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<東京怪談ノベル(シングル)>


暴虐の右腕


 特務機関と言っても、結局のところは組織の一部に過ぎない。
 情報収集、警護任務、暗殺に至るまで、全て自分の意志で行っているものはない。
 どれほど危険な任務であろうとも、拒否権すら用意されていない。任務から逃れようとするならば、それこそ命を賭けて組織と戦うことになるだろう。合法的に動くことが絶対条件の“国家指導の組織”において、非合法で動く機関の存在など、決して表立たせるわけにはいかないのだ。一度でも足を踏み入れたのならば、命を賭さなければ抜けることすら出来ない。
 だからこそ‥‥‥‥どれほど理不尽極まりない危険な仕事を押しつけられようと、自分の力のみでそれを切り抜けなければならない。この世界では、それが鉄則。チームワークも何もない。最後の最後で物を言うのは、自分自身の能力以外の何ものでもない。

「今回の仕事に付いて、質問はあるか?」
「いいえ、ございません」

 上司からの言葉に、水嶋 琴美はピンと背筋を伸ばし、淀みなく答えていた。
 張りつめた空気が、室内に漂っている。それは琴美自身が放っているものなのか、それとも目の前の上司が放っているものなのか‥‥‥‥それはもはや、この場にいる二人にも分からない。この部屋に誰かが踏み込んできたのならば、すぐさま引き返してしまうだろう。もしくは気絶するか、心臓に弱い者ならば発作すら起こしかねない重圧を伴った空気である。
 琴美は普段、実戦と訓練時に着込んでいる忍者姿ではなく、色っぽいタイトスーツを着込んでいた。黒いスーツは肩から胸元にかけて開いており、そこから下に着込んでいる白いブラウスとキャミソールが見えている。鎖骨から胸元までが大胆に開いていて、豊満な胸が谷間を作り、相対した男の視線を誘導する。
 待機の時でもスパッツを愛用している琴美だったが、やはりスーツ姿の時には気を遣っているのか、下は上半身のスーツに合わせた黒いスカートを履いていた。スカートは腰から膝上までに張り付いており、他には琴美の鍛え抜かれながらも美しい脚線を隠すようなものはなく、履き慣れないヒール付きの靴も違和感なく収まっている。
 どこから見ても、やり手のキャリアウーマン風の出で立ちである。彼女のことを知らない者ならば、未成年と聞いて飛び上がることだろう。長い黒髪は、細い顔立ちと自信に満ち溢れた目で際立ち、大人顔負けの貫禄を醸し出している。
 普段なら、こんな琴美を見かければ目を奪われ、思わず視線だけでも追わせてしまうかも知れない。琴美本人がそうと意識していなくとも、その姿は大衆の男性達を惹き付け、自然と魅了するだけの香りを放っている。
 ‥‥‥‥しかしそんな香りも、この室内においては全くの無意味だった。
 険悪を通り越して殺気立っている二人‥‥‥‥そんな空気を放っている二人だが、決して憎み合っているわけではない。
 二人の関係は、持ちつ持たれつの取引相手でもなければ、友人同士でもない。ただの上司と部下。さらに言ってしまえば、“組織からの命令を部下に伝える上司”と、“上司からの命令を絶対のものとして反論すら許されない部下”程度の関係である。
 よって、そんな二人がその殺気を向けているのは‥‥‥‥

「そうか‥‥すまんな。こんな馬鹿らしい仕事、早々に片付けたいところだが」
「手が空いているのは私だけですから、お気になさらずに」

 上司の言葉に、琴美は淡泊に答えていた。
 特務統合機動課には、既に別の任務が与えられている。親善大使として国外から訪れている要人を暗殺する動きがあると言うことで、捜査と犯人の始末を命じられているのである。琴美以外のメンバーは全員がそちらに当たり、手が空くような余裕はない。本音を言えば、上司は琴美もそちらの仕事に回したいと思っていた。
 二人が殺気を向けているのは、主に二つの対象にである。一つは忙しい時に特務統合機動課に厄介事を押しつけてきた上層部、そしてもう一つは‥‥‥‥

「水嶋。しつこいようだが、今回の標的は生半可な相手ではない。見かけに騙されるな」
「心得ております」

 二人が殺気を向けているのは、今回の標的として指名された狂人に対してだった。
 名はギルフォード。本名なのかどうかは不明。年齢は推定二十代後半。長身だが体型は細身。銀髪。国籍不明。所属組織はなし。基本的に殺し合いが出来る組織ならばどこにでも付き、あっさりと裏切る。その際には組織の雑兵や幹部を皆殺しにしてみせることも珍しくなく、もちろん敵として相対した者は尽く惨殺。殺し方は様々だが、一撃で頭を潰されるか、全身を切り刻まれるか、はたまた手足の末端からじっくりとミンチにされていた者もいる。
 殺し方に規則性はなく、獲物に際してのこだわりはないようだ。それまでに回収された遺体の状態から推測するしかないのだが、切り刻んだり潰したり‥‥‥‥その場の気分で変えているのだろう。被害は全くの無関係な一般人にまで及び、彼が訪れた場所では必ず流血が起こるとさえ言われている。
 ‥‥‥‥上層部が暗殺指令を出したのは、この男が今回の要人暗殺に絡んでいるのではないかと睨んでいるからだ。厄介事なら、動き出す前に始末してしまえと言うことだろう。

「よろしい。では行きたまえ」
「了解しました」

 機械的な返事を残し、琴美は部屋から去っていった。
 しかし、室内の重苦しい空気は何ら変化することはない。琴美の上司に当たる人物は、部下に無謀な戦いを命じなければならなかったという事実を前に、自己嫌悪にも似た憎悪を浮かべていた‥‥‥‥


●●●●●


 決闘とは、戦うと決まった時から始まっている‥‥‥‥
 有名な剣客の言葉である。が、それに対して、琴美はこう反論する。

「否。そもそも生きている時点で、常に戦いの最中にある」

 尋常な決闘ならば、確かに決まってから構えていても問題はないかもしれない。だが琴美のように闇に生きる者にとって、いつ何時殺し合いに巻き込まれるか分かったものではない。
 宛われた自室に入り、身に付けている物を脱ぎにかかる。こうして身内の施設に居る時でも、油断などとても出来ない。琴美は微かに溜息をつきながら、慣れないスーツを脱ぎ、その袖口から数本のクナイを抜き取った。
 続いてブラウス、腰のベルトを外し、スカートを床に落とす。
 残ったのは、キャミソールと色っぽい黒のパンティだけだ。十九歳という年齢にしてはあまりに大人びた下着だ。しかし琴美の体に張り付いているそれらの下着は、先程までのスーツと同じく違和感なく溶け込み、その肢体の色気を存分に引き出している。
 先程までスーツとブラウスの両方に押さえ付けられていた胸は、拘束を解かれて気持ちよさそうに揺れている。豊満な胸は自己主張が強く、下着を着けていても隠しきれるものではない。キャミソールを脱ごうと腕を動かすと、布は肌を擦るようにして蠢き、敏感な肌を刺激する。

「ふぅ‥‥慣れないわね。こういうのは」

 こうして堅苦しい格好をするのは、極々短い間のみだ。普段は鍛錬と実戦を行き来しているため、上司と会う時でも正装をすることはそれほど多くはない。
 ‥‥しかしその滅多にない正装が、琴美の魅力を十二分に発揮させ、通りかかる者達を魅了することに、琴美は気付いてもいなかった。
 パンティを脱ぐことで全裸になった琴美の体には、傷跡一つ残されていない。
殺し殺されの世界で生きているにも関わらず、琴美の体は常に美しく磨かれている。
化粧やらマッサージやら、そんなことに手を掛けたことはない。琴美の日常は鍛錬に鍛錬を積み重ね、残りの時間は実戦と休息に当てられる。
 一見すると、不健康な生活の見本にも上げられそうな生活。しかし皮肉にも、忍びとしての鍛錬は並みのアスリートでは比較にならない柔軟さを保たせ、全身の筋肉を鍛えながらも柔らかく、そしてほどよく脂肪を燃焼させた。
 幼い頃から闇夜を走る鍛練を積んでいたこともあり、太陽の光を浴びることもそれほど多くなかった。肌を積極的に焼くような性格でもなく、琴美の肢体にはシミの一つもない。うっすらと白みすらかかり、見る者を怯ませる。
 自慢の戦闘服を取り出し、素肌に直接被せていく。まずは下着を履いてからスパッツ。インナーを着込む。忍びとして敏捷さを武器にしている琴美は、邪魔にならないようにと戦闘服を薄く、そして軽く作っている。ただでさえ薄い布地をさらに薄くし、軽く、そして激しい運動を阻害しないようにと柔軟に編まれている。その布地は肌にピッタリと張り付き、うっすらと素肌の色すら確認出来る。スパッツの上にミニのプリッツスカートを履いてはいたが、琴美の戦闘スタイルから言って、それは申し訳程度の意味しかない。
 続いて、上半身だけを覆う着物を取り出す。両袖を半袖に改造しているその着物は、素肌に張り付き、豊満な胸を押さえて固定する。素肌に負けないほど柔らかい布は、琴美のスタイルを崩すことなく肌に吸い付き、それ自体が体の一部のように自然に溶け込むことで、艶気を一切失わせることなく琴美の体を浮き上がらせていた。
 着物の上から、改造した上着を羽織る。帯が付いた上着は、体に吸い付いていた着物をより一層一体化させ、完全に固定する。着物と肌の間には指一本も入らない。体のラインを完全に浮き上がらせ、肌色だったのならば全裸とさほど変わらぬ姿になっていただろう。

「さて‥‥‥‥行きましょうか」

 装備を調え、自室を後にする。
 琴美にとって、自分の姿が他人にどう映っているのかなど些末な問題だった。
 どれほど艶気があろうが露出していようが、動きやすく、戦闘に絶えられればそれで良い。それ以外に興味らしい興味はない。忍びにとっては自分の格好よりも、まずは効率的に動き、自分の力を最大限に生かせる衣装ならば何でも良いのだ。
 極論してしまえば、任務が果たせるのならば全裸であっても構わない。
 琴美がこんな特殊な格好をしているのも、幼少の頃から慣れ親しんだ格好であり、動きやすく、最低限の武器を携帯することができ、何より激しく運動するたびに揺れ動く胸を痛めないためという、至極単純な理由からである。

(現場までは一時間ぐらいかしらね‥‥‥‥次の任務も押してるし、急がないと)

 それほど時間はない。リミットは夜明けまで。相手が殺人快楽者の狂人であろうとも、今は手を掛けていられる時間はない。早々に始末を付け、仲間と合流しなければ‥‥‥‥


 夜の闇を影が跳ぶ。
 それはまるで、獲物を狩りに飛ぶ梟のようだった‥‥‥‥


●●●●●


 ‥‥‥‥施設の中は、奇妙な静けさに包まれていた。
 それほど大きな施設ではない。外から見ている分には、ちょっとした病院のようにも見える。見張りの目をかいくぐることもさほど難しいことではなかった。大きな施設であればあるほど、当然ガードの隙も大きくなる。まさかこんな深夜に、施設の周りを屈強な男達で固めているわけにもいかないのだろう。ギルフォードが身を寄せているという組織の施設へは、比較的簡単に侵入することが出来た。
 騒ぎを起こさずに事を終えるため、音も立てず、見張りに見付かることもなく窓の鍵を破壊し、入り込んでいく。一階二階と言わず、四階から内部に侵入する。

(さて、ギルフォードの位置は‥‥‥‥)

 渡された資料を記憶から呼び起こし、現在の自分の位置と照らし合わせて最短の道を導き出す。
 ギルフォードの位置は分かっている。いや、と言うよりもギルフォードに宛われた私室の位置を把握している。特務統合機動課でなくとも、この国の諜報機関は一級だ。非合法な手段を用いているのだろうが、敵対組織の施設内部の情報を得ることなど、そう難しいことではない。
 施設の明かりはついていたが、人の気配は感じられなかった。

(眠っていてくれれば楽に終わるんだけど)

 そうでなくても仕留められるだろうが、楽が出来るに越したことはない。
 室内の人間に気取られないよう、音を殺しきって疾走。監視カメラの死角を縫い、天井にある鉄格子のような網を外す。
 そこには、各室内の空気を流すための通気口が続いていた。整備のための意味合いもあるのだろうが、伏せてさえいれば人間でも入り込める大きさだ。そしてこういった場所は、琴美のような暗殺者にとっては絶好の隠し通路として使用される(警察の特殊部隊なども使用するが‥‥)。

(問題があるとすれば‥‥)

 この通気口は、決して各人の私室にまでは通じていない、と言うことだ。繋がってはいるのだが、出口には冷暖房を調節するための機械が備え付けられているため、直接部屋に降りることは難しい。部屋の真上を通ることも出来るだろうが、部屋の様子を窺うことすら出来はしない。

「おい、あいつをあんなに優遇する必要あるのかよ」
「ねぇよ。だが文句は言うな。殺されるぞ」
(あら?)

 通気口を這い進んでいた琴美は、微かな声を聞き付けて動きを止める。
 顔を上げると、琴美が出入り口に使用した金網があり、通路の光を通気口に取り入れている。声はそこから漏れているようだ。そうでもなければ、四方八方を金属と暗闇に覆われているこの通気口に、人の声など届かない。

(何の話かしらね)

 誰に対しての文句なのか‥‥それは察することが出来る。
 より正確に声を聞くため、しなやかな体を冷たい通気口に摺り合わせて這い進む。着物の上からでも金属の冷たい感触が伝わり、思わず身震いすら起こしそうになる。
 ‥‥だがそんな感触すら、廊下で話す者達の言葉を聞くことで吹き飛んでいた。

「ギルフォードの野郎がトレーニングルームに居座ってるせいで、俺たちが近づけねぇじゃねぇか」
「迂闊に近寄ると喧嘩吹っ掛けられるからな‥‥‥‥あんな奴とやり合ってたら命がいくつあっても足りない。我慢しろ」
「くそ‥‥‥‥上は上で、あいつの勝手を見逃してるし、胸糞悪い」
「気に入らないのは分かったから、もう文句は言うな。奴に聞かれでもしたら終わりだぞ」

 離していた者達は、周囲を見渡し、誰にも聞かれていないことを確認してから去っていく。ギルフォードは施設内で好き勝手に行動しているらしく、暇と相手さえいれば喧嘩を売り、場合によっては殺傷しているのだろう。そうでもなければ、あそこまで恐れることはない。
 敵も味方も関係なく攻撃する‥‥‥‥渡された資料の通りである。
 そしてその事実に、琴美は小さく笑みを作った。
 居場所は分かった。ここからそう遠くもない。ギルフォードを恐れる余り、必要がなければ誰も近付こうとはしないのだろう。孤立している相手を借ることは最も容易い仕事であり、横から邪魔が入ることもまずは無いはずだ。
 ‥‥‥‥仕事の舞台は整った。
 さぁ、可及的速やかに狂人を葬ろう。

‥‥‥‥‥‥

‥‥‥‥

‥‥

「畜生‥‥‥‥あー、退屈だ!」

 トレーニングルームに用意されたベンチに寝転びながら、ギルフォードは声を上げていた。
 部屋にはギルフォード以外の人間は存在せず、伽藍とした空気は、汗の臭い一つ漂わせていない。
 本来ならば数々の重々しいトレーニングマシンが軋みを上げ、誰かを殴り、投げ飛ばし、悲鳴や怒声の音が響いている場所だというのに、そんな気配は微塵もしない。
 それもこれも、この部屋に居座っているギルフォードの所為である。
 この施設に来てから数日‥‥‥‥一向に出番が訪れないことに業を煮やしたギルフォードは、暇潰しにこの部屋でトレーニングを積んでいた雑兵に喧嘩を吹っ掛け、殺傷した。戦いらしい戦いになどならなかったのだが、仲間を殺されたことでいきり立った者達に襲われ、そして返り討ちにした。
 それ以来、暇さえあればこの部屋に居座るようにしている。理由は単純に、この部屋を訪れる物は全員が武芸の心得があり、そこらを歩いている研究者よりも遙かに殺し甲斐があるからだ。
 そう判断して、この部屋に居座った。居座ったのだが、入ってくる者に片っ端から喧嘩を吹っ掛け、半殺しにしていたためか、今日に至っては一人たりとも雑兵達は訪れない。来たとすれば、血にまみれた機械と床を磨きに来た掃除夫ぐらいか。あまりの雑魚っぷりに言葉を掛けることすらせずに無視してしまったが、これほどまでに退屈な時間を過ごさなければならないのならば、捕まえて遊んでおけば良かったと後悔する。
 かたん。

「ん?」

 物音に反応し、体を起こす。
 人の気配はない。ただ、機械がキィキィと微かに揺れているだけである。取り付けられていた部品か、誰かが忘れていった道具が床に落ちたのか‥‥‥‥気配を探ってみても、これといった異変は見られない。扉が開かれた形跡もなく、静寂は眠気すら呼び起こしギルフォードの脳裏を揺さぶった。
 ドッ‥‥‥‥
 短い音。それは背後から訪れ、衝撃と共にギルフォードの体を貫いた。
 体が揺れ、「ぐはぁぁ!」と悲鳴を上げてギルフォードがベンチの上から転げ落ちる。続いて「ぐふっ、俺はもうダメだぁ!」などというわざとらしい声‥‥‥‥顔を上げると、ベンチの隣にいつの間に現れていたのか、この部屋に侵入していた奇抜な格好をした女の姿がある。ギルフォードの言葉を演技だと判断しているらしく、一言たりとも言葉を発さず、追撃のクナイを放ってくる。

「リアクションはなしかよ!!」

 文句を言いながら、ギルフォードは床を転がってクナイを回避した。
 相手の回避行動すら予測し、心臓を中心に頭部、腕部、横隔膜、脚部と様々な場所を狙い打ったはずの七本の刃は、タタタタタンと乾いた音を立てて床に突き立ち、停止した。女は舌打ちし、追撃に走る。トレーニングマシンが転がる床を走り、目を瞬かせれば見失ってしまいそうだ。

(へぇ、こいつは)

 思ったよりも速い。完全に不意を突かれていたにも関わらず、ギルフォードは既に戦闘の昂揚に体を切り替え、目を走らせ体を動かしていた。追撃に放たれたクナイを弾く。近接戦闘に持ち込むタイミングを計っているのか、正確に眉間喉元心臓股間を狙いに掛かる刃には殺気がない。‥‥それはそれで恐ろしいことだ。殺す気もなく一撃必殺の急所を狙ってくるなど、常人では生涯を賭けて到達出来るか否かの技術である。殺気を綺麗に隠しているのではなく、そもそも“敵を殺す”ことに躊躇いも疑問も持たない程に“慣れている”事が絶対条件となるからだ。
 敵に関心を持たず、その命を刈り取ることを何とも思わないような人間‥‥‥‥
 なるほど、初撃を察することが出来なかったのはその所為か。
初撃は確実に心臓を狙っていた。まぁ、背中に痛みを覚えた時点で体を転がしていたために傷は浅い。精々‥‥‥‥虫に刺された程度の傷だろうか? 痛みを覚えてから反応したが、ギリギリで間に合ったらしい。クナイの先が刺さった瞬間に体を転がして回避するなど、常人の為せる技ではない。いや、もはや技ですらない。単純に、攻撃を受けて痛みを覚え、痛みを覚えた後から回避行動に移って致命傷を避けたのだ。

(目的は俺か。珍しい奴だな)

 蚊に刺された程度の傷など、思考の隅にすら置く必要はない。そんな傷を想うぐらいならば、退屈凌ぎにと現れてくれた獲物に敬意を表して嬲り殺しにしてやるのが礼儀だろう。
 突然現れた女は、執拗にギルフォードを攻め立てる。息つく間など与えない連続攻撃。何十本物クナイを放つ女に、ギルフォードは素直に感心していた。まるで手品師だ。どこに隠し持って‥‥‥‥ああ、なるほど。攻撃を回避するためには、最も適した方向へと体を動かすのが道理である。左胸を狙われたのならば右に動けばいい。逆に動いていれば、躱し切れずに傷を負うことになるだろう。そうしてギルフォードの行動範囲を限定していった女は、床に突き立ち、落ちているクナイを回収しては攻撃を続けている。クナイが尽きないのはそのお陰だ。見る限り若そうだが、それなりに場数を踏んでいるらしい。考えて行動している。

「ああ、うぜぇ」

 久しぶりの遊び相手だが、これでは埒があかない。女が疲労するまで走り回っても良いが、それでは余興にもならない。まだそこらの雑魚を解体している方が楽しめるというものだ。
 ‥‥‥‥瞬間、部屋の空気が硬直した。
 女の体が固まった。疾走し、身を翻したギルフォードを避けようと跳躍し、そして停止する。
 空中に固まる女の体。しかしそれを支えているのはギルフォードだ。左腕を女の腹部にめり込ませ、深々と突き刺しながら、その体を持ち上げている。
 女の体は、まるで弧を描く弓のようにしなり、弾け飛んだ。

「さぁて‥‥‥‥仕切り直そうぜ」

 これまでの戦闘など、余興にもならない。
 せっかくなのだから、真っ向から殺し合おうと挑発する。
 ‥‥‥‥壁に叩き付けられた女は、床に倒れ込みながら姿を消した。