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<東京怪談ノベル(シングル)>


子守唄をきかせて

 通されたその部屋には窓がなく、天井も壁も床も、何もかもが真っ白だった。
 無機的な蛍光灯の光の下、海原・みなも(うなばら・みなも)はぱちぱちと目を瞬いた。
 目が痛いような気がする。何しろ、応接セットまで真っ白い。ソファがやけに柔らかくて、背もたれに背中が埋まってしまうのも居心地が悪かった。
 尤も、居心地の悪さの最たる理由は、テーブルの向かいに座っている、白衣の老女の不躾な視線なのだが。
「……なるほど。了解したよ、確かに使い勝手が良さそうな娘だね」
 老女の声は低くしわがれているけれど力強く、みなもは思わず肩を緊張させる。
「身元の証明書はこっちだね。うん、ちゃんと写真もついてるね。疑ってるようで悪いけどね、最近ロクでもない連中が多いからね。人を入れる時は慎重にやってるんだよ」
 言って、老女は書類を手に取ると鼻に置いていた老眼鏡をチョイと持ち上げた。
 やっと視線から開放されて、みなもは肩から力を抜いた。頭から爪先まで、まるで実験動物でも観察しているようにじろじろと見詰められたのなんて、初めてだ。
「ふん。あのお方の娘さん……ね。不思議な縁もあるもんだねえ」
 みなもの身元を証明する書類に目を通しながら、老女は矢継ぎ早に質問を始める。
「業務内容は聞いているかい?」
「あ、はい。子供たちのお相手だと伺っています」
「そう。でもねえ、ただの子供たちじゃあないからね。それもわかってるね?」
「はい、もちろん」
 みなもは大きく頷いた。
 この白い場所は「裏」の組織に属する医療施設。老女はここの医師であり、責任者だと名乗った。
 みなもは今回もまた、父経由で裏の愛玩動物博覧会に関連する仕事の依頼を受けて、ここに来たのだ。
 事前に伝わってきた業務内容は「健康診断にやってきた子供たちを、待ち時間の間保育すること」――要するに子守りだ。けれど、普通の子守りだとは、最初から思っていない。
「良い返事だね。じゃ、服を着替えておいで。ロッカールームはその扉の向こうだよ」
 老女は満足げに笑うと、白衣のポケットからロッカーの鍵を出してポイとみなもに渡した。
 それから、みなもの隣でやはり居心地悪げにソファに背を埋めている男に目を向ける。
「――で、そっちのあんたは? 何だっけね」
「タダで健康診断してもらえると聞いて来たんだが」
 と肩をすくめたのは探偵、草間・武彦である。企業の提供する健康診断を受けられるサラリーマンと違って、タダで詳細な検診が受けられるなど貴重な機会。「裏」から声をかけられたことにちょっと怪しいものを感じつつも、釣られてやってきたのらしい。
「タダじゃないよ。ちょっとばかりの『献血』と引き換えさ」
 老女はフンと鼻を鳴らすと、いきなり手を伸ばし草間からサングラスを奪い取った。
「のわ!?」
 突然のことに驚いて仰け反る草間を、老女は先ほどみなもにしたのと同じように頭のてっぺんから爪先まで観察すると、またフンと鼻を鳴らした。
「どってこたぁないね。ちィとばかし血がねばっこいのは、あんた、昨夜脂っこいもんを食ったんだろ。だがねえ、今のところ問題がないのは若いからだよ、あと5年もすりゃあ不摂生が祟リ始めるよ。今からせいぜい気をつけとかなきゃ後悔するよ。特にタバコはもうちっと控えな。自己管理ができないんなら、マメな恋人か嫁でも見付けることだね」
 言いたいことを言った後、老女は草間にサングラスを投げ返した。
「は!? 健康診断ってまさかこれだけか!?」
「これだけだよ。そんなもん、見りゃあわかるんだから」
 不満げな草間に、老女はにべもなくそっぽを向いてみなもを見た。 
「ぼっとしてないで、嬢ちゃんは着替えといで。それから、そのポケットの中のを、忘れずに憑けとくようにね」
「え」
 指さされて、みなもは目を瞬いた。きちんとした格好で、と制服で来たのだが、そのポケットには一本の万年筆が差してある。中身はインクではなく、管狐の巫狐(みこ)ちゃん。そこまで書類には書いてあっただろうか?
「見りゃあ、わかるんだよ」
 老女は言って、ずらしていた老眼鏡をチョイとかけなおした。分厚い老眼鏡のレンズで巨大に拡大された目が、ギョロリと動いた。
 やはり「裏」の医師。普通ではない、ようだ。


       ++++++++


 用意されていた服は、薄桃色のナース服だった。
 霊狐娘モードになっておけと言われたわけだが、さて、着替えてからみこちゃんを憑けるべきか、着替える前にするべきか。
「そうそう、服は特別製だからね。耳が出ようが尻尾が出ようが、破れたりしないで都合よく変形するから心配しないでいいよ」
 みなもが全身鏡の前で悩んでいると、ドアの向こうから、老女の声が聞こえてくる。
「では――みこちゃん、お願いします」
 というわけで、みなもは着替えてから万年筆の蓋を開けた。するりと流れるように現れる、青い小さな獣。みこちゃんはキュンと微かに鼻を鳴らしてみなもに答えると、肩の上に飛び乗り、みなもの中に飛び込んできた。
 みなもは目を閉じてそれを受け入れる。
 そして目を開けば、鏡の中にはフワフワの耳と尻尾の生えた狐ッ娘ナースがいた。
 長い髪を後ろでまとめて、ナースキャップをピンで留めれば出来上がり。
「着替えたね。よし、衛生的でよろしい」
 ロッカールームから出たみなもは、老女に連れられて廊下に出た。
 草間は老女に言われて先に「献血ルーム」へと行ってしまったらしく姿がなかった。
 廊下もまた窓がなく、壁も天井も白い。老女はみなものおなかくらいまでしか身長がないが、せかせかと足を動かすのでとても歩くのが早かった。カツカツと小さな靴の踵を鳴らす老女の後ろを、ナースシューズをパタパタと鳴らしてみなもがついてゆく。
「私ゃ、そんな可愛らしい色は嫌いなんだがね。大体、白衣は白いから白衣ってんだよ」
「た、確かに、ピンクだと、白衣……じゃ、ないかもですね」
「だろう!?」
 歩きながら、老女は眉間に皺を寄せている。
 進むうち、どんどん壁がカラフルになってきた。色画用紙で出来た黄色いヒヨコや赤いチューリップ、犬さん、猫さんなんかが貼り付けられているのだ。
(そういえば、小児科の待ち合い室ってこんな感じですね)
 可愛らしさにくすりと笑ったみなもに、老女はフンと鼻を鳴らした。
「真っ白は子供たちには不評なんだよ。全く、ガキどもと来たら白の機能性と美しさをちっともわかっちゃいない!」
「……はぁ」
 そうこうする内に、小児待合と札のかけられた扉の前に来た。扉にもまた、可愛らしい装飾が貼り付けられている。
 大音声と共に、老女は思い切り扉を開けた。
「久しぶりだね! 元気かいチビども!!」
「「「「「きゃー!!!!」」」」」
 部屋の中から、小さな子供たちの悲鳴が上がった。
「ドクター来た!」
「ドクターが来ーたー!!」
「怖いー!」
「痛いー!」
「「「きゃー!!!!」」」
 負の意味で大歓迎されている老女に続いて、みなもは部屋に入った。
 中はまるで、小児科の待合室――というよりは、保育園のプレイルームのようだった。ここだけは真っ白でない木の床の、あちこちにブロックや積み木、ヌイグルミやお人形が散らばっている。そして目を引くのは、カラフルな室内用ジャングルジムと滑り台。次に、中に入っておままごとのできる小さなお家。
 先ほど悲鳴を上げた子供たちが、あちこちに隠れてみなもたちを覗っている。
 滑り台の影で光っているのは、人では在り得ない縦長の瞳孔をした金色の瞳。ままごとのおうちの窓際では、髪の毛の代わりに羽毛の生えた頭がふるふると震えていた。
 どの子も、人型に近い姿をしてはいるけれど、どこかしら何かの獣が混じった姿をしている。
 今日は、裏の愛玩動物博覧会で“商品”として扱われる子供たちの「健康診断」だった。特にこの部屋に集められているのは、人工的に作り出されたり、改造されたりして生まれた子供たちなのである。
 そういった子たちは、放っておいてはどうしても存在が不安定になることがあるため、「健康診断」と称した心身の調整が必要なのだそうだ。
 しかし、身体をいじることになるため、どうしても、痛かったり怖かったりする。もう「健康診断」と聞いただけで泣き出す子がいるほどらしい。それに、組織に所属する人間ではどうしても“商品”や“被害者”といった意識で見てしまう。そこで、組織以外の人間が傍にいると安心する傾向があるということで、みなもに声がかかったというわけなのだ。
「じゃあ、よろしく頼んだよ。遊んでやっとくれ、手加減はなしでいいよ。この部屋はちっとやそっとじゃ壊れないからね」
 老女はみなもに言い置くが早いか、手近な場所に隠れていた柴犬系の耳と尻尾を生やした男の子の首根っこを掴むと、さっさと続き部屋になっている診察室兼処置室へと入ってしまった。
「怖いー! 痛いー!」
「まだ痛くないっ!」
 バタンと診察室の扉が閉まり、待合室の中がしんと静まり返った。防音がしっかりしているようで、診察室からはもう何も聞こえてこないのがまた、子供たちの恐怖をあおっているようだ。
「ええと……こ、こんにちは、初めまして! 私は海原・みなもと言います。待っている間、退屈しないように、一緒に遊びましょうね」
 みなもは精一杯の笑顔で自己紹介をしたが、子供たちは物陰に隠れたまま、ぴくりとも動こうとしない。 
(うーん……硬い雰囲気です)
 こんな空気の中に放り込まれてどうすれば、とみなもが考え込んでいると、飛び出して出口のドアへと真っ直ぐに駆けてゆく小さな影がある。
「あっ。ダメですよ、お部屋から出ては!」
 みなもは咄嗟に腕を捕まえた。
「うわっ!!」
 つんのめって、びたんと転んだのは白い房毛のついた尻尾の生えた男の子だった。見たところ、大型猫系……豹か何かの遺伝子を混ぜられた子のようだ。見た目だけでなく瞬発力も豹のようで、常人であれば目にも止まらず、捕まえることなどとても無理だったことだろう。
(霊狐娘状態で、というのはこういうわけですね)
 みなもは合点が行った。人魚の防衛本能だけでも問題はないだろうが、しかし相手はなんといっても能力の点でも精神の点でも未熟な子供。何があるかわからない。
「いてて……」
 男の子が立ち上がって、思い切り床に打ちつけた膝小僧を撫でた。
「ごめんなさい。大丈夫でしたか?」
「……ちぇー、こないだはこのテで逃げられたのに!」
 しゃがんで視線を合わせたみなもを、男の子は唇を尖らせながら睨みつける。しかし、本気で怒っているわけではなかったようで、すぐにニッと笑った。
「おねーちゃん、スッゲーな! 速いんだな! その耳、犬? キツネ?」
 霊狐娘状態は能力だけでなく、見た目もまた今回の仕事の役に立つようだ。
「キツネですよ」
「へーえ。キツネも速いんだなあ。なあなあ、鬼ごっこしようぜ!」
 長い尻尾をぶんぶん振りながら男の子がみなもの周りを跳びはねると、僕も私もと脚自慢であるらしい子供たちが物陰から出てくる。
 僅かだが、緊張が解けた。
「では……まずは皆で、鬼ごっこをしてみましょうか。最初は、あたしが鬼ですよ。では、スタート!」
 みなもはにっこり笑って、パチンと手を打った。
 最初はぎこちなく、やがては皆夢中になって歓声を上げて。
 沢山おいかけっこを楽しんだ後は、積み木や絵本やおままごとで静かに遊んで。
 やがて全員の「健康診断」が終る頃には、みなもも子供たちと一緒にくたくたになっていた。
 疲れは子供を容易く眠りへと誘う。部屋の中は温度も湿度も春のように快適とくれば、余計だ。ひとつ、ふたつ、欠伸が聞こえてきたかと思うと、ひとりふたりと、子供たちは好きな場所で丸くなって眠り始める。
 みなもも少し瞼が重くなってきたけれど、一緒に眠ってしまうわけにはいかない。仕事中なのだ。
 子供たちみんなが眠り込んでしまった後、みなもは歌を歌っていた。
 床に腰を下ろしたみなもの膝には、一番最初に「健康診断」を受けた柴犬系の男の子がいる。
 眠れ、眠れ、安らかに。
 歌いながら、みなもはふわふわと柔らかい茶色い髪をそっと撫でた。
「やれやれ。これで全員終ったよ」
 老女が、髪の代わりに羽毛を生やした、背に翼のある少女の手を引いて診察室から出てくる。
「あ。お疲れ様です」
「あんたもね」
 凝った肩を自分で揉み解しながら、老女がみなもをねぎらった。
 鳥の少女も、色々な処置を受けて疲れたようで、皆が眠っているのを見て欠伸をする。
「人魚の歌で眠るなんて、なかなか贅沢だねえ。この子らの迎えがくるまでもう少し時間があるんだけど……よかったら、それまで歌ってやっておくれ」
 みなもの背中にもたれてうつらうつらとし始めた鳥の少女の瞼に、羽毛がかかっている。老女の皺だらけの手が、その羽をそっと除けた。
「……この子らは、まともな子守唄なんて聞いたことがないんだからね」
 老女は老眼鏡を外して白衣のポケットに仕舞うと、溜息を吐いた。そこには、労働による疲労だけではない、何か深い疲弊感が混じっていたように思えた。
 歌いながら、みなもの胸がちりと痛む。
 この子たちは、人工的に作り出された存在である。それだけしか聞かされてはいないが、想像できることがある。
 定期的な「健康診断」が必要なほど存在の不安定な個体を、非合法ではあるが人道的であるこの組織が、わざわざ作り出すだろうか。
 恐らくは他の、非合法にして非人道的である組織の作り出した“商品”で、しかも、その不安定さから売り物としては粗悪であると判断されてしまった子供たちなのではないだろうか。
 想像でしかないし、組織に属するわけではないみなもが、深く訊ねることはできない。
 今できるのは、精一杯、子守唄をきかせてあげることだけ――。

「聞いてないぞ!」

 静かな空間に突然、ドアの開閉音と男の声が響いた。
 飛び込んできたのは、草間である。一体どうしたのだろう? みなもは首を傾げた。
「おい! おい婆さん! 献血って……むぐっ!?」
「折角寝付いたチビどもが起きる、静かにおし!」
 老女の手に口を塞がれて、草間が唸る。
「献血は献血だろ。うちの組織は人道的だからねえ……何も知らない者をとっ捕まえて来て血液を提供させるなんて非道ができない分、新鮮な生餌を用意するのが難しいんだよ」
 だからある程度事情がわかっている者に声をかけるのだと、老女は抑えた声で草間の耳に囁いた。
「何が人道的だ! よってたかってぢゅーぢゅー血を吸われたんだぞ!」
 子供たちを起こさないよう声をひそめながらも喚く草間の手や首のあちこちに、血の滲んだバンソウコウが貼ってある。
 どうやら、彼の行った「献血ルーム」というのは、人間の血をごはんにするタイプの生き物たちに血をわけてあげるという主旨の部屋だったらしい。
「弱ってる者にゃ、輸血パックの冷たい血をガブ飲みするより、血管から直接滴るあったかい血を、ほんの一滴飲ませるほうが効くからねぇ」
「そりゃ、あいつらは元気になったようだが、俺は死ぬかと思ったぞ!!」
「文句を言う元気がありゃあ充分だろうよ」
 老女は草間に「黙れ」と鋭く目配せすると、白衣のポケットから野菜ジュースのパックを取り出して草間に放りつけた。
「水分と糖分を補給して、しばらく安静にしてから帰るんだね」
 草間はぶすっとしながらも、ジャングルジムの上に腰を下ろした。
 みなもの歌が再開すると、目を開けていた子供たちも再び眠る。
 しばらくは機嫌の悪い顔をしていた草間だが、ジュースを飲み終わったら小さく欠伸をして船をこぎ始めた。
「いくつになっても、男なんざガキどもといっしょだねえ」
 呟いた老女も、欠伸をひとつ。
 しばしの間、部屋に響くのはみなもの子守唄だけになる。
 それは、短かったけれど、温かく安らかな時間だった――。

                                                   End.














<ライターより>
 いつもお世話になっております。
 裏の世界、でも子守り……ということで、少しほのぼのしたムードを混ぜつつ。
 コスチュームは狐っ娘ナースさんです。桃色ナース服に、青い狐耳と尻尾は色合いが可愛いかな、と……。

 ご発注、ありがとうございました!