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虎っ子ハプニング大賞
年末年始、多くの会社が休みを取り、街にはここぞとばかりに人が溢れて賑わっている。
勿論、溢れかえる人々を狙い撃つために休暇を返上し、徹底的に商戦に打って出る強者もいる。飲食店や玩具屋、電気店はその最たる例だろう。親御さんから配られるお年玉という金銭を巻き上げるために徹底的に手を回し、気付いたら散在するように狡猾な罠を張っている。
神社、お寺、教会、宗教関係の場所はお祝いや儀式で慌ただしくなり、煌びやかに飾られる。この時期ばかりは閑散としていた敷地が人で埋まり、限定的ではあるが二十四時間、人影が絶えないという快挙すら成し得てしまう。
‥‥‥‥しかしそうした快挙の影で、埋もれて閑散としてしまう場所もある。
「それでも‥‥‥‥何もここまで頑張らなくても良いんじゃないですか?」
「いや、だってほら‥‥‥‥すぐ側に神社があるお陰で、人が門の前を通るのに‥‥‥‥お客の差が在りすぎるのって寂しいじゃない」
海原 みなもが口に出すと、動物園の飼育員は、頬を掻きながら笑って答えた。
寒風が窓をガタガタと揺らし、静かな更衣室に隙間風を送り込む。窓と窓の隙間から入り込んでくる風は、極々僅かなもので、よっぽど集中していないと気付くようなことはないだろう。
だがみなもは、その隙間風の存在を肌に直に感じ、窓と同じようにガタガタと震えていた。
理由は簡単‥‥‥‥ここは更衣室であり、みなもが裸でいるからだ。
「せめて、上着を着せてくれませんか?」
「うーん、でも衣装の上から上着を着ると、虎に上着を着せる形になるでしょう? 規則で動物に服を着せるのは禁じられているのよ」
「私は人間ですから!」
みなもは衣装を片手に、ブルブル震えている。
手にした衣装は、黄色と黒を絶妙なバランスで配分した虎柄の全身タイツだった。お尻からは尻尾が生え、頭に当たる部分には可愛らしい耳が揃っている。足と手に当たる部分は肉球付きの手袋となっていて、撫で回していると気持ちが良い。
しかしその衣装を着るために裸となり、しかもこのタイツを着込んだだけの状態で屋外に出ると知り、このアルバイトに就いたことを僅かながらに後悔していた。
‥‥‥‥新年早々、暇を持て余したみなもは、アルバイトを募集していた動物園のコンパニオンをすることになった。近くの神社に人が集まっているというのに、寒風の影響で閑散としてしまった動物園に客を呼び込もうというのだ。
期間は二泊三日。短期間だが、給料の割は良い。
普段から短期アルバイトを渡り歩いていたみなもは、冬休みの課題を早々に済ませ、ここのアルバイトに精を出すことにした。
‥‥‥‥精を出すことにしたのだが、まさかこの寒空の下、全身タイツ一枚で野外に放り出されることになるとは思わなかったのだ。
みなもの着替えを手伝っていた女性の飼育員は、「うーん」と唸りながらみなもに言い聞かせる。
「“心頭滅却すれば、火もまた涼し”って言うわよ?」
「それってプラシーボ効果じゃないですか!」
「思い込みの力って偉大よね」
「風邪ひいちゃいますよ」
むしろ、風邪だけで済んだらまだマシであろう。
身体が冷えることによってもたらされる変調は、女性にとっては致命的だ。
それを分かっているからか、女性飼育員は「それなら‥‥」と、ロッカーの一つを開けて、中から一つの缶を取りだした。缶はジュースと言うよりも、塗料などを入れている缶によく似ている。女性飼育員は缶の蓋を開けると、そこに大きなブラシを突っ込んだ。
「それ、なんですか?」
「ん? 防寒保温ジェル。寒くても、これを塗れば身体が冷えることはなくなるわ。水とかでも落ちにくいから、洗い仕事の時とかに使っているのよ」
女性飼育員は、ブラシを手にみなもに不敵な笑みを浮かべて歩み寄る。
その笑みと仕草に嫌な予感が過ぎったが、しかしこのままタイツを着込んで外に出れば、まず間違いなく寒さにノックアウトされるだろう。新年早々に風邪で倒れるなど、絶対に避けたい事態である。背に腹は代えられず、みなもは溜息混じりに頷いた。
「あの‥‥‥‥変なことは考えていませんよね?」
「大丈夫よぉ♪」
手をワキワキとさせながら躙り寄ってくる女性飼育員からは、説得力というものが完全に欠如していた。しかしそれでも、みなもは女性飼育員に頼るしかない。
「‥‥‥‥ん、あふぅ」
身体を滑る柔らかいブラシの感触に身体が震え、身を捩らせて可愛らしくダンスを踊る。
それに気をよくしたのか、女性飼育員は鼻歌交じりにブラシを走らせ、みなもの身体を満遍なく撫で回した。
「うひゃぁ!」
「ハイハイ。これで最後ね」
名残惜しそうに下腹部にまでジェルを塗った女性飼育員は、ジェルによって照り輝くみなもの身体に嘆息し、それから虎柄スーツを手に取った。
「はい。次はこれね。ジェルが乾くまでなんて待てないから、チャッチャッと着ちゃおうね」
「はい‥‥‥‥あの、所で一つだけ良いですか?」
「なに?」
「これ‥‥‥‥防寒保温ジェル、ですよね?」
みなもは全身に塗りつけられたジェルに、不安そうに顔を顰めていた。
ジェルはみなもの身体に張り付き、乾かずにトロトロと垂れてきている。尤も、その垂れ落ちるペースなど目に見えぬほど遅く、緩慢なものだ。しかしそれが、みなもの不安を煽っていた。ジェルを塗りたくられた指が異様に粘つくのだ。それと鼻を突く甘酸っぱい匂いは、どこかで嗅いだ記憶がある。
「防寒保温ジェルよ? 缶にも書いてあるし、私も普段から使ってるし」
「‥‥‥‥それなら、大丈夫ですね」
みなもは不安そうな面持ちではあったが、観念してタイツを着込む。なるほど、ジェルのお陰か、タイツを着込むよりも暖かい。タイツを包んでいる虎の毛は、隙間風程度ではびくともせずに揺れている。
衣装のずれ防止のために首と手首、足に『枷』とも見える固定バンドを装着する。これで首輪に鎖が取り付けられれば完璧だ。みなもの身体は、さぞや可愛らしい愛玩動物へとなるだろう。
女性飼育員によって、剥き出しの顔に虎のペイントが施される。むず痒くはあったが、顔に薄く塗ったジェルのお陰で大して苦にはならなかった。
ならなかったのだが‥‥‥‥
「なんだか、寒くなってきたんですけど‥‥‥‥」
クシュンと、みなもはクシャミをしながら身を震わせた。
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‥‥‥‥嫌な予感がしたという時点で、みなもは思い止まるべきだった。
しかし“後悔先に立たず”という言葉がある通り、思い止まるべきタイミングを逃したからこそ後悔するのだ。後戻り出来るのは一度だけ。後からそれを挽回することは出来るが、完全に取り戻すことは不可能だろう。
特に、唖然とし後悔し焦燥に走り回った時間は何物にも代えられず、その間に起こった悲劇も取り戻せない。赤面し青ざめ“穴があったら入りたい”と涙目になった事実も、取り消せない。
(な、何でこんな事に‥‥‥‥!)
寒空の中、ガタガタと震えて身悶えながらお客と共に笑い、暴れながら、みなもは自分が置かれている状況に涙する。
衣装を着替え、数少ないお客に必死にアピールしていたみなもだったが、動物園を自由に駆け回る風の冷たさに身を竦ませ、声は震えて仕事どころではなかった。防寒保温ジェルなどまったく意味を成しておらず、風が吹かずとも、雪でも降り始めるのではないかと思えるほどに冷え切った空気はみなもの身体をチクチクと痛めつけ、それこそ尻尾の先まで凍えてしまいそうになる。
「おかしいなぁ。これ、結構暖かかったんだけど‥‥‥‥」
怪訝そうに防寒保温ジェルの缶を見つめる飼育員を余所に、みなもは早めに休憩を挟み、トイレに向かった。長時間と言うほどでもなかったが、寒い場所にいるとトイレも近くなると言うものだ。それも、薄い全身タイツのみで身体を覆った状態ならば尚のこと。不意に、以前に見たお笑い番組で、野外で全身タイツを着ているお笑い芸人を「つまらない」の一言で終わらせ、チャンネルを変えたことに謝罪する。ごめんなさい。これ、結構辛いお仕事だったんですね。
心の中で謝罪し、トイレの扉を開けてタイツを脱ごうとしたところで‥‥‥‥重大な問題が発覚した。
「‥‥‥‥‥‥‥‥あれっ? ぬ、脱げない!?」
さすがのみなもも狼狽え、慌てふためいた。
脱げない。背中のファスナーはピクリとも動かず、それどころか肌に張り付き引っ張るたびに痛みが走る。まるで、衣装がみなもの身体と融合してしまったかのようだ。しかしみなもは、ファスナーを引っ張るうちにふと気付く。この感触には覚えがある。ファスナーではなく、皮膚を引っ張られる感覚。ビリビリと少しずつ何かが身体から剥がれ落ちていく感触は、何度も何度も体験した、手に接着剤が付着した時の感触とまったく同じものだった。
(あ、あのジェルが?)
心当たりがあるとしたら、全身に塗りたくった防寒保温ジェルしかない。今なら、あのジェルから漂ってきた甘酸っぱい匂いにも合点がいく。学校やアルバイト先で、様々な工作に駆り出された。その時に、同じ匂いを放つ接着剤を扱ったことがあったのだ。確か、業務用の強力な接着剤。乾くまでに時間は掛かるが、それだけに接着力は目を見張るものがある。
‥‥‥‥その能力を知っているからこそ、みなもは絶望に打ち震えた。
全身を包んでいるタイツが脱げない。
これは‥‥‥‥実にシンプルではあったが、あまりに致命的な事柄なのではないだろうか?
(ど、どうしよう!)
みなもは逡巡し、今の自分に出来ることを考える。
まず、このタイツが脱げないことを飼育員に伝えなければならない。これは飼育員のミスなのだから、動物園の総力を上げて問題を解決してくれるだろう。
それは良い。だが、それは“今すぐ”行われることだろうか?
(げ、限界が‥‥!)
寒風に耐え、やっとの思いで駆け込んだトイレ。だと言うのに、タイツが脱げないのでは‥‥‥‥待つのは悲劇だ。これ以上ない、想像を絶する悲劇が待っている。
飼育員を捜して走り回るような余裕はない。寒さに打ち震えていた身体は尿意を覚え、もはや限界。この状況を打破するための手段を模索し、考え抜いた挙げ末に――――――――
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥
(うぅ、やっぱり寒い。こんな状況でも仕事は続行なんて‥‥‥‥鬼ですか。あの人達は)
みなもは再び屋外に放り出されながら、寒空の中で仕事に励んでいた。
吹き抜けていく風は相変わらず体温を奪い去り、肌に吸い付いたタイツはみなもが動き回るたびにビリビリと肌を引っ張り、引っ掻くような痛みを与えてくる。しかしそれでも、みなもは動き続けるしかなかった。午後を過ぎて日が高く昇っても、風が強くてすぐに体が冷えてしまうのだ。少しでも体調を維持しようと思うと、体を温め続ける以外にない。
(トイレは無事にクリアしましたけど、何時まで誤魔化せるでしょうか)
みなもは、肌に張り付き一向に剥がれる気配のないタイツの事を説明した時のことを思い出し、深い溜息をついた。
「ごめん! 詰め替えパックを使って補充していたんだけど、うっかり保温ジェルと接着剤を間違えて入れちゃってた♪」
何をどう間違えれば防寒保温ジェルと接着剤を間違えるのか‥‥‥‥
みなもの体に接着剤を塗りたくった飼育員を責めたかった。いくら穏和なみなもであっても、限界というものはある。悪びれもなく言う飼育員には、誰でも怒りを覚えて当然だっただろう。
しかしそれでも、みなもは踏み止まった。思考は早々に別の事柄へと向けられ、飼育員への不満は後回しにされる。みなもには、どうしても最優先で考えなければならないことがあった。
(どうやって言い訳しよう‥‥)
体内で飼い続けていた“生きている服”である魔法生物の活動を活発にし、体内の排泄物を大量に分解させることで何とか凄惨な悲劇は回避した。だが、それは真っ当な人間ならばあり得ないことだ。
タイツを脱げないことを飼育員に告げた時、飼育員も首を傾げていた。勿論体の中にスライムのような魔法生物を飼っているなどと言うことは出来ず、みなもはあたふたと慌てながら「もう! そ、そんなこと聞かないで下さいよ!」と、あたかも乙女の秘密とばかりに誤魔化した。
納得させることは出来なかっただろうが、時間を稼ぐことは出来る。少なくとも、自分達の失敗の末にみなもがこのような事態に陥ったのだ。後ろめたさを無視して追求することも出来ないだろう。
しかし反面、「仕事は仕事ですから」と、みなものアルバイトは続行されたのだった。
(明後日までこのままなんて‥‥‥‥泣きそうです)
一番の問題は、接着剤の中和剤が動物園に用意されていなかったことだろう。
業務用と言うこともあり、一般には中和剤が出回っていないらしい。いや、そもそも接着剤の中和剤など‥‥‥‥研究所や工場でもなければ、出回っていても用意はしないだろう。
まだ“虎っ子キャンペーン”が続くというのに、初日で衣装を破くわけにもいかず、みなもは中和剤が届けられる明後日までは、この衣装を着たままと言うことになった。
(今日は泊めてくれるそうですけど、ずっとこの格好というのも恥ずかしいですよ)
この衣装のままで帰宅するわけにもいかず、みなもは動物園に泊まり込むことになっていた。
しかし、出来ることなら一刻も早くこの衣装を脱ぎ去りたいというのが、みなもの本音である。
タイツでは寒いと言うこともある。だがそれ以上に、虎柄の衣装は体に吸い付くように張り付いているため、クッキリと体のラインを浮き上がらせてしまっている。水着ほどではなかったが、それとは違う、また別の艶めかしさを演出してしまっていて恥ずかしい。
実際、みなもがこの姿になってから、男性客の姿が増えたような気がする。仲睦まじく歩いていたカップルの女の子が、みなもに見取れていて殴られるという珍事まで起こる有様だ。
「はーい! 虎さんですよー!」
「うわーー♪」
「がるるるるるぅ!」
そんな現状を忘れようとするかのように、みなもは本物の虎の如く暴れ続けた。
抱き付いてくる子供達をいなし、動物園の案内員を務め、撮影しようとするお客を叩き出す。
みなもは子供達に遊び相手として注目され、気が付いた時には檻の中の動物達よりも目立っていた。
‥‥‥‥何となく、動物達から睨まれているように感じる。
「お姉ちゃん! ボクとも遊ぼう!」
「あ、ちょ!」
背後から突然抱き付いてきた子供に驚き、みなもは思わず飛び上がる。
その瞬間‥‥‥‥‥‥‥‥
びりり! と、とても不吉な音が聞こえてきた。
「あ!」
「え?」
脇腹に痛みが走る。それは、みなもの柔肌が思いっ切り引っ張られた痛みである。
しかし肌を直に引っ張ったわけではない。子供はみなもが飛び上がった拍子に虎の衣装を掴んでしまい、勢い余って破いてしまったのだ。
破れた範囲は大きく、脇腹からお尻の上にかけてみなもの肌が‥‥‥‥
「がるるるるるるるるるるる!!!!!!」
子供達を威嚇し、一瞬だけ怯ませる。その隙に衣装を破いた子供から衣装の切れ端を引ったくり、それをすかさず衣装の切れ目に押し込んだ。
「あの、今‥‥‥‥あれ?」
子どもが申し訳なさそうにみなもを見るが‥‥‥‥気付いた時には、既に衣装の切れ目が消滅していた。
いや、消滅と言うよりも、元の通りに修繕されていた。虎柄の衣装には変化は見られず、継ぎ接ぎも何もない。みなもが子供から奪った切れ端が触れたと思った瞬間に、あっと言う間に衣装は修繕されていた。
「‥‥‥‥なになに? お姉ちゃん! 今のどうやったの!」
「ど、どうもなってませんよぉ。ふふふふふ」
冷や汗を流しながら、みなもは必死に誤魔化しに掛かる。
思い切りよく破れたからか肌はジンジンと痛んでいたが、みなもは目尻に涙を浮かべるだけで耐えていた。ここで痛がるわけにはいかない。周りで不思議そうにペタペタとみなもの体を触ってくる子供達を引き離さないと、とても気を抜けるような余裕は得られない。
(ま、間に合った‥‥‥‥)
みなもは必死になって誤魔化しながら、まずは衣装を修繕する瞬間を見破られなかったことにホッとした。性格には、みなもは衣装を直したわけではない。衣装は今でも破れ、盛大に切れ目が開いている。
衣装が直ったように見えるのは、咄嗟に“生きている服”の機能をフルに発揮させ、衣装の上に被せたからだ。
体から素早く染み出した魔法生物は瞬く間に色を変え、柄と触感を再現する。その間は一秒と掛からない。そのお陰で何とか衣装の解れを隠すことが出来たが、これはあくまで応急処置だ。みなもの額からは、不安と焦燥の汗がびっしりと噴き出している。
(早く閉園して下さいよぉ!)
目尻に涙を溜めながら、みなもは不審がる子供達からジリジリと離れていく。
“生きている服”の魔法生物は冷気に強いとは言い難い。この真冬の寒風吹き荒ぶ野外においては、とてもまともに使える状態ではないのだ。気を抜くと剥がれ落ちてしまいそうで、自然と体が不安に震えてしまう。
「じーーーーーー」
子供達は、そんなみなもを見つめ、ジリジリと追い掛けてくる。
気になることがあったら徹底的に追求する。良くも悪くも、子供の特徴の一つである。好奇心旺盛な子供達は、破れたと思ったみなもの衣装が瞬く間に戻っていることを不思議がり、数人は更に衣装を破いてやろうと隙を窺っている。
(親御さん早く来てーー!)
心の中で悲鳴を上げる。
こうなると、夜道で出会う変質者よりもタチが悪い。みなもなら能力を使って返り討ちに出来るのだが、白昼の動物園で、子供達を返り討ちにするわけにもいかない。逃げ回ろうにも“数”という暴力の前には逃げ切ることは出来ないだろう。
それに、それは職場放棄というものだ。
「じりじり。じりじり」
「が、がるるるるるる‥‥‥‥」
子供達に押され、虎が弱々しく威嚇しながらジリジリと後退する。
どう見ても、虎であるみなもが押されている。なぜ新年早々、こんな試練に立ち向かわねばならないのか。子供達に間合いを詰められながら、みなもは本気で、このアルバイトに就いたことを後悔していた。
「よーし、せーのっ!」
子供達は互いに示し合わせ、ついに突進を開始した。
魔法生物が剥がれ落ちないように祈りながら、みなもはその隙を突いて走り抜けようとして――――
『ご来園中の皆様に申し上げます。現在、午後五時三十分でございます。当園が閉園するまで、あと三十分となりますので、ご来園下さいましたお客様はお忘れ物のないよう‥‥‥‥』
園内に設置されていたスピーカーからもの悲しい音楽が流れ出し、閉園を告げるアナウンスが響き渡る。こうなると子供はともかく、その親達が黙っていない。子供をみなもに押しつけて悠々と休んでいた親達が一斉に行動を開始し、まるで拉致するかのように子供達に駆け寄りその手を掴む。
「うわーー! なにをするーー!!」
「はいはい。大人しくこっちに来なさい」
「いやだー! お姉ちゃんを脱がすんだー!」
「なっ! ‥‥‥‥いいから、もう帰るぞ!」
子供達は不平不満を言って抵抗していたが、それも長くは続かない。みなもが新年早々に試練を与えられたのと同様に、あの親御さん達もまた、新年早々に子供達の我が儘に付き合ってここまで来たのだろう。去っていく背中には、「早く家に帰りたい」と言う意思が伺える。
その背中に共感しながら、みなもはようやく胸を撫で下ろした。
(はぁ‥‥‥‥やっと終わった)
スピーカーから流れる音楽が、不思議と遠く聞こえる。
まるで別の世界の音を聞いているかのようだ。朝から今に至るまで、トラブル続きで心身共に疲れ果てている。体に張り付いた衣装を通し、体を撫でていく寒風が不思議と心地良い。走り回っていたことで体が温まり、それを冷ましていく風が気持ちよかったのだ。
だがそれも、ほんの十分と持たずに悲鳴に変わるだろう。この季節、日が落ちた後の寒風は、昼間の比ではないのだから‥‥‥‥
どんどん気温が低下していく寒空の下を、見覚えのある‥‥‥‥みなもに接着剤を塗った飼育員が駆け寄ってくる。
そして、あっけらかんと言ってのけた。
「あ、海原さん。あと二日、頑張って下さいね♪」
反省の色なし。
もはや問いつめるような気力は残っておらず、みなもは力無く項垂れ、「はぅぅ」と溜息をついた。
「‥‥‥‥あの、ギブアップしてもいいですか?」
「ダメですよ」
にこやかな笑顔。みなもには笑い返すような力もない。
(三日目まで、無事でいられますように‥‥‥‥)
近くにあるという神社にお参りしようと、みなもは静かにそう誓った‥‥‥‥
Fin?
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