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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


喜劇の最中
あるいは、馬鹿馬鹿しい男のプライドについての話






 その日、内浦はソファでくつろいで雑誌を読んでいた。
 すると突然、リビングのドアが音を立てて開いて、勢い良く人が入って来た。
 えっ、とか焦り、ソファからずり落ちそうになりながら、立ち上がる。茫然と、そこに立つ人物を、見た。
「やあ、内浦君、元気ー」
 草間武彦は、自宅に、限りなく侵入に近い形で人が入って来たことの衝撃から、えーとか何か立ち直れずに居る内浦に向かい、軽快に、言った。凄く軽快に、言った。
「え、いや」
「あー、驚いてる? まあ、そうだよね、驚くよね、普通」
 棚にあるコンパクトディスクのケースなどを眺めて放りながら、草間が、言う。
「いやあの、草間さん」
「んー」
「いやあの、えこれ、言っていいかどうか分からないんですけど」
「なに」
「何ていうか、眼鏡が割れてます」
「あ、うん、知ってる」
「あ」
 けれどそもそもそれは、絶対、分かってて掛けてても良い類の割れ方ではなく、レンズの部分が物凄い割れてるんですけどいいんですか、っていうか、見えてるんですか? っていうか、フレームも曲がってますけど、いいんですか、それはいいんですか、と、更に詰め寄るのも何か、有難迷惑のような気がしたので、やめた。
 じゃあきっと、髪の毛がぼっさぼさなのも、黒いジャケットが所々白く汚れているのも、黒いパンツに破れ目があるのも、顔に擦り傷があるのも、総じて、明らかに、え、あれ? 車にでも轢かれてきました? みたいな格好になってるのも、きっと知ってる。
「あのー」
「うん何だろう内浦君」
「いやそれで何の用なんですか。休みの日に凄い、迷惑なんですけど」
「何ていうかほら、俺って、不器用っていうか、生きていくのが下手じゃない」
「いや遠い目で言われても知りませんけど」
「この間もさ、道行く中年の会社員男性に、あの、チャック空いてますよ、ってさ突然言われてさ」
「はあ」
「だから言ってやったんだよね、知ってるよって」
「はー」
「いやもう何ていうか、むしろ分かってて開けてるみたいな所があるんですよ、って」
「はー」
「んー」
 それで草間は満足したみたいに、ため息等を吐き出しながら、遠い目なんかをして、窓の外を見た。だから内浦もつられて一緒に窓の外を見た。
 部屋の中が凄いシーンとなった。
「いやあのーすいません」
「うん何だろう、内浦君」
「あのこれ言っていいかどうか分からないんですけど」
「うん」
「やっぱ休みの日に、これやっぱ凄い迷惑なんですけど」
「君はあれ、俺の眼鏡が割れているというのに、追い出すっていうわけ」
「いやだから何で眼鏡割れてんですか、普通あんまりそんな格好にならないですよね、日常生活の中で」
「人それぞれに日常があるんだから、日常、とかひとくくりにしないでくれるかな」
「はー、じゃあそれはすいません。なので、帰って下さい」
「大変だったんだよ、いろいろ」
「それは大変ですね」
「でね、興信所に居たら死ぬかも知んない、とかちょっと心配になったから、逃げだしてきたわけ」
「この際草間さんが暗殺されようともういいんですけど」
「うん」
「しかもどうやっていきなりここに入ってきたかとか、も、この際どうでもいいので」
「いやあ、俺って何ていうかなあ、ちょっと、こう、気に入った人のことは何でも知りたくなるっていうのかな、そういう傾向があるから」
「ここに逃げてこられて、これ、僕、大丈夫なんですかね」
「うん、そうだよね」
 取ってつけたかのような深刻な表情を浮かべ、草間が顎を撫でる。「俺もそれは今、気付いた」
「いや大丈夫なんですかね」
「ねー、どうだろうねー」
「あー凄い他人事だ」
「まあ、たぶん、何とかなるんじゃないかと思うのよね」
「いやそんな漠然とした言葉で勇気づけられたりしないですよ」
「でもさ、まあ、内浦君なら、別に巻き込んでもいいんじゃないかと思って。象に襲われそうになっても、平気な顔してそうな人だから」
「いや平気な顔しないですよそれは」
「だよね、俺だって出来ないよね、それは」
「はー」
「んー」
 とか何か、平坦な声で頷いて、部屋の中はまた、静かになる。
「ん、で、これ、この後一体どうなるんですかね、僕」
 いやいや終わってませんよね、と、遅れて気付いた内浦は、若干焦って草間を振り返る。
「さあ」とか、当事者であるはずの草間が小首を傾げた。
「これどうしようかなあ、面倒臭いことになったよなあ」
 けれど、そう言われても、内浦には全く話が見えないので、何も、言えない。



「とかいうことがあったらしいのね」
 四角い形にカットされた和牛のステーキを摘みながら、歌川百合子は言った。口の中に放り込み、ワインのグラスを傾ける。「何かさあ」とか、話を続けようと言葉を発したものの、口の中に広がる和牛ステーキの味と赤ワインの程良い苦みに、うわ美味、とか思考を持っていかれたので、もう一口食べて、ワインを飲んで「いや何かさあ」と、もう一度頭の中を話に戻した。
「何か別にどうでもいいんだけど、相変わらず良く分かんないとこいってはるよね、草間さんちの武彦さん。ねー兎月原さん、知ってた?」
 兎月原正嗣は、百合子の向かいで、白身や赤み魚の刺身に添えられている白髪大根や海藻を、わさび醤油に浸して食している。それから日本酒の入った小さなグラスを傾けて、合格です! みたいに小刻みに頷いた。お刺身は手つかずのまま残されていて、大根だけが消えている。「はい」とか何か呟いた兎月原が、お皿を百合子の方へと押し出した。
 テーブルの上を滑ってくるお皿を眺め、「もう」と顔を顰める。「こういうことやめなよ」
「いいじゃん、美味しいとこあげるって言ってるんだから」
 押しつけがましく言った兎月原が、更にお皿を押し出してくる。
「メイン食べないってどういうこと」
「ちが、だからさ、あれだよ、お刺身についてるつまだけセットとか、つけあわせセット、とかそういうのあったら、頼んでるよね、俺は」
「ほんでシソの葉だけ食ってないし」
「シソはさー、シソだけで食えないもんだって。最悪、刺身を巻いて食べないとさー」
「要するに嫌いなんでしょ」
「だからとにかく、刺身とかはもう、食べ飽きてるんですよ」
「あー、さすが軽く苛っとさせること言いますよね、高級出張ホストクラブ経営者は」
「ほんでこういうのって、客と一緒の時とか食べられないじゃない。俺ほんとはすっごい好きなの、でもいつも我慢してるの」
「そりゃ目の前で、醤油じゃぶじゃぶつけた大根とか食われたらやだよ、見た目も汚いし。醤油皿の中、ぐちゃぐちゃなってるし」
「そんなこと言うけどさ、百合子だってさ、お好み焼屋とか行ったらさ、びっくりするくらいソースとかマヨネーズとか塗りたくるでしょ、あれ普通の男だったら引くよ? あと、牛丼屋の紅ショウガもさー。もう飯何処か分かんなくなってるし。牛丼なのか、紅ショウガ丼なのか、判定が難しいよ、あれは」
「それは、だって」
 拗ねるように唇を尖らせ、お箸の先で赤身をつつく。「ああいうのは、無料だから」
「出た」
「何が出た」
「無料に弱くなったら、あれだよ、おばさんだよ」
「ちが、それは、おばさんとかじゃなくて、あたしとかは、バブルとかもう崩壊した不景気時代の人だから、逆に、逆によ、逆に、こう、無料にこう、引き寄せられるっていうか、だからむしろそれは新しいっていうか、だもんで若いっていうか」
「あーはいはいはい」
「うわー笑ってるよー、どうしよう、あの笑顔うざ、っていうか今牛丼とかお好み焼とか関係ないよね、刺身の話だよね。だいたい牛丼屋とかお好み焼屋とかは、店の感じからしてありなんだよ、こんなおっされな和風ダイニングとか来てそういうことはしたらいけないんだよ、わかる?」
「いや、おっされ、て」
「お洒落」
 テーブルから一旦離れ、個室になっている空間の、自分の真後ろにある壁に背中を預ける。「何か今ちょっと舌回らなかった」
 薄く笑いながら、んーとか、兎月原が頷く。「おっされ、てね」
「でもさー、あれ、さっきの話だけど」
「さっきの話?」
「草間武彦の話」
「あー」
「兎月原さん、知ってたの、やっぱり」
「やっぱり、って?」
 兎月原が一瞬だけ、目を上げる。ちら、と百合子の顔を見た。「どういう意味?」
「いや別に」
 探りを入れるような目だな、とは思ったけれど、一体何を探りたいのか、検討もつかない。「どういう意味とかないけど」
 百合子が答えると、ふうんとでもいうように、納得したのか納得していないのか、そもそも一体何を考えているのか分からない顔つきで、視線を醤油皿に戻した。相変わらず最後の一歩のところで、良く分からない男だな、と、思う。けれど、だからといって、不安を感じるわけでもないので、放っておけばいい、という気もする。
「っていうかさ」
「うん」
「何で知ってんの、百合子。誰から聞いたの、草間武彦に会ったの。あんな人に二人きりで会っちゃ駄目だよ、駄目になるよ」
「いや、草間武彦には会ってないけど。トシ君から聞いた」
「え、何でトシ君」
「いや何かさ、トシ君の知り合いだか友達だかの話をしてて。変人の興信所の所長に悩まされてる人がいるらしいとか言って、良く良く聞いてみるとそれがどうやら草間武彦みたいでさ」
「はーそうなんだ」
「内浦、とか言ったかなあ」
「ああ」
「ああ、って知ってるんだ、やっぱり」
「やっぱりって、それは何処から繋がったやっぱりなのよ」
 とか言った兎月原の顔を、じっと、見る。
「何よ」
「あれでしょ、兎月原さん本当は面白くないんでしょ」
「は? 何が」
「あたしが兎月原さんも知らなかった草間武彦の情報知ってるから。幼馴染として面白くないんでしょ、さっきからこの話題にあんまり乗ってこないなあ、とか思ってたらそういう事なんでしょ、兎月原さん。そういうのをね、嫉妬というんですよ、あたしに嫉妬してるのよ、兎月原さんは」
 兎月原は何を考えているのか良く分からない、能面のような顔で百合子の事を見つめていたが、暫くすると、言った。
「え、本気で言ってるの」
「いや本気だけど?」
「っていうか本気だったら凄い、面白いんだけどっていうか可愛過ぎるんだけど」
「何よそれ、馬鹿にしてるの」
「馬鹿にしてる」
 にやにやしながら兎月原が言う。「とか言って、うそうそ」
「いやもう、うそうそ、が明らかに嘘じゃないですか」
「いやそうかあ」
 とか言った兎月原は、うんうん、とか小刻みに頷き、何かを納得しているようだったが、一体何を納得してはるんですか、と訝しむ。
「いやもう何か、百合子のそういう感じ、好き。大好き」
「どういう意味、何」
「いや何か、百合子にはそういう風に見えてるんだなあ、とか思って」
「何、そういう風」
「うそー俺、そんな楽しそうにたっ……あのーあれ、草間武彦の話とかしてるー? いつもこんなんだと思うんだけどなあ。そんな乗っかったことないと思うんだけどなあ」
 そう言われればそうなので、「まあ」と、百合子はしぶしぶ首肯する。「そんなこう、ガッとかはこないけど」
「いつもこんな感じだよ」
「でも、いつもはその中にも楽しそうな感じがあるというか、何ていうか」
「じゃあ分かった」
「何が分かった」
「認めたくないけど、認めるよ。うんそう、俺はそう、淋しかったんだよ。そうそう、淋しかったんだ、俺そんな話知らなかったもんなあ。百合子に先越された感っていうか、認めたくないけどさ、きっとあったんだと思うよ、うん」
 殊勝な表情を浮かべ、兎月原が俯く。どう見ても、下手くそな演技にしか見えない。実際、「どう見ても下手くそな演技にしか見えないだけど」と、口にも出した。すると兎月原は、何だよ、と憤った。
「何だよ、百合子が言い出した事だろ。だいたいこんなこと、いい歳した男が真面目な顔して言えないでしょ。これくらいふざけないと、でしょ?」
「それは、まあ」
 ワインのグラスをいじりながら、またしぶしぶ、首肯する。「ここで真面目に草間さん大好きオーラとか出されても、あたしも困るけど」
「でしょ」
「うん」
「だから、これでいいの。はい、この話、終わり」
「うん」
 でも何か、腑に落ちない感じがあるんだよな、とか思いつつも、でも絶対言わないだろうな、とも思ったりして、だったらこれ以上聞くのも何だかなあ、とか思い、別にそこまで知りたいわけじゃないしな、とか思い、何かいろいろ思ってたら、結局、どうでもいいか、と思った。
「じゃあ、百合子さ、次、何飲む?」
 メニューを持ち上げ、眺めながら、兎月原が言う。
「んー、そうだなあ」とか、それを横から覗き込んだ。それから、端整な横顔をちら、と見上げ、「ねえでもさ、何でそんな事になったんだと、思う?」と、終わりと言われたにも関わらず、これだけは聞いておきたかったのだ、とばかりに、口に出す。
「さあ」
 別に鬱陶しがるでもなく、兎月原は曖昧に小首を傾げた。「知らない。何かあれなんじゃないの、また、嘘なんじゃないの。あのー、何か、そのトシ君の知り合いの子をびっくりさせようとか思ったとか」
「でも、びっくりさせよう、とかいう企みくらいで、眼鏡、割るかな」
「割るんじゃないの、変人暇人だし」
「まあ」確かに、なくはない、とも思う。「あるかも、変人だし」
 百合子がそう認めたことが面白かったのか、兎月原は小さく、唇を釣り上げる。



「ねー、たっくん」
 草間興信所内にあるソファに腰掛けた兎月原が、ファッション雑誌のページを繰りながら、言った。
 事務机の上にパズルを広げていた草間は、ピースの一つをつまみ上げながら、んー? とか、気の抜けた返事を返す。
「実はさー」
「んー」
「たっくんにちょっと頼みたいことがあってさ」
「うんいいよ」
 パズルのピースをはめ込み、コーヒーを一口、飲む。「お金、払ってくれるんでしょ」
「ねーたっくん」
 雑誌のページを一枚食って、兎月原は顔を上げた。
「んー?」
「友達なのに、早速お金の話とかするのどうかと思うんだけど」
「うん、でもそれは大事なことだよね」
 平然と言われ、はーそうですかみたいに、雑誌に顔を戻す。
「じゃあさ、話聞いてからもう一回考えてくれる? お金のかからないことかもしれないし」
「うん、いいよ」
「あのさー、昔、中学生の頃、やっくんって居たの、覚えてる?」
「やっくんって、あの、ヤクザの息子の?」
「うん、めっちゃ美形の」
「あー、薄っすら覚えてるかも」
「それでさー、あいつってゲイなの、知ってた?」
「あー、薄っすら知ってたかも」
 兎月原は一瞬だけ雑誌から顔を上げ、鷹揚にパズルをはめ込んでいる草間のことを、ふと、見やる。それからまた雑誌に顔を戻した。
「たっくんって良くそういうことあるよね」
「どういうこと? ……あ、違ったこっちか」
「薄っすら知ってるって感じ」
「そうかな」
「噂とか、何でか知ってるんだよね、誰かに聞いたわけでもないのに」
「あれなんでだろうねー、自分でもいつ聞いたかとかはっきりしないんだけど、何か、知ってるんだよね」
「全然関わらないくせに、むしろ関わる気とか絶対ないくせに、何でか知ってるっていう」
「ねー」
「でさ、それ、パズル、面白い?」
「面白いね」
「俺の話、ちゃんと聞いてる?」
「返事、してるよね」
「うん、返事はしてる」
「じゃあ、聞いてるんじゃないの」
「そうかな」
「まーくんだってずっと雑誌見ながら話してるけどさ、ちゃんと、頼む気、あるの」
「あるよ、物凄い、あるよ」
「ああそうなんだ、見えないね」
「そう良く言われるんだよね、何でか」
「で、そのやっくんがどうしたの」
「うん」
 頷いて、また雑誌のページを一枚、繰る。「あの人やっぱり、親父さんの跡目継いだみたいね」
「そうなんだ」
「この商売初めてから再会したんだけどさ、わーやっくんーって」
「って言ったの、やっくん本人に」
「とは言ってないけど」
「やっぱりヤクザにやっくんとは言えないよね」
「この業界もいろいろあるじゃない。しかもちょうど、俺の事務所、あのやっくんとこの須崎組のシマでもあるし」
「うんそうだよね、あそこは須崎組のシマだよね」
「だからさ、いろいろ便宜を図って貰う変わりに、うちの子、紹介したりして、良いお付き合いを」
「良いお付き合いをね」
「でもそのやっくんがさ、どこをどう間違ったか、あの人のこと、気に入っちゃってさ」
「んー、紀本君、可愛いし、落ち目の藩主の息子だしね」
「紀本だって言った?」
「言ってないけど、違った?」
「っていうか、しかも落ち目の藩主の息子は、内野って人の話じゃなかったかな」
「同じでしょ。とりあえずまーくんはあーゆーの好きなんだから」
 とか草間が言った言葉には、特に反応はなく、「でね、やっくん紀本のこと気に入ったとか言うから、一応、紀本に言ってみたの。気に入られたらしいよって」と、続ける。
「高級出張ホストとヤクザジュニア、どっちが金持ってるかな」
「いやそれは俺の方だけど。だって今、不景気だもん。しかもたぶん俺の方が優しいし」
「優しくはないだろうけど、ヤクザは物騒だしね」
「仕方ないよね、それが仕事だし」
「あー、分かるー。俺もほら、仕事で人の尾行とかばっかしてたら、普段からもつい、出ちゃうもん」
「んーそれはたっくんの人格に問題があるからだと思うんだけど」
「人格にも問題あるけど、仕事のせいもあるよ」
「そしたらあの人、何をどう間違ったか、あのマンションに居るよりやっくんとこ行った方がいいとか思ったらしくて」
「んー、まーくんと一緒に居るの嫌になっちゃったんだろうね、苛められるし」
「でもさ、借金とか半分くらいまで善意で、減らしてあげたの、俺だし」
「はー、善意ですか」
「何かそういうの考えたら、軽く苛っときたからさ」
「だいぶ呑んでたし?」
 とか言うと、兎月原は薄気味悪いものを見るような目で草間を見る。
「何、見てたの」
「いや、呑んでないと苛っと来ても、来てないふりとかするから、まーくん」
「でも俺、ちょいちょい苛っときてるよ、あの人俺を苛っとさせるの上手いからね」
「うそー、凄い才能。俺にも教えて欲しい」
「それで何か、苛めたくなっちゃうんだよなあ。しかもこう呑むと歯止めが利かなくなる時が、たまに。最近それがちょっと、頻繁だった気はするけど」
「素直に言うこと聞いて欲しいけど、聞かれたらすぐ飽きちゃうし、まーくんって難しいよね」
「それでね。まあ、うちには、あの人を映した映像があるんだけど」
「え、それってもしかして恥ずかしいやつ」
「恥ずかしくて酷いやつ」
「こんな真昼間の興信所では言えないやつ?」
「出回ったら確実にお婿とか行けなくなるよね」
「ねー嗜虐心の塊だよね、塊っていうか、権化っていうか、鬼っていうか」
「それで君がそっちに行くっていうなら、その映像、その手の店に売りつけるけどいいよね、みたいなことを」
「みたいなことを言って脅したの」
「別に脅すつもりとかなかったけど、何か、腹立ったから、つい」
「わーやり口がヤクザよりヤクザみたい」
「そしたら次の日、俺が仕事に出かけてる隙に居なくなってて」
「あー、逃げたんだ」
「むかつくことに、映像を記録したディスクも消えてて」
「あー持って逃げたんだ」
「たぶんやっくんのところに居ると思うから」
「うん」
「そのディスクだけでも、取り返してきて欲しいの」
「それでどうするの」
「俺に謝らないなら、その手の店に売りつけるし」
「冷静に考えて、そんな奴と一緒に居るのは嫌だと思うよっていうか、紀本君は多分、生命の危機を感じたんじゃないかな。紀本君は悪くないよ、むしろ、逃げて正解だよ」
「だからこんなこと、たっくんにしか、言えないけど」
「俺もあんまり聞きたくないけど、俺意外には絶対言っちゃ駄目だと思う、捕まるよ、まーくん」
「だから、こんなこと頼めるの、たっくんしか居ないし」
「でも、何か、思ったんだけどさ」
「うん」
「何でまーくん、自分で行かないの」
「俺はほら、やっくんといろいろ付き合いあるし」
「あるし?」
「あくまで、紀本の意思で帰ってきた、みたいに見せておかないと、後々、何か言われても面倒臭いから。だから。ね、頼むよ、たっくん」
「明らか紀本君の意思じゃないけどね、っていうか、ディスクだけじゃないの」
「ディスクが帰ってきたら、別に必要ないけどあの人も帰ってきちゃうと思うんだよね」
 どうでも良さそうな調子でそんなことを言い、雑誌のページをまた、繰る。


「とかね、頼まれたわけ」
 ソファに座る草間は、別に聞きたくもなかったそんな話を延々と聞かせた挙句、「ところでシュラインくん、お茶とかコーヒーとか出ないのかな」と、締め括った。
 シュライン・エマは鏡に向けていた顔を一瞬だけ動かし、何だコイツ、とでもいうような冷たい表情を浮かべ、また化粧の続きに戻った。
「でもお茶かコーヒーかっていうなら、俺はコーヒーが飲みたいんだけれども」
「あのあれ、話終わったんなら、帰ってくれて、いいよ。私、これから約束あるし」
「相変わらず、酷いよね」
「元、彼女の家に、堂々と訪ねて来て、ふてぶてしく上がり込むのも、酷いと思うけど」
 今更呆れても仕方がないので、明日は晴れになるらしいですよ、と言うくらいの無責任さと労力で、言った。
「じゃあ、こそこそすれば良かった? 君の居ない間に、こそこそ、上がり込んでおこうか?」
「分かってると思うけど、そういう問題じゃないから。しかも、うんって言ったら本気でやるでしょ」
「ここに座って、やあ、お帰り、つって手を挙げてあげよう」
 馬鹿じゃないの、と言いかけ、口をつぐむ。馬鹿じゃないの? ではなくて、馬鹿だ。
「それで? どうするの、ディスク、取ってくるの?」
「うん、実はもう、ここに」
 傍らに置いた雑誌の間からパッケージに入った記録媒体を取り出した草間は、それをテーブルの上に滑らせる。
「一緒に見る?」
「見ないし、私これから、約束あるし」
「冷たいなあ」
「ちなみにそれをちらつかせて、大金をふんだくろうって、魂胆?」
「そんなことしないよー」
「そんなことはしないけど、何するの」
「その何か俺が何かするみたいな前提、おかしくない?」
「おかしくないよ。むしろ、妥当だよ」
「シュラインくん、鋭い」
「鋭いんだ」
「さすが俺の彼女だけあるなあ」
「元、彼女ですけれども」
「シュライン以上は、もう、ないね。出会えないね、一生。だから一生付きまとうしか、ないんだよね」
 とか、意味不明なことを言ってる草間は無視して、黙々と化粧品をポーチに仕舞う。チャックを閉めて、棚に戻し、洗面台に行って髪をセットし、また、部屋に戻る。草間はまだそこに平然と座っていて、帰っているはずもないだろうけど、あー、まだ居ますかーとか、思う。
「それでその紀本君とか言う人は、あの自意識過剰の美形まーくんのところに、戻ったわけ」
 バックの中に、電源を落としたノートパソコンを突っ込みながら、聞いた。
「いやあ何かもう、太宰治みたいな、憂鬱な青年みたいな、そういう顔になってたよ、紀本君」
「可哀想に」
 携帯用の化粧品ポーチと、中身をチェックした財布をバックに仕舞う。携帯を取り出し、画面を見てから、それもまた、仕舞う。
「戻らなくても酷いけど、戻ってもあれはきっと、凄い、苛められるんだと、思う。どっちにしても、酷いね、やるね、まーくん」
「嗜虐の権化だね、兎月原正嗣」
「あ、それ、俺も言った、権化」
「何かそのちょっと嬉しそうなの、やめてくれるかな。気持ち悪いし」
「やっぱり、発想が似るんだね、夫婦って」
「マイルドに夫婦とか飛躍させるの、やめてくれるかな」
「でもあの、悪魔みたいなまーくんから逃がしてあげるの手伝ってあげたら、紀本君、喜ぶだろうなあ」
「喜ぶのは紀本君とか言う人ではなくて、武彦さんだよね」
「おっと、シュラインくん、鋭い」
「だいたい、何故今、そのタイミングで居なくなるか、ってそこがもう全然、分かってないもん。そんなんやっくんとこ行ったのばればれじゃん。美形まーくんをわざと怒らせてるとしか思えないよね」
「そこがまーくんの凄いところだよなあ」
「何処が?」
「たぶん、そうなるように仕向けたんだと、思うよ。あの人が勝手に出て行ったので怒ってる俺、みたいな顔で、俺に言ってたけど、自分で仕組んでおいて良く言うよ、とは、思ったよね」
「思ったんだ、っていうか、分かるんだ、っていうか、仕組んだって、何の為に? 全然分からない。納得する意味が分からない」
「さあ? 苛める為か、余計に離れさせなくするためか。ほら、お前が出て行って怒ってる俺、とか見せられたら、情が沸いちゃうじゃない。この人は俺が出て行ったら怒るんだ、とか勝手な想像したりして」
「どうしよう、意味が分からない。そこまでする理由が分からない」
「面白いからでしょ、そりゃ」あっけらかん、と言う。「勝手な想像してる様を見るのも面白いだろうし、あれだよね、研究者に近いよね、興味深い実験を見るような感じ恋愛、とか、メロドラマっていうのを、楽しむ、喜劇」
「はー」
 別に納得したわけではないけれど、これ以上聞いても納得しない気がしたので、いい加減な相槌を打っておくことにした。現実的に、待ち合わせの時間に遅れてしまう、ということもある。
「さて」と、シュラインは立ち上がり、バックを肩に下げた。
「もう行くの」
「行く」
 はーそうですか、とか呻いた草間は、どっこいしょ、とか言って立ちあがる。
「じゃあ、また来るね、シュライン」
「来なくていいよ」
 玄関に向かい歩きながら、言う。にやにやと意味不明な笑みを浮かべている草間の背中を押しだした。
「気持ち悪いって」
「だって、こういう話は、シュラインにしかできないじゃないか。まーくんのことも知ってるし、知ってない人に話しても面白くないし」
 広くもない玄関口でブーツを履いている背中が物凄い邪魔なので、喋ってないでとっととしろ、とバックで背中を打つ。



 頭上を煽ると、電線に遮られた空が見えた。
 百合子は持っていたスーパーの袋をゆらゆらと揺らし、のんびりとした歩幅で、歩く。
「百合子姉ちゃん」
 隣に並んだ従弟の廣谷俊久が百合子の名前を呼んだ。両手に持った袋の、左にある袋が、ぽん、とぶつかってくる。
「んー」
「やっぱり、あのタコ買っておいた方が良かったかな」
「そうだよ、トシ君がけちけちするからさ。あたしは絶対買った方がいいって言ったのにさ」
「おでんのタコ、美味しいもんなあ」
「トシ君って本当そういうとこあるんだよ、何でも買っておかないで後で後悔するの、あたしが買おうって言ってんのにさ、ケチなんだよ、ケチ」
「百合子姉ちゃんは、必要ない物まで買い過ぎるんじゃないか。無駄使いだよ、無駄使い」
「うるさいうるさい。タコワンパックごとき、さくっと買えないような男には、何も言われたくない」
「確かに、僕はケチだけど。今の世の中は少々ケチなくらいの方が」
 言い訳みたいに一人でぼそぼそ言って、最後には俯き、「やっぱり、タコ」と、呟く。
 七歳年下の、頼りない従弟の横顔を、しょうがないなあ、とでもいうように眺め、袋で袋をこついた。
「ケチでもいいけど、後悔すんなよなー」
「今度おでんする時は、ちゃんと、買うよ」
「はいはいトシ君は過去を教訓にして、偉いよ」
「馬鹿にしてるんだろ」
「七歳年下の従弟を、思いやってるんだよ」
「まあ、七歳年上とも思えないけどね」
「まあ、あたしが若いと言って褒めてくれてるのね」
「見た目がではなくて、中身がって話だよ」
「ねー、女性にそういうこと平然と言える事がもう、子供ってことなんだよね」
 拗ねたように唇を尖らせ、袋を振り回す。
「ちょっと、危ないって。そういうところが、ガキだって言ってんの」
 百合子はべー、とか、薄目の小憎らしい表情を作り、舌を出す。
「うわぶっさいく、腹立つ顔」
 俊久は顔を顰め、「やめろよ、お嫁に行けなくなるよ」と、窘める。
「そんなこと言うんだったらもう荷物持ってあげないよ」
 文句をはいはい、とか聞き流した俊久が、ふと何かに気付いたように、袋を揺らした。「ね、ね、ね、あれ、見て」
「えー?」
 言われた方向を見ると、若い女性が歩道に立ち止まり、鞄の中身をごそごそ、としている。
「あの人めっちゃ鞄の中身探してる」
「ほんとだ、めっちゃ探してるね」
「さっきから気になってたんだけどさ、ずっと探してるんだよね。でかい鞄でもないのに」
 二人して、いや貴方達、関係ないですよね? とかいうような事を、ひそひそと言い合う。
「あれだけ見たら、絶対もう全部見てるよね」
「右の隅まで見て、左の隅まで見て、またほら、右の隅まで見てる。いやもうあれだったら、中身出しちゃった方が早いよね。一体、何探してるか知らんけど」
「でも、何か、絶対あるはずなのにな! みたいな時ってあるからね。あれ人間ってあるはずだって思い込んでるから、あーなるんだよ」
「可哀想に」
 でも別に声とかかけることもなく、かけられたらかけられたで、向こうも困っただろうが、二人は女性を通り過ぎて行く。
「あ、そうそう」
「どうしたの」
「何か、思い出したんだけどさ」
「え、何、思い込み繋がりの話?」
「ううん、全然関係ない」
 俊久は首を振る。
「何だそれ」と、百合子はちょっと憤る。「ここで思い出すなら、思い込み繋がりの話でしょ」
「だって、脈絡なく全然関係ない話思い出しちゃったんだもん。そういう時、ない?」
「あるけど」
「僕の高校時代の友人にさ、内浦っていうのが居て」
「その話、面白いの? ロマンはあるの? ゾンビは出てくるの」
「っていうかさ、従弟がマイルドにゾンビの出てくる話とかし出したら、引かない? え、ってならない?」
「うるさいな、ちょっと言ってみただけじゃないか。早く続けなよ」
 んーとか、ちょっと不貞腐れたみたいな表情を浮かべつつも、「でさ」と、続ける。
「その内浦って、高校出てから、何か、行方不明っていうか」
「えっ、何、ゾンビ?」
「何か急に連絡が取れなくなって、って言ってもそこまで仲良い友達でもなかったから、別に、えー連絡取れなくなってんだーくらいの感じだったんだけど」
「無視すんなよ」
「それがつい、この間ばったり偶然、再会して」
「ふうん」
「何か、シェルターみたいなとこで働いてるらしいんだけど」
「シェルター?」
「避難所? みたいな」
「ふうん、変なの」
「人の仕事を変なの、って言うのはどうかと思うけど、変だよね、僕も何か良く分からなかったし」
「ドメスティックバイオレンスとかに困る人が来るのかな」
「うーん、どうなんだろうね」
「ふうん、変なの」
「でさ、そこ何か、興信所の探偵さんと付き合いがあるらしいんだけどさ。こう入ってくる人、調べて貰ったりとか」
「えー、そうなのー」
「その探偵さんが、びっくりするらい、変なんだって」
「えー、そうなのー」
「うわ、興味なさそう」
「そんなことないよ、続けて、聞いてるから」
 のんびりとした風景を見渡しながら、ゆっくりと回転して、俊久の後ろをついて行く。
「何かこの間もね、突然家とか訪ねて来て。住所とか教えてないのにだよ」
「えー」
 とか言って、興信所の探偵というのを聞いていたから、草間武彦を思い出した。奇人変人というなら、あの探偵に適う人はきっといないだろうな、とか、思う。
「それでね、しかもやってきたその人が、明らかに車にはねられたみたいな格好してたらしいよ。眼鏡かけてるらしいんだけど、その眼鏡が割れてて、服は汚れてるし。なのに平然として」
「え、ちょっと待って、その人、眼鏡、かけてるの」
「食いつくとこ、そこかよ」
「い、いや、眼鏡をかけてる興信所の、所長に思い当たる人間が居るもんだから」
「うそ」
「いや、本当」
「うそ」
「うんいや、本当」
「えーうそー」
「ちなみにその、友達の言ってた人って、草間興信所の草間武彦、とかいう人じゃないよね」
「え、うそ、それそれ、草間武彦、それだよ」
「えー!」
「えー、ってマジ? 知りあい? うそー、凄い、百合子姉ちゃん、凄い」
「えー、マジー。草間武彦なのー、っていうか、草間武彦、車に轢かれたのー?」
「い、いや、轢かれたかどうかは分かんないよ、っていうか、内浦が言ってたこと、その人に言わないでねって、ねえ、聞いてる?」
 俊久は心配そうに表情を曇らせたけれど、驚いている百合子は、もちろん、聞いては、いない。



 玄関を開けると、そこに黒い男物のブーツを見つけ、シュラインはがっくり、と肩を落とした。
 重い足取りでリビングへ向かうと、ドアを開けた瞬間、ソファに座った眼鏡の男が手を上げる。
「やあ、お帰りシュライン」
「早速やるか、草間武彦」
「言っとくけど、返した合鍵は使ってないからね。ね? 俺って凄いでしょ。行動力のある男でしょ、見直した?」
「しかも何なのその、格好」
 コートを脱いで、ソファにかける。キッチンの水道で手を洗い、うがいをした。
「いやあ、参ったよ。死ぬかと思った。大変だったよー」
 勝手知ったるとでも言うべきか、草間は何時の間にかタオルを手に横に立っていた。それを受け取り、手を拭いた。
「黒塗りの高級外車にでも、轢かれてきましたか、草間さん」
「何で俺が黒塗りの高級外車に轢かれなくちゃなんないのさ、っていうか、黒塗りの高級外車に轢かれて生きてるほど俺、タフじゃないよ。普通に、死ぬよ」
「じゃあ何したら、そんな、眼鏡とか割れるような事になるのよ」
「あれ、聞きたい?」
「聞きたくないから、帰ってくれるかな」
 テーブルの上にあるリモコンでテレビをつける。その瞬間に、リモコンを奪われ、テレビを消される。
「ほら、廃品回収の車ってあるでしょ。あれあれ」
「あれが何よ」
 今度はオーディオのリモコンを操作し、音楽を流した。別段、奪われることもなく、草間は動かない。音楽は、良いらしい。
「いやあ何か、歩いてたらさー、轢かれちゃってさー」
「いや轢かれないでしょ、あれ、どんなけゆっくりな速度で走ってると思ってんのよ」
「知ってると思うけど、あれって、ずっとあの速度じゃないんだよ」
「うるさいな、知ってるわよ」
「あれがさ、こう、ゆっくりから通常の速度にシフトした瞬間に、上手いことちょうど、ぶつかっちゃったんだよな」
「ほんとミラクルなことしてくるよね、ボサーっとして歩いてるからそういうことになるんじゃないの」
「それでね、ぶつかって、はじかれて、うわーとか言って、溝にはまったんだね」
「三十三歳にもなった男がそういうことを真顔で語れることが、ミラクルだよね」
「でも、内緒にしといてよね」
 唇に人差し指を立て、ニヤニヤと笑う。
「誰に、何を? っていうか、眼鏡が割れてるよ、それ何とかしてよ、苛っとくるよ」
「まーくんに、やっくんの車に轢かれたって嘘ついてやるんだから」
 シュラインはソファから立ち上がり、自分の為にコーヒーを入れることにした。カップに移す段になって、自分のだけというのも何となく気まずいな、という気がした。仕方がないので、草間の分も用意する。
 無言で二つのカップをテーブルに置くと、「ありがとう、シュライン」と、カップを手にした草間が、笑った。
「俺はそういうシュラインの優しさに、もう身悶えするんだよね」とか何か言いながら、ふうふうと息を拭きかけ、ずずず、とすする。割れた眼鏡が曇っている。救いようがない気がした。
「いちいち恩を売りたいがために、わざわざ車に轢かれるなんて、スケールが違うよね」
「いや轢かれたのはたまたまで、これは使えそうだ、と思ったから、使っただけだよ」
「そこでたまたま轢かれるのは本当に凄い才能だと思う」
「半年くらいは、このネタで引っ張れると思うの。じわじわ恩を売り続けてやろうと思うの」
「でも実際、大丈夫なわけ? 暴力団のとこ、行って来たんでしょ」
「うん」
 またずずず、とコーヒーを啜りながら、平然とした顔をする。「大丈夫だよ。俺、やっくん、知ってるもの」
「え、そうなの」
「うん、そうなの」
 ソファにもたれかかり、足を組む。「まーくんはどうやら、紀本のこと本気で好きらしいからって多少は誇張して説明したら、ああそうなんですねって、苦笑してすぐ返してくれたよ。自分で言えないのは、可愛いですね、とか言っちゃってさ。やっくんは頭がいいからさ、そんな事で余計なことは、しない。いつでも帰って来ていいよ、って紀本君にも言ってたし」
「はー、最近のヤクザには出来た人が居るもんですね」
「ヤクザも不景気だし。面倒なことなんかはしないよね。やっくんは、東大、出てるし」
「東大出ても、ヤクザなんだね」
「まあ、家がヤクザだとどうしてもね、やっくんもいろいろ考えたんだろうなあ。大人になってたなあ」
「いつまでも大人にならない男、草間武彦」
「ピーターパンって、呼んで、いいよ」
「で?」
「そこで、で? とか返してくるのは本当に凄い才能だと思う」
「紀本君がどうとか、言ってたよね、そういえば。でもあの、悪魔みたいなまーくんから逃がしてあげるの手伝ってあげたら、紀本君、喜ぶだろうなあ、とか何か」
「さすがシュラインくん」
「何でもいいから、割れた眼鏡、何とかしてよ」
「これでさ、あの紀本君が、俺の方が好き、とかいう空気出したら、まーくん凄い腹立つと思うんだよね、ムキーって」
「そりゃ、自意識過剰が服着て歩いてるみたいなとこあるもんねー、隠してるけど。貴方と一緒で」
「だってさ、人のこと便利屋みたいに扱うんだもん。あれってさ、人が自分の言うこと聞いてくれると思ってんだよ、腹立つでしょ」
「ちなみに聞くけど、そこまでやっといてその紀本とか言う男は、草間武彦好きーとか言い出しそうな気配、あるわけ? むしろ、彼の中では、草間武彦はデビル兎月原の味方なんじゃないの」
「接点は持ったからね。これからじわじわ、やるよ」
「ねー、そんなこと言って絶対ないと思うよー。たぶんね、武彦さんのこと、虫けらくらいにしか思ってないと思うよ。美形の元トップホストでしょー、甲斐性なしの男とかは相手にしてないと思うよ」
「分かってないな、シュラインくんは。俺はね、油断をさせてるわけ」
「油断をさせてるんだ」
「ああいう美形はね、プライドが高いの。でね、同じレベルとか自分以上とかの男見ると、苛々するの」
「苛々も恋のうちかも」
「シュラインくん、鋭い」
「鋭いんだ」
「でもあんまり歳とってから苛々したくないじゃない」
「したくないよねー、私は今、凄い苛々してるけど」
「苛々でしんどくなってるところに、俺みたいな油断出来るタイプに優しくされるとホロっと」
「ホロっときたら漫画みたいで笑っちゃうよね」
「笑っちゃうよね。喜劇だよね」
「しかもあの、美形まーくんの地団太付き。うん、それは面白いかも」
「むしろあの紀本君も、まーくんに地団太踏ませたいのかもしれないし」
「最悪ホロっと来てなくても、ホロっと来たふりとかするかも」
「ね、面白そうでしょ」
「んー、まあ、面白そうかな」
 想像してみると、知らず、口元がほころんだ。他人の不幸はどうでも良いけれど、地団太まーくんは、面白そうだ。
「いやあ笑ってますね、シュラインさん」
 ほほ笑みながら頷いた草間が、意味もなく財布の中の整理とかをし出しているシュラインのことを眺める。それからふと、何かを思い立ったように、ちょっと来て、と対のソファから手招きをした。
「なに」
「いいから、ちょっと来てみって」
「やだ。アンタが来たらいいじゃん」
「それもそうだ」
「って来るわけ、っていうかもう来なくていいって」
 一人だとゆったりと座れるソファも、大人二人が座ると狭い。半分草間の膝の上に乗るような体制とか不愉快なので、立ちあがろうかなあとか思ったら、ぎゅっと抱きしめられ、身動きができなくなる。
 うわあ、うざいとか思ってたら、顔が近付いてきて、そっと唇の上に唇が重なった。
「俺、シュラインのそういう酷薄な笑みとか、大好きなんだよね」
 また近づいてきた顔を、シュラインは直前で両手て挟み、それから、引っ張る。
「だから眼鏡を何とかしろって」
「ひょっほ、ひはいっへ」
 頬を引っ張られた格好のまま、草間が呻く。
 引っ張ったり戻したりしてやると、うーとか呻いた。
「変な顔ー」
「ひひょいなあもう」
 その顔が可笑しくて、シュラインは、声を出して、笑う。






























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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号0086/ シュライン・エマ (しゅらいん・えま) / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【整理番号7520/ 歌川・百合子 (うたがわ・ゆりこ) / 女性 / 29歳 / パートアルバイター(現在:某所で雑用係)】
【整理番号7521/ 兎月原・正嗣 (うつきはら・まさつぐ) / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者】



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■         ライター通信          ■
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こんにちは。
 このたびは当ノベルをご購入頂き、まことにありがとうございました。
 愛し子をお任せ下さった皆様の懐の深さに感謝を捧げつつ。
 また。何処かでお逢い出来ることを祈り。