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<東京怪談ノベル(シングル)>


駆け抜ける牙(2)


 水嶋 琴美は、決して戦闘狂ではない。
 しかし職業柄、強敵と対峙する事は避けられない事だ。
 諜報活動中、暗殺のために潜入した時、警備のために雇われていた者達と戦い、命を奪う。日常とまでは言わないが、珍しい事では決してなかった。
 そんな行為を、楽しいと思った事はなかった。しかし嫌でもない。幼い頃からその為に鍛錬し、修行を積んできた琴美にとっては、違和感を覚えるような事でもなかった。知らず知らずのうちに慣れて、受け入れていた。
 いずれは自分も、自分が屠ってきた相手と同じように消える事になるだろう。
 出来るだけ考えないようにと思いつつ、心のどこかに、死に怯える自分を感じている。
 だからこそ、琴美は戦いを楽しもうとは思わなかった。
 誰にも負けない自信があっても、決して戦いを楽しもうとはしなかった。
 殺し合いは命のやりとりだ。そんなものを楽しめるほど、琴美は狂人に成り下がるつもりはない。いや、殺し合いを楽しいと思った時にこそ、自分の転落が始まるのだ。明確な理由はなかったが、琴美はそう思う事で戦場で正気を保つ事が出来たのだ。
 ‥‥‥‥しかし今、琴美の目の前には、死が立ち塞がっている。
 理不尽なまでの暴力を見せつけ、狂気の獣が笑っている。
 死神が向かえに来るにしても、もう少しマシな相手はいなかったのだろうか?
 琴美は目の前の獣を睨め付けながら、これからどうするべきかを考えていた。

「むっふっふ‥‥ここに来てから、ろくに侵入者などいなかったが‥‥‥‥来たかと思えばなかなかの手練れだ。ここも捨てたものではないな」
「褒められてる気はしないわね」

 琴美はジリジリと間合いを広げ‥‥しかし間合いを広げる事の愚かさを察し、すぐに縮め始める。エレベーターホールを鮮血で染め上げたファングは、ほんの一度の跳躍で十数メートルの距離を縮めていた。間合いなど無意味だ。この狭い廊下では逃げ場はない。左右に避ける事は出来ず、後退しても追い付かれる。そもそも後退した先には長い一直線の廊下と、二つの部屋だけだ。当然部屋には鍵が掛かっているだろうから、実質的には逃げ場はない。あるとしたら、ファングの隣で口を開けているであろうエレベーターぐらいのものだ。逃げるためには、どうしても間合いを詰めなければならない。

(よりにもよって、A級首に出会うなんて‥‥)

 目の前で余裕の笑みを浮かべているファングに、琴美は苦虫を噛み潰したような表情を作ってしまう。
 琴美の主な任務は、諜報と暗殺である。敵の組織に潜入し、情報を持ち帰る。場合によっては要人を暗殺する。それが主な任務だった。
 その成功率を引き上げるためにと、日々鍛錬をこなし、雑学を覚えていく。そしてその雑学の中には、世界中で罪を犯した犯罪者や、要注意人物の顔写真や経歴なども含まれていた。偶に、大犯罪者やテロリストの類が要人のガードに付いている時があるからである。今回もその類だ。ある意味犯罪者ではないのだが、数々の戦場で必要以上の殺戮を行い、忌み嫌われている相手である。自衛隊の要注意人物のリストにも、かなりの高ランクに上げられていた。
 直接対峙した事はないのだが、しかしそれまでの経歴から見て、好き好んで相対したい相手ではない。何より、これまでこなしてきた特殊な任務‥‥‥‥魑魅魍魎を相手にしてきた経験が、けたたましく警鐘を鳴らしている。
 目の前の獣は、本当に人間ではない。
 獣だ。正真正銘、殺戮を求める獣だ。これは人間が対峙して良い相手ではない。相応の装備を調え、仲間と共に妥当するべき相手だ。

(それだと、暗殺任務が失敗になるわね‥‥)

 琴美は、心中で舌打ちしていた。
 わざわざ変装してまでこのビルに入り込んだのは、このビルの持ち主、敵対組織の頭領を暗殺するためだ。本音を言えばこっそりと忍び込んでこっそりと帰りたかったのだが‥‥‥‥数多くの監視カメラが隠されているビルに侵入するためには、変装して潜り込む事が、最も確実で安全な方法だった。
 特に、外部から来る客に成り済ますのが一番良い。組織に出入りする人間を数日がかりで調べ上げ、この日に頭領に会いに来るという使いの者を眠らせて変装した。慣れない作業だったが、しかし思ったよりも計画はすんなりと通り、社長室の目の前まで辿り着くに至ったのだが‥‥‥‥

「褒めてるんだよぉ! 最近は若い奴らでも大した奴らがいなくてな‥‥‥‥嫌気すら感じてたんだが、何だ‥‥まだまだ捨てたもんじゃねぇらしいな!!」

 ここに来て、こんな奴が相手である。
 無駄口をいつまでも叩いてくれている相手ではない。肩をブンブンと振り回し、にやけながら琴美へと歩み寄り始める。

(考える暇なんて、無いわね)

 思考している間に、ファングは琴美へと近付いてきている。その気になれば一歩で二人の距離を零に出来るだろうに、一歩一歩詰め寄ってきているのは余裕に現れだろう。付け込むとしたらそこだろうが、如何せんこの場所は狭すぎる。ファングが廊下を歩けば、それだけで道が塞がれてしまう。相手の股を潜り抜けて反対側へ‥‥‥‥と言う事も出来ればいいのだが、向こうの体重はこちらの三倍、四倍はあるだろう。踏み付けられでもしたら、まず間違いなく動けなくなる。
 しかしその危険性を考慮しても、このままでは追い詰められるのが目に見えている。
 どう足掻いたところで、踏み出さない事には事態は好転しない。仕掛けるとしたら、相手がまだ広いエレベーターホールから完全に出る前‥‥‥‥!

「はぁぁあ!」
「むおっ!」

 パァン! とブーツのヒールで床を打ち鳴らし、琴美は瞬時に移動した。疾走ではない、まるで瞬間移動をしたかのような跳躍。ファングほどではないが、琴美も足の速さと瞬発力なら自信がある。強靱な体を持ち合わせていない琴美は、むしろその二つを最大の武器だと自負しているのだ。
 敵との間合いを零にし、数々のフェイントを駆使しながら隙を見つけ、クナイで刺す。聞いているだけならば単純な作業だが、敵を屠る事に無駄な技巧を使う必要はない。しかしこれ以上に難しい戦い方もないだろう。敵との間合いを零にすると言う事は、必ず敵の間合いに入らなければならない。クナイを持っているとしても、女である琴美では、リーチの差など無いも同然だった。
 敵の攻撃を一撃でも受ければ、攻撃のダメージに関わらず、一瞬は動きが鈍る。その一瞬を疲れて追撃を受ければ、その時点で決着は付くだろう。まして目の前にいるのは怪物だ。こんな敵の攻撃を一撃でも受ければ、それだけで勝負が付いてしまいそうだ。

「たぁっ!」

 踏み込んだ琴美は、声を上げながらファングの顎へとクナイを走らせる。ファングの胸元を掠めるように繰り出された真下からの攻撃は、ファングには見えていなかっただろう。しかしそれでも、ファングは動じていなかった。反応が出来なかったわけではない。回避する必要もなければ、防ぐ必要もなかっただけだ。
 ガッ!
 クナイが掴まれて静止する。顎から喉を引き裂き首の反対側へと到達するはずだったクナイは、ファングに掴み取られていた。ガッシリと岩のように固い手に掴まれたクナイはバキバキと音を立てて粉砕されている。だと言うのに、掴んでいた手からは血の一滴も流れていない。単純に硬度では鉄以上か。人間の姿をしているのに人間ではない。前もって直感していなければ、初撃でミスをしていただろう。
 ‥‥そう、これはミスではない。
 掴み取られるよりも速く、琴美はクナイから手を離していた。喉元にクナイが届こうという前の段階で手を離し、零距離とも言える間合いで投擲する。ファングがクナイを掴んだのは右手、つまりは右側が手薄になった。身を屈めるようにして次のクナイをファングの右膝に突き立て、僅かにでも体勢を崩しに掛かる。ガキンッ! 固い。僅かに食い込んだものの、それだけだ。一秒後には血が滲み始めるのだろうが、それすら惜しい。頭上でクナイが握り潰される音。右腕が使えるようになるまで、コンマ五秒ぐらいだろうか? 豪腕を振り回すだけなら今でも出来る。依然として戦局は動いていない。敵の圧倒的有利は変わらない。
 二本目のクナイを手放し、床を蹴ってファングの右側(琴美から見たら左側だが)に滑り込む。この狭い廊下、確かにファングの体でほとんどが塞がれてしまう。しかし、それはファング自身にとっても有利な点ではない。敵が銃器を適当に乱射しただけでもまともに受けてしまうし、何より動きが大きく制限される。振り向く事すら容易ではないだろう。琴美が勝機を見いだす事が出来るとしたら、その点ぐらいだ。そしてそこに掛けた。本来なら、ファングの右腕が琴美に到達するまでには一秒もない。しかし大きく振りかぶる事を阻む壁が、それを妨害する。ファングの腕は、後一歩のところで及ばない。

(行ける!)

 そう思った。琴美はそう確信した。真っ向から戦おうなどとは思っていない。琴美の仕事は暗殺、“狙っている”と言う事はばれてしまったが、しかしここで退く事が出来ればチャンスはある。
 ‥‥‥‥しかしファングは、琴美が思っているほど生易しい存在ではない。確かに、大柄なファングが拳を振り上げ振るおうとしても、この狭い廊下ではその力を思う存分には振るえない。だがそんなハンデをつけたとしても、琴美とファングの力量差は絶望的なまでに開いている。

「ふん!」

 ファングの拳が振るわれる。岩のように固められた右拳は、裏拳となって自分の足下を攫うように繰り出された。両足を開き、体全体を回転させて勢いを付ける。不自然な体勢から繰り出されているにも関わらず、ファングの拳は自身の膝ほどにまで届き、背後の壁を打ち砕いた。
 それほどまでの威力‥‥人間ならば、掠るだけでも粉砕されて四散するだろう。無論、鍛え抜かれた琴美の体も例外ではない。
 よって、受ける‥‥と言う事は考えない。ひたすらに躱し、敵のミスを誘い徹底的に突けなければ、勝機など微塵も現れないだろう。

(むっ?)

 足下を抜けようとしていた琴美の影がない。放った右拳の裏拳は空を切り、ただ壁だけを粉砕している。舞い散る血の一滴も見えてこない。
 どこに行った‥‥と、ファングは一瞬、目を走らせる。だがその動作が、ファングの次の反応を遅らせた。

「ぐっ‥‥!」
「なに!?」

 僅かに苦悶の声が漏れ、ファングは自分の足下に目を向ける。そこには姿を消していた琴美の姿‥‥いや、それはもはや琴美ではなく、ただの残像に過ぎない。ファングの右半身側に倒れるように入り込んでいたはずの琴美は、ファングの右足首の後ろに自分の右足を引っかけ、足払いを掛けるように蹴り抜いていた。だが琴美とファングの体重差は、子供と成人のそれ以上に懸け離れている。体勢を崩しているからと言って、簡単に倒れるような事はない。
 しかしそれで良い。それこそが狙いだ。むしろ倒れられたら、琴美の方が不利となる。
 勢いよくファングの右足首に自分の右足を引っ掛けた琴美は、まるで吹き飛ばされるかのように体を折り畳み、床を転がることでファングの両足の間を潜り抜けた。ファングの拳が放たれる前に体を引き戻したため、ダメージはない。
 それは一瞬の早業だったが、ファングは確かに見た。まるで回転蹴りを繰り出すようにして体を回転させていた琴美は、ファングの足に自分の足を引っ掛ける事によって体の向きを変え、強引に体を地面に倒して転がったのだ。
 自分の体重を、足一本の蹴りの勢いと筋力によって支え、そして勢いよくファングの足下を潜り抜ける‥‥‥‥体に掛かる負荷を考えれば、格闘経験者ならばまず行わない方法だろう。拳を打ち出す時でも、足先から腰、胴、最後に腕を走らせて敵を打ち据える。様々な場所で拳を加速して体重を乗せる事で、初めてまともなパンチとなるのである。
 琴美は行った事は、それを足一本の筋力のみで行ったようなものだ。ズキリと右足に痛みが走る。高速で無理な運動を行ったがために、負荷が右足に来たのだ。まるで足を攣ったかのように筋肉が伸び、痙攣する。
 だが気に掛けている時間はない。ファングの背後に達した琴美は、振り返られる前に次のクナイを取り出した。

(あと二本!)

 自分の装備を数えながら、琴美は舌打ちする。
 忍びたるもの、軍人のように重々しい装備を持ち合わせて戦に望むような事はない。
 装備の数は最小限に絞り、大きさも手の平に収まるサイズが好ましい。何しろ、普段の任務からして隠密である事が絶対条件だ。場合によっては装備らしい装備を持ち込まない事もある。忍者の末裔である琴美にとっては、素手での格闘戦で敵を仕留める事が基本なのだ。
 だが、ファングを相手にしていては、クナイでは心許ない。狙うとしたら、筋肉で守られていない眼球か手足の末端、首なのだが‥‥‥‥

「むぅんがッ!!」

 隙をついて反撃に出ようとした琴美だったが、ファングは琴美が背後に回ったと察した瞬間に向きを変え、豪快に両腕を振り回して蹴散らしに掛かる。
 まともに受ける事も出来ず、琴美はがむしゃらに体を投げ出して回避にかかる。
 ファングの攻撃は、決して狙いを定めての攻撃ではない。腕の力に任せてブンブンと振り回しているだけなので、威力もまともに籠もっていない。
 しかしそれでも、琴美を弾き飛ばすには十分な威力を持っている。加えて、狙いを定めない攻撃の軌道は読めず、流れ弾が暴れ回っているような印象すら受けた。

(厄介な‥‥!)

 まるで扇風機の羽根が暴れているようだ。触れれば切れるし、吹き飛ばされるだろう。そして問題なのは、振り回されている拳以上に、壁に囲まれているこの空間である。受けるにしても躱すにしても、あまりに狭い。殴り付けられたところで背後に跳べばダメージは軽減出来る。しかしこの狭い場所では、背後に跳んだところで衝撃を吸収しきれずに壁に叩き付けられて追撃を受けるだろう。

「そぉら!」

 ファングが両腕を暴風のように振るっていたのは、一分にも満たない時間だった。
 それだけの時間があれば、足下を転がり、自分の周りを前後左右あらゆる場所に駆ける琴美でも捕捉出来る。
 腰を深く落とし、足下を駆け回り隙を窺っている琴美を殴り付ける。

「っ!?」

 ファングの体格からして、足下を駆け回る敵は苦手だろうと踏んでいた琴美は、腰を落としてから攻撃に移るまでのファングの速さに舌を巻き、満足に反応出来ずにファングの拳を両手で受け止めた。
 どんな人間でも、直立した状態では腰ぐらいまでしか腕は届かない。
 ならば単純に、相手の腰よりも低い位置に体を持っていけば、殴り付けられる確率は激減する。ファングは長身であるため、その射程外の死角に入り込む事は難しくなかった。
 ‥‥‥‥それが油断に繋がった。
 ファングの拳を躱し切れずに受けた両手に、ビキリと衝撃が走る。

(砕かれる!?)

 思考よりも直感の方が速かった。
 迫り来る拳に両手を付いていた時間は、瞬きにも満たない一瞬だった。跳び箱でも跳んでいるかのように手の平を返し、体全体を前転させ、ファングの腕を踏み台にする。

「おぎょっ!?」

 そしてそのまま、折り畳んでいた両足をファングの顔面に叩き込んだ。

(入った!)

 反射的に行った動作だったため、琴美は攻撃を加えながらも、自分自身で驚いていた。
 思えば、これは戦闘が開始されてから初めてまともに入った一撃である。効果はそれなりにあったようで、ファングはヨロリと後ろに傾き‥‥‥‥

「あまいなぁ!!」

 猛烈な旋風を纏い、ファングの右腕が繰り出された。

「――――あ」

 体に走る衝撃は、琴美の肺に溜まった酸素を吐き出させ、琴美の意識を刈り取った。
 琴美のカウンターを受けて仰け反ったファングは、決してダメージを負ったわけではなかった。
 体を僅かに後退させ、仰け反った体勢のままで右腕を引き戻していたファングは、宙に浮いていた事身の体を狙い打ったのだ。
 体全体を回転させ、猛烈な勢いで放たれた拳は琴美の体を床に叩き付け、その意識を刈り取った。しかし胸元に走る激痛が意識を覚醒させ、真白く染まった視界が瞬く間に機能を取り戻す。
 だが、体に残ったダメージは深刻だった。琴美は体を起こしながらファングを見据える。余裕からか、ファングはさらなる追撃を行わずに琴美の様子を窺っていた。

(頭に来るくらい舐められてるわね‥‥‥‥)

 ファングは戦いを楽しんでいる。動けなくなった敵にトドメを刺すのも、相手が抵抗してきてからだ。恐らくは、琴美が動かない限りは様子を見ているだけだろう。そして次の行動が‥‥‥‥もしもくだらない時間稼ぎなら、容赦なく叩きに来る。
 琴美は身体に残ったダメージを調べながら、目前の敵を睨み付けた。
 殴り付けられた衝撃で肋骨が三本折られ、負荷を掛けた右足は筋肉が少々痛んでいる。ファングの拳を受け流した両手は軽く紫色に染まり、軽く捻挫を起こしている。今は痛みもないが、時間が経てばジワジワと蝕んでくる事だろう。
 柔らかい肌は知らず知らずのうちに無数の痣と血糊で染め上げられている。ただ掠るだけでも猛烈な衝撃を与えてくる拳は、琴美の身体を掠めるたびに肌を殴り、傷を作っていたのだ。直撃を避けるために神経を集中していた琴美は、一息つくまで、その事実に気付きもしなかった。

「どうした? もっとかかってこないのか?」

 起死回生の方法を模索している琴美に、ファングは嬉しそうに声を掛けてくる。
 戦いを純粋に楽しんでいるファングにとっては、この殺し合いなど余興でしかないのだろう。出来るだけ楽しみは長く、じっくりと味わいたい。トドメを刺しに来ないのはそれだけの理由だ。殺そうと思えばいつでも殺せる。しかしそれではつまらないから生かしておく。ファングはジッと、琴美が反撃に出るのを楽しみに待っているのだ。
 そしてそれは、ファングにとって、琴美はその程度の存在でしかないと言う証拠である。
 とりわけ注意を向ける必要もない。
 反撃を警戒する必要もない。
 出来るだけ殺さないように、玩具を壊さないようにと細心の注意を払って戦っている。殺しては楽しめないから、殺さないようにと気遣っている。逃げないように立ち位置を誘導し、紙一重で躱せるようにと遊んでいる。

(こんな‥‥ふざけた戦いを‥‥‥‥!!)

 悲鳴を上げる身体を叩き起こし、琴美は戦いを続行する。
 決着など知らない。これまでの戦いで培ってきた経験が、脱出を促すために声を張り上げる。

「はぁぁあ!」

 耳を閉ざし、琴美は甲高いヒールの音を立てて跳躍した‥‥‥‥