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<東京怪談ノベル(シングル)>


漆黒の疾風、土気色の蛇 〜遭遇〜


 うっそうとした森林の中に、ぽつんと古びた研究所が建っている。こんな辺鄙なところまでやってくるのは、相当の変わり者だ。かろうじて車は利用できるものの、一番近い村まで1時間はかかる。道中に外灯があるわけもなく、日が暮れればあらゆる意味で危険を伴う。パトカーでさえ、めったに来ない。そのため、夜は野生動物たちの楽園へと姿を変える。ここはまさに弱肉強食の世界。文明を知った人間には縁遠い自然のど真ん中なのだ。
 そんなところにある建物が蜂の巣をつつかれたように、にわかに騒ぎ出す。けたたましい音を放つサイレン、すさまじい光量を放つ無数のライト……これらが如実に騒動の大きさを物語っていた。中からは周囲の景色にまったく似合わぬ屈強な警備隊が顔を揃え、隊長の指示に従ってマニュアル通りのチェックをこなす。その一方で、白衣を着た研究者らしき男たちが頭を抱えながら、不測の事態の対応に追われていた。いったいどこにこれだけの人間が潜んでいたのかはわからないが、とにかく研究所は大パニック。

 この騒動、実はたったひとりによって引き起こされたものだった。すでに犯人は、その場を離れている。闇夜に紛れて動きながらも、その豊満な肉体を存分に躍動させながらの堂々たる逃走。揺れる黒髪は、まるで高まる鼓動を代弁しているように見える。
 犯人は女、それも『くノ一』の末裔。彼女の姿から連想することは容易である。すばやく走るしなやかな脚は編上げで膝まであるロングブーツ、自然と女性らしさを協調する上半身は着物を戦闘用に改良した半袖仕様。腰に帯をし、その下はミニのプリーツスカートにフィットするスパッツ。インナーは黒で統一されたものを使用。これらの服装は隠密行動から戦闘動作まで、すべての局面で効果を発揮するよう考え抜かれたものだ。
 彼女の名は水嶋 琴美。自衛隊の非公式部署『特務統合機動課』に所属する若き隊員である。今までこなした特別任務は数知れず。育ちのせいか、どんな状況下でも常に自分の力を信じることを信条としている。その礎となるのが、類稀なる身体能力と聡明な頭脳。これを鍛え抜いたからこそ、今の成功が可憐に花開く。
 今回も見るからに怪しげな研究所での任務を鮮やかにこなした琴美は、静かに微笑みを浮かべた。もしかしたら彼女は今、達成感に似た気持ちを感じているのかもしれない。だが、これは決して油断ではない。その懐に重要機密情報を携えているからには、琴美の脳裏に『安息』の二文字が想起することはないのだ。


 琴美は行く手を見る。常人にはただの暗闇にしか見えないが、彼女にすれば今もまた白昼同然。自分の目に映るものは、信頼するに足る情報だ。いつ何時も観察することを忘れない。仮に他人から得るものを信用するならば、それは『気配』だろうか。人は自分の心まで欺くことはできない。それを如実に表現するのは、オーラや雰囲気とも呼ばれる気配だ。ここに正直さが出る。これは人と言うよりも、むしろ獣に対して言えることだろうか。

 「……殺気。」

 琴美はつぶやく。そして瞬時に立ち止まった。
 逃走経路に選択した道の先に、隠し切れないほど大きな殺意を持った敵が待ち構えている。察知すると同時に、武器であるクナイを持ち直す。そして目の前に姿を現した敵を警戒する……男だ。なぜか歓喜に満ちた目をしており、まるで土気色の蛇のようにも見える。彼は研究所からの追っ手ではなく、事前に外で待ち伏せをしていたらしい。

 「ひひひ……あんた、こんな時間に散歩かよ?」
 「…………………」
 「そーんなわけ、ねぇよなぁー。ま、ここからは俺のお楽しみだぜ。ゆっくりしてくんだなぁ、ひーーーっひっひ!」

 冗談でもこの男を『常人』と表現するのには、かなり無理がある。なんとも厄介な奴に出会ったものだ。琴美は自分の間合いを取る。別に相手に付き合う必要はない。すべてを自分の尺度に合わせ、相手が生み出した不都合はその時々に修正していけばいい。徹底的に自分を基準にしての戦い振りが、今の琴美のすべてだ。
 敵は不意打ちを狙ってだらだら話していたのかと思いきや、どうやらそういうつもりはなかったようだ。しかし簡単に懐へ入れさせてくれるほどの隙は見せてくれない。彼は物珍しげにクナイを見ながら、琴美から適度な距離を保ちながら歩く。その足の運びにも、なぜか隙がない。油断ならない相手だ。

 「うざってーんじゃね、そういうちまちました武器って? ひゃひゃひゃ! やっぱ……ゴーカイにいかねぇとなぁーーーっ!」

 男が物々しい装備に包まれた右腕を振り上げた。こんなところに丸腰で敵を迎え撃つはずがない。琴美はとっさに身構え……ようとした刹那、なぜか後ろに避けていた。
 敵がまざまざとクナイを見ていたことが、どうにも引っかかる。丁寧な分析をするような相手ではないのだから、琴美は自然とシンプルに考えるよう意識していた。そこから想像できる危機は『クナイで対応できない攻撃が来る』ということ……その予想通り、敵の攻撃はむなしく空を切る。その代わり、存分に地面をえぐった。なんと男の腕は『ハルバード』などに代表される長斧へと変化しているではないか。

 「ひゅーーー! スイカ割りみてぇにはいかねぇってか!」

 男は長い舌で自分の唇をなめずると、さっさと地面から獲物を抜く。長斧の先端は槍になっており、今度はそれを利用してフェンシングのようなフォームから連続の突きを繰り出す。明らかにふざけた態度だ。だが、戦いにおいてもっとも重要なのは『勝つか負けるか』だけ。経過はどうでもいい。結果がすべてなのだ。
 そのことは琴美も十分に理解していた。胸に忍ばせているものをしかるべき場所に届けなければ、いくら奪い取ったところで意味がない。積極的に無法を犯す敵と比べ、いつも不利な状況で戦うことばかり……しかしそんな『局地戦』こそが、いわば彼女の真骨頂。森を形成する木々などお構いなしで乱暴に武器を振るう敵に対し、琴美はそれを活かした戦い方を披露する。重い突きを体をひねりながらの垂直ジャンプで避け、太い枝に足がつくとその反動で突進した。琴美が動けば動くほど、その艶やかさが増していく。漆黒の夜に咲いた艶やかな花一輪。
 一気に懐へ潜りこもうとする相手を迎撃しようと、敵は武器を普通の長さの斧に戻す。これはただの斧ではない。両刃の斧……つまり、戦斧。これを振り回し、美女に応戦する。防御しつつも攻撃するという無駄のなさは、くしくも琴美の十八番を奪った格好となった。接近戦に強い武器に変えられると、クナイでは圧倒的に不利。幸か不幸か、武器に変化するのは敵の右腕だけである。右腕以外はすべてウィークポイントだ。わずかな隙も見逃さぬとばかりに、蝶のごとく男の周囲を舞い続ける。

 「楽しませてくれんのはいいんだけどよぉ! あんた、勝手にへばんなよぉぉ!」

 敵の口から放たれる言葉は実にいい加減なものだが、その攻撃は恐ろしい威力が備わっていた。木の皮を剥ぎ、木の枝を折り、時には意味もなく木の葉を舞わせる。
 琴美は多角的かつ多様な攻めを見せるものの、どれも決め手に欠けるものばかり。相手に隙がないのは対峙した時からわかっていたので、手数を増やすことで崩していこうと試みたが、変化する武器の特性を前面に押し出した動きはどれも厄介。また前述したように、男は常に攻防一体の動作を繰り出す。これはもはや『相手に隙を出させる』という恐ろしく高いレベルの戦いであった。

 戦いは長期戦の様相を呈した。