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<東京怪談ノベル(シングル)>


気の弱いハーピーさん



 十二月。
 東京ではまだ雪とは無縁だけど、早朝と夜は冷え込む時期。
(こんな日はやっぱり温かいものが食べたくなるなあ)
 ……目の前にはグツグツと食欲をそそる音を立てている鍋と、生徒さんたち。
 生徒さんったら、わざわざ鍋からあたしのお椀によそってくれて。
「いただきま〜す」
 深めで大きめのお椀をしっかりと翼で抱いて、嘴を中に突っ込む。
 ――ちょっとだけ嘴の先を開いて、と。
 しばしの格闘……後。
「あ、春菊ですね」
「白菜も入れたの。わかる?」
「ん……もぐもぐ……。まだ口の中に入っていないみたいです」
 あたしはもう一回嘴をお椀に沈める。子供が初めて水中に潜るときみたいに、目を閉じて。
「ゆっくりでいいから、探してみてね。あとね、鶏肉の代わりに小さく切った豚肉も入れたの。だって、鶏肉だと共食いみたいで嫌よね?」
 はぐはぐ、
 と嘴を動かしていたあたしは、お椀から顔をあげて生徒さんを見た。自分の今の姿を頭の中で思い浮かべて、それからどう答えようかとモジモジして―― 一言だけ返す。
「…………ちょっとだけ、です」


 何でこんな状況になっているかと言うと、勿論“いつものアルバイトを引き受けたから”だ。
 でも、いつもと違うところもある。電話がかかってきた段階で「何になるか」を教えてもらっていたのだ。
 今回は“ハーピー”。生徒さんの発音で言うと「はぁぴぃ」だそうだ。
 はぁぴぃは、あたしも聞いたことがある。人間と鳥が合体したような形をしていたと思う。受話器の向こうからは「人間であり人間でなく、鳥であり鳥でない、だけど重要なのは、同時にその両方でもあるものであるということなの」という言葉が聞こえた。
 両方であるというのは、最近やったカバさんやクマさんとは対照的に、人間的な行動がある程度出来るということでもあって。
(そういうのって、久しぶり)
 事前に教えてもらったお陰で妙に安心感があるというか、不安になるよりワクワクするというか。
(それに翼がつくんだもん)
 小さい頃に憧れた天使のものとは全然違うけど、空を飛べない者にとって翼は特別なもの。たとえそれが見かけだけでも。
 前に羽が生えたことはあるけど、あれとはシチュエーションが異なる。やっぱり事前に“わかっている”ということは大事なのだ。
(はぁぴぃ、どんな感じになるのかなあ)
 ――せっかくのアルバイトなんだし、楽しみに思うことがあった方がいいよね?
 当日には予定より早く起きて、生徒さんたちに会いに行った。足どりだって、いつもよりちょっぴり軽やかに。

「おはようございますっ。今回も宜しくお願いします」
「みなもちゃんおはよう! 外は寒いのに元気ね」
 そう言う生徒さんも明るくて元気そう。
「最初に今回の予定のおさらいをしましょうね。今から“はぁぴぃ”メイクをして……昼すぎには終わるから、そしたら今日一日は私たちに観察させてね。校内に寝室を作っておいたから、一緒に泊まりましょう。翌日の朝になったらメイクを取って、帰りましょうね」
「はい。わかりました」
「ふふ、良いお返事ね。今日はいつもより楽しい?」
「はい。えへへ。でも生徒さんの方が楽しそうに見えますよ」
「私たちは毎回楽しいもの」
 胸を張る生徒さん。確かにそうかも。
 ……生徒さんたちは自信満々なままだけど、あたしは服を脱ぎ始めるときはさすがに緊張してしまう。
 今日の生徒さんの掌は熱いくらい体温が高くなっていて、腕を触られるとジンジンしそうだ。自分の胸の鼓動がドキドキと響く。
「鳥肌が立ってる。寒い?」
「い、いえ……」
「さあ、腕を翼にしましょうね」
 生徒さんの声が綿菓子みたいに柔らかく耳に入ってくるから、あたしはなるべく身体を動かさないようにして生徒さんに全てを任せることにした。


 翼は茶色と言うより、すごく黒に近い色をしている。羽が一本一本、ギュウっと詰まっていて面白い。鷲の羽から作っているらしくて、羽の先を触ると硬い。
 この翼は一つの塊として出来上がっている訳ではない。複数のパーツに分かれている。あたしの腕を芯にしてパーツを組み合わせてつけていくのだ。翼は人間の形をしたあたしに合わせてとても大きなものだから、剥がれやすい。パーツに分けることによって、腕にしっかりと接着出来るそうだ。
 右腕にだけ付け終わってみると……意外と重い。
(羽毛布団なんてすっごく軽いのに)
 鷲だし、ね。イメージから受ける印象もあるのかもしれない。
 左腕も同じように。生徒さんたちは慣れたもので両腕でも時間はそうかからなかった。
「今、どんな感じ?」
「うーん、利き腕じゃない方がよりだるい感じがします」
「ホント? 筋肉の発達が微妙に違うのかしら。興味深いわ」
 生徒さん、手帳に書き込んでいる。こういうことは、実際にメイクをしてみないとわからないことだものね。
 次に植毛。これはあたしがリクエストしたせいでもある。だって、他の場所を優先すると肌が出たままで恥ずかしいし、寒いから……。
 翼を広げて立って、生徒さんたちがあたしを取り囲むようにして植毛をしてくれる。植毛と言っても、羽のこと。腕の翼と色は同じだけどサイズはずっと小さくてフワフワしている。このフワフワさが暖かそうでもあるんだけど、肌をムズムズとくすぐってくる難点でもある。
 くすくす、くすくす。
 見ると生徒さんたちも指が羽にくすぐられているのか、笑い声をかみ殺している。笑いって伝染するものだから、余計に辛くなってきた。
(あたしも痒くてしょうがないよぉ……)
 でも我慢、我慢。あたしが笑っていると、メイクのミスを誘発してしまう恐れがあるのだから。
 この羽は何重何百何千と重なりあってあたしの肌を守ってくれている。本当は胸まで羽で覆うことはないけれど、寒さと、メイクの前の恥ずかしさを隠すためにやってくれているのだろう。
 腰とお尻のあたりでは、黒っぽい羽の下に白い羽を忍ばせている。お尻にはかなりのボリュームが出た。見た目も黒と白でメリハリがある。チャームポイントはお尻の羽で、これは特別長くて細い羽を使っている。
「鏡で確認してみましょうね。どうかしら?」
「インコさんみたいなシッポ(に見える羽)ですね。可愛い……」
「ふふ。可愛いのはみなもちゃんでしょう?」
「え?」
 と我に返るあたし。お尻をフリフリして観察しているのを生徒さんに笑われてしまったみたいだ。
 ――気を取り直して、足の指に鉤爪をつけてもらう。この爪はカーブが深くて、長さは強調されていない。きっと、足の指を痛めたりしないためなんだと思う。本物の爪だって、伸びすぎるとふいに剥がれたりして指を傷つけることがあるもの。
 ここでひとつオマケも追加された。翼の端っこ――つまりあたし自身の指のところにも鉤爪をつけられたのだ。こちらはカーブは緩く、長さも五本の爪が合わさるくらい。翼はあたしの指を三角形の頂点として、そこから下がる形でもう少し続いているから、爪は羽でスッポリと隠れるようになっている。生徒さんたちの「手が全く使い物にならないと、いざというとき不便でしょう」という心遣いだ。
 そして最後に嘴。鳥のトレードマークだ。カポリと口に嵌めて、内側からあの粘土素材で固定する。クマさんのときと違って、顔には獣の毛がないからだ。生徒さんたちはクマさんのメイクの経験を踏まえていて、あたしの口と嘴が連動して動くようにギミックが噛ましてあった。これで嘴がパカパカ開閉出来る。
「あ、い、う、え、お、あ、お」
 うん、ちゃんと喋れる。
 ただ気をつけないといけないのは、今回ギミックは嘴の根本のところと先っぽの両方にそれぞれついているということ。口を開ける力を弱めることによって、嘴の先だけを開けることが出来るようになっているのだ。結構、難しい……。どうしてこんな仕組みになっているんだろう、とこのときは疑問に感じたんだけど……。
 とにかく、メイクもひと段落。全身の映る鏡で全体を見せてもらった。
 顔は嘴以外あたしのまま。二足歩行だから人間のような動きも出来る。でも翼がついていたり、足には鉤爪がついているから完全な人間としての暮らしは無理で――即ち鳥のようである。
 ハーピーって獰猛なイメージがあったけど、これは生徒さんたち作の“はぁぴぃ”だからかな、もっと可愛らしい感じがした。
 ――やっぱり“しっぽ”がポイントなんだと思うなあ。
 生徒さんたちの予定通り、時間はお昼すぎ。
 はぁぴぃ生活の幕開け、です。


「お腹空いたでしょう? ご飯食べないとね」
「はい。いただきます」
 生徒さんの言葉にあたしは頷いた。以前からの経験で、食事が大事な“観察”の一つなのは分かっているから。お腹も空いているのは本当だし、ここは遠慮しないでいただいちゃおう。
 最初に目の前に置かれたのはお茶の入った湯のみ。
(翼で掴めるのかな?)
 バサ、と出来るだけ静かに翼を動かして、抱きかかえるようにして湯のみを持つ。
 ……ぐらぐら、ぐらぐら……
 何とか五秒間抱くことに成功し、机の上に慌てて戻す。もう少しで溢しちゃいそうだった!
「入れ物が小さすぎたのかしら。もっと大きなものに変える工夫をした方がいいかもしれないわね」
 と、生徒さんは手帳に細かくメモしている。
 その間、あたしは湯のみに嘴を突っ込んで、お茶を飲めるか試してみた。
 というか、嘴を入れるだけなんだからきっと飲めるはず――と考えての行動だったのに。
 嘴を開けた後、オロオロ。
(の、飲めない……!)
 吸い込んでも吸い込んでもお茶が口の中に入ってこない。代わりに、空気を飲みすぎてクラクラした。
 これは……嘴が根本から開いているせいだと思う。裂けたストローでドリンクを飲もうとしているのと同じ状態なのだ。
(あ、そっかあ。だからギミックが二つ……)
 もう一回チャレンジ。今度は嘴を湯のみに入れると、そぉ〜っと嘴を開いてみた。よしよし、今度は大丈夫。息を吸い込んだ。
 ……嘴の幅が広いから、飲めなくて酸欠ふたたび。
(こ、懲りないもんっ)
 今度はある程度まで吸い込んだ後、嘴を閉じて一気に引き上げ、顔を上へ向けた。これでやっとお茶が口に――、
「熱っ……!!!!!」
「!! 大変!」
 生徒さんが素早く水を飲ませてくれた。
「ごめんなさい。そうよね、本物の嘴じゃないんだから温度がわからないよね。淹れたてのものなんて危ないわよね……」
「いえ、そんな……気にしないでください。あたし、大丈夫ですから」
 今回は生徒さんたちの想像出来ない問題もあるみたい。でもそれに気づいてもらうことも、あたしのアルバイトの内容に入っている。その意味で、あたしも役に立っているのかなって思えるからちょっと嬉しい気もして。変かな?
「でね、はぁぴぃみなもちゃんなら何が食べられるのか考えてみたんだけど……。これなんてどうかしら。翼の鉤爪で持ってみてくれない?」
 目の前に出されたのは、おにぎり。小さめに握ってあって、鉤爪で持ちやすそう。海苔が巻いてあるから、崩れにくそうだし。
 お皿の上においてあるおにぎりを、ひとつ持ち上げる。
 ――クレーンゲームみたいだなあ……。
 予想通り、海苔のお陰で型崩れしにくい気がする。ご飯粒が鉤爪につくこともないし、これならいける。ただ指を操作しているようでいて、実際には指よりズレた位置にある鉤爪が動くというのには違和感を覚えた。ぎこちないのは否めない。
 嘴を大きく開けて顔を上へ向けて、おにぎりを口の中に流し込む。あたしの本物の口に入ってようやく噛むことが出来た。おにぎりが小さくて助かったと思う。口に運ぶ前にちぎる訳にはいかないから。そんなことしたら、崩れて掴めなくなっちゃうもん。

 食事の後は校舎の中を移動してみた。
 足の鉤爪が長すぎるのか、かかとから着地しても歩き辛い――というか痛いから、生徒さんがその場で鉤爪を削ってくれた。これで大分歩きやすくなった。
 お尻が重い気もするけど、転んでしまう程ではない。二足歩行の重心の取り方には慣れているから、歩くのに全く問題のないレベルだと思う。
(でも、鳥としてはどうなのかなあ……)
 ちらり、と窓を見る。
 外にはスズメが何羽かいて、土を突いている。やがて茶色くてフワフワの羽を広げて空へと飛び立っていくのが見える。
 ――あんな風に飛べたら。
(一体どんな気持ちになるのかな?)
 腕を上下に振って、風を受ける感じだけでも味わおうと試みる。
 すると生徒さんから、こんな言葉が。
「それ、いいわね。翼の耐久性が見たいからやってみましょう」
「?」
 困惑するも、あたしは校庭に連れてこられた。
「誰も見てないわ。さあ、みなもちゃん翼を広げて歩いてみて」
 言われた通りにしてみる。
 てく……てく……てく。歩く分には全然問題を感じない。
「じゃあ、早歩きしてみて」
 てくてくてくてくてく。翼に風が当たってくる。
「徐々にスピードを上げて!」
 あたし、凧揚げの凧になったみたい。顔にも感じ始めた風だけど、翼の方がひどい。
 もげてしまいそう!
 小走りが限界で、走るまでは出来なかった。
「ありがとう、凄く参考になったわ」
「それなら良かったです! 次はどうしますか?」
「喉が渇いたでしょう? 室内に戻ってドリンクを飲みましょう。今度は大きな入れ物でね。それから口で体温を測らせて欲しいの」
「はい」
 生徒さんたちとあたしは、てくてくと歩きながら教室へ戻った。今日はメイクに始まって、やることがいっぱいみたいだ。


 時間はあっという間に流れていって、気が付けばもう日が沈んでいた。
 窓の外から見える景色は寒そうで、こんな日は温かいものが食べたくなる。生徒さんたちも同じ考えだったみたいで、みんなで鍋をつついた。……実際、あたしは文字通りつついている。
「……白菜見つけました! 味が浸み込んでて美味しいです〜」
「白菜ってダイエットにも良いって言うものね。じゃんじゃん食べちゃいましょう!」
「くすくす。でも確かに食べ過ぎちゃいそうですね」
 あたしは緩やかなペースだけど、何とか食事を終えることが出来た。昼食のときよりは上手に出来たし、生徒さんたちとの会話も弾んだ。
「ごちそうさまでした。あとはもう……終わりですか?」
「ううん、もう一つだけイベントが残っているわ。耐寒性のね」
「たいかん……あっ、寒さ対策で羽をいっぱいつけてくださったんですよね?」
「そうそう。だから最後にもう一度だけ外に出ましょうよ」
「はい。校庭ですね」
 立ち上がろうとしたあたしを制して、生徒さんは言葉を被せてきた。
「みなもちゃん、今の時期ってクリスマスなのよねえ」
「? はい。イルミネーションが綺麗ですよね」
 と、あたしはここまで言ってから、生徒さんの笑顔を見てギクウッとした。
 笑顔に“ギクウッ”とするなんて変なんだけど――ううん、この場合すごぉく自然なことかもしれないんだけど――とにかく、嫌な予感がした。
「せっかく外に出るんだもの、見に行きましょ? ね、みなもちゃん……」


 道すがら生徒さんたちが言っていた通り、まるでアートのようなイルミネーションの数々を堪能出来る場所が近くにあった。
 だけど……今のあたしには……。
「綺麗よね〜」
「全然頭に入ってこないです……」
 だって、周りの人の視線はイルミネーションじゃなくてあたしに注がれているんだもん。あたし、わかるんだもん……。真正面や横はおろか、背中にまで視線を感じるんだもん……。
「心配しなくても大丈夫よ。みんなどこかのクリスマスイベントの仮装としか思っていないから」
「でもでも……ぁ…………」
「恥ずかしがらないの。ほら、歌でも歌いましょ。でないと誤魔化せないもの。これはイベント、イベント。ね?」
「………………」
「Jingle bells♪ Jngle bells♪ ほら、ね?」
「じ、じんぐる おーる ざ ……ふぇ……」
「みなもちゃん、涙ぐまないの……」
 ――フワリと胸の羽が揺れる。
 風が吹けば、翼にだけ空を感じる。人間には飛べない空を。
 あたたかくて、心地よくて。
 ――ええい、もう、ヤケになっちゃう。
「Jingle bells♪ Jngle bells♪」
「Jingle all the way♪」


 ――今夜見る夢には、きっと空を飛ぶ鳥が出てくるだろうなぁ。



終。