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<東京怪談ノベル(シングル)>


漆黒の疾風、土気色の蛇 〜圧倒〜


 月明かりも届かない森林の中で、今もまた激しい火花が舞う。
 謎の研究所から重要機密書類を奪って逃走中だった琴美は、待ち伏せしていたと思われる男と遭遇。見た目こそただの狂人だったが、戦いのセンスはずば抜けたものを持っており、琴美もまた簡単に勝てる相手ではないと長期戦を覚悟する。

 この男は犯罪者である。名前はギルフォード。ふたりの間に因縁はない。彼は自分の快楽を満たすために殺人を犯すという、まさに究極の享楽主義者である。右腕の義手もまた、枯れることのない欲望が後押しする形で手に入れたものだ。ある程度の困難が予想され、その経過や結果が派手な犯罪を好むサディスト。今の状況に当てはめるなら、琴美が攻めあぐねている状態が『困難』の部分になるだろうか。しかしこれはあくまで相手が望む状況というだけであって、必ずしも現実になると約束されたものではない。

 琴美は勝機を見出そうと戦況を見据える。ギルフォードは戦斧となった義手を振り回し、容赦なく攻め立てた。

 「逃げてもいいんだぜぇ〜〜〜? 逃げれるもんならなぁ! ひゃっはっはっは!」

 相手が慈悲や情けでそんなことを言っている訳がない。琴美は返事とばかりに飛び出し、武器に狙いを定めて何度か攻撃を繰り出す。そして相手に悟られるうちにパッと飛び退く。この後もギルフォードから素性などを語るよう強要されたが、それも沈黙で返した。相手がダンマリを決め込んで何も答えてくれない……男は狂喜とは違うリアクションを見せるかと思われたが、琴美が何を語ろうともあまり興味がないらしい。とにかく気持ちよく戦って、最後に勝利することしか頭にないようだ。
 一方、変化した右腕への攻撃を試みた琴美。義手の破壊まで望めないにしても、一部の破損が可能かどうかを見定めての攻撃だったのだが、その結果は芳しくない。初めての敵なので手元に情報も少なく、何が弱点かもわからない。いや、弱点は見えているのだが、そこを攻め切れていないのが現状だ。彼女は戦いへの自信と異常なまでの狂気は同じところから出たものだと判断した。
 さらに少し前からだが、琴美は自分にプラスとなる材料が少なくなっていることにうすうす気づいていた。それと同時に、『ある事実』が蜃気楼のように揺らめく。今までは影も形もなかったのに、ここへ来て『それ』が急に見え隠れするようになった。それが目の前に、そして自分を包み込む前に決着をつけなければならない。


 琴美は果敢に前へ出た。さらにスピードを活かすため、クナイの二刀流で挑む。しなやかな脚からキックを放ち、変化していない生身の箇所への攻撃も織り交ぜた。その姿はまるで迫り来る何かを振り払うかのようである。今までにない激しい攻撃に、ギルフォードは驚嘆の声を発した。

 「おふぉ! や、やんじゃねぇの! でもそれ、まさか本気とか言わねぇよな? ひひひひひひっ!」

 相手が隙を見せたのは、琴美が攻撃を仕掛けた初手の一瞬だけ。わずかに体勢を崩したかに見えたが、即座に立て直して応戦する。武器は巨大なハンマーに変化させ、クナイによる攻撃を今までよりも大きく弾かせる。さすがの彼女もこの発想はなく、両手で攻撃にいった時に予想以上に大きく弾かれた。とっさにキックによる連撃を狙っていた足を使って踏ん張ったため、敵にわずかな隙を見せてしまう!

  ごす!
 「く! ううっ……!」

 強烈な鈍痛が華奢な体を駆け巡る。さしもの琴美も声を上げた。彼女は大きく後ろに飛ばされ、思わず身を屈める。それでも視線は相手から外さない。まだその目は死んでいなかった。
 先に大きなダメージを負ったのは、なんと琴美だった。ギルフォードは大振りで一気に決着をつけようとせず、あえて小さな軌道でハンマーを操った。それが功を奏し、琴美の体にクリーンヒット。彼女も両足を地面につけていたため、とっさに後ろへ飛び退くことでダメージを軽減はしたものの、想像以上の威力を秘めた攻撃を放ったことに驚きを隠せない。
 彼女は痛みをこらえつつ、その場にしゃがんだままでクナイを構える。そうやって相手に『まだ戦えるわ』と意思表示をしたのだ。しかし、あのハンマーはいただけない。特に下段への攻撃にめっぽう強く、下手にキックを出そうものなら脚を潰される可能性がある。敵のバランスを崩そうにも男と女というだけで力の差が生じる上、おそらくそれに対応した義手で反撃されることは火を見るよりも明らかだ。今の琴美はとにかく動き回ることが先決だと考え、敵への攻撃もそこそこにして立ち回る。

 「ああん? あんたよ、一発もらっただけでそんなんかよ? ちょっと逃げ腰じゃねー? それって、もうダメとか? ひゃひゃひゃーーーーー!」

 図星だ。
 彼は相手の心理を読もうなどと微塵も思っていないだろうが、それがまさに彼女の置かれた状況そのものである。遠くから迫ってくる得体の知れないものの正体は、まさしくこれだ。こうなると琴美も穏やかではいられない。相手の挑発には乗らないまでも、手数を増やして無言の反論を試みた。それが功を奏したのか、ギルフォードの上半身が大きく後ろに仰け反る……絶好のチャンスだ。毒蛇の牙を模した構えで、男にとどめの一撃を放つ!

 「成敗!」
 「ひーーーひっひっひ! そりゃ、甘いんじゃねーか?!」

 バランスを崩したのは、相手が仕掛けた罠だった。敵の隙を生み出すことこそが勝機となるこの戦い、ギルフォードもとっくの昔にその本質を理解していたのだ。だからこそフェイクという疑似餌で琴美を翻弄した。彼女は下から振り上げられるハンマーに体を持っていかれ、今度こそ額面どおりのダメージをもらってしまう。

 「きゃああぁぁぁっ! くはっ! はーーーっ、はーーーっ!」
 「ちょーーーっと、痛−−−くしといたぜ! ちょろちょろ動きすぎだからな、あんた。ひひひーーーひっひっひ!」

 またしても似たような鈍痛。そして木の枝を折りながら上昇、そして落下……ダメージは蓄積するばかりだ。戦闘服の破れ目から、わずかに柔肌が見える。疲労によるダメージで、ついに息も上がってきた。
 どんな時も、琴美の判断力が鈍ることはない。だが、今の状況を分析するのは厳しいものがある。
 ここまで一方的に自分だけがダメージを受けており、今までと同じ素早い動作を自在に繰り出せるかどうかは疑問だ。また二度の打撃を受けたことでわかったこともある。それは「敵が武器の扱いに長けており、力の込め方も十分に熟知している」ということだ。また何の武器に変化するのかがわからないので、完全に後ろを向いて逃げるわけにもいかない。

 「ひゃっひゃ! もうちょっと動いてくれよぉ、楽しませてくれるんだろぉ?」

 すでに琴美はギルフォードの挑発に乗れるほどの体力もなく、いつもの構えで間合いを取っている。それは自分が攻めるものではなく、防御するためだ。敵もその変化に気づいているのだろう。それを本能的に挑発し、自分のペースに引きずり込もうとしているのだ。

 この難敵の前に、琴美はなす術なく敗北してしまうのだろうか……?