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<東京怪談・PCゲームノベル>


 BLANC NOEL



『和ちゃん、今年もお正月は帰って来ないの?』
 ケータイの向こうで母が哀しげに言った。
「あたりまえだろ。帰らねぇ」
『一昨年も帰って来なかったじゃない。おせちも用意しているのよ。和ちゃん、小さい頃から栗きんとん好きだったでしょ』
「うるせぇよ。ンなの食わねぇし。オヤジと顔付き合わせたくねぇ」
『何言ってるの。お父様だって口では言わなくても、心では和ちゃんが帰ってくるのを待ってるのよ? 和正はやれば出来る息子なのに、って』
「……ああ、もういい。切る。切るから。じゃあな」
 受話器の向こうでまだ何か言っているのを無視して、通話を切った。
 毎年毎年よくも飽きずに電話を掛けてくると思う。
 俺の顔を見るなり、渋面になるオヤジ。まあ、オヤジがそんな顔で俺を見る理由に心当たりはあり過ぎるほどあるのだが、どちらにしろそんなヤツがいるところに帰って松の内の間は堅苦しい思いをすることに、なんのメリットがあるのか。これっぽっちも無い。
 母親の甘ったるい声がまだ鼓膜に粘り着いている気がする。耳を擦ってみてもそれはなか消えなかった。舌打ちする。十ニ畳のリビングのド真ん中にごろりと転がった。足の爪先に触れた軽い何かがカランと転がったのが分かった。たぶん、ビール缶だ。
 まだ手の中にある携帯のボタンをカチカチと押す。携帯の画面に現れた受信ボックスを開いた。


 件 名:ごめんね!
 本 文:明日から実家に帰るんだ 一日早いけど先に言っとくね!メリー・クリスマス!


 ほんの30分前に届いたメールだった。
 この俺が半年攻めあぐねたアイツからのメール。絵文字の一つも無いメールを寄越しやがった。しかも「実家に帰る」だとか、嘘つきやがれ、という感じだ。学食でホテル雑誌片手にはしゃいでいたとかじゃないか。俺の情報網を侮るんじゃねぇ。
「……俺を振るってのかよ。ふざけんな……」
 天井に一人分の呟き声が吸い込まれる。
 親指がボタンを押す。もう一通のメールが液晶ディスプレイに現れる。


 件 名:飲まね?
 本 文:カズんちからだったら今からでも間に合うよな 渋谷のいつもんとこでオールやるけど来んだったら俺にメー


「……ばぁか。メーってなんだよ」
 メールよこせ、とでも書こうとしていたのだろうが、歩きながら打ったのか、中途半端なメールだった。
 悪友からのメールは、独り身男のクリスマス飲みを指すもので、毎年恒例のように行われている。だが、和正はなんだかんだと理由を付けて参加を断ってきた。
(俺のコケンに関わるじゃねぇか)
 プライドが許さない。
 そして彼女と過ごすから行けないと嘘をついて、一人でクリスマスの夜を過ごすのもプライドが許さない。
 何か良い方法はないかと考えていた和正の頭に、一人の女の顔が浮かんだ。
(……そいやぁ、美紀。あいつは? あいつを連れてヤツらの飲みに行けばいいんだよな)
 実家に帰るだとか抜かしやがった例の女の代わりにして恰好がつく女、そして面倒くさくない女と言えば、今の和正に思い当たるのは一人だけだった。
 メール画面を閉じる。そして電話帳画面を開き、目当ての女の電話番号を探す。
「美紀」の名前を探すだけでも結構な時間のかかるそれが、今の今までまったくと言っていいほど役に立っていなかったのが癪でもある。
 名字は登録されていない「美紀」の項目を探し当てると、和正は迷わず発信ボタンを押した。
 久し振りに見る顔だ。
 相手が電話に出たらどんな風に切り出そうか、などと悩みはしない。
 相手は玄人なのだから。札束をチラつかせれば何とでもなる。
 それが和正の考え方だった。
 呼び出し音が二回、三回、四回……と鳴る。
 早く出ろ、と舌打ちした和正の耳に、プツという小さな音とともに外界の音が雪崩れ込んで来た。
「……はい?」
 一拍の間を置いて、高すぎず低すぎもしない、たおやかという形容が相応しそうな声での応答が聞こえた。




■□■□■


 イヴの夕暮れ時。街は人混みでごったがえしていた。
 デパ地下で総菜とケーキを買ったらしいカップル連れに、子どもを連れた主婦。街頭で声を張り上げてケーキを売るサンタクロース姿の女の子たち。家電店も薬屋もカラオケ屋も居酒屋も、猫も杓子もサンタ姿で客を呼び込みに精を出しているのが嫌でも目に入ってくる。
「…待ち合わせ場所ってここで良かったのかしら。……でも、気が重いなぁ……」
 駅前を飾るイルミネーションを見上げて、美香は深い溜息をついた。
 今年の美香にクリスマスはない。それだけでも気が重い。だが、いつも通りに店で待機していた美香の携帯につい先刻着信があったのだ。
 しばらく顔を見ていない男の名前が、ディスプレイにはあった。
『美紀、店出られるか。ああ、店には俺から話しとくからさ。今から出ろよ。5時ちょうどに渋谷の南口にいる』
 開口一番の言葉がそれで、そしてそれだけで電話は切れた。店を出られるか、という問いにあるはずの「NO」という選択肢は、男の声の響きの中には見つけられなかった。
 國井和正という青年。
 美香のことを源氏名の「美紀」で呼ぶ彼は美香の客だが、青年というより、男と言った方がいいのかもしれない。
 一見して金の掛かった身なりと、茶色に染められた髪と人を食ったような笑みを浮かべる口元こそ金持ちな親のすねを囓る大学生風情だが、体格の良さと、それ以上に特徴的な険のある目付きは世間知らずのボンボンという脳天気さから程遠いものを感じさせる。
 第一、普通に店で遊んでいくのではなく、店の商品である美香を気まぐれに借り出すことがしばしばで、挙げ句、時間についての折り合いを店側とどうつけてあるのか、いつも適当に美香を解放する。という辺りからして、そこらの学生とは既に生きている世界の次元がズレている。美香がこれまで仕事絡みで見てきた裏の世界の男と同じ匂いを、和正には感じた。
 和正の態度は、常に不遜で、強引だ。
 どんな時でも、自分の希望に美香を従わせる。行く場所も、何をやるかも、いつそれを終えるかも。美香の希望を聞くことはない。都合を聞くこともない。和正の気の向き方次第だ。当の和正の方はそれが当たり前だと思っている様子で、何ら罪の意識に駆られていなさそうなところも実に頭が痛い。
 無体なことを言ってくる客には慣れている美香ですら、和正の我が侭には付き合いきれないと思うことがしばしばだった。
 和正のそんな部分に、優柔不断で軟弱そうな男とは違うワイルドさを感じて惹かれる女もいそうには思えるが、たとえそれで付き合ったとしてもおそらく早晩別れることになるだろうと美香は思う。色々な意味で身がもつとは思えない。そしてそんな女を、興味を失うやいなや早々に放り出しそうなのも和正だ。
 気が重い。
 何度目になるのかわからない溜息をついていた美香の後ろで、乾いた靴音がした。
「美紀。行くぞ」
 振り向いてその顔を確かめる間もなく、和正は美香の肩を抱いて歩き出した。
 肩を抱く手は、労りを示すものではなく、あくまでも所有物を抱える抱き方だ。
 そして、美香の足元を慮ることのない歩調。
「どこに? どこに行くのよ」
「ダチの飲み。道玄坂でもう飲んでるらしい」
 緩やかな坂道を目指して人で埋まった横断歩道を渡る。
 美香一人ではとても真っ直ぐに歩けない人混みを、和正は肩で掻き分けるようにして進んでいく。
 飲み。どんな店で飲むのか知らないが、そこにいるのは和正の仲間なのだ。ろくな人間がいないだろう。そんな人間たちがいる場で自分はどんな扱いをされるのだろうか。 いや、クリスマス・イヴに付き合えというのだから、どうせ引き連れる恋人がいなくて困っていたに違いないのだ。ということは、一応は一晩の恋人扱い程度で済むのだろうか。いやいや、和正のことだから。
 美香の心中に穏やかならぬ不安が湧き上がる。
「道玄坂のどこ?」
「居酒屋だろ。どうせ黒木屋とか。ああ、そういえばメールしねぇと」
 ポケットに突っ込んでいた手で荒っぽく携帯を操作する和正の手を見つめながら、美香はすっかり拍子抜けした。
 居酒屋。
 狭い路地裏の地下にある看板も出ていない怪しげなクラブに入り浸っていそうなこの男が、全国チェーンの居酒屋でクリスマス・イヴを過ごすと言う。この男の場合、あまりに健全すぎて気味が悪いほどだ。
「……そう」
 釈然としない気持ちを抱えたままそう呟いた美香を、らしくもなく長話をしてから携帯を下ろした和正が見下ろしてきた。
「予定変更。ホテルに行くってよ。あの横断歩道を渡るぞ」
「えっ……」
 耳を疑ったが、疑いようもなく「ホテル」と聞こえた。
 和正が言う「ホテル」は、九割九分がたビジネスホテルでもリゾートホテルでもない。そして仲間内で集まっては――。
「まあ、おまえを連れて行くって言ったからな」
 至極当然そうに言う男が憎たらしい。どうせとんでもない遊びを思いつきでやるに決まっている。
 仕事日とは言え、聖誕祭を比較的真っ当に過ごせるかもしれないとなまじ期待し始めていただけに、落胆の度合いが大きかった。
 おそらくここで異を唱えても、聞き入れてくれないだろう。
(……いっそ電話に出なきゃ良かった。あとから叱られるにしたって。)
 すっかり滅入った美香の視界に、チラと映ったものがあった。
 何か白いものが、と思って見ると、いつからそこにあったのか、隣に大きな雪だるまがいるではないか。
 まるで絵本の中から抜け出して来たような赤いとんがり鼻、あれは人参だろうか。それから黒い円らな目、ちょっと垂れた眉に、斜めに笑う口。目鼻の位置がそれぞれちょっとずつずれていて、愛嬌がないこともない。そして今日という日らしく、サンタクロースの赤いつなぎを無理矢理のように着こんでいる。
 そんな雪だるまの置物をまじまじと見ていると、一人勝手に先を行って、ようやく美香がついて来ていないことに気付いたらしい和正が振り返った。
「おい、美紀、なにしてんだよ」
 雪だるまの姿から視線を無理矢理剥がした。
「ねえ、私って今日は和くんの恋人なの?」
「ああ? ……まあ。だったらどうした」
「これ。可愛いなって思って」
「は? それとこれとに何の関係が」
「これ、欲しいな」
「……は?」
 和正は何をおかしなことをと言わんばかりの顔をしたが、美香自身、おかしなことを言ったと思った。でも、言ってみたくなったのだ。この男の、和正の困る顔を見てみたい。
 だって、私はこんなに困っているのに。いつもいつも無理難題ばかり言って困らせて。それはもちろん、私は店の商品で、和正は客かもしれないけれど、今日は恋人役というのなら、ちょっとぐらい「恋人」の我が侭を聞いてくれたっていいじゃない。
「……ねえ、この雪だるま、買って」
「買えるかよ。これ、店のヤツだろ」
「あなただったら買えるでしょ」
「買えねぇよ」
 眉間に皺を寄せて頭を掻く和正が、普段とはちょっと違う風に見える。それがなんだか愉快だった。
 その時、
「……あの……」
 そう控えめに言ったのは、しかし、美香ではなかった。むろん和正でもない。
 反射的に声が聞こえた方を見ると、そこには例の雪だるまがいた。
「あの」
 今度はちゃんと聞こえた。雪だるまが喋った。少し高めの、女の声か男の声かはちょっとわからない、敢えて言うなら少年の声のようなそれだった。
「……やだ、これ置物じゃなくて着ぐるみだったの?」
「ほら見ろよ。店のヤツが入ってんじゃんよ。いいから、行くぞ」
 逃さない、とばかりに美香の肩に和正の手が回った。
 大きなサンタの雪だるま。こんなのを見ながら今夜を過ごせたら良かったのに。
 歩き出しながらも縋るように雪だるまを見て、美香は溜息をついた。
 バイバイ、と手を振ろうとした美香に、
「……これ、あげます……」
 雪だるまが棒のような手を差し出してきた。
「動いたっ!!」
「な、なんだよ、いきなりっ」
 思わず悲鳴のような大声を上げた美香の頭を、驚いたらしい和正がハタいた。
「うるせぇ! 当たり前だろ! 人が入ってんだから」
「違うの! 手が、手が動いてる! こんななのに!」
 上がり調子に「ああ?」と言って、和正は面倒くさそうに雪だるまを見た。
 その目が間を置かずに少しばかり見開かれる。
「なんだこれ」
 雪だるまの手は、胴体から突き出た枝のような細さの腕の先にあった。
 つまり、そこには人の腕は入っていないということだ。
 なのに、赤い手袋を嵌めた手先がまるで人間の手のように細やかに動いて、一枚の封筒をふたりへと差し出した。ゆっくりとした動きだった。
 なんだ良く出来てんじゃねぇか、などとは言いつつも、ほんの少し頬を強ばらせている和正を横目に、美香はその封筒を受け取った。白地に金の縁取りがついたきれいな封筒だった。
「……メリー・クリスマス……」
 雪だるまが小さく笑ったように見えたのは、気のせいだろうか。





「なんだったんだよ、それ」
 ホテルへと向かう道すがら、和正が仏頂面で美香の手元を見下ろしていた。
 不機嫌なのがありありとわかる。
 自分の行動に水を差されて、調子が狂ってしまったのが気に入らないのだろう。だが、今の和正には、怒り狂った時には必ず纏う、身の危険を覚えるような威圧感は感じない。
「ただの広告、にしては豪華よね」
 美香は歩きながら封筒を開いてみた。
 中にはカードが一枚。
 タイプライターで打ったような文字が歪みながら並んでいる。
「ええと……『あなた は よる の ゆうえんち に いって みたい と おもった こと は ありません か』……だって」
「……なんだ、この怪文書みたいなヤツ」
「……さあ。 でも、夜の遊園地かぁ。私はあるなぁ。小さい頃、閉園の音楽が哀しくて後ろに遠のいていく入場ゲートが寂しくて、あの機械仕掛けの動物たちはどんな風に眠るんだろうって思って、夜の遊園地にこっそり忍び込んでみたいって思ったこと、あった。和くんは行きたいと思ったこと、ない?」
「……あるわけねぇだろ」
「ホントに?」
「……ねぇよ」
「ホントのホントに?」
「……」
 押し黙ってしまった。
 きっとあるのだ。こんなサバンナに生きる夜行性の猛獣みたいな男にも子ども時代はあったのだから。
 仏頂面のまま、アスファルトの一点を見つめている和正の顔が、あろうことか可愛く見えた。
「あるんでしょ」
 美香がその顔を覗き込むと、和正はチラと横目を寄越した。
「……ないことも、ねぇけど」
 笑ってしまった。
「可愛い」
「うるせぇ」
 間髪入れず言ってきたが、今の美香には和正は怖くない。今日はなんて珍しいのだろう、この男が可愛らしく見える日だなんて。
「夜の遊園地、行ってみたいね」
「行きたくてもここらにねぇだろ」
 気まずげにそっぽを向いた和正が、「へ?」と、らしくない呟きを漏らした。
「おい、美紀!! これ、どうなってんだ!?」
 何が、と問い返そうとして、美香は我が目を疑った。
 早い日の入りに暗い青灰色に染まった夕空を隠していたのは、明かりの灯ったビル群だったはずだ。
 なのに、今目の前にあるのは、メリー・ゴーラウンドに、小さなバイキング船、コーヒーカップに、傘型に広がる枝のそれぞれの先に飛行機がついた乗り物だ。その向こうに見えるあれは観覧車だろうか。
「ありえねぇ……」
 和正の茫然とした呟きが聞こえたところからして、夢を見ているのではないらしいということがわかった。
「遊園地……みたい、ね。……夜の」
 遊具のどれもが暮色に染まって、辺りはしんと静まりかえっている。人の姿は無い。
「なんでいきなり遊園地なんだよ……。そりゃ、行ってみたいとか言ったかもしれねぇけど、だからって」
 そこまで言って、和正は、はっとしたように美香を見た。
「美紀、あの、さっきの封筒は?!」
 言われてバッグの中を探る。あった。白い金縁取りの封筒。
 それを奪うと、和正は手早く中身を取りだした。そして、沈黙が落ちた。
「……美紀、これ見ろよ。……あの雪ダルマの野郎、何者だったんだ……?」
 先ほど、不可解な文字が連ねられていたカードには、今、『ようこそ』という四文字だけが並んでいた。先ほどの文字はすべて消えていて、跡すらも見えない。
「……つまり、私たちが行きたいと言ったから、ここに来たってことなのかしら。それとも遊園地が私たちの方に来た、ということ……?」
「馬鹿言え。渋谷の街が遊園地に潰されたっていうのかよ。世界ニュースになる」
 ヘンなところで現実的なのが、和正らしい。
 ともかくも、理屈はまったく理解できないもののどうやら夜の遊園地に舞い込んだらしいというところまでは飲み込んだ美香だったが、だからといってこのあとどうすべきなのかわからない。もしも子どもの頃の自分だったら、歓声を上げて夜の遊園地の探検を始めていただろうか。困惑しているのは和正も同じようで、二人はその場に立ち尽くしたまま身動き出来ずにいた。
 と。
 どこからか、ごう、という音が聞こえた。
 何か、歯車が回り出すような軋むような音。低いモーター音のようで、不気味に聞こえるそれはだんだんと音量を増し。
 世界が白く弾けた。
 満場のカメラマンがフラッシュを一斉に焚いたかというほどの眩しさが目を焼いた。
「うわ!」
「きゃ!!」
 二人して悲鳴を上げる。
 揺らぎ立つ白い靄の中に浮かび上がった、極彩色の電飾に飾られたメリーゴーラウンド。色とりどりの照明の光を照りかえして、艶めく陶製の青毛の馬たちがゆったりと回りだす。と同時に、フルートとハープの音が織りなす郷愁誘うメロディが流れ出した。
「……うわ、これ、『だったん人の踊り』じゃない……?」
 お爺さまの書斎で聴いた曲だ、と思い出したのは美香だった。
 草原の遊牧民の舞踏を題材にした曲らしく、雄大な大地を思わせるさまにおおらかでありながら、一転しては勇ましく、時に激しく乱れ打つ足音や草地を駆ける蹄の音が聞こえてくるようなそれは、もはや遊具用のBGMというより、コンサートホールで聞いているような迫力だ。
「……すごい。クリスマスコンサートにいるみたい!」
 一方の和正は呆気にとられた様子で人を乗せずに回り続けているメリーゴーラウンドを見上げている。
 メリーゴーラウンドの隣で、コーヒーカップが滑るように回り出した。
 回る土台の上で、それぞれのコーヒーカップが右に左にと小回りに踊る。
『だったん人の踊り』の三拍子の調べに合わせてワルツを踊っているように見えるコーヒーカップたちの様子に、美香は手を叩いた。
「見て! 和くん、見て!! すっごーい! ほら、きれい!」
「……き、キレイっていうか……。……俺、おまえがすげぇと思う。なんでこんななのに怖くねぇんだよ……」
 和正の低い呻きが聞こえたが、美香は目の前の不思議な光景に夢中だった。
 いまやメリーゴーラウンドだけでなく、美香たちの足下からも、周りの遊具からも、敷地全体から立ちのぼりだした白い光気は、おとぎの国に漂う白い霧のように二人を包んでは離れ、戯れるように辺りを流れては、ゆったりと空へ空へと昇っていく。虹色にけぶった上弦の月が二人を見下ろしていた。
 美香、と誰かの呼ぶ声が聞こえた。
「え?」
 こっちこっち、と続く声に、美香は声の主を捜した。
「だれ?」
「あの上に、なんか、いる……」
 そう呟いて、メリーゴーラウンドの上を指さしたのは顔面蒼白の和正だった。
 黒馬の上でワイン色のワンピースのフリルが風になびいている。
 栗色の髪を手で押さえながら手を振る少女。
 手首に不思議な切れ目のある真っ白な手先が、美香と和正とをゆらゆらと手招いていた。
《美香……それにそちらの殿方。一緒に遊びましょ……》
 メリーゴーラウンドの曲に混ざって聞こえる、不思議な声音だった。鈴を鳴らしているような、そうまるで楽器の音のような。
「美香、出たぞ! 幽霊だ!! 逃げるぞ!」
 血相を変えた和正ががっちりと美香の肩を掴んだ。
「ええ? 何言ってるの、幽霊なんかじゃないわよ。だって私、なんだかあの子を見たことある気がする」
「それを幽霊って言うんじゃないのかよ! おまえの死んだ姉さんとか、死んだ妹とか、死んだばあちゃんの若い頃とか……!」
「私の家系に外人いないもの」
 だったらカツラ被って出てンじゃないのか、などと言い出したところからしていい加減パニックに陥っているらしい和正の腕を、美香は逆に引っ張りだした。
「ほら、こんなのってめったにないわよ! 一緒に乗りましょうよ!」
「いや、マジ勘弁……」
 和正の唸りを余所に、優しげな曲線を描いた馬車引く馬が、美香たちの前で静かに止まった。
 背中に棒でも入れたようになかば硬直している和正の背をぐいぐいと押して馬車に乗り込ませる。
 冷や汗なのか脂汗なのか、額を光らせて目をかたく瞑っている和正の頬を、ツンとつついてやった。
「……オトコのくせに臆病モノ」
 普段であれば、冗談であれ、口が裂けても言えない台詞だ。
 和正は眉間に皺を刻んだまま片目を開けて美香を見た。苦々しげではあるが、反論する気力もないらしい。すぐにその目を固く瞑った。
 ガクン、と床板を突き上げるような小さな衝撃のあと、馬車は静かに動き出した。
 上へ下へと波を描くように上下する馬車の中で揺れながら、美香は窓の外に流れていく景色を眺めた。
「ほら、窓から見るともっときれいよ? 向こうにお城もあるわ。シンデレラ城みたい。もう、和くんてば、もったいないなぁ」
 見れば和正は座席の背もたれにぴったりと背中を押しつけて足を踏ん張っている。
「……和くんって、ひょっとしてオバケとかダメだったの?」
「……」
 返事はない。
 だが、その姿勢の力み具合が返事をしているようなものである。
 意外な一面を見た。というより、今日は和正の意外すぎる面ばかりを見ている気がする。そんなことを考えていた美香の耳に、ふと、声が聞こえた。
《美香、……会えて、嬉しい》
 窓の外で白馬の背に腰を掛けた柔和な面差しの少女が手を伸べていた。
 すべらかな額もうっすらと桃色に染まった頬も、人のものではないと見ただけでわかる。どちらかといえば、少女を乗せる馬たちの質感に近いものを感じる少女の姿だった。
 窓辺から身を乗り出して、駆ける馬の動きと一緒に上がり下がりする少女の手を取った。木か何かで出来たように固い手と指。
「あなた、私の名前を知っているのね?」
《ええ、クリュティエ、よ……》
「クリュティエ?」
 美香は首を傾げる。
「クリュティエ……。ええと、どこかで会ったことがあると思うんだけど、どこだったかしら?」
 少女はたのしげに笑うだけだ。
《……それより美香、そちらの殿方も一緒に、向こうに参りましょ……》
「俺、いかねぇぞ! 向こうってどこだよ……三途の川かよ……」
小声で呟きながら和正が頭を抱えているところからすると、少女の声は彼にも聞こえるらしい。
「あの世なんてわけないじゃない」
 震えているようにも見える和正の背中をばしんと叩いてみたが、「あの世なはずがない」と言い切れる根拠は実のところ、美香にはなかった。
 ただ、たのしいのだ。この世のものではなさそうな光景が広がっていて、とってもおかしなことが起きているけれど、そんな今、まぎれもなくたのしい。不思議と、危険だ、という感覚はなかった。
「和くん、次はコーヒーカップだって」
「……え、うわぁ! 浮いてる浮いてる!!」
 クリュティエと名乗った人形がふわりと馬車の上の宙に浮いていた。
 美香もクリュティエのもう片方の手を握って窓の外に浮かんでいる。そして和正の身体も馬車のまどからスルリと抜け出るところだった。
「おい、幽霊! 絶対俺を離すなよ!!」
「幽霊じゃなくて、この子クリュティエって名前なんだって」
「浮いてりゃみんな幽霊だ!」
 喚いている和正と歓声を上げている美香の腕を引き、クリュティエはふわりと駆ける馬の間を縫って飛ぶ。
 メリーゴーラウンドの柵を見下ろしながら飛び越える。
 地面に足は着いていないのに、柔らかな何かに身体を支えられているようで、美香は少しも不安を感じなかった。
 三人は回るコーヒーカップの中に音もなく飛び降りた。
「……俺、酔った。下ろして。吐く」
 飛び移って早々に、和正が音を上げた。
「せっかく乗ったのに」
 不満げに文句を言うと、傍らでクリュティエが首を傾げた。
《じゃあ、コーヒーカップはやめて、ジェットコースターにいきましょうか》
「それも勘弁!」
 色を無くした和正が人形の肩を掴んでぐらぐらと揺らした。
「……うっ」
 本気でえづいたらしい和正と美香の手を取り、ふわりと浮かび上がる。遅れて二人も宙に浮き上がった。
「ねえ、クリュティエ、私、観覧車に乗りたい。そうしたら和くんも少しは休めると思うし。どう?」
《ええ、それはいい考えですわ》
「……俺は地面の上で休みたい」
 和正が死んだような声で呟く。
 だが、クリュティエはそんな和正の呟きを意にも介さず、観覧車へと飛んでいく。美香にしてみれば、寒風が頬を切るとはいえ、風を切って飛べるのは「はやーい! きもちいーい!」なのだが、和正にしてみれば堪ったものではないらしい。
うおおおお、と野太い悲鳴を上げる和正に、しかし、クリュティエは一切の容赦が無かった。
 赤から紫、紫から青、青から緑へと刻々と身を飾る照明の色を変えていく観覧車。そのゴンドラの中に、しかし三人はいなかった。
 三人が降り立ったのは観覧車のゴンドラの上だった。
 和正はもう一声も発さない。
 だが、クリュティエの手をしっかり握っているところを見ると、気を失ってはいないようだ。
 ゆらり、ゆらりと揺れるゴンドラの上から見下ろす下界は、白く漂う靄を透かして、いったいどこのものなのか家々と街の灯りが星雲の中の星屑のように散っていて美しかった。凍りそうなほどに冷えたゴンドラの上に腰を下ろして夜空を見上げると、真珠色した月から零れる月光が、微細な光の粉となって降ってくるように見えた。
そしてそれは気のせいではなかった。
 ダイヤモンドダストのようにきらりきらりと細やかに輝く光の粉は。
「……あ、雪だ……」
 美香の傍らでクリュティエが両手を広げた。
《……美香……》
 クリュティエが片手に細長い棒を握っていた。
 棒の先で、見覚えのある赤い手袋の指先がひらひらと踊っているのを美香は見た。



■元旦の朝■

 大晦日の、しん、とした静けさから、寒ささえ爽やかに感じる一月一日の早朝。
 美香はベッドの中で目を覚ました。
 大晦日の夜から初詣に出掛けてみようかなどとも思っていたのだが、計画倒れに終わった始末だ。
 あの不思議なクリスマスの夜からいったい何日が経っただろうか。
 それほど経ってもいないはずなのに、十年前のことのように感じたり、それでいてみた光景が鮮やかに蘇ったりもする。
 本当に不思議な夜だった。あのあと、雪が降ってきた、と思ったら、街に戻っていた。
 クリスマスの夜の街は相変わらず人で賑わっていて、幻を見たのかと思ったが、隣にはぐったりと座り込んでいる和正がいた。
 和正はそのあと「具合が悪い」という一言を残し、一人で帰って行ったが……。
 不意に枕元で携帯が震えた。
 アラームは昨夜切ったから、それの音ではない。メールのようだ。
「……誰かしら」
 まだ動きの鈍い身体を目覚めさせてやろうと努めながら、メール画面を開いた。


 送信者:國井和正
 件 名:謹賀新年
 本 文:明けましておめでとう。この間の俺は見なかったことにしてくれると嬉しい。他言無用。今度奢る。頼む。


 一見して美香は噴き出してしまった。
 和正から新年の挨拶が来るのは初めてだったが、もちろん、このメールの目的が新年の挨拶などでないことぐらいはわかっている。先日美香の前でさんざん不様な姿を見せたことを、あとから悶死しそうなほど後悔したに違いないのだ。
 口止めするための「今度奢る」なのだろう。最後の二文字には必死具合が滲み出している。
「なーにを奢ってもらおっかなぁ」
 思わず口調も弾んでしまう。
「和くんのウィークポイント見つけたり」
 今度和正が我が侭を言ったら、このネタをこっそり耳元に囁いてやろう。きっと当分は凌げるはずだ。
「可愛いところもあるじゃない?」
 和正の必死な顔が目に浮かぶような短い文面を繰り返し読みながら、携帯に向かって笑いかけたのだった。





<了>



<登場人物>―――――――――――――


6855 深沢美香 女性 20歳 ソープ嬢
7002 國井和正 男性 23歳 大学生

NPC5310 クリュティエ 女性 ?歳 オルゴール人形


―――――――――――<ライターより>

まずはご参加くださいまして、誠にありがとうございました。
コメディをご希望ということでしたが、本当にコメディに
なったのかどうか…今ひとつ不安な工藤です。
「和正さんは、普段はドS!」と思い込んだわたくしがおりまして、
前半は野獣のような和正さん像になってしまいました。
そして後半は打って変わっての(略)。
そして美香さんの方も、いつもの物静かで控えめな美香さんという枠を
今回は少し取っ払ってアグレッシブな美香さんを書いてみた、つもりですが、
当初は和正さんサイドと美香サイドで別個に分けようと思っていたのですが、纏めてしまいました。すみません。また、クリスマスどころがお正月明けになってしまいました。たいへんお待たせいたしました。
あらためまして、本当にどうもありがとうございました。