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<東京怪談ノベル(シングル)>


玄冬想々・伍




 『本邸』に行くには『とべる』場所から移動しなければならない、とクロは言った。
 彼女の言う『とべる』場所というのは、『標』の付けられた力ある場所のことらしい。そこに行き、一族の作った特殊な札を用いることで、『本邸』の中に直接行くことができるのだという。
 今はその『とべる』場所に向かっている最中だった。どこか緊張したような面持ちのクロの横顔を見つつ、悠はゆったりと歩んでいた。
 歩き出してからは、どちらからともなく無言だ。しかしそれは、居心地の悪いものではない。
 『本邸』で行われる事――起こるべき事。クロが『玄冬』となるという事。
 それが分かっているにもかかわらず、己の足取りは軽い。それは見る人が見ればおかしいと感じるのだろう。
 しかし悠にとって、その理由は至極単純で、当然と思えるものだった。
 少し前の自分だったなら、新たな知識を得、好奇を満たす事ができるという予感に悦びを覚え、その足取りを軽くしただろう。
 けれど、今の自分の足取りが軽いのは、そのような理由ではない。
 ――…その『理由』に思いを廻らす。
 己とクロの耳元に、それぞれ片方ずつ下がっている夜闇色のイヤリング。それを渡した当初は戸惑うような素振りを見せていたクロに、貴女のために作ったのだと告げた瞬間、――彼女は間違いなく、笑んだ。
 少しずつ、表情を、感情を見せるようになっていたクロ。『そのような雰囲気』でもなく、『そう見える』というのでもなく、あの時彼女は、純粋に笑みを浮かべた。恐らくは、喜びのために。
 ……その事を『嬉しい』と、思った。感じた。そんな自身に気付いた時に、胸に過ぎった感情は何だったか。
 彼女との邂逅は、たかだか数度――片手で足りる数。それにも関わらず、ここまで己が変わるとは思いもよらなかった。
 彼女と共に居た一時。それによる変化――感情を取り戻した自分に、そして、『取り戻した』と考える事自体に、おかしさを感じる。
 ――…最初は、ただ知識欲と好奇のために近付いた。
 けれど今、自分は彼女の『願い』を叶えたいという、己の『願い』のために動いている。
 この変化は、紛れもなく彼女との出会いが齎したものだ。
「ありがとうございます」
 前触れのない――少なくとも、彼女にとってはそう思えただろう悠の言葉に、クロは戸惑うように歩みを緩め、悠を見上げた。
「…いきなり、何……? わたし、何かした、つもり…ない、よ…? それに、多分……それは、わたしが言う、ほう…」
 クロに合わせて歩調を緩めつつ、悠は笑みを向けて、答えた。
「本邸へと招いて頂いた事へ――と言うと語弊がありますね。私から言い出した事ですから。……本邸へ連れて行って下さる事へ、改めて御礼を申し上げたかったもので」
 先まで考えていた事――本当の理由を語ることはせず、当たり障りのない『理由』を答える。だが、全くの嘘というわけでもない。断られる可能性も在り得ると考えてはいたのだから。
 クロは確かに『願って』いた。しかし、そのために何某かの行動を起こそうとはしていなかった――否、そのような考えに至ってすらいなかっただろう。ただひたすらに、純粋に、願うのみで。
 故に、申し出が受け入れられる確信は無かった。受け入れられなかった時の事も考えていたとはいえ、やはり彼女の『願い』を叶えるにはこちらの方が都合がいいだろう。
 そんな悠の内心に気付く様子もなく、クロは眉根を寄せ、俯いた。
「お礼、なんて……多分、特に、楽しいところ…でも、ないし…。きっと、すごく、不便……だし。『玄冬』の『封破士』が…外の人、を連れてきた…前例も、ない、から……良い目では、見られない……かも、しれない、し」
「そのような事は、私にとって重要ではないですから、お気遣いなく。――それよりも、少しばかりお願いがあるのですが」
 告げた言葉が意外だったのか、クロは顔を上げてぱちり、と一度瞬いた。
「? ……おね、がい…?」
「はい。2つ程お願いしたい事があるのですが――」
「……それは、わたしに、できる…こと?」
 不安そうな瞳を向けるクロに、悠は笑みを浮かべたまま頷いた。
「ええ、勿論です」
 それでもまだ不安そうに視線を彷徨わせていたクロだったが、暫くの後、ぽつりと呟いた。
「……言って。何でも、は、無理…だけど、できる限り、叶える、…から」
 その返答に笑みを深め、「ありがとうございます」と返し――悠はクロに『お願い』を告げる。
「クロさんが知っている――そして持っている、『玄冬』の人物像についてお聞きしたいのが一つ」
 じっと見つめてくるクロの視線を見返しながら、続ける。
「もう一つは、――『降ろし』の前に御当主とお話をさせて頂くことはできないかと」
 ぴくり、とクロの肩が僅かに跳ねた。その反応を気に留めつつ、返答を待つ。
 何故このような『お願い』をしたのかと問われれば、それは最後の『覚悟』を得るためだと悠は答えるだろう。
 理を捻じ曲げ、クロが叶えようとしている当主の『願い』――それに対して、更に理を捻じ曲げ、為そうとしている事が悠にはある。
 理を捻じ曲げる――その行為には『代償』が必要だ。それを支払う『覚悟』――もう殆ど決まっていると言ってもいいそれを、さらに確固たるものにするため。そして、その行為によって少なからぬ影響を与える事になるだろう彼らへの、礼儀として、この『お願い』は必要だった。
 何か考えるような沈黙の後、クロは口を開く。
「当主、と…話すのは、大丈夫、だと……思う。当主、も…言って、たし……」
「御当主は何と?」
「この間…会った、後…悠さんと、…また、会うことになるだろう、って、…予想、…予感……だった、のかも、しれない…けど。多分、そういう、こと…なんだと、思う…。今は、滅多に…使わない、けど……当主、は『先視』も、する…から…」
 クロの言葉に、成程、と心中で呟く。
 当主と相対したときに感じた、強い強い『異質』の気配。それを思えば、彼が異能を持つ事には何の不思議もない。……それどころか、彼の異能は『先視』だけではないだろうという事も容易に想像できる。
 しかしそれについて確認することはせず、悠は訥々としたクロの語りに耳を傾ける。
「…それで、『玄冬』、は……わたし、たち…一族の、元、で……当主が、会いたがってる、相手…。前に『儀式』があって、から……結構経ってる…し、『記録』も、あんまり……ない、から、人となり、とかは、…ほとんど、わからない…けど、」
 そこで一度言葉を切って、クロは遠くを見るように――何かを思い出すように、目を眇めた。
「当主、が……前、言ってた…。『玄冬』は…わたしに、よく似て、いて……とても、似てない、から…。だから、わたしを…『封破士』に、選んだ、……って」
 『よく似ていて、とても似てない』――矛盾したその言葉がクロを選んだ理由だと言うのなら、彼女と『玄冬』はどこが似ていて、どこが似ていないのか。
 それを推し量る事は、今悠が持つ情報だけでは不可能だろう。
 機があれば当主に訊ねてみるのも良いかもしれない、と、そう考えて――悠は、浮かべる笑みを深めたのだった。