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Soylent
「ねぇみなも、こんな話を聞いたことがあるかい?」
「なんですか?」
あることを調べ、少し疲れたからとやってきた店内でのんびりと過ごしていた海原みなもに、店主の碧摩蓮がふと思い出したように切り出した。
「あんたに着てもらった『服』の量産品だけど、最近大量に発注されたんだと。この間例の魔法使いが儲かったって嬉しそうに話してたからどうしたのかと思ったら、そんなことがあったらしいよ」
「そうだったんですか……」
が、それは別にいいことだと思う。売り物は兎も角として、その魔法使いは一応正当な報酬をもらっているのだから。
ただ、引っかかる。それは今みなもが調べている事件があったから。
「それでさ。あれって媒介が必要になるじゃない? それはどうしてるんだろうってねぇ」
「……あの、それってもしかして……」
なんとなく嫌な予感がみなもを過ぎる。そして、次の言葉にその予感が確信へと変わる。
「最近ね、世間でニュースをよくやってるじゃないか。連続女性失踪事件。神隠しだとか色々言われてるけどね。
なんでこのタイミングでそんなことが起きてるんだろうねぇ?」
それはつまり、恐らく『事件と服は関わっているんじゃないか?』という蓮の言い分だろう。
みなもがその事件を調べていることは一切伝えていない。なのに何故それをみなもに伝えたのかは分からないが、そう言われてただ黙っていられるみなもでもない。
「あの、蓮さん。今日は帰ります」
言うが早いかみなもは足早に店を後にした。
「……」
それを黙って見送りながら、蓮が小さく紫煙を吐き出す。その口にはなんとも言えぬ苦い味が広がっていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
場面は冒頭より少し前に遡る。
何時の時代であっても、人の世界では色々な噂が生まれては消えていく。それは実しやかに囁かれ、何時しか人々の記憶にそれとなく残っていく。
伝承。
怪談。
都市伝説。
その言い方は様々だけれど、その本質になんら違いはない。
それはみなもが通っている中学校にも当然のようにあり、最近は新しい都市伝説が見つかったらしくひっそりと生徒間で噂になっていた。
「ねぇねぇみなもは聞いたことある?」
「何を……ですか?」
昼休み、何時ものようにお弁当を持ち寄って机を寄せ合った少女達。その中でふと話が盛り上がる。
「昔流行ったじゃん、人面犬とか鯉とか。最近ね、なんかそういう類のやつがいる牧場があるって噂があってねー」
「あ、聞いたことあるある。確か牛か何かだったっけ?」
「そうそう。結構見た人もいるらしくてさー。しかも東京からそんなに離れてないらしいよ」
次から次へと少女達の口から出てくるその噂。それほど噂になっていながら、みなもは一度も聞いたことがなかったのだが。しかし、そのことが何かみなもの中で引っかかる。何が引っかかるのか、それが彼女自身分からなかったが。
まぁ噂は噂であって、それが真実であるという確証など全くない。妙に引っかかるのも考えすぎだろうとみなもは足早に帰路へとついた。
自宅につき、何時もの動作で何気なしにテレビの電源を入れる。丁度ニュースかドラマの再放送がやっている時間だ。
映し出されたチャンネルはニュースをやっていた。この時間のニュースはあまり堅苦しいものでなく、どこか緩い空気がある。そんな中で、最近話題となっている事件が特集に組まれていた。
最近若い女性ばかりが行方不明になっているという。しかも極短期間の間に。若い女性というところだけが共通し、それ以外被害者に一切の共通点はない。その足取りも全く分からず、世間の間では神隠しではないか、などという噂まで立っているのだそうだ。
みなもをまたなんとも言えない寒気が襲う。それについて、自分は何か知っているのではないか?
真っ先に思い浮かぶのは一件の事例。ただまだそうと決まったわけではない。決め付けるには情報が足らなさ過ぎる。
「……調べてみましょうか」
誰に呟いたのか。不安を振り払うように、みなもは小さく一度だけ頭を振った。
調べてみると、やはりというべきなのだろうか、あってほしくなったというべきなのか。二つの噂には共通点があった。
人面の獣の顔は決まって若い女性であったということ。
攫われていたのは必ず若い女性だったということ。
そして二つの噂は調べれば調べるほど、その発生時期がほぼ同時であるということが分かった。
二つの噂はごく最近囁かれるようになり、そして人面の獣が見られた場所は東京からさほど離れていないところ。東京で行方不明になった女性を運ぶのにそう苦労はしない距離である。
そして、そんなときに聞いた蓮の話。奇妙なほど一致する符合は、最早それ以上の可能性はないとばかりにみなもの中で大きくなっていく。
それはつまり、あの服で何かをしている者がいるということ。それも大々的に。
行方不明者はいよいよ三桁に近づき、最早都市伝説などという範疇では収まらない被害となってきていた。だが、何故か不思議と警察の動きは鈍い。
この状況をどうすればいい? その符号が一致するのは恐らく自分だけだろうし、警察の動きが鈍いのもそちらに手が回るものの犯行だとすれば分からない話ではない。
あの日着た自分の中にいる『彼』の眷属。
それが大量に発注されたという事実。そして大量女性失踪事件。
このままでは被害が大きくなるかもしれない。大体それらを使って何をしているのかも分からない。
オリジナルの『彼』をパートナーとしているみなもにとって、とてもではないが看過できる事態ではない。
人面の獣の噂が立っている場所は、今までの調査で凡その位置も見当がついている。みなもは誰にも気付かれぬよう、静かに玄関を出た。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
東京といえば大都会のイメージが強いが、当然ではあるがそうでない部分もある。東京から少し離れれば、大都会とは無縁の自然が広がっていてもおかしくはない。
みなもが出発したのは日没前。辛うじて間に合ったバスの最終便に乗りその終点まできていた。
東京とはかけ離れたそこは、少し道を外れればそのまま鬱蒼とした山へと繋がっている。持ってきていた懐中電灯を頼りにバス停を読んでみれば、やはりというべきかもうバスは朝まで来ないことが分かる。
もっともそれはみなもも覚悟済みであり、すぐにその道を歩き始めた。
日没は早く、空には星が輝いていた。月の光もなく、ちらつく街灯の光だけがこの世の全てに思える。
随分と冷え込む中、しかしみなもの足取りは力強い。まるで答えに向かって一直線に歩き続けるかのように。
暫く歩き続けたみなもは、道路がそこで途切れていることに気付いた。ライトを照らしてみれば、立ち入り禁止の看板が立てられている。その先には、こんな山中に作られたにしては妙に新しい巨大な鉄の門。
鎖などは見当たらない。しっかりと鍵で閉められているようだ。
「……怪しいですね」
門の新しさが気にかかる。しかし乗り越えていくには随分と背が高く、流石にこれを乗り越えるのは無理そうだ。
みなもは山道の脇を見る。山肌は確かに急だったが、しかしこちらならまだ登れないということはなさそうだった。
「こちらから、ですね」
みなもは一つ思い浮かべる。山を登るために必要なもの。そう、靴だ。とはいえみなもはそれほどトレッキングシューズに詳しいわけでもなく、安易に思い浮かべたのは靴底にスパイクがついたものだった。
自分の足に出来上がった靴を、ぐっと山肌に押し付け踏ん張ってみる。本来雪山などで使うそれは、しかしこういう急斜面を登るためには中々悪くない選択だったようだ。
「よし……」
これならいける。決心がついたみなもは山肌を登り始めた。その様子を誰かに見られていることなど気付くこともなく。
斜面を登り、無事に門を越したみなもは休むことなく歩き続けた。
暗闇だけが続いたせいか、既に時間の感覚は麻痺している。しかしその成果もあってか、遂にみなもは開けた場所に出た。
「これは……」
再び姿を見せた電灯は、街灯のそれとは違っていた。フェンスと共に何かを囲むかのように設置されている。
電灯には光が灯っていたが、中のものを刺激しないためかあまりその光度は強くない。おかげで中に何があるかは窺い知ることが出来ない。
フェンスを頼りにみなもは歩く。そしてまた暫く歩くうちフェンスの中に扉を見つける。調べてみると、鍵は開いていた。
ここは確かに何かがおかしい。そしてみなもはそれを調べにきたのだ。一度だけ深呼吸をして、みなもはその扉を開けた。
フェンスの中も不気味に静まり返っている。しかし先ほどまでとは何かが違う。
(……何かの息遣いがあります、ね)
闇の中を進む。すると、程なくして巨大な建物がみなもの眼前に現れた。
光は相変わらずであり、何か書いてあるようだがそれが何かは分からない。出来ればライトで照らしたいところだが、これだけの巨大な建物であれば管理するものがいるはずだ。それを考え、みなもはライトをつけずにその建物を調べることにした。
壁を頼りに歩くと、すぐにぽっかりと大きく開いた入り口が姿を現した。そして、その中から確かに感じる息遣い。そこでみなもは思い出す。
(……牧場、でしょうか?)
何時かテレビで見たことがある。丁度牛や馬を飼育するための厩舎はこのような感じだったはずだ。
こんな山中に牧場があるなどと聞いたことはないが、しかしそれはそれで彼女の考えとまた一致する。
あの『服』を大量に使うとして、その後の管理はどうするのか。
大量の女性を逃がさないように管理するなら、あの『服』で何かしらの動物にして管理したほうが楽だろう。
思考まで書き換えられるかどうかは分からないが、それはそれだ。
(だとすれば、この中にいるのは……)
中には柵が設けられていた。そこに手をかけ、みなもはよく目を凝らす。そこには確かに何か生き物がいる。
意を決し、みなもは手の懐中電灯の電源をいれ、柵の中を照らした。そして、その光景に思わず唾を飲む。
「やっぱり……」
みなもの思ったとおり、そこには眠る牛がいた。
いや、牛というにはその顔がおかしい。それは確かに、若い女性の顔と牛の顔を混ぜたような奇妙な人面だったのだから。
静かに眠り続ける人面牛はあわせて十頭だった。顔が奇妙であることを除けば、その生態はどうやら牛そのもののようだ。
みなもは一旦その厩舎を出て、また歩き始める。程なくまた別の厩舎がその姿を現した。その中からもやはり息遣いを感じる。
中に入れば、今度は先ほどとは違うものがいた。それはやはり体は馬、顔は馬と女性を足して割ったような奇妙な生物。
「こちらも、ですか……」
もうそれ以上見る必要はなかった。
「間違いありませんね。ここは家畜となった人の飼育牧場、ですか」
だが、その結論は同時に彼女の危機をも表していた。
『グルルルルッ…』
「!?」
低い唸り声がみなもの背後から聞こえ、思わずみなもは振り向く。そこには数匹の牧羊犬の姿があった。当然というべきなのか、その顔はやはり女性と犬が混じった奇妙なものであったが。
まずい、そうみなもが直感したときには既に遅かった。
火花が爆ぜるような音。
一瞬だけ闇を切り裂いた閃光。
みなもに何かが押し当てられる感触。
「ぁ……」
力なく細い体が倒れこむ。それは彼女のそれより太い腕によって受け止められた。
奇妙な犬の周りには数人の男が立っていた。彼らは気を失ったみなもを抱きかかえ厩舎を去るのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
体が何かに包まれている。
それは何時も体験している『彼』と同じようで全く違っていた。
何時もみなもを包み込んでくれる彼の感触は、まさに夢心地といっていいもの。しかし今体を包み込むそれは、まるで纏わりつくかのように強引で甚だ不快だ。
この感覚は嫌だ。この感覚は駄目だ。この感覚は危険だ。そう本能が告げる。
しかし体は動かない。どれほど知覚していたとしても、それをどうすることも出来ない。
みなもに纏わりつくそれはどんどん体の中まで進入してくる。
違和感とどうしようもない気持ち悪さに、みなもは悲鳴を上げることさえ許してもらえなかった。
「この娘だったか、確か例のサンプルは?」
「そのようですね。中に反応もありますし」
「なら話は早いな。早速プログラムを書き換えろ」
「了解です。書き換えは……何がいいでしょう?」
「そうだな。今この『牧場』には確か山羊が足りていなかったな。それにしろ」
「山羊ですね、っと……」
胡乱な頭に、そんな会話だけが聞こえてくる。何か投薬でもされたのだろうか、みなもの体は全く自由に動かない。
目を開けるのも辛く、みなもはただされるがままの状態になっていた。そんな彼女を見下ろす数人の男達が、コンソールに向かって何かを慌しく打ち始めた。
今のみなもに何かを考えるほどの力はない。つまりそれは、彼女の中の『彼』も思考を失っているということだ。『彼』は彼女と共生する為に、その力を必要な部分以外カットしている。そして今回はそれが仇となった。
『彼』は魔法生物であるが、その在り方は寧ろ人工知能といったほうが正しいかもしれない。みなもの思考を感じ取り、その中から数多を学習し、そして取捨選択をしては自身の思考を上書きしていく。そうして『彼』はみなもと共生してきた。
今彼女は何も考えられない状態にある。その中で『彼』は最低限の身体機能補助を行っていた。『彼』は知っている、自分が勝手をしたら彼女の中から消されると。
そんな状態なのだ。『彼』が無防備にその機能を外部から書き換えられたとして、誰が責められただろうか。
強制的に書き換えられた思考は、否応なしに宿主であるみなもの体を起き上がらせた。
急速な思考の展開に、しかし当のみなもはついていくことが出来ない。
「ぅ……ぁ……」
か細い声が漏れた。しかしそんなことはお構いなしに、『彼』はみなもの体を変化させていく。
書き換えられた思考は山羊のそれだ。一瞬で山羊の設計図が『彼』の中で出来上がり、何時ものようにみなもの体を変化させていく。何時もと違うとすれば、そこにみなもの意思が関わっていないことだろう。
新たな体毛や筋肉が作られ、山羊のそれと同じ体組織が出来上がる。強制的に開かれた口腔が伸び、ただただ強引にみなもの体が山羊へと変化していく。
強引な変化は、当然であるが宿主のみなもに強烈な痛みとなって伝わっていく。一瞬の激痛は、しかし次の瞬間には『彼』の機能により消えてく。
体が勝手に変化させられることへの違和感。
苦痛なのか快楽なのか分からない感覚。
視点がめまぐるしく変化する。
それは、どう例えればよいかも分からないほどにただただ気持ち悪かった。
抵抗すら許されないみなもは、その気持ち悪さに涙を流すことしか出来なかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
もうどれくらい時間が経ったのだろうか。何度日が昇り、落ちるところを見てきたのか。そんなことすら、山羊となったみなもには分からなかった。
みなもの意識は確かにまだ存在している。その状態でも脱走できないのだ。
彼女がどれほど意識しても、彼女の中の『彼』は全く動いてくれなかった。まるで何かにプロテクトされているかのように、一切動かないのだ。
存在していたはずの『彼』の意識は丸ごと書き換えられ、その機能はただ山羊として生きることに特化されたのだ。
故にそれを再び書き換えない限りは、みなもがどれほど意識しようが意味がない。
意識が残るというのは、これ以上なく残酷だった。
人としてのみなもの意識は、しかし山羊である『彼』の意識に勝つことが出来ない。
人として知覚しているのに、山羊としての日々がただただ続く。それが続き、次第に自分が本当に人であったのかさえ分からなくなってきたのだ。
こんなことなら、人としての意識を完全に消し去ってくれたほうがどんなに楽か。
小さく鳴き声が漏れた。それはみなものものか、それとも『彼』のものか。そんなことすら、もうみなもには分からなかったのだ。
「随分とここには色んな種類の動物が作られてるんだね」
「えぇ、家畜による生産物も大切ですが、それ以上に家畜がいざ感染症となったときそれに対応する必要がありますからね。サンプルの種類は多ければ多いほうがいいんです」
「あっそ」
不機嫌そうに蓮が紫煙を吐き出しながら『牧場』を眺め歩いていく。
あの魔法使いが一緒に見学しないか?と誘ってきて、彼女はそれに乗ったのだ。
女の顔を持った『家畜』と呼ばれたものを眺め、また不機嫌そうに紫煙を吐き出す。その光景はどうしようもなく気持ちが悪い。
あの日以来、みなもは彼女の前から姿を消した。
あの時あの情報を漏らしたのは、蓮が少なからずみなもに期待していたからだった。
彼女は仕事を受け持った人間としてあくまで中立でないといけなかったし、彼女が魔法使いの話を聞いて動くわけにはいかなかった。
知り合いの魔法使いは喜んでいたが、彼女は例の『服』のこともよく知っていたしそのことを快く思えなかったのは事実だ。
みなもによって事実が明るみになれば、少なくとも彼らがこの場で仕事を続けづらくはなっていただろう。
しかし結果はどうだ。結局みなもも行方不明となり、自分はまたここにいる。
(みなも、あんたはこの中にいるのかい?)
もっともそれが分かったところで、今の蓮にはどうにも出来ないだろう。
「何かの映画であったね。食糧危機になった人類が、死んだ人間を使って食料を作ったってやつが」
呟きは誰にも聞こえることなく消えていく。
「人間が生きるために人間を飼うようになる、か。笑えないね」
言葉と共に吐き出した紫煙は、あの日と同じようにただただ苦かった。
<END>
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