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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


猫王の経筒

 アンティークショップ・レンの店内は、相変わらず煙管(キセル)からの煙で燻られている。
「この陶製の経筒(きょうづつ)。表面へ猫の絵が描いてあるだろう?」
 なるほど、言われて顔を寄せれば、沙羅双樹に囲まれた中央、うっすら猫のシルエットらしき輪郭が見て取れる。
「大陸から切り離された島国日本には、元来、家猫は存在していなかったんだってさ。奈良時代、経典などの貴重な書物を鼠から守る益獣として、中国から輸入された事が、日本猫の最初と言う説もある。でも、弥生時代の遺跡から遺体が発見されたところをみると、もっと昔に渡って来たのかもな」
 碧摩・蓮(へきま・れん)は座ったまま足を組み替え、唇を尖らせて細く長い息を吹いていた。煙はブラフマンを思わせる模様を綴っている。
「中国の皇帝に献上された猫は、夜の間、厳重な鉄籠の中へ入れておくと、翌朝、籠の周りで無数の鼠が威光にひれ伏し、まるで拝んでいるような姿で死んでいたと言われている。ゆえに“猫王”(ねこおう)と呼ばれていた。……この経筒は“猫王の経筒”。蓋を開けて中を見てごらんよ」
 円筒の本体に付いた、花蕾の形の持ち手を引いて覗くと……、中身は空っぽだ。
「そこには三本の経筒が入っていたんだけれど、経典ごと消えちまったのさ。元々、無人になった建物を取り壊す際、床下から出てきた代物なんだが、ようやく管理できそうな寺が見つかって、今朝がた持って行こうと準備をしていたら、そのざまだ。なにがお気に召さなかったのかねぇ。まったく、癇癪持ちが多くて困るよ」
 三本の経筒には、それぞれ一匹ずつ、黒、白、虎柄の猫が描かれていたらしい。
「そういや、町内の古い土蔵を潰したら、やたら鼠が多くなったって聞いたが……」
 ここへ来る道なり、素早く物陰へ隠れる、小さな獣の気配を感じた。どうやら、気のせいではなかったようだ……。
 蓮は『三匹の猫を連れて来て欲しい。あんたなら簡単だろ?』と、散歩ついで、寄り道を頼む気軽さを持って微笑んで見せた。


◇◇◇◇◇

 冷たい風に乗り、雅(みやび)な香りがする。
 まだ、少し早い花の香……。

 目の前で頭を掻いているのは、土蔵の持ち主だ。
 最初、訪れた者を見て訝しんでいたが、
「僕は尾神・七重(おがみ・ななえ)と申します。突然お伺いして申し訳ございません。今日は、少しでもお力になりたく参りました』
 その、丁寧な挨拶で気を取り直したようだ。
「土壁が老朽化して、隣の家の塀へもたれかかった状態だったから、急いで取り除かないといけなかったんだが……」
「土蔵は、いつから建っていたのですか?」
 尋ねるのは細身の少年で、凍った雪のような銀髪が微風に吹かれて揺れていた。双眸は石榴の紅さで見上げている。
「詳しくは分からない。周りはこのとおり新しい住宅地だから、いつまでも昔の建物置いてるのも珍しいんだよ。『土蔵を絶対に潰すな』って、死んだ爺さんがやたらうるさくてさ。なかなか撤去できなかったって訳だ。やっと、きっかけが出来たってのに……」
 土蔵の撤去作業は途中で止まっているようだ。柱は倒され、大量の土塊が山となっていたが、重機はキャタピラーの跡を残しながら一台もなかった。
「重機が倒れて作業員が下敷きになる事故があって……。その後も、次々、原因不明の熱病にかかる者が出てから、誰もここへ来なくなった。正直、どうしたらいいんだか」
 白銀の頭が小首を傾げ、小さな顎に手を当ててから、ぽつ、と聞く。
「壊した際、何か古物が出たり、気になる点は無かったでしょうか?」
「全部売ったよ。ここの撤去費用も馬鹿にならない。骨董なんだかガラクタなんだか……置き場所ないから困るんだ」
「……見てもよろしいですか?」
「ああ、どうぞ。作業途中だからくれぐれも気をつけてくれよ」
 七重は言われたよう足元へ気を配りながら瓦礫に近づく。
 埃と黴(カビ)が混ざった古い臭気が強くなり、土蔵が長く建っていたのを示していた。
 何かの気配……。それは、物陰で潜んでいるかの小さな存在だ。じっと、こちらを窺っている。

 キチチチチッッ……。

 鳴き声で横を向けば、積まれた柱の上で小指ほどの大きさの灰鼠が、目を光らせていた。長い髭先をひくつかせ、素早く隙間へ潜り込んでいく。
 ここへ来るまでに何度も見た光景。針で軽くつつかれているような視線たち。
 かなり……、多い。
 町の鼠が解き放たれたというより、まるで集まってきているかのようだ。
 土壁が折り重なっている場所を覗き、割れた瓦の下を調べた時、ほのかな霊力の残留を感じた。
 見れば古い札(ふだ)が一枚。折れた格子状の竹片に墨で書かれた字が消えかかっている。古代インドのサンスクリット文字だ。施されていたであろう封印の呪(しゅ)は破られていた。
「驚いた。こんな簡単な術式で長年“何か”を封じていたのか。徳の高い法師、もしくは強い法力を持つ者が……?」

 町に湧く鼠、熱病、消えた猫王。

 突然、小動物の断末魔が耳へ突き刺さり、顔を上げると、瓦礫の山の頂上で白い猫が一匹、血にまみれた鼠をくわえていた。
 鼠は息絶えている。
 昼の光りに照らされた白猫が、瞑っていた両目をカッと見開くと、土蔵の残骸から黒い川となった鼠どもが吹きだしてきた。
「な、なんだ!? どうなってる?」
 土蔵の主は滑稽なほど足をばたつかせて、群がる黒き集いで恐慌状態だ。
「あなた……猫王ですか?」
 七重の問いかけに、白猫は冬の空色の目を細め、彼の隣で脂汗を流す男の足元へ喰い殺した鼠を投げ捨てた。
「ひっ!」
“……まったく。人間とは今も昔も、随分頭が悪いこと”
 鼠の集団は、皆同じ方向へ走り去る。青い瞳は睨みながら長い尾を鞭と同じ鋭く一振りし、そのまま、高い跳躍で隣の塀へ飛び移ると、鼠が去っていく方角へ疾駆していった。
 七重は逃げ遅れた数匹の鼠を目で追っていたが、見失ってしまう。
 歩き始めた少年の背中へ、情けない声が被さろうとする。
「ど、どこ……、行くんだ?」
「鼠の後を追います。このまま放置すれば騒ぎは大きくなるばかりですから」
 冷静な姿勢で答えられ、男は茫然とするしかなかった。
◇◇◇◇◇
 立てかけられた看板、公道の溝、建物の換気口……。彼らは眩しい光りを避けながら、少しづつ数を増し、人々の間をかいくぐり、同じ場所を目指しているようだった。
 恐らく先ほど会ったのは猫王の一人だろう。猫の姿をしているが動物とはまったく違った波長を持っていた。
“小僧。オマエ、あの骨董屋の使いか?”
 路地から現れた黒猫が、瞬きもなく七重を凝視していた。背中の肩胛骨が筋肉に覆われて高く盛り上がっている。
「あなた方を捜していたのです。元の経筒へお戻りいただきたく……」
“帰れ。我らも終われば戻る。そう、女主人に伝えろ”
 黒猫は鼻を鳴らして顔を背ける。
「大昔、恙虫(つつがむし)という毒虫を退治するため、洞穴に住む大鼠に頼んですべて食い殺してもらった伝説がありますね」
“…………”
 七重が話し始めると、黒猫は神妙な顔つきのまましばらく黙った。
「ですが、大鼠が慢心して村で暴れるようになったため、今度は大猫に頼み退治してもらった。大鼠は“鼠大明神”として、猫は“唐猫神社”へ祀られている」
“ふん。知識だけでは、ものの本当の形は見えてはこぬわ”
 漆黒の獣は風のごとく通りを抜けて、あっという間に見えなくなった。
 町行く人間たちは、危機など感じていない。変わらないと信じる日常で身を浸している。
◇◇◇◇◇
 閑静な寺の廊下で丸まっていた虎猫は、香箱座りを解いて立ち上がった。
「おや、どうしたの?」
 寺を守る比丘尼(びくに)は、いつものんびりしている猫の様子が違うと気が付き声をかけた。虎猫は、彼女の着物の裾を噛むと障子の向こうへと引っ張る。その力があまり強いので驚くばかりだ。
「雨でも降るというの? おまえは優しいことだね」
 顔や頭を撫でてやると、束の間、喉を鳴らしていたが尼僧を残して颯爽と表へ出た。
“小童(こわっぱ)。なぜ、ここへ来た?”
「町で見かけた鼠を追って来ると、ここへ辿り着きました」
 赤い瞳の少年を横目、藪へ一喝する。
“おまえたち、後を付けられたな?”
“そんなはずないでしょう?”
“その小僧が勝手にしたことだ”
 それぞれにぶつぶつ文句を言っていたが、寺を囲む“ささめき”が大きくなってきたので中断する。
“来たか……”
“やはり、ここを狙っていたのね”
“こうなっては仕方あるまい”
 耳が痛くなるほど場が静まり返り、次の瞬間、塀を乗り越えて一万を超える鼠の大群が雪崩れ込んできた。うねる津波はまるで一匹の大鼠の姿で、三匹の猫へ襲いかかる。
“あア、幸いだぁ!! あのバカぐあ、ドゾウをつぶしいぇくれた! アハハハ!”
 肉を刻み骨を磨る音。吐き気をもよおすような声は、大鼠から発せられている。猫王たちは怯むことなく応戦し、牙と爪を突き立てて鼠らをそぎ落とそうをしていた。口元は鮮血で染まり真っ赤に燃えている。
「僕も加勢します!」
 七重の叫びに一人が怒鳴り散らす。
“年端も行かぬ小僧に、何が出来るというのだ!? 呪われる前に去れ!!”
 黒い嵐で巻かれ呑まれてしまうと、不快な騒音が美しいはずの庭を汚染する。
“ウはあははぁっっ! 野良猫ども! いじぇんの力はどうしたあ? カユクてたまらんわ! こえデ、あの《びくに》ヲ消せば、ふたらび《つつがむし》でニンゲンを虐殺だあアア!!”
 今まで水面のように平らだった七重の感情がわずかだけ波立ち、氷柱の冷たさで、白い指先が黒い塊へ向けられる。
「沈め……」
 【重力操作】を開始した七重の呟きに合わせて、大鼠の胴体が血を吹きながら押し潰されると、はらわたを引きちぎるような悪声が浴びせられる。
“うぉれは、かつて神鼠といわれた存在ゾ! 人ごときが……”
 禍々しい言葉が七重と猫王たちを蝕もうとしたが、障子の間から庭へ滑り出してきた一枚の札(ふだ)がそれを阻んだ。
 清い魂で法力を込められた札に、大鼠は一旦四散し、三匹の猫が地面へ叩き落とされる。
「猫王!!」
 七重は咄嗟に札を握り締めて彼らに駆け寄った。比丘尼の経を唱える澄んだ声がしんしんと猫王へ積り、彼らは一つの光源となって姿を変える。
 折っていた膝を伸ばして立ち上がったのは、金色の髪をなびかせた武神で、甲冑に三叉戟(さんさげき)を携えていた。両頬には虎を思わせる墨が入っている。
“眠れ神鼠。おまえが眠っている限り、この世は太平なのだ”
 威光でひれ伏した大鼠は、『口惜しや。まだ世は人のものだと言うか、猫王よ……』の言葉を最後、両手を合わせて拝む小さな集団となった。
◇◇◇◇
 亡骸は寺の比丘尼の手で葬られ、石碑をもって封じられた。
「いつから居たのか、普通の猫ではないと思っていましたよ」
 美貌の比丘尼はどこか心淋しい笑みで、七重から【猫王の経筒】を受け取った。
「前より、騒がしくなるかもしれませんよ」
 ふらりと漂っていた一匹が、三匹になるのだから……。

 寺の庭に梅の花が満開となる頃。
 日の一番当たる廊下や火鉢の傍、比丘尼の膝の上、ぬくぬくと丸くなる猫たちが見られるだろう。


=了=



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■登場人物■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 2557 / 尾神・七重(おがみ・ななえ) / 男性 / 14 / 中学生 】

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■ライター通信■
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 ライターの小鳩と申します。
 このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました!
 私なりではございますが、まごころを込めて物語りを綴らせていただきました。
 少しでも気に入っていただければ幸いです。

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 お久しぶりです。尾神・七重 様。
 ウェブゲームへ名乗りを上げていただき、心よりお礼申し上げます。
 さて、このたびの“猫王の経筒”ミッションはいかがでしたか?
 不思議と惹き付けられる雰囲気をお持ちの尾神・七重 様の魅力を、
 少しでも表現できていましたか?

 戦闘シーンにて能力【重力操作】を使用しましたことをご報告いたします。

 ふたたびご縁が結ばれ、巡り会えましたらお声をかけてやってくださいませ。
 ありがとうございました。