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<東京怪談ノベル(シングル)>


過信の代償(2)


 ‥‥‥‥勝てる。水嶋 琴美はそう判断していた。
 予想以上に巧みな敵の戦闘術に多少はダメージを受けたものの、まだまだ戦闘は続行出来る。ギルフォードの義手で受けたダメージは、義手との間に挟んだクナイで軽減している。肋が一本か二本は折れている様だが、まだ致命傷ではない。当たり所が良かったのだろう。まだ幸運に見放された訳じゃない。
 しかし、これで走って逃げるというプランは消滅した。
 森の中を駆けるという事は、それなりに重労働だ。足場は不安定で、肋が折れている現在の状況では全力疾走など出来るはずもない。ギルフォードの戦闘能力はそれなりに把握した。恐らく、背を見せて逃げれば追いつかれる。

(ここで仕留める)

 逃げる事は出来ない。しかし戦う事が出来るのなら、まだ問題にはならない。
 なるほど。ギルフォードの義手はそれなりに脅威だろう。刃が仕込まれている義手は盾と矛の機能を同時にこなし、加えて一撃必殺の腕力を秘めている。
 だが、それだけだ。
 脅威の度合いで言えば、まだ雑兵の銃器の方が厄介だ。銃弾の間合いはクナイの投擲よりも広い上、数を容易に揃えられる。さらに素人が銃を持つと、無駄に引き金を引くので弾の軌道が読みにくい。つまりは流れ弾が多くなるのだ。琴美にとっては、ギルフォードの義手よりも偶然の流れ弾の方が遙かに脅威である。
 ‥‥‥‥何しろ、ギルフォードがどれほどの鍛錬と積んでいようと、あくまで人間の範疇でしか鍛えられない。ならば鍛錬に鍛錬を積み重ねた琴美との能力は、それほど差はないはずだ。
義手の攻撃を“見てから防ぐ事が出来た”時点で、ギルフォードの方が格上等とは思えない。

「あぁ? すげぇなオイ、まだ動けんのか!」

 ギルフォードが笑いながら歩み寄ってくる。
 間合いは五メートルほど。草木に茂みが邪魔してお互いに一足で踏み込めない。
 クナイを投擲して間合いを広げながら戦うのがベストか‥‥‥‥
 見たところ、銃器を使うつもりはない様だ。隠し持っているのかと思っていたが、そうでもないらしい。義手の間合いに入らずに攻撃し続けていけば、余分な傷を負う事もないだろう。
 そんな琴美の思惑を読み取っているのか、ギルフォードはニヤニヤと笑いながら「くぅぅ!!」等と身を屈めた。

「久々に楽しめそうじゃねぇか! なんだ、ここに来てから退屈でよ! 鹿狩りにも飽きてた所だ!!」

 ハイテンションに叫び‥‥‥‥爆発するかの様に跳躍した。
 その姿は、本当に忽然と消えたかの様に見えなかった。
 恐らくは低姿勢で木陰に飛び込み、琴美の視界から外れたのだろう。しかし琴美の目で追えないなど‥‥予想外の事態に、琴美は反射的に周囲を見渡し、音を探り始める。
 だが、探る必要も探す必要もなかった。
 左右を見渡そうと首を振り、視界を正面に戻した時にはそこに居た。

(嘘ッ!?)

 ギルフォードは、一度姿を隠した後、真っ正面から茂みを突破して迫っていた。左右、頭上から奇襲を掛けるわけでもなく、背後に回るわけでもない。真正面から琴美を仕留めようと、無造作に左拳が琴美の体を打ち抜いた。

「っっっっ!!」

 声にならない呻きが漏れる。無造作というのは恐ろしい。何しろ、殴りかかるための予備動作が何もないのだ。隠してもいないのに動作が読めず、防御が間に合わない。背後に向かって地を蹴る事で衝撃を緩和するが、それも気休めでしかない。
 追撃の右腕。刃は拳を突き抜け、まるで剣の様に琴美を見据えている。これを食らえば後はない。

「舐めないで‥‥」

 しかし、ここぞという決めの一撃ほど躱し易いものもない。
 琴美は右腕の刃を紙一重で躱し、ギルフォードの義手に手を掛けた。

「下さいよ!」

 ギルフォードの義手を手に掛け、足払いを掛ける。さらにその体を背負い、瞬く間に地に叩き付けた。十分な加速はつけられなかったが、投げ飛ばされたギルフォードの体は地面に叩き付けられ、「ごふっ」と息の詰まる声が耳に届く。
 その隙を逃すつもりはない。

(動かないで!)

 倒れたギルフォードの胸元にクナイを突き立てる。頭部や喉元は簡単に動かして回避出来るかも知れないが、胴体は簡単にはずらせない。まして、倒れている状態ならばなおさらだ。
 流石に倒れ込んだ状態、転がるぐらいしか回避方法はないだろうが、投げ飛ばされた直後では体が硬直する。琴美の腕は稲妻の様に瞬く時間すら与えず、ギルフォードの胸元に伸び‥‥予期せぬ方向へと投げ出された。

「え?」

 体が軽い。視界が回る。
それが足を掬われたのだと気付いたのは、倒れていたギルフォードが後転する様に両足を折り曲げ、猛烈な蹴りを見舞われた時だった。

「なっ!?」

 地面に倒れ伏したままで放たれた蹴りは、全身をバネにして増幅されて琴美の体を吹き飛ばす。先程の再現だ。今度は茂みではなく、木の幹に叩き付けられる。

(倒れたまま、私の足を手で掬ったわね‥‥)

 木の幹を蹴り付けて軌道を逸らし、地面に着地する。
 ギルフォードは、クナイを防ぐにも躱すにも不利だと判断したのだろう。そして琴美の足を掬って強引にクナイの軌道を逸らし、さらに追撃までやってのけた。あの刹那の瞬間に回避、攻撃、さらに蹴りの勢いを利用して体勢を整えた。
 ‥‥‥‥一撃回避するだけならば転がるだけで十分だろうに、この場面で最も効果的な方法を選択する判断力‥‥‥‥

(強い‥‥!)

 琴美はここに至って、ようやく認識の甘さを思い知らされた。
 先程の反撃は、確かにギルフォードにとっては最も効果的だっただろう。しかし琴美の足を、予備動作無しで払うだけの腕力、そして瞬く間に反撃の体勢に移った身のこなし、刹那の瞬間に反撃方法を取捨選択し、実行するだけの判断力‥‥‥‥
 こいつ‥‥‥‥ただの馬鹿じゃない!

「そらそらそらそら! もっと打ってこいや!!」

 高笑いしながら、ギルフォードはこちらを手招きして挑発している。
 ‥‥‥‥やはり馬鹿だ。基本的に、何も考えていないタイプ。自分の欲望のままに動き、殺人を遊びとしか見ていない外道。しかしそれだけに、自分の欲望を叶えるために能力を磨き、力を行使する事を躊躇わない悪党。もしかしたら、今の反撃も頭で考えず、体が勝手に行った事なのかも知れない。
 厄介な手合いだ。
 初手で仕留められなかった事を悔やむ。だが逃げにはもはや入れない。強敵であろうと、ここで仕留める以外に道はない。

(夜は‥‥まだ?)

 反撃の糸口を考察していた琴美は、薄暗くなりつつある周囲に活路を見いだす。
 琴美は忍者の末裔だ。忍びは、古来より闇夜に蠢くのが基本となっている。当然夜目が利くようにと訓練を積み、闇夜の戦闘は熟知している。
 そうなれば琴美が有利だ。如何にギルフォードが琴美を上回る能力を持っていたとしても、地の利を味方につければ状況は覆る。
 問題があるとすれば‥‥‥‥

「来ないならこっちから行ってやるぜぇ!!」

 ギルフォードの体が爆ぜる。開いていた三メートルの距離が無になり、放たれた義手の刃をクナイで弾く。やはり待っていてなんてくれない。と言うより無駄に素早く、目の良いギルフォードから逃げ隠れなど出来ない。
 琴美は無駄な思考を凍結させ、目の前の脅威を躱し続ける事に専念する。
 時間稼ぎなど考えている時間が死に繋がる。思考を費やせば費やすほど、それは雑念と同等の足枷となる。ギルフォードを相手にそれは致命的だ。よって、頭で考えずにこれまでの鍛錬と戦場で体に叩き込んだ経験に身を任せる。

「クハハハハハ!」

 笑い声が鬱陶しい。義手の一撃はクナイで勢いを削ぎ、体全体で躱しに掛かる。義手は重く、まともに打ち付ければクナイが砕けるだろう。これでは盾にもならない。しかし躱してばかりでは追い詰められる。
 僅かな隙をついて頭部、足下、胴へと拳打を加える。だが、ここぞという一撃は尽く躱された。急所を狙う一撃は、読まれていたかの様に躱された。

「効かねぇなぁ。本気か?」

 フェイントとして放った攻撃は全て無視し、ギルフォードは決めの一撃のみを躱して琴美を追い詰めている。
 自分の動きが読まれている‥‥‥‥否。ギルフォードは琴美の動きを予測などしていない。琴美がギルフォードの動きを見てから防ぎ、躱して致命傷を避けているのと同様に、ギルフォードも琴美の動きを見てから躱している。それも完璧に、フェイントを混ぜたコンビネーションでさえ、義手で防ぐ事もせずに体捌きだけで回避された。
 異常な身体能力に、琴美は焦りを覚えて死角へと回り込む。
 正面からの攻撃では決定打にはならない。ギルフォードは、義手の能力でも戦闘経験でもなく、獣じみた“身体能力”のみで琴美を追い詰めていた。琴美が拳を放てば、それより速く拳を繰り出してくる。蹴りを放てばより鋭い蹴りを放ってくる。死角に回れば、逆に死角に回り込まれて攻撃を受ける‥‥‥‥
 後出しジャンケンで先手を取られている様な気分だった。向こうはこちらの手の内を見てから行動を行っているというのに、最終的にはギルフォードの攻撃が先に届いている。ギルフォードの腕力ならば、一撃食らうだけでも致命打になりかねない。よって、琴美は攻撃として繰り出していた手足を防御に費やす事になり、気付いた時には攻撃に移る予備動作すら行えないほど追い詰められた。

「オラオラオラオラオラオラオラ!!!!」
「――――――――つぅ!!」

 ギルフォードの動きを目で追い掛け、防ぐ事で精一杯だ。躱し続けていた攻撃を躱し切れず、腕に、肩に、足に攻撃が掠る。着物はあちこちが裂け、肌が剥き出しになっていた。不思議と肌に傷は付いていないため、出血の類はない。最初に派手に吹き飛ばされた一撃も、外から見れば軽く痣になっている程度だ(実際には肋骨が折れていたりするのだが)。
 紙一重の差で攻撃を躱し続け、ダメージを最小限に抑えている。
 抑えているのだが‥‥‥‥

(まさか、そんな‥‥‥‥)

 実質的なダメージをさほど受けていない事に、琴美は違和感を覚え始めていた。
 ギルフォードの攻撃を紙一重で躱している‥‥‥‥それが事実ならば、まだ良いのだ。
 しかし琴美を圧倒出来るだけの能力を持つギルフォードを相手に、傷らしい傷を負わないなどあり得るのだろうか? しかも尽くが紙一重で、肌だけを器用に避けて攻撃が掠るなど、あり得るのか?
 琴美は焦りと共に、それまでに感じた事のない言い知れぬ恐怖を覚え始めていた。
 まさか‥‥‥‥この男は‥‥‥‥

「‥‥‥‥」
「おぉ?」

 不意に、琴美は防御の手を止め、躱そうとしていた動きをピタリと止めた。繰り出される拳。しかしそれは、不意に止まった琴美の脇を通り過ぎて着物を刻むだけで引っ込んでいく。

「なんだよ。いきなり止まんなよ! 危ねぇだろうが!!」

 殺し合いを仕掛けておいて、実に理不尽なことを喚く殺人鬼。
 だが、琴美はギルフォードの言葉など聞いていない。それ以上に衝撃的な事実に、琴美は目を見開いて体を強張らせた。
 ‥‥‥‥ギルフォードは、琴美を殺そうなどとは思っていなかった。琴美を仕留められるのはいつでも出来る。しかしそれでは‥‥‥‥暇潰しにならない。せっかくの相手なのだから、切り刻もうとわざと攻撃箇所を衣服に絞り、肌を傷つけることなく猛攻を続けてきた。
 琴美がギルフォードの猛攻を躱し続けていたなどと言うのは‥‥‥‥錯覚なのだ。躱していたのではなく、ギルフォードは琴美が動くのを分かっていて、あえてギリギリ躱し切れない様に攻撃していた。
 その事実に、琴美は今度こそ戦慄する。
 それが事実だとしたら‥‥‥‥自分はここに至るまで、いったい何度死んでいたのだろうか?

「なんだよ、ジッとしていられるとなぁ‥‥‥‥なんか白けるんだが」

 琴美が動かなくなった途端、ギルフォードは舌打ちしながら様子見に掛かる。
 それまでのテンションが嘘の様だ。抵抗をしない相手には燃えないのか、気怠げに琴美を観察している。

「一つ、質問を良いですか?」
「おぉ? 此の期に及んで問答とは予想外すぎるんだが」
「一つだけです‥‥‥‥あなたは、遊んでいるんですか?」

 それだけ‥‥‥‥たったその一言だけを、問い質した。
 問いに、ギルフォードは「んなことかよ」等と言いながら‥‥‥‥

「ああ。鹿狩りにも飽きてたし、暇潰しにはちょうど良いからな」

 嘘偽りない感想を叩き付けてきた。

(‥‥‥‥‥‥)

 その言葉は嘘ではないと、琴美は直感した。
そしてギルフォードは、琴美を“敵”として見ていない。この攻防も、“殺し合い”等とは思っていない。
 殺し合いとは、互いに相手を殺せるだけの拮抗した力量があって初めて成立する。武器も持たない一般人と肉食恐竜では勝負にならないだろうし、蠅と殺虫剤装備の人間なら一方的に人間が勝ってしまう。琴美にとって、ギルフォードは脅威以外の何ものでもなかった。しかしギルフォードにとっては、危険など微塵もない遊び相手、玩具に過ぎない。
 殺し合いとなる余地など無かった。
 ギルフォードには、万が一にも自分が殺される可能性など無かったのだから‥‥‥‥

「‥‥‥‥白けたな」

 つまらなさそうに、ギルフォードは呟いた。
 せっかく楽しく遊んでいたというのに、水を差された。戦闘の中断は一気に熱を冷まさせる。
 ‥‥‥‥それまでテンション高く高笑いを続けていたギルフォードは、溜息混じりに――――

「もういいか。終わらせるか。なぁ‥‥別にいいよな?」

 背筋を凍り付かせる声色で、殺人鬼は笑っていた。
 そうなった所で‥‥‥‥琴美はようやく思い至った。
 ああ、なんて事だろうか。
 違和感は感じていた。
 それまで経験してきた戦場では、必ず感じていたもの。
 今まで、何故気付かなかった。
 この男はこれまで、一瞬たりとも‥‥‥‥



 殺気を放つ事など無かったのだ。



「手加減はなしでいいよな? んじゃ、始めるぜ?」

 返答など待ってはくれない。
 漲る殺気は、琴美の体を鎖の様に呪縛し、拘束していた‥‥‥‥