちる。
 配管を滑る玲奈は、男の悔しそうな声を聞いた。
 「くそ、化け物め!」
 ええぃっ!
 悪かったなっ!



 べちゃ。
 薄暗いシャワールーム。
 タイルの並ぶ床と壁の間に伸びる排水溝。
 その金属蓋の隙間から触手が伸びて、タイルを打った。べちゃ。
 触手が蓋を持ち上げると、続いて、その本体が這うようにして現れる。
 放課後、部活動が始まったばかりなので、まだ誰も使っていないシャワールーム。
 水母はヒトの姿を取り、亜人間から人間の少女となった。
 シャワーはそれぞれ、膝の上から首までを隠す仕切り壁によって分けられており、裸の少女は、その無防備な姿を誰の目にも触れさせない。
 少女はシャワーを浴びて、その長い髪をかき上げる。
 やっと戻ってきた。
 顔面に強い水滴を浴びながら、玲奈は思う。
 排水溝を逆行するなんて、するもんじゃないわね。
 水母化したときの粘液を洗い流すと、玲奈は素っ裸のまま更衣室をつっきって、そこから一番近い部室、チアリーディング部の部室に駆け込む。
 「早いお着きで」
 玲奈はその声を主を見て、絶句する。
 そして諦めに似た溜め息をつく。
 「どっから湧いて出るのよ?」
 「飼犬の把握は主人の務めですから?」
 玲奈を出迎えたのは、小さな身体で仁王立ちする、科学者鍵屋。
 「誰が犬ですって?」
 鍵屋が手渡してくる水着を受け取り、玲奈はそれに足を通す。
 「ああ、今回は水母だったわね。粘液が残ってたから、すぐに分かったわ。ここに来るだろう、って」
 「え?」
 ビキニを身に着け、誰かのロッカーからチアの衣装を拝借して着る。
 「注射キットが茂みに捨ててあったから、自分で作ることもできない。宇宙船から転送させるの手だけど、それだと落下地点がアバウトすぎるようだから、たぶん学校ではやらない。となると――」
 「あたしはここに来る」
 「簡単な推測ね。貴方、水母化したあとは必ずシャワーを浴びたい、って言ってたし。いつまでも裸でいるわけにもいかないだろうし」
 行動を見透かされるというのは、なんとなく気に入らないけど、分かってくれている、というのは安心する。いざというとき、頼りにできる気がしてくる。
 ノースリーブのトップスにミニスカート。短い白いのソックスと運動靴。頭の上のほうで結ったポニーテール。ニコッと笑顔を作った玲奈は、まるで本物のチアの部員のようである。
 「これ、忘れないで」
 鍵屋から青いスコートを受け取り、はき終えた玲奈は、さらにピンク色のポンポンを渡される。
 ポンポンを胸の前でわふわふ叩き合わせる姿は、可愛らしい。
 見る人が見れば、
 「さすがコスプレの達人。似合いすぎ」
 と称賛するところだが、鍵屋にはそのような趣味はない。
 「遊んでないで、早く行ったら?」
 はいはい。
 あんまり着たことのない衣装だったから、ちょっと嬉しかったのよ。
 「じゃあ、さっそく行くわよ。グラウンドへ」
 「グラウンド?」
 鍵屋が訊ねた。
 「そ。今回のターゲットは、さっき講演していた投手。スケジュールによると、今頃、野球部の紅白戦に参加してるはずよ。ミーハーな追っかけの女生徒が朝から騒いでたから、間違いないわ」



 マウンドに立つ、件の投手。
 セットポジションから振りかぶって、剛球をミットに投げ込む。
 校庭にはギャラリーが詰めかけており、一球ごとにどよめきが起こる。
 キャッチャーから返球を受ける投手は、その視界に玲奈を見つけた。
 チアリーダーに交じって、ポンポンをわふわふ振って応援している玲奈の姿を。
 そして見た。
 「あれは――我らが君主?」
 投手の形相は一変し、その右腕は肥大した。
 他の部位は変わらずに、右腕の筋肉だけが隆起した。
 「うわ、きもい!」
 そう言ったのは玲奈。
 あちこちから上がる悲鳴を、鍵屋は意に関せずといったふうに冷静に言う。
 「そうそう。そのポンポン、あんまり叩くないほうがいいわよ。起きるから」
 「起きる?」
 「ええ。それ、前に貴方が某小国でやっつけた、地霊妖怪だから」
 「は? あの髭蛙!?」
 ポンポンのふさふさの中を探ると、目玉があった。
 「うひゃ!」
 「我らが君主に! おのれぇっ!」
 投手は投げた。
 スピンのかかった白球は、紅蓮の炎に包まれた。
 「きゃあ!」とあちこちから悲鳴が上がる。
 ギャラリーはクモの子を散らしたように逃げ出して、玲奈の周りには誰もいなくなっていた。
 顔面を狙った一球目を紙一重で交わした玲奈は、その揺れるポニーテールの背後に火球を送る。
 そして胴体を狙われた二球目を、足を振り上げてかわす。
 スコートと短いソックスを繋ぐ脚線美を露にし、玲奈はよろめきながらも、かろうじて体勢を立て直した。
 「それじゃあ、こっちも必殺技ね」
 鍵屋が注射を打ち込んだ。
 玲奈の首筋に針を押し込み、クスリを注入する。
 「こら、鍵屋、また! きゃあっ!」
 玲奈はその場でうずくまり、身体を丸め、動かなくなる。
 そして、玲奈の身体は変容する。
 「なに!」
 投手は玲奈の変身を目撃し、初動が遅れた。
 チアの衣装が、内側から突き出てきた針によって、破れていった!
 「ジーン・シフト、ヘッジホッグ」
 鍵屋が言った。腕を組み、投手をじっと見つめている。
 「こっちのボールは、針付きだわ」
 「それに」と玲奈。「大きさもスピンの早さも、こっちの方が上なんだから!」
 針鼠玲奈はその場で回転。
 地面に刺さる針を上下させることで、回転速度をどんどん増大させている。
 「いっくわよー!」
 「う、うわぁあああっ!」
 投手は火球をいくつも投げ込むが、回転する針の山にすべて弾かれてしまう。
 迫り来る針鼠。
 動体視力が良いだけに、その恐怖が倍加する。
 「ば、化け物め!」と投手。
 「あんたも十分、化け物だって」と玲奈。
 「ぬあああっ!」
 巨大なボールと化した針鼠玲奈は、投手を串刺しにして、ライト方向へ飛び去った。



 「お、いたいた」
 森の中、絶命した投手を玲奈は見つけた。
 着地に失敗して、地面にぶつかった衝撃でバラバラになってしまったのだ。
 「さすがに死んだか」
 針鼠玲奈は立ち上がり、空を見上げる。
 「こないだのダチョウ、そして今回の敵――あたし、狙われてるの?」
 そして、捻りすぎた首に身体がついていかず、玲奈は背中から地面に倒れた。
 「う!」
 針鼠の針は地面に刺さり、一人では起き上がれない。
 まずい。
 こんな格好、鍵屋に見られたら!
 「まっずーいっ!」
 背中の針を地面に突き刺し、四本の足を空に向かってバタバタ動かす。
 「あ、あ、もう、だれかー!」
 
 
 
     (了)