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<東京怪談・PCゲームノベル>


[ 雪月花3.5 今、真実を語る時 ]


 続く二つの足音。いつまでも降り続く雪。
 どれ程歩き続けたかよく覚えていない。ホンの十数分か、それとも数時間か。どこまでも続く林の中、深い雪に足をとられながら歩き続けた道でそれを見つけたのは、きっと偶然だったと思う。
「どなたも、いらっしゃらないようですね」
 鍵の無いドアを開け中を覗くとそこは何も無く、外から見たままに薄暗い小屋だった。一歩足を踏み入れれば多少の埃っぽさは気になるものの、意外と隙間が無く屋根も丈夫な造りなのか、外の寒さと降り続く雪は充分凌げる場所と判断する。
 すっかり薄暗くなった辺りの様子を窓から眺め、和紗は部屋の隅で腰を下ろしぼんやりとする柾葵を見た。柾葵のすぐ傍にはメモ帳とペン、そして拾い上げた一枚の写真が無造作に置かれている。
 此処まではしっかりした足取りで来たものの、落ち着いた瞬間一気に色々なものが圧し掛かってきたのかもしれない。そんな柾葵に声をかけようとはしたものの、和紗は言葉を呑む。今の柾葵にその言葉が届くかどうか、それを聞き入れてもらえるかどうかが分からなかったから……だから。
「――柾葵くんは、このまま少し休んでいてください」
 窓際からそっと離れると、和紗はドアへ移動し柾葵にただそれだけを告げた。
「……?」
 すると俯いていた柾葵の顔がパッと上がり和紗を見る。それは丁度和紗がドアに手を伸ばした所で、柾葵は慌てて足元に転がっていたペンとメモ帳を手に取ると一気に走り書き、いきなり立ち上がると立ち眩みでも起こしたのか、少しよろめきながら和紗の前まで来てはメモ用紙を手渡してきた。
『どこか行くのか? もう暗いのに…いや、暗いから? まさか奇襲とか、かけに行くわけじゃないよな?』
 質問だらけのメモ用紙。そこからは柾葵の様々な思いを読み取れた気がした。
 だから、メモから目を離し顔を上げた和紗は、そっと柾葵に微笑みかける。
「安心してください。奇襲なんて、そんな物騒な事しませんよ」
『なら…散歩なんて訳ないし……やっぱりこのまま此処から  居なくなる、のか?』
「大丈夫ですよ。その…少し、お話をしてこようと思ってるだけです」
 今この場で下手な嘘も通用しないだろう。だから素直に打ち明ける。すると柾葵の顔色が一気に変わり、ペンを持つ手に力が入ったように見えた。
『話? まさか翠明の所じゃないよな? なら俺も行く。行って、俺も話をつけるから。』
 一気に書かれた幾つもの言葉。それに和紗は全て答えるでもなくただ一言。
「……柾葵くん、先ほど蹲られてたでしょう?」
 声色は柾葵を心配してのもの。けれど、それ以上に今は多くの言葉を交わすことを避けるよう。
『あれは‥ちょっと混乱しただけで、もう大丈夫だから、身体は動けるからさ?
 それに翠明も危険だけどこんな場所の夜なんてもっと危ないと思う。』
 それでも食い下がる柾葵に、和紗は優しく告げた。
「幸い時間は有るようですし…必ず無事に、此処へ戻ってきますから、ね」
 柾葵自身行動を共にすることを望んでいることも、自分の身を案じてくれていることも和紗には良く分かる。それでも、今は此処で休んでいるようにと念を押すと、柾葵は少し悩んだ後和紗にメモを渡し、先ほどまで座っていた場所へと腰を落ち着けた。
『分かった、藤水さんは藤水さんの事を、俺は俺が今どうにかするべき事をやってる。』
 休んでいるようにと言ったにもかかわらず、和紗が目的を持って動く以上柾葵自身も何かを為すべきだと考えたのかもしれない。座りはしたものの、大人しく休んでいるとは言わない柾葵に、和紗は彼に分からぬよう苦笑いを浮かべ背を向けた。
「それでは、行って来ます」
 そうしてゆっくり外へ出る。ドアを閉めると、ゆっくり小屋から距離をとった。少ししても柾葵が出てくるような気配は無く、言葉通り中で大人しく考えごとを続けているか、ちゃんと身体を休めているのだろう。
「やるべき事――そう、知らなければならない事がありますね……」
 足を止め空を仰ぎ呟いた。
 勿論和紗の最終的な目的は洸と合流して話す事で間違いはない。けれど、それには知らない事が多すぎて、このままでは話が噛み合わない気がしていた。きっと、知らなければならない事がある筈だ。それを知れるのならば、その手段として最初に選ぶのは――。
「翠明さん、ですね」
 皆から順番に話を聞くつもりではあった。ならば最初に選ぶのは、諸悪の根源と思われる彼だと和紗は考える。洸のこと、柾葵のこと、聞きたいことは山ほどある。勿論、素直に答えてくれるとは思えないのだが。
「――…………」
 そこまで考えを巡らせふと足を止めた。
「これはご丁寧に、出迎えですか」
 和紗の言葉に迷いは無く、ただ真っ直ぐ前を見て、誰が何をしに来たか確信を持ち言葉にする。
「はい。意外と早く決心が固まっているようなので、ご案内に伺いました」
 目の前には、いつの間にか懐中時計を片手に持った桂が佇んでいる。
「朝が来れば主の力も戻るかと思います。そうすれば、話をすることも可能でしょう」
 そうして考えを見透かしたような言葉に、和紗はただ頷いた。


 案内をすると言った桂はそのまま和紗の前を無言で歩き続け、やがて林を抜けた所で口を開く。
「――柾葵くんを救ってくださりありがとうございます」
 突然の礼に和紗は言葉に詰まる。そう言われた事は勿論、結果的には救ったことにはなったが、今の状況は喜んでいられるようなものでもない。
「来るべき時 どうか二人を救ってください――洸くんは少し遅かったですが、柾葵くんは無事だった。それで充分です」
 桂が言った言葉、それはいつだかに聞いた覚えのある言葉だが、その言葉の意味に思わず和紗は桂へと聞き返した。
「遅かったというのは、どういうことですか?」
「少し語弊がありましたね」
 足を止め振り返ると、桂は微かに笑みを浮かべている。
「洸くんも勿論無事に変わりはありません。力もいずれ治まるはずです。問題は、今頃ショックでも起こしてなければ、ですけど」
 確か桂は洸に自身の経緯について、真実を知る必要があると言っていた。つまり洸自身知らない何かがあり、それを桂は知っているということになる。その過去にどれだけのことが隠されているのか分からない。ただ、全ては翠明に直接会うことで明かされると和紗は信じながら、歩みを再開した桂の後にゆっくりと続いた。
 いつの間にか頭上の雲は薄くなり、灰色の空から群青の空が覗き始める。そんな空には星が輝き、その幾つかが瞬きをする間に落ちていった。それは、あの星空が綺麗だった場所を連想させる光景。
 桂は前を見て歩いたまま再び口を開いた。
「ボクは以前主――翠明さんに助けられ、その時の恩を返すため今回の計画に助力しています。最初こそ計画の一部しか聞かされず、ただの監視役、そして二人の旅を絶えさせぬ様動いてきましたが、此処最近はあなたが二人を助けてくれていた」
 幾つかは以前にも聞かされた話で、和紗は頷きながら「だから桂くんとはよく遭遇したということですね」とも相槌を打つ。
「そう。だからそのお陰で空いた時間を使い、ボクは三人の過去をざっとではありますが見てきました」
 桂が簡単に言う言葉に、和紗は今までを振り返った。神出鬼没という言葉がピッタリの桂にはそういう、過去を行き来出来るような力までもがあるのかもしれない。
「その過去というのを教えていただくことは、出来ないのでしょうね」
 元より聞けるとは思っていなかった。だから疑問ではなく確認の意味で言うが、案の定桂はなんとなくだが頷き。
「はい。それに、ボクは三人の心の内までは分からない……だから、」
 そっと上げた顔は空を見ているのか、全く別の所を見ているのか和紗には分からない。
「余計なことは言えません。そしてボクにはこの三人をどうすれば良いのかも…分かりません。ただ、このまま別れさす訳にはいきません」
 彼は確かに洸と柾葵の監視を任されていたものの、同時に翠明も気にかけていて。三人の行く末を確かに今見ている。
「未来は既に確定し、捻じ曲げることは…恐らく叶わない。それでも、それが最良とはボクには思えません」
 どうにかしたい、という想いが和紗には良く分かった。ただ、桂はそれをどうにかするでもない。勿論、和紗にどうにかして欲しいと頼むわけでもない。だから、あまり踏み入った事は聞かず。
「もしかして桂くんは、三人の未来をも知っているのですか?」
 ただその疑問を投げかけた。しかしその答えが返って来る事は無い。
「…………もうすぐ、到着します。この先です」
 そうして再度足を止めた桂の横で和紗も足を止めると、彼が指す方をジッと見た。その先にはやはり、小さな小屋のようなものが見える。柾葵を休ませている小屋と言い、まるで全てが事前に用意されているような、あるいはこの極寒の光もろくに無い地で蜃気楼でも見ているような。
 それでも、そこに居るという以上向かえば翠明に会えるのだろう。
「此処までご案内、ありがとうございました。桂く――…」
 小屋から目を離し、隣の桂に礼を告げた時だった。気づけばそこに桂の姿は無く。ただ遠くで鎖の音が微かにした。
 吹く風は雪を舞い上げ、和紗は一つ息を吐くと一人歩き始める。
 目の前では又一つ、星が静かに流れていった。


    □□□


 ドアを叩いても返事は無い。窓にはカーテンが掛かっているが、中に人の気配はあった。少し間を置きもう一度ドアを叩こうとした時、それは音もなく開き部屋の中が露になる。
「――いらっしゃい、美人さん。又、会ったな?」
 外観のみすぼらしさと内装は大きく異なり、床には高そうな絨毯が敷かれ、頭上には小さなシャンデリア。部屋の隅には本物の暖炉、そして部屋の中央付近には高級そうなソファーが置かれ、翠明はそこに座り脚を組み頬杖を突いていた。
 部屋の隅には血と泥で汚れた白いコートが投げられていて、ソファーにはスーツの上着がかかっている。着ているものは、さっきと何一つ変わらなければ、彼自身にも大きな変化は見受けられなかった。つまりそれは、あの瀕死の状態から確かに回復していると言うこと。
 勝手に開いたドアから一歩部屋へ入ると、外とは比べ物にならない暖かさを感じ、後ろで勝手にドアが閉じる。
 迎え入れられたと言って正しいのだろうが、翠明から自分へと向けられる殺気に和紗はただならぬものを感じていた。
「こんにちは、いえ…おはようございます、でしょうか……翠明さん」
 淡い明かりの点る部屋。そこに丁度一筋の光が差し込む。カーテンの隙間から朝日が差し込んできたのだろう。
 多少明るさを増した部屋で見た翠明は、少し青白い顔で和紗を見ていた。口元に笑みこそ浮かべているものの、目は笑ってはいない。
「どうしてこんな所まで来た。いや、来れた? これも、桂の差し金か」
「差し金と言いますか、ご案内してくださりました。そうでなくとも俺はそれを望んだと思います」
「まだ立派に保護者気取りなのか、それともまだ血ぃ足りないのか?」
 最後は冗談めかした口調ではあるもののその声色も冷たく、早く出て行けと言わんばかりの佇まい。
 翠明の首筋には、傷口はすっかり閉じてるとは言えまだ和紗が噛んだ痕が微かに残っていて、無意識か意図的なのか彼は空いている手でそれを掻いた。
「お聞きしたいことがありましたので」
 和紗の言葉に翠明は頬と首からゆっくり手を離し、べったりともたれかかっていたソファーの背から身体を離すと、和紗の方へと身を乗り出す。
「なぁ、部外者がこれ以上保護者気取って、他所の家庭の事情に首突っ込んでどうする? それとも、そうした形で家族なんて物に憧れてるのか?」
「憧れだとか、そういういうものではありません」
 揺ぎ無い和紗の表情と言葉に、翠明はわざとらしく舌打ちをした。
「なら、あの二人に思い入れでも持ったか知らないが止めておけ。柾葵は特に人を殺す異能者を嫌う、あんな光景を目の当たりにしたんだ。もう傍には居られないだろう」
 翠明の言葉にホンの僅か、けれど確かに動揺したのかもしれない。彼が一瞬浮かべた笑みに、和紗は崩してはいない筈の表情と決意を改めて立て直す。
「それでも……」
 柾葵はさっき言っていた。自分も共に行くと。そして結果的に和紗の帰りを待ち望んでいるのも確かで。翠明がどう言おうとそんなことは無いと信じている。
 そのまま続く言葉は無いけれど、その一言と和紗の眼に翠明は「ふぅん…」と小さく漏らし時計を見た。
「桂が、洸を過去においやったらしいな。あいつが真実を知るのも時間の問題だ。聞きたいことがあるなら俺よりもあいつに聞くんだな」
 投げやりな言葉を放っては顔を逸らし、再びソファーに身を預けた翠明に和紗は食い下がる。
「あなたにしか言えない事、あなたしか知らない事を聞きたいのです」
 翠明の目はカーテンの掛かった窓の方を見たまま。
「何故柾葵くんを殺そうとするのか。何故、洸くんを今頃迎えようと思ったのか、迎えてどうするのか……お答え願えませんか」
 ただ続く和紗の質問に鼻で笑ってみせた。
「随分知りたい事が多いんだなぁ。一、俺に答える義務は無い。二、答えても意味が無い。三、知りたいならば相応の代価をもってこい……あ、身体でもオッケーな。さて、そんなわけでどうするつもりだ?」
「答えてくださらないなら、試したくない手段を選びます」
 口には出すものの、それは今まで試したことも無いこと。成功するか失敗するかはやってみなければ分からないし、初めてのことだけに成功してもリスクが無いとも言い切れない。
 ただ和紗の言葉に翠明はそっと瞼を閉じると、諦めたように、そして多少面倒そうにゆっくりと口を開いた。
「……さっきの洸の力、見たろ?」
 実際翠明の言葉からはそれまでの覇気が消え、言われた言葉に和紗は無言のままに頷く。あの光景は忘れられるわけもない。
「あの力は元はといえば俺の物だ。あいつが出来た頃、俺は一気に力を失った。どうやらあいつに半分近く力を持って行かれたらしくてな。その代償にあいつは生まれながらにして眠りやしないし泣きもしない…感情も持たず、無表情のまま人一人平気で殺してくれた」
「まさかとは思うのですが、――――」
 サラリと言われた言葉に和紗は一抹の不安を抱くが、それは「うっかり殺ったのは看護士だよ」と、あっさり否定された。
「あいつが持って生まれちまった力のことは、俺自身が良く分かってる。だが赤ん坊から強大な力を取り出すのは無茶が過ぎて、下手すりゃあいつを殺しかねない。だから力を封印し、せめて人並みの感情を与えてやった。代わりに目が見えなくなったがな。因みに妻はそれに賛成だった」
 それが果たして良いことか悪いことかは分からない。ただ、生まれてすぐ人を手に掛けた、その力を出すことが出来なかったというのが本当ならば、力を封印する点に関しては同意できるかもしれない。ただし、もっと他の選択肢がなかったのかどうかと言うことは今別として。
「が、それも永遠ってわけにはいかない。そろそろ解ける頃かと思ったんだよ、封印がね。その前に俺の中に力を戻そうと思った、どんな手段でも良いから洸を呼び戻そうとした」
「ならば、洸くんを迎え入れてどうこうしようという気は無かったと?」
 和紗の問いに翠明は再び頬杖を突くと「力さえ戻せば後はどうでも良い」と言った。とは言え、結局今回それすら叶ってはいない。すると翠明は和紗の言葉を待たず言葉を続けた。
「封印が弱まっていた。あるいは、洸が独自に持った力が合わさって俺を上回ったか。そうでもないと、俺の力があんな変化はしない筈だしなぁ…あぁなると力が弱まるのを待つしかない」
「何故そうまでしてご自分の力を取り戻そうと」
「元は俺のものなんだ、当たり前。それに、このまま洸の中に収め、あの力を封印し続けるにも限度がある。だが完全に俺へと戻せば、洸には本来あるべき感情が生まれ、眼も見えるようになるんだ――充分すぎる理由だろ」
 一言で言えばもっともらしい理由。さっき垣間見た洸の姿は、和紗や柾葵には多少の思いを残しながらも冷酷で、翠明を殺すことに何の躊躇も無かった。アレが本来の洸の姿と言うのならば、このままにしておくことが最良とはいえないだろう。
 そして、そう言う翠明には冗談めかした様子も、嘘を吐いているような様子も見えず。その瞬間だけ、今まで見せたことも無い表情を見せた気もする。それまではどこに本心があるのかサッパリ分からなかった。けれど、今確かに和紗は翠明の本心を見た気がする。
 翠明はただ、洸を救うために彼を呼んだ。
 ただ、どうしてもまだそれをそのまま鵜呑みにするわけにもいかなかった。
「……ならば柾葵くんの方は?」
 だから、その理由を問う。翠明は柾葵を消すと確かに言っていた。それが挑発だと言うならば、その理由が変わらない。
「正直な所、殺すつもりは無いさ。それでも、この数年の間で俺に向かってくる度胸が出来たのならば俺は、洸は勿論柾葵も本気で殺す覚悟で向かい合うつもりだった。そういう覚悟はあった」
「それでもしも殺されていたら?」
 洸はともかく柾葵には特殊な能力は無い。それを考えればありえない質問なものの。
「本望。洸は勿論、柾葵に対してだって同じだ。俺は憎まれ役だし、な?」
 それはあまりにも迷いの無い即答で、けれどその言い回しに和紗は違和感を覚えた。
「その言葉が本当ならば、あなたの気持ちと今までの言動は大きく矛盾しています。本当のことを、教えてください」
「どれもこれも本当のこと。嘘はねぇよ。ただ俺自身、どれが今回の本心かもうわかんねぇけど…な」
 違和感は続く。翠明は何かを隠していることを表に出しながら、それを話そうとはしない。それは無意識なのかわざとなのか。
 これ以上問い詰めても何も出てこないまま、ただ時間が無意味に流れ続ける気がした。
「…………」
 ずっとドアの前に立っていたその足を、翠明に向け一歩踏み出す。ふわりとしたその足取りに翠明が顔を顰めるが、その瞬間和紗は彼の目の前へと降り立った。
 頬杖を突いていた翠明が驚きに顔を上げるが、それ以上の反応を示すより先、前と同じ場所に噛み付く。それは攻撃や気絶させる為のものではなく、血を吸い記憶を操作することの応用として、記憶が読めないかと試みたもの。
「おっ前、もう噛むな、…てっ……ぃってぇ、だろうがっ…!!」
 抵抗はするもののまだ力が完全に戻っていないのか、翠明に和紗を引き剥がすほどの力はなく、結局呻きながら微力の抵抗となった。
「っぁ……?」
 しかし、程なくして和紗は思わず数度瞬きをすると、その首筋から口を離す。さっき血を吸った時とはまるで違う。そして何よりも初めての試みに対し勝手に、そして莫大に流れ込む記憶の量は予想以上に大きすぎた。否、彼があまりにも特殊すぎたのかもしれない。
「…どう、だ……よ? 二度目の、俺の血の味は」
 いっそ楽しそうに聞いてくる翠明から、和紗はゆっくり離れていく。そうすると翠明はすぐその傷口に触れ、そこから微かに流れる血の感触に苦笑いを浮かべ、憎らしげに和紗を見た。
「遠い昔…翼――これは天使…否、……悪魔?」
「っ……!?」
 そして、和紗の言葉に表情を変える。
「ずっと同じ、長い記憶…けれど、ずっとあなた自身ではない?」
 血から分かった膨大な記憶の数々。それは単に彼の人生が濃い、という言葉では済まされない。あまりにも長いその記憶の量は、実に和紗が生きてきた年月以上のものかもしれなかった。
「何者、なのですかあなたは。確か自分の事も人外だとは言っていた」
「良く覚えてるな……正しくは遠い昔に堕天し、記憶と力は持ったまま肉体だけをたまーに変えて転生し続けている元天使って奴だ。悪魔と言われりゃ悪魔な」
 翠明がそう言う最中も処理しきれない記憶の数々。けれどその中で比較的新しい、翠明としての記憶を辛うじて拾い上げる。そこで和紗は幾つかの現場を確かに見た。その全てが翠明の目線で、その光景に和紗は幾度も息を呑む。
 そして洸と柾葵が言っていたこと、そして翠明自身もが言い否定してこなかったこと。その全てが偽り物であると言うことを知る。翠明しか知らない真実が、そこにあった。
「――――なんでこんなことを隠す必要が…いえ、どうしてこの事実をあなたは告げないのですか……」


    その瞬間、今まで真実とされてきたことが和紗の中で一気に覆される。


 思わず片手で顔を覆った。それが作り物の記憶とは思えない。あまりもリアルで。あまりにも悲痛な記憶。
「…ん?」
 翠明は言葉の意味を理解できていないのか、徐々に苦渋の色を見せる和紗にただ片眉を上げた。
「洸くんの母親…あなたの奥さんを手に掛けたのも、柾葵くんの家族を手に掛けたのも――実際はあなたではない。あなたはその場に居ただけ」
 その言葉を口にした瞬間、翠明が顔色を変え和紗の両肩を掴む。あまりにもいきなりのことで、和紗の手は顔を離れそのまま無力に落ちた。
 翠明はいまだ身体をソファーに預けたままだというのに、その手の力は先程とは比べ物にならないくらい強く、簡単に振り切ることが出来ない。
「お前っ……一体、何を見た!?」
「一つは洸くんの母親が殺された現場。もう一つは――柾葵くんの家族が惨殺された現場。二つの、一部始終を」
 肩を掴む手に一層力が入った気がした。骨が軋みそうな感覚に耐えながら和紗は後を続ける。
「確かにこの真実を告げるのは酷かもしれません。けれどこのままでは、辛すぎるし――今の二人にはこの事実を聞き入れる容量はあるはずです」
「っ…いや……特に柾葵には言うな。あいつはこのまま知る機会が無ければそれで良いんだ。俺を憎み続ければ良い」
 頑なに言うことを拒む。そこにはまだ別の理由がある気がしたけれど、その理由を記憶からは突き止めることが出来そうにない。
「第一こんな話信じると思うか? 仮にまず聞き入れたとしても、信じてきたモノ全てが覆され、更に自分の罪の大きさも知る――耐えられねぇよ、あの二人には。ならば、このまま俺一人を憎んでれば二人とも楽なんだ」
 翠明の今までに無い声色、その言葉に和紗は声を失った。
 和紗が見た二つの記憶。三人の間で起きた事の真相。
 洸の母親は翠明に殺されたとされてきた。けれど、実際それは全く別の男によるもの。そして何故か幼い頃の柾葵もその場に居合わせ、その現場を確かに目撃していた。
 洸はといえば、確かにまだ生まれて間もない頃、母の腕に抱かれていた。しかしこの頃の洸の目にはまだ確かに光が宿り、無表情のままに、感情など持たない姿で――血を浴びる。
 見るからに、翠明が誰かにそう指示をしたわけではない。寧ろ翠明は妻を、そして洸を守ろうとしていた。男と翠明の力はほぼ互角。結果的に相手も翠明も大きな怪我を負った。
 そして翠明は、その事件の後に洸の能力を封印し視力を奪い、感情を与えてから施設の前へと置き去りにしている。その表情には、確かに苦悩が見受けられた。
「全ては誤解ではなく、洸くんと柾葵くんの記憶操作……」
 聞かずとも、疑惑は柾葵の家族の事件で確信へと変わる。
 彼の両親と弟を殺したのはどういうわけか柾葵自身。倒れていた柾葵の父親が、洸の母親を殺した張本人であることにも行き着く。
 そしてやはりその場に居合わせていた翠明が、確かに柾葵の動きを阻止しようとしていた。結局それは敵わず、翠明は返り血を浴び立ち尽くす柾葵の記憶を書き換えると、全てが自分の仕業であるよう操作した。
 その事実の欠片すら、今の柾葵は知りやしない。
「まさか柾葵くんも、洸くん同様…いえ、それ以上の能力者なのですか?」
 そう言うと、翠明は和紗の肩からようやく手を離す。それだけ触れられたくない話題でもあったのかもしれない。案の定翠明は溜息を吐くとチラリと和紗を見て、そのまま目を逸らした。
「柾葵のは洸以上に不安定だよ。俺はあの時まで、あいつに能力なんて微塵も無いと高を括っていた。全く、……」
 最後に呟かれた言葉。確かに口は動いていたけれど、その言葉を聞き取ることは出来なかった。代わりに翠明の言葉は続く。
「まぁ、俺の上さんも、柾葵の家族のことにしても、直接手は下さなかったが、きっかけを作ってしまったのは俺なんだ。俺にも責任ってもんはあるんだよねぇ」
 何故かそこで浮かべた笑み。
「憎むべき相手が目の前でこの世から居なくなれば、二人は真実を知らないまま晴れて縛めから解かれる」
 桂が「最良とは思えない」と言っていた事がコレなのだろうかと和紗は瞬時に考えた。
「二人の前であなたが死ぬ為、それを見せるため二人を呼び寄せたとでも……」
「ご名答〜。だから無事揃って来てくれたのは正直好都合だった。二人の旅はそういう終着点へと続いてんだ。これ以上俺のシナリオを邪魔しないでくれるか? もっとも、狂わされたシナリオ分――洸の力と、今見てるであろう過去の記憶はもう一度なんとかするつもりではいるけどねぇ」
「そんな、……それが責任の取り方だとでも言うのですか?」
「長い間考えた末の結論だし、親としての責任ってやつ。ただ、翠明となってからの事件が良いきっかけだったんだよ、今が死に時って。でも、普通に死んだんじゃ又このまま転生しちまうから、色々準備が必要だった」
 そうして顔を上げた翠明は和紗を見据え、目に見えるほどの殺気を放つ。
「お前は俺の邪魔をするのか? ただ、二人を護るつもりなら、二人が幸せであれば良いだろ」
 ピリピリとした空気の中言葉に詰まる。けれど、きっとまだ全てを見れた、聞けたわけではない。まだ分からないことも多く、戸惑いが無いといえば嘘になる。けれど和紗が食い下がろうとしたそのタイミングで、翠明は目を閉じた。途端フツリと殺気が消え、確かに目の前に彼は存在している筈なのに、気配までもが消され姿を見失いそうな、そんな錯覚に陥る。
「もう…休ませてくれないか。折角桂のお陰で回復したが、今ので気分が悪いわ」
 声は確かに届く。
「洸と柾葵をこれ以上悪いようにはしない…それだけは約束しといてやる。だからこれ以上俺の邪魔、すんなよ……美人さん」
 後ろで鍵とドアが開く音。見れば来た時と同じようドアが勝手に開いていた。帰れ、ということなのだろう。
「……お邪魔しました。色々と教えていただきありがとうございます」
 そう言うと背中に小さな舌打ちと同時、「そうだ」と思い出したような声がかかる。
 思わず足を止め振り返れば、薄っすらと目を明けていた翠明が顎をしゃくり。
「本当は俺に桂、あの二人しか招かないつもりだったけど、お前もその時が来たらそこに招待してやるよ」
 そう言うと、まるで気を失ったように眠りに落ちた。
「――はい、必ず」
 その言葉が翠明に届いたかどうかは分からないが、そう言うと和紗はドアから外へ出る。外は朝を迎えた筈だったが、気づけば再び雲が広がり、雪がちらつき始めていた。
 すると後ろでドアが早急に閉まり、振り返った時、そこにはもう何も存在しなかった。小屋が存在した形跡は、跡形もなくない。


 悩んで、まだ迷ってもいるけれど。
 自分の帰りを待っているであろう柾葵の元へとゆっくり、陽の射さない雪原を歩き出す。


 遠くで確かに、鎖の音を聞いた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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→PC
 [2171/藤水和沙/男性/318歳/日本画家]

→NPC
 [  洸・男性・16歳・放浪者 ]
 [ 柾葵・男性・21歳・大学生 ]
 [ 翠明・男性・32歳・教師/? ]

 [  桂・不明・18歳・アトラス編集部アルバイト ]

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライターの李月です。
 和紗さん側では、翠明との連絡は桂が取る流れとなりました。ので、桂とも多少の会話が勝手に発生しています。
 こちらでは洸と柾葵の記憶が、そして翠明の言葉もが実は偽物であったことがまず明かされています。
 とは言え、何故洸の母親が翠明の父親に殺され、そこに柾葵も居合わせていたのか。そして柾葵の時もどうしてそうなってしまったのかまでははっきりしていませんし、明らかに明かされていないことも幾つか。
 ともあれ真実の幾つかは明かされました。言うならば、分かってないのはどうしてそのようなことが起ったのかと言うところ。そして、翠明が表に見せながらもまだ隠し続ける幾つかの事柄。あくまでも今回は洸と柾葵に対する事を聞いたに過ぎない、というところです。詮索されたくない所はまだ頑なに守っていて…と。

 そして洸はこの最中、自分の母親が殺されたその現場に居合わせ、偽り無い真実を独り目の当たりにしています。

>「お前は俺の邪魔をするのか? ただ、二人を護るつもりなら、二人が幸せであれば良いだろ」
 後はこの言葉に対しどう動くかがポイントかもしれません。


 何かありましたらご連絡ください。
 それでは、又のご縁がありましたら…‥。

 李月蒼