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+ それはちょっとした勇気でした +
ある小春日和の休日。
彼は――常原 竜也(つねはら りゅうや)が無事ジムでの練習も終え、帰宅しようと練習着から私服へと着替えていた時の事だった。
急に自身の携帯からメール着信音が鳴り出した。それが家族だけ設定してある着メロである事に気付くと、気だるさを感じつつも受信箱を開く。
そこには「買ってきて」の一言と共に多くの野菜や調味料などの名前が記されている。面倒くさっ、と内心思うがそれらが本日の夕飯になるものだと分かっているだけに無視は出来ない。
彼は防寒用のジャケットを掴むと空気を纏わせるように勢い良く羽織った。
移動先は最寄駅のスーパー。
自分の財布の中身をチェックしたところ、頼まれ物を買えるか買えないか本当にギリギリのラインであることに気付く。
後で小遣いを多めに要求してやろうかと考えつつ、一先ず買い物篭を片手に野菜コーナーへと足を進めた。
「ああ、くそ。ニュースじゃ、デフレだ物価下落だーって騒いでるけど、野菜とかは安くならないんだよなぁ」
出来るだけ金銭面を切り詰めつつ、かつ美味しいものを購入したいという思いから陳列されている野菜を睨む。
「この産地の方が美味いけれど、やっぱ金を考えるとこっちかなー。お、調味料の方はセールやってんじゃん! ラッキー!」
ぶちぶち一人で文句、そして時々見つけた掘り出し物系に心と金銭を救われながら竜也は買い物籠に食料品を積んでいく。
ふと自分の近くからくすくすと笑う声――そして「覚えのある気配」を感じた。他人にただ笑われただけならば若干むかっとするものの、それが知人であるなら話は別。
ゆっくり振り向けばそこに居たのは以前竜也のクラスに転校してきた銀髪の美しい容姿を持つ少女――セリス・ディーヴァルが竜也同様買い物籠を手に笑顔で立っていた。
「こんにちは〜」
「お、こんにちは。そっちも買い物?」
「はい〜、ここのスーパーがいいよってクラスメイトの方から聞いたんです〜」
「あー、確かに此処ら辺の地区じゃここが一番安いけどな。でも品質もそれなりだぜ」
「はい、それも言われました〜。だから生もの以外はここで買ったらいいって」
「まさにその通り」
ぺこりと日本式のお辞儀で挨拶してきたセリスに対し、竜也も軽く頭を下げて声を掛ける。
彼女の買い物籠の中をさり気なく覗いてみれば確かに生ものは入っておらず、主に缶詰や調味料などといったいわゆる「味はメーカー次第」ってヤツが多い。
それでも個人的に不味そうなメーカー食品が混ざっているのを見つけると、竜也は其れを指差す。
「その缶詰だったらこっちの――あったあった、この缶詰の方が美味いぜ。値段もほぼ同じだしさ」
「ほえ〜、日本の食品はまだ良くわからないので安さで買ってみたんですけれど〜」
「確かに金を切り詰めるんだったら安さで買っちゃうよな。でもそれはぶっちゃけ……不味すぎる」
最後の部分だけ口に手にあて、ややセリスの方に身体を傾けてから小声で囁く。
店員が少しだけ二人を睨むような目で見た気がしたけれど、詳しい会話まで聞こえてはいないだろう。
セリスは竜也に言われるがままに缶詰を入れ替える。そんな風にして二人はほのぼのと会話しながら互いに必要なものを篭に積んでいく。
最終的には竜也よりもまだ日用品が揃っていないセリスの方が買い物量が多くなっていたので、彼女の荷も竜也が持ちレジへと向かった。
竜也は食品が通るたびに増えていく会計の合計数字に内心どきどきしつつ、だけどそれが思ったより低い値段で済むと、思わず右手を拳に小さくガッツポーズを決める。何のことか良く分かっていないセリスはそれでもほわほわとした笑顔を浮かべ、次に自分の分の会計を済ませた。
竜也が一袋に対して、セリスは二袋。しかも中身が大量に詰った袋が、だ。
二人並んでスーパーから外へと出れば寒い風が二人を襲う。竜也は若干肩を竦ませるもすぐにしゃんっと背を伸ばした。
帰り道の途中にある公園で一旦休憩をしようと言い出したのはどちらだったか。
備え付けのベンチに荷を置くと竜也は素早く近くの自販機に駆け寄り、暖かい飲み物を二つ購入した。
一つはコーヒー、一つはホットティーだ。この二択ならばもしセリスが片方を飲めなくても自分は両方飲めると考えての購入だった。
セリスが選んだのはホットティー。
彼女はまだ熱い缶を袖で何とか持ちながらプルタブを開ける。薄い唇が縁に触れ、中の紅茶を飲む。それを横目で見つつ竜也の方もコーヒーを飲むことにした。
「こっちの生活には慣れた?」
「もう慣れました〜。毎日楽しいですよ」
彼女は転校してきてから毎日日本の文化を勉強しつつ、かつ学校での勉学に励んでいる。
生粋の日本生まれで日本育ちの竜也には考えられないほどの努力をしているのではないかと思う。
だけど嘘偽りのない笑みを浮かべるセリスに思わず竜也も表情を綻ばせた。
「でも、こうしてると何かデートみたいだねぇ」
その時何故そんな事をうっかり口にしてしまったのか。だがすでに飛び出てしまった言葉を飲み込むことなど出来ない。
だが、言われた当人であるセリスはと言えば青い目をぱちくりとさせながら愉快そうに笑い出し――。
「それなら、今度正式に誘ってくれますかぁ? そうですねぇ、希望は〜……」
それはそれは見事なカウンターパンチを竜也に喰らわせた。
まさかそう返ってくるとは思っていなかった彼にとって、それは衝撃的な言葉だった。彼女が外国人ゆえに、もしかしたら日本人より気楽にコミュニケーションを取るタイプであることを考えても中々なものだ。
「ぜ、善処します……」
がくっと竜也は項垂れる。
見事な切り返しにぐうの音も出ない。だがそれは彼女相手に「デート」という言葉が嫌であるという意味ではないのだ。ただ……そう、ただ吃驚した、というだけで。
だからこそすぐに首をくっと上げてセリスを優しい瞳で見つめ、にっと歯を見せて元気良く笑う。
「んじゃ、今度どっか行こっか」
「よろしく御願いしますね〜」
温かな飲み物、それよりも温かな会話に二人和みながら時計を見ればそろそろ帰宅時間。
途中まではセリスの荷を持っていた竜也だったが、流石に別れ道からは彼女に渡すしかない。重そうに両手で袋を持つセリスはそれでも「ここからは一人で頑張ります〜」と言う。
「じゃあまた学校で」
「はい、また学校でお会いしましょう〜。あ、デートの件も忘れないで下さいね〜」
「おう! 女の子が喜びそうなところとか俺が紹介したい場所とか考えてくるな!」
片手をひらりと振りながら竜也は自宅への帰路を歩む。
セリスは一旦下ろしても平気そうな缶詰類が入った袋を地面に置く。そうしてから彼女も竜也へと片手をひらひらと振り、二人は別れの挨拶をした。
去っていく竜也の背を静かに見つめ……けれどその頬はほんのり赤く染めながらセリスはやがて振っていた手を頬に当てる。
掌には冷えを感じるものの、内面は血が沸騰しているのではないかと思うほど彼女は紅潮していた。
「や、やりましたですよ〜っ」
それは小さな勇気。
さり気なさを装ったお誘い。彼女はえへへっと目を細めて満面の笑みを浮かべると小さくガッツポーズを決めた。
確かにコミュニケーションを取るのは嫌いではない。
だけど今のセリスにとって傍に、近くに行きたいのは「彼」だけなのだ。
置いた荷を掴み彼女も帰路に着く。
その歩みはいつもより軽やかだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【8178 / 常原・竜也 (つねはら・りゅうや) / 男 / 17歳 / 高校生/プロボクサー/舞台俳優】
【8179 / セリス・ディーヴァル (せりす・でぃーう゛ぁる) / 女 / 17歳 / 留学生/舞台女優】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、発注有難う御座いました!
お気楽なお二人に進展! ということでこのような形に仕上げさせていただきました。ほわほわした発注文にこちらも癒されました、有難う御座います(笑)
次は竜也様が作戦を練ってからデートに行かれるんだろうなーとこっそり応援しつつ、失礼致します!
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