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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


轢かれたマネキン人形
あるいは、とある日に見た夢の話






 隣の運転席でハンドルを握っていた草間武彦が、「ねー」とか何か、のんびりとした声を出した。
 車は、周りを工場地帯に囲まれた、二車線の道路を走っている。表通りではないからか、それとも今日が休日だからか、車道に、他の車の姿はなかった。
 窓の外を、錆びた板金塗装屋の看板や何かが、後方へと、流れて行く。活気のないスプリング工場の姿が見え、そう思ったらもう、通り過ぎていた。
 内浦は、ねーと覇気なく呼びかけられたからには、はーとか何か、油断した感じで相槌を打った。
「一生のうちでさー」と、草間が続ける。
 はい、とか何か答えつつも、はー今ここで「一生」ですかー、とか、ちょっと思った。
「一生のうちでさー、夢って見ない人、居るかなあ」
 草間は前方を見ながらそう続けた。
「はあそうですね、どうでしょうかね」
「いや、いないでしょ」
 素早い否定が帰ってくる。あ、人に聞いといて、自分で否定するんですね、と、内浦は、ちょっとびっくりして、草間を見た。
「なに」
「いや、別に」
「別にって、今、ちら、と見たよね」
「すいません、何か、びっくりしたもんで」
「だいたいさ、夢を見ない人が居るかな、って聞いてさ、どうでしょうかーとか、どうしてそんな曖昧な返事をしたのか全然分かんないよね。あれでしょ、どうせいい加減に聞いてたんでしょ、人の話」
「でも夢って言われたら、眠った時に見る夢もありますけど、目を開けてみる夢とかいう奴もあるんで、そっちだったらまあ、見ない人もいるかなって、思っちゃいますよね、何か」
 同意を求めるようにその横顔を見る。暫くして、え、何見てんの、みたいな顔で振り返った草間は、「え、いや。知らんけどさ」と、物凄い興味ないみたいな返事をした。
 車内が、一瞬、静かになる。
「あれ? 夢の話なんじゃないんですか」
「だって夢とか言っても俺がしたかったのはそんな話じゃないし」
「はー、でも会話ってそんなもんですよね、たまに自分が全然意図してない返事だって返ってきますよね、それをいや知らんけどさ、って、乱暴に過ぎませんか」
「うん」
 ハンドルを握りながら草間は何か、ちょっと落ち込み気味に頷いた。
 いろいろ反抗的な事を言い返したわりには特にこだわりなんてなかった内浦は、このまま反省とかされたらどうしようかな、面倒臭いな、関わりたくないな、と、思った。
 そこへきて「俺がね」とか、彼が更に続けるので、いやもういいですよ、とか遮ろうとしたら、それよりほんの少しだけ早く「今朝見た夢では、俺が何か、ギャングっていうかスパイっていうか、そういうのんになってたのね」と続いたので、おっと、と言葉を飲み込んだ。
 その分返事が出遅れて、一拍開いた感じの「はー」を、やっと、言った。
「はー、そうですか」
 凄い緊迫した場面で敵の動向を窺ってたけど、もう大丈夫みたいですよ、モールス信号の解釈間違いです、みたいな気分で、内浦はまた、窓の外を見た。
「それでそれが凄い夢だったもんで、朝起きた瞬間は、今日一番に出会った奴に絶対喋ってやる、とか思ってたんだけど、今喋ろうとしてみたらそうでもないかなって、所詮は夢だし、そういうことに気づく時って、何でこんな残念な気分になるんだろう」
 喋っているうちに、どんどんその残念な気分とかいうやつになっていくようで、草間は最終的には何か、首の上に重い物が積まれたかのように、俯いた。
「どうでもいいけど、朝刊を配達するバイクの音って何であんなに煩いわけ」
 それで最後に、物凄いどうでも良いことを、言った。
「くさまたさん」
「内浦君、切るとこ間違ってるよ。俺は、草間、武彦」
「草間さん」
「うん」
「前見て運転しないと危ないと思います」
 とりあえず、どうでも良いことは、どうでも良いので、内浦は、今必要なことだけを、言った。
「だよね」
 と、草間が顔を上げ、前を見た。だから内浦も何となく、前を見た。あーマネキン工場だー、とか思ってたら、「わー」とか隣の草間が、面倒臭そうな、残念な物を見たような声を上げたので、え、と視線をずらした。その直後、どん、とか何かが、車体にぶつかり、数メートル前方に飛んで行った。
「えっ」
「うわー、何か、轢いたなこれ」
「人じゃなかったですかっていうか、いや人ですよねあれ」
 んーとか面倒臭そうに呻いた草間が、車を停車させ、サイドブレーキを引く。ドアから外へ出て行った。それから、前方に寝そべってる人らしき形の物に駆けよって、それからまただーっとこちらへ駆けてきて、「内浦くん、来て、ちょっと、来てみて」と、珍しくテンションを上げて、窓を叩いた。
「いや、いいです」
「ちが、ちょ、本当、来て」
「いやいいです、僕はいいです」
 誰が好んで人の轢死体など見たいものか。いやだ、絶対見たくない。とか、思うのに、草間はもうドアを開けていて、どんどんと内浦を引きずって行く。
「これ、見て」
「ちがもう本当にヤですって、え? 何これマネキンですね」
「そう、マネキンなんだよ」
「うそ、何で」
「そう今、歩いてきたよね、コイツ」
 何が嬉しいのか、何か凄い笑いながら、草間が、言った。
 うわー何だコイツ笑ってるよー、とか、確実にそういう目をしてその顔を見たけれど、内浦は特に、何も言わないでおいた。



「とかいうことがあったらしいよ、草間武彦が言ってたけど」
 運転席でハンドルを握る兎月原正嗣が、言った。
 助手席に座る歌川百合子は、とりあえず、「ふうん」とか、気のない相槌を打った。
 そのまま車内がしんとしてしまったので、あんまりにも素っ気なかったかな、とか、ちょっと不安になり、「ああ、そうなんだ」とか、何の意味もないような言葉を呟いて、間を埋める。数秒の間があってから、えっ、と、驚いたような表情を浮かべ、兎月原が、百合子を、見た。
「なによ、前見ないと危ないって」
「いや、信用したの」
「何、マネキンが歩いてきて轢かれたんでしょ」
「いや轢かれたんでしょ、って、え? 信用するの?」
「まあ、世の中には不思議なこともいっぱいあるから」
「あるから?」
「まあ、あり得るかな、と」
「いやないでしょ」
 兎月原がすぐさま、否定する。その顔を暫し、見つめて、「まあ、ないかも」と、百合子はいい加減に首肯した。
「どっちだよ」と、兎月原が笑う。
「まあ、基本的には、どっちでも良い話だよね」と窓の外を見た。
 車は、なだらかな山道を、上へ上へと昇って行く。
 進んでいくにつれ、道幅は狭くなり、周囲を覆う木々の数が増していた。
「どっちでもいいっていうか、どうでも良いっていうか。マネキン人形が轢かれようが轢かれまいが、どっちでもいいよ、あたしには関係ないし」
「百合子のそういうおおらかなところ、好きだよ」
「でも本当だったら、草間武彦もあれだよね、凄いよね」
「嘘でも凄いよね。だってこう、どういうあれでそんな嘘つこうと思うのか想像つかないもん」
「うん」
 百合子は笑って、頷く。「嘘にしては、嘘っぽ過ぎるし、本当だとしても、嘘っぽ過ぎるし」
「あんな嘘臭い話を平然と出来る男は、草間武彦しかいないね」
「でもさ」
 ふと思いつき、口調を変える。「そんな事よりあたしが気になるのは、兎月原さんがどういう顔してそんな話を聞いてるかって、そこだよ」
「え」
 兎月原は少しだけ笑うように唇を歪め、「どういう顔って」と、続ける。「そうね、マネキン人形が歩いてきて、轢いちゃったんだけど、とか言われて、へえ、とか。あーそうなんだー、みたいな。百合子がさっき言ったのと、そんな変わらない感じだよ」
「世間話、聞き流しましたね、みたいな雰囲気なんだ?」
「みたいな雰囲気だよね」
「兎月原さんと草間武彦がどんな顔して、マネキンがーとか言ってるのかとか、想像できないんだけど」
「想像しなくていいよ、そんなこと」
「絶対二人で居てそんな話にならなさそうなイメージがあるんだよね。二人ともいい歳の男なのに。一体、何喋ってんのさ」
「何って」
 前を見たまま、兎月原が言う。「他愛もない世間話だよ。仕事の話とか経済の話とか、政権交代とか、そういう話だよ」
 百合子は、胡散臭いものを見るような目で、兎月原のことをじろじろと見詰め、二人が、まさしく二人で話をしている光景を想像してみる。二人が幼馴染であるということは知っていたし、ちょくちょく会っているらしい、ということも分かっているのだけれど、いつも、その光景を想像しようとしてみると、何となく、上手くいかない。
 なあ草間、今度の首相どう思う? だとか、新聞紙を広げながら兎月原さんが言って、そうだねーだとか草間武彦が煙草の煙を吐き出しながら言っている感じくらいは、何となく、想像がつくけれど、そこには「マネキン」という単語がどう頑張っても出てこない。経済の話がどうの、とか言っているところに、マネキンが、って出てきたら、むしろ、え? マネキン? ってなりますよね、とか、思う。
「謎だわ」
 百合子は呟く。「っていうか、草間武彦が謎だわ」
 そもそも、兎月原を介して知り合った興信所の所長、草間武彦は、何を考えているのか良く分からないところがあり、普通の顔で意味不明なことを言ったりするようなところもあり、そんな難解な人物を理解できるほど、一緒にいる時間があるわけでもないので、未だに得体の知れない人だ、というイメージがあった。
 あの人、ストーカーだし、とか以前に兎月原から聞いた時も、いやあの人はストーカーに向かないんじゃないか、ストーカーをするには根性とか根気とか足りない人なのではないか、と思ったし、ああ見えてしつこいんだよ、と教えられても、しつこくするくらいならビルの屋上から飛び降りた方がましだ、とか言いそうな気がすると思ったくらいだった。
 兎月原にしたって、本当のところは何を考えているのか良く分からない部分があり、そういう意味では共通するのかもしれないけれど、謎な二人が仲良くしているところなんて、謎の二乗というか、もう本当に謎の中の謎だった。
「でもさ」
 と、兎月原が、じろじろと自分を見てくる百合子をちら、と見下ろし、話を変えようとするような口調で、言う。
「でも、謎といえば、この修行とかいうやつも謎だよ」
 兎月原が煙草に火をつけながら言った。ペットボトルのホルダーに煙草の箱を立て掛け直して、煙を吐き出した。カーウィンドウを少し、開ける。瞬間、冷たい風が車内に入り込んでくる。
「え、何が?」
「いやだからさ、百合子の修行とかいうやつも謎だよって」
「あたしの、修行?」
「今向かってる、これ」
「これ?」
 言葉を繰り返し、え? と、目を瞬かせる。「あ、え? これ、そういえば、何処に向かってるんだっけ」
 あたし、聞いてなかったよね? とでもいうように兎月原を見たら、え、こいつまじかよ、みたいな顔をされた。
「何言ってんの、百合子。大丈夫か?」
「え、何が」
「天狗になるための修行があるんだろ。それをやらなきゃいけないって言いだしたのは、百合子じゃないか」
「天狗の、修行? あたしが?」
 嘘、何それ、と言いかけて、百合子は、はっとする。天狗の修行。そうだ、と頭の中でクラッカーがはじけたような、衝撃があった。
「そうだった、そうだ。天狗になるための修行だ。そうだね、うん、ごめん」
「何だよ、驚くじゃないか」
「うん」
 と頷いて、落ち込むように項垂れる。「ごめん」
「天狗の呪いで百合子がおかしくなったかと思った」
「天狗の呪いなんて非現実な言葉を、兎月原さんが言う日がくるなんて、それこそ、何かの呪いのようだよ」
「でも俺、毎日こうやって百合子のこと、送り届けてるけどさ」
「うん」
「いまだに、何か全然良く分かんないんだけど。修行ってやつ」
 兎月原がまるで、そっちは良く良く知っているんだろうけど、とでも言いたげな言い方をするので、「あたしだって、分からないよ」と百合子は言い、良く良く考えてみたら、本当に何も分からない自分に、少し、焦る。今だって忘れていたくらいだし、これが何かの病だとしたら、もう重症だ。
 必死に、昨日のことを思い出そうとしてみる。
 毎日、というからには、昨日もここへ「天狗になるための修行」に来たはずで、確かに「天狗になるための修行」を行ったような気はするのだけれど、一体、何をやったのか、だいたい天狗がどんなだったか、具体的な記憶は、まるでない。
「あたしだって、分からない?」
 不審がるように、兎月原が問うてくる。やましい部分を見透かされたかのように、百合子は、焦った。
「分からないっていうか、何ていうか、人様にむやみに話しちゃいけないんだよ」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」
「でもその修行をしたら、一体、何の役に立つわけ?」
 兎月原が、ちら、と百合子を見やる。
「必要……」
「必要があるから、やるわけでしょ。だいたいさ、百合子は、天狗になりたいわけ?」
「まあ」
 と、俯く。けれどどう考えても、天狗になりたいと思ったことなど一度もないし、そのようなことを口走った記憶もなかった。なりたいと思ったわけでも言ったわけでもないのに、それは何かの義務のように、やらなければならないことの一つになっているのだ。たぶん。
「とにかくさ、やらなきゃいけない大事なことなんだよ、何か」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」
「やみくもだなあ」
「やみくもだよ、むやみやたらだよ、とにかく、絶対なんだよ。あたしは絶対それをやらなきゃいけないわけ、理由とかクソとかじゃないよ」
「そうなんだ」
「そうなんだよ」
 頷いて、話を切り上げる。暫く、車内に沈黙が流れた。


 やがて車は、一軒の民家の前で停車した。
 民家は崩れかけたような格好で、半ば山の中に埋もれるようにして、建っていた。かやぶき屋根の、古い木造家屋だった。伸びたい放題に伸びたと思しき雑草や、野花が、敷地内を圧迫している。
「じゃあ、頑張ってね」
 という兎月原の言葉に、まるで、幼稚園に行くのを嫌がる幼児かのように、うん、とか浮かない表情で頷いた百合子は、「じゃあ、行ってくるよ」と、ドアノブに手をかけ外に出た。後手に勢い良くドアを閉めて、歩き出す。踏み込んだ足が、枯れ葉を踏み潰し、くしゃりと乾いた音が耳の中に響いた。
 二、三歩進んだところで、不安を感じ、振り返った。しかし、そこにあったはずの車の姿が、もうなくなっていた。
 心臓がきゅっと縮んで痛くなり、天狗の仕業だ、と思いつく。そうだ天狗の仕業だ、天狗が消したんだ、天狗はこういうことをやる奴だ、そうだ、と、続けざまにいろいろ思う。
 すると、不意に、「そうだよ」と、良く通る声が林の中に響いた。
 百合子ははっとして、恐る恐る背後を振り返る。
「僕が消したんだよ、だって、あんなところにずっと居られたら邪魔でしょ」
 かやぶき屋根の上の、人の形をした、それが、言った。大きなヤツデの葉のような羽団扇をひらひらとさせ、山伏の装束に身を包み、足を組んで座っている。天狗だ、と叫びそうになった。けれどすぐに、え、あれ? 天狗ですか? と、不審に思った。実際、「あれ? 天狗さんですか?」と、確認をしてしまう。
 人影は、そうだよ、僕が天狗だよ、と、ほほ笑み、羽団扇をひらひら、とさせる。「僕のことを忘れるなんて、さびしいなあ」とも言って、一本歯の高下駄を履いた足を組み替えたりするのだけれど、その顔は、どう見ても、草間武彦にしか、見えなかった。
 思わず、「草間、武彦ではなくて?」と、更に確認をしてしまう。草間風の天狗は、赤ら顔でもなければ、鼻が高かったりするわけでもなく、頭の上に、顔面に被るべきと思しき赤い天狗のお面を載せているだけだった。
 これは一体どういうことだ、と不安になる。
「おやおや、また、僕の顔を見間違えてるね」
 天狗は猫のように、しなやかで、俊敏な動きをした。気がつけば、かやぶき屋根の上に立ち、羽団扇を一定のリズムで掌に打ちつけている。
「見間違える?」
「僕の顔を、君は良く、見間違える。君の中にあるイメージが、本当に見るべきものを邪魔するんだ。君がそう見えているということは、きっと君の中に何か、気になっていることがあるからだろうね。いや、もしかして君はその男性のことが、好きなのかな?」
「いやいやいやいやいやいやいやいや、違いますよ、ないですよ」
 そこだけは、きっちりと訂正させて下さいと言わんばかりに慌て、慌て過ぎて、おばさんのような手つきになる。全然、好みとかではないんです、本当なんです、絶対ないです、あれだけはないです、と、誰に聞かせるでもないが、言い訳したくなった。「何かあれですよ、マネキン人形の話とか、聞いたからだと思うんですよ」
「マネキン人形?」
「まあ、何ていうか、人間の世の中にも、いろいろあるってことなんですよ」
「いろいろねえ」
 また羽団扇を掌に、とん、とん、と打ちつけ、ふっと飛び上がったかと思うと、目の前にすとん、と落ちてきた。「どうせ、くだらないことでしょ」
「まあ、くだらないですけど」
「人はいつだってそうだ。くだらないことに一喜一憂。人生の暇を潰す為に生きてるんだよ。人は本当に仕様のない生き物だ。人なんてとっとと辞めてしまった方がいい。だからさ、君も早く修行を終えて、僕の傍においで」
 天狗はそう言って、一歩前に歩み寄ってくる。
「僕の傍においで?」
 そういう言い方だとまるで、求婚されているようだ、と少し、薄気味悪くなる。近づかれた分だけ、後ろへ、下がる。天狗に求婚されるのも気持ち悪いが、草間武彦の顔の天狗に求婚されるのは、もっと気持ち悪い。
 するとその心中を見透かしたかのように、草間の顔をした天狗が、言った。
「おやおや、まさか、僕との結婚の約束も忘れているのかい? 悲しいなあ」
「え、け、結婚?」
 思わず、素っ頓狂な声が出た。素っ頓狂な声はそれはもう素っ頓狂で、これがまさしく素っ頓狂だ、というような具合だった。「いやけ、え? 結婚? いや結婚、しないですよ、何言ってんですか、草間武彦さん」
「いや、天狗だよ」
「どっちでもいいですけど、結婚はしないですよ」
「ほらね、そうやってすぐ忘れてしまうんだ、君は。僕と離れている間に、僕とのことを、きれいさっぱり」
「あたし、え? あたし、結婚するとか言ってました? っていうか、え、修行って、貴方と結婚するための修行なんですか」
「ほらほら、そうやって。もしかしてそれは、僕を焦らすための演技なの? 忘れているんじゃなくて、忘れたふりの」
「えーどうしよう、全然話が見えない」
 助けを求めたくて辺りを見回すが、誰もいない。
「だから。今日も楽しく、修行しようね」
 草間が、いや、天狗が、薄気味悪い程の撫で声で言って、百合子の肩に手をおいた。
「おっと、やめてくださいよー」とか、何か、言いながら、後ろに下がる。果たして、天狗に勝てるか、自分と、自問するが、いやあ無理でしょう、とすぐさま、思う。
「お嫁に来ないのは、あれでしょ、誰か他に好きな人がいるからなんでしょ」
「っていうかそのお嫁に行きますってあたしが言った前提みたいなの、やめて欲しいんですけれども」
「君の心の中には、いつも、複数の男性が居るからね。たった一人と結婚しようとすると、怖くなるんだ」
「いやあ、あたしはどっちかっていうと、天狗とだけは結婚したくないだけで別にそんなたいそうな話じゃないです」
「じゃあ、見せてあげようか」
「見せてあげようか?」
「僕以外の男と結婚したらどうなるのか、をだよ」
「いや別に今んとこ、誰とも結婚する気とかないんで、いいです」
「そうか、さっきの男だね。あいつと結婚したいんだろ」
「さっきのって、え? 誰? もしかして、兎月原さんのこと?」
「そうだよ、あいつと君が結婚したとするだろ」
「いや、しないですよ、っていうか、今んとこ誰とも結婚する気とかないんで、いいんですって、あれ? さっきも言いましたよね?」
「するとね」
「いや、聞けよ」
「こういうことになるよ、きっと」
 天狗は、パチンと指を鳴らした。目の前で、パンと何かがはじけたようになり、気がつけば、マンションのような一室に、百合子は居る。


 ピンポーン、とインターホンの音が室内に響いた。
 エプロン姿に、パスタサーバーを片手に持った百合子は、ばたばたと玄関口に走って行く。覗き穴から相手の姿を確認し、ドアを開けると、スーツ姿の兎月原が立っていた。
「やあ、ただいま、ハニー」
 とろけるように艶やかな声で、言う。
「お帰りー、ダーリン」
 百合子は甲高い声で言って、開かれた両手の中に飛び込んだ。大きなふわふわの熊に抱きしめられたかのような柔らかさが、体を包み込むように抱きしめてくる。ちゅ、と唇の上に、キスが降りてきた。
「会いたかったよ、淋しかったかい?」
「淋しかったけど、頑張って待ったよ! パスタ作って待ってたの」
「おっとー、今日もパスタかい」
 ははは、とか笑いながら、兎月原が百合子の肩を抱く。廊下を、二人揃って歩く。「だけど、ハニーのパスタは美味しいからなあ」
「そうなの、あたしはパスタ茹で職人なのよ」
 リビングに続くドアを兎月原が開け、百合子を通す。
「あの茹で加減の絶妙さといったらないね。どんな高級なレストランも真っ青だ」
「そうよ、高級ではないレストランでも、真っ青よ」
 パスタサーバーを振り回し、得意げな顔を作って見せた。
 キッチンに戻ると、鍋を乗せたコンロの火を再び、つける。
「今日はどんなパスタかなあ、楽しみだなあ」
 パスタトングを、意味もなく、カチカチとかさせて触りながら、兎月原が百合子の手元を覗く。
「これからパスタを茹でて、ソースと絡めて出来上がりだから、ダーリンどうする? 先にお風呂にでも入ってくる?」
「んーそうだなあ」
 腕を組んで小首を傾げ、しげしげと百合子を見つめる。「ハニーが料理作ってる後ろ姿とか見てると、抱きしめたくなっちゃって、ご飯とか食べてる場合じゃなくなっちゃうから」
「いやあん、もう、ダーリンたら、参っちゃうな」
「だから先に風呂に入ってくるね」
「あたしはダーリンの為の美味しいパスタをテーブルに並べて待ってるわ」
「ああハニー。本当に君は素敵なハニーだ」
 兎月原が百合子を抱き寄せて、髪の毛にそっとキスを落とす。それから額にもキスをして、風呂場へと歩いて行った。
 百合子は、ダーリンのために作る美味しいパスタがどうしたとかこうしたとか何とかいう歌を、可愛らしい声で口ずさみながら、てきぱきと夕食の用意を進めていく。体が小さいからか、キッチンが広いからか、あっちに飛びはね、こっちに滑り込み、それを取って一回転し、あれを鍋の中に振りかけ一回転し、フライパンの中のものを炒め、お皿を取り出し、盛りつけたり歌ったり、時に踊ったり歌ったり、もう大忙し、みたいなことをして、食卓の準備を終える。
 やがてリビングのドアが開く音がしたので、「あ、ダーリン、用意が出来上がったよー」と、兎月原に抱きつこうとキッチンから顔を出した百合子は、風呂上りのその姿を見て、はっと、凍りついた。
「いやあ、良いお湯だった。ハニーは、パスタを茹でるお湯の温度の調節もぴか一だけど、風呂のお湯の温度調節もぴか一だね!」とか、物凄いくだらないことを口にした兎月原の下半身は、白いぴっちりとした股引に覆われ、上半身を覆う白いあれは、男性用下着の丸首とかいうやつだ。
「だ、ダーリン、何て格好なの」
 百合子は、悲痛な面持ちで、悲鳴に近い声を上げる。
「いやあ」とのんびりした調子で、兎月原が言う。「今日は、寒かったからね。この家には一枚も、ヒートテックの類がなかったから、買ってきたんだ」
「そ、そんな。ダーリンって、そういうの、着る人だったの、あたし、知らなかったよ!」
「ごめんね」
 股引、丸首という格好で、兎月原が至極真面目な表情をする。「俺だって、そろそろ、歳だから。こういうのだって、必要になってくるだろ。寒さは体に、悪いんだよ、ハニー分かってくれ」
「そんな、そんな」
 この世の最大の悲劇を目撃したかのような面持ちで、百合子は後退る。それを、股引、丸首の兎月原が追ってくる。
「本当は、前からちょくちょく着てたんだ。寒い時には、防寒下着だろ。でも、ハニーに軽蔑されるかと思って隠してたんだ」
「堂々と着て出てこられるのも嫌だけど、隠れてこそこそ着てる根性も嫌だよ、ダーリン!」
「俺と百合子は結婚したんだから、こういうことも、ちゃんと分かってて貰わないとって、隠れてこそこそ着てたら駄目だって、そう思ったんだよ。ハニー、本当の俺をちゃんと、知ってくれ」
「そ。そんな! ダーリンそんな、股引の話を格好つけて言われたって、あたしどうしていいか分からないよ!」
「寒がりだということを隠していて悪かった。だけどこれは、真実なんだ、どうか分かってくれ、ハニー」
「いやよ、ダーリン」
 泣きそうな顔で、むしろ、ちょっと涙を滲ませながら百合子はその場に膝を突く。
「そんな、そんなダーリンの姿だけは見たくなかったよー」



 パチン、とまた、頭の中で何かがはじけるような音がした。
 頭を抱え込むようにして蹲っていた百合子は、え、と戸惑い、顔を上げる。
「ほらね」
 天狗が目の前に立っていて、そこはもう、マンションの一室でもなければ、兎月原の姿もなかった。
「ほらね?」
「そういう事になるんだよ、人というのは厄介だ。幻滅したり、幻滅されたり。僕と一緒に居たら、そういうことは、ないよ」
「いやいや」とか、一応何か口を挟むべきだ、と思ったけれど、結局頭がついていかず、「え?」とか、間の抜けた声を出す。それから、あ、と何を言うべきか思いつき、もう一回、「いやいやいやいやいや」から、始める。立ちあがって、天狗を見た。
「いや、ないよ、ないない。っていうか、ないよ。これはないよ、気持ち悪いよ、悪すぎだよ、のっけの時点からもうないよ、ハニーとかダーリンとか、ないよ勘弁してよ」
「だってあんな生活臭むんむんの男、嫌でしょ」
「いや、ヒートテックとか着てたら何かやだ、って確かに思ったことあるけど、そこまでじゃないよ。こんなにはならないよ、っていうか、結婚しないよ、むしろ、ダーリンとかハニーとか、あの世界観がもうないよ、っていうか何より、あれがないよ、踊らねえよ、あれを望んでるんだったら貴方との結婚もないよ、軽蔑するよ」
「いろいろ言ったね」
「いろいろ言ったよ、突っ込みどころ満載だよ、毎日あんなテンション高い夫婦やだよ」
「だからね」
「だからね?」
「僕と結婚しようよ」
「いや草間武彦さん」
「いや、天狗だよ」
「だからの意味が分からない、結婚、しないんだって、あれ? 人の話、聞いてる?」
「僕と結婚しないなら、一生結婚出来ない呪いをかけてやる」
「うるさいな、じゃあもうそれでいいよ」
「むしろ、君はもう既に呪われてる」
「お前はもう死んでいる、みたいに言うのやめてくれるかな」
「二十九歳になってもまだ独身で、ホストなんかの通い妻」
「どっちかっていうと、通われ妻だって、向こうが仕事の予定によってあたしんとこ来るんだから」
「通われ妻なんかやって、言い寄ってくる男も、最終的には何だかな、とか言って受け入れず、一人って楽だよなあ、とかしみじみ呑気に読書なんかをしつつ日々が過ぎていくなんて、最早君は呪われているとしか言いようがないよ」
「失礼なこと、ばんばん言ってくれるけどさ。別にしないって決めてるわけじゃないよあたしだって。縁がないだけだよ」
「だからさ」
「だからさ?」
「どのみち君には、僕と結婚するしか道は残されてないってことだよ」
「ちが」
 何かを指摘しようとして、脱力したように肩を落とす。「ねえ、草間さんってさ」
「いやだから、天狗だって」
「本当にしつこいんだね、兎月原さんの言ってた通りだよ」
「君が言ったんだよ、僕に。大人になったら、天狗になって僕と結婚するって」
「えー!」
「いや、本当だよ」
「いやまあほら、子供っていうのはいろいろと、意味不明なことを口走るもんですからね。子供の戯言だよ、そんなの」
「じゃあ、いいよ、分かった。もうやめよう、こんな不毛なやり取りは」
「あ、やっと分かって貰えましたか」
「僕は君の返事を待たないことにする」
「え?」
「だから、僕は君の返事を待たないことにする、って言ったんだよ。どうせなら君が思い出してくれるまで待とうと思ったけど、もういいよ。どうせ、人の気持ちなんてどうとでもなるんだから。今日こそは君をこのまま、連れ帰ることにするよ」
 涼しい顔で何を言うんだこいつは、というか、そもそもその羽団扇はそんな風に使用してはいけないのではないか、突風が起きるとかいうやつじゃないのか、というか、いろいろ思ったけれど面倒臭くなったので言うのをやめた。
「いやもうあたし、帰ります」
「帰れると思うなら帰ってみなよ、無理だから」
 はあそうですか、とか聞き流して、踵を返す。
「いいよ、車がなくたって自力で山とか降りてやるんだからさ」
 ぶつぶつ言いながら、前方に続く小道を歩いて行く。林に囲まれた道は、何故か延々と続いているように見え、歩いても歩いても、進んでいる感覚がなかった。次第にこれはおかしい、と気付き、後ろを振り返る。え、と思わず、声が漏れた。物凄い進んだつもりでいたのだけれど、全然進んでいない。先程の風景や天狗が、驚くほど近くに、見えた。
「だからさ、言ったでしょ、逃げられないんだって」
「うるさい!」
 と怒鳴って、また歩き出した。そのうちムキになって、走った。どうしてだか体が重く、全然上手く走れずに、諦めた。膝に手を突いて、息を吐き出す。
「ちがもう、何? 何なの? 何がしたいの、一体」
 この草間武彦め! と思って後ろを振り返る。すると、すぐ背後に顔があり、ぎょっとする。百合子の肩を抱いてこちらを見ている顔は、まさしく、鼻が長く赤ら顔の恐ろしい形相をした天狗で、草間武彦ではなかった。
「ひー! 天狗ー!」
 叫び声を上げ、仰け反る。「何で急にー!」
 これならまだ、草間武彦の方がましだったのではないか、と思うほど、間近で見る天狗の顔には迫力があった。下腹の辺りからせりあがってくる恐怖で、足に力が入らない。
 いや怖いですよ、とりあえず草間武彦でいいんで、戻って下さいよ、と、思う。
「だから。最初から言っている。私は天狗だ」
 突然、言葉使いやその声に、威圧感を滲ませた天狗が、言った。「おぬしは修行を終えて、私の嫁とならねばならぬ。おぬしに、選択する余地はない。変更は、許されない」
 天狗の声は低く、厳めしく、皮膚がびりびり、と震えた。
 誰かーと叫びたかった。怖いよー、助けてーと、叫ぼうとした。けれど、声が出ない。ふと頭を過ったのは兎月原の顔で、助けてくれないとあたしどうにかなっちゃうよー、天狗にさらわれちゃうよー、と、頭の中で叫んだ。
「観念せい。行くぞ」
「兎月原さーん」
 腰を抱え上げられた瞬間、声を上げて暴れる。
「無駄なことを」
「助けて兎月原さーん!」
「百合子ー!」
 すると遠くから、兎月原の物と思しき声が、聞こえ、百合子は目を見開いた。
「え、兎月原さん? 兎月原さんなの? 兎月原さーん」
「百合子ー!」
 声が次第に近くなる。
「あ、兎月原さんだ。おーい、兎月原さーん」
 腰を掴まれた格好で、百合子は見えた人影に手を振る。「助けてー」
「助けに来たよー」
 何故か金属バットを手にした兎月原が、懸命な様子でこちらにかけてくる。あんなに必死に走る兎月原さんの姿を見るのは初めてだ、何ということだ、と全然そんな場合でもないけれどそんなことを考え、ちょっと笑いそうになる。
「天狗めー、このやろー、今からやっつけてやるからなー、覚悟しろー」
 とか、これはもう絶対勢い良く言うべきところを、物凄い棒読みの調子で言った兎月原が、金属バットを振りかぶり、天狗めがけて突進してくる。
 え、あれ? 飛んだりしないんですか? 飛んでよけたりしないんですか? とか、全然そんな場合でもないけれど、微動だにしない天狗に不審を抱き、こちらに走ってくる兎月原と天狗をそわそわと見比べる。
 やがて眼前に金属バットが迫り、うわ、殴られる、とか思ったら、何故か兎月原はそれを、野球選手がバットを振るみたいに横降りに変え、がん、と振りかぶった。
 がご、と鈍い音がして、百合子の眼鏡が吹っ飛んだ。衝撃に、目の前が一瞬真っ赤になり、それから、黒くなる。
「ひ、ひど、酷い! どうしてあたしを殴るなんて!」
 兎月原のばかやろー!


「百合子ー。おーい、百合子ー、大丈夫ー?」
 バン、とまた、顔面に衝撃が起き、百合子ははっと、目を開けた。
 言葉になっていない奇声を漏らし、跳ね起きる。
「おっと」
「あ、え、兎月原さん?」
 傍らに、枕を持った兎月原が座っていた。
「え、ど、どうして、っていうか、どうしたの」
「どうしたのは、こっちだよ。突然、うんうん唸りだしたかと思うと俺の名前とか草間武彦の名前とか、天狗とか言い出すんだもん、びっくりしたよ」
「ああ」
 百合子はがくっと項垂れ、体の力を抜く。「びっくりした」
「びっくりは俺だって」
「だからって枕で殴ることないでしょ」
 その手から、枕をふんだくり、そこが自分のアパートの、ベッドの上であることを確認して、どか、とまた寝そべる。
「最悪だよ、いったいしもう」
「そんなきつく殴ってないけど、何か、ごめんね」
「あー変な夢だったー、死ぬかと思った」
「俺も百合子死んじゃうんじゃないかなって、思った」
「だから、枕で殴ったわけね。体をゆするとかではなくて、枕で殴ったわけね」
 言ってたら、何かむかついてきたので、とりあえず、一発、仕返ししておくことにした。頭の下の枕を掴み、ばしん、とその顔に、ぶつける。「じゃあ仕方ないからこれで、許すよ」
「何だよ、折角怖い夢から目覚めさしてやったのに」
 また百合子の隣にもぐり込みながら、兎月原が文句を垂れる。
「何かね」
「うん」
「子供の頃から何度も見る夢があるんだよね、あたし」
「うん」
「でも、それは置いといて」
「何で置いとくんだよ、っていうか、何で、置いとくなら言うんだよ」
「マネキン人形のさ」
「え?」
「マネキン人形のさ、話さ、聞いたよね、昨日。兎月原さんに」
「草間武彦が言ってたって言ったやつ?」
「そう、言ったやつ」
「うん、言った」
「あれのせいかなー、夢に草間武彦さんが出てきたよ。怖かったよ」
「嘘ー、そうなんだ」
 同情するような声を、にやにやと笑うような表情を浮かべながら出して、「夢にたっ……あのー、あれ、草間武彦が出てきたらやだろうねー」と、続ける。
「た?」
「言っといてあげるね、百合子の夢に出てたらしいよって」
「いや、やめて、それはやめて」
「うわ凄い嫌そうー。どんな夢だったの」
「何か、怖いから言いたくない。暫く、草間武彦さんの顔、見たくないかも」
「なになに、草間武彦がゾンビになって追いかけてくるとか?」
「ゾンビの方がまだいい」
「えー、うそー、そうなのー」
 とか言う顔が、何だか凄い、嬉しそうだった。
「マネキンの話なんか聞くんじゃなかったよ。っていうか、結局あれって、嘘だったの、本当だったの?」
「さあ?」
 兎月原は仰向けに寝がえりながら、答える。「あ、じゃあさ、本人に聞きに行けばいじゃない。一緒に行こうよ、襲われたら駄目だから」
「うるさいな」
 百合子は、布団の中で兎月原の脚を蹴る。「もうさっさと寝なよ」
「あ、感じわるーい。百合子が起こしたくせに」
「はいはい、すいませんでした、おやすみ」
 寝返りを打ち、布団をかっぱらって深く被る。
「ふうんだ」とか、背後で言った兎月原が、ごそごそと寝返りを打つような気配を感じながら、目を閉じる。
 そこで、ふと、思い出し、百合子はぱちっと目を開けた。
 また寝返りを打ち、兎月原の腰元に手を這わせると、Tシャツをぺらっとめくった。
「ちょ、何、くすぐったいって」
「し、黙って」
「いやあん、百合子姫に襲われるー」
「兎月原さんって、ヒートテックとか、着てないよね」
「え? 何が? 何?」
 布団をめくりあげ、グレイのジャージパンツの裾もめくり上げる。
「何だ、何もつけてないじゃん」
 何だか妙にホッとして、小さく、呟く。
「何だよ、一体何がしたいんだよ、百合子は」
「もういいの、気が済んだの、おやすみ」
 百合子はまた布団を被り、背後で「えー、変なの」とか、不服そうに呟く兎月原の声を聞きながら、目を、閉じた。


























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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号7520/ 歌川・百合子 (うたがわ・ゆりこ) / 女性 / 29歳 / パートアルバイター(現在:某所で雑用係)】
【整理番号7521/ 兎月原・正嗣 (うつきはら・まさつぐ) / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者】



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■         ライター通信          ■
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こんにちは。
 このたびは当ノベルをご購入頂き、まことにありがとうございました。
 愛し子をお任せ下さった皆様の懐の深さに感謝を捧げつつ。
 また。何処かでお逢い出来ることを祈り。