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〜咲き初めし血染めの花〜
弟に言われて、デパートに戻った来生一義(きすぎ・かずよし)だったが、どうにかこうにか総合カウンターにたどり着き、対応してくれた大変親切な女性から、これまた大変丁寧に「携帯電話のお預かりはございません」と返されて、その時初めて、十四郎(としろう)に嘘をつかれたという事実に気がついた。
いや、若干嫌な感じはしていたのだ。
おかしな気配が自分たちを取り巻いていたし、それこそ十四郎が怒鳴らなければ、位置や相手の性別くらいは特定できていたはずだった。
それらを総合すると、出て来る答えはたったひとつ――相手の狙いはこの自分ではなく十四郎で、しかも十四郎本人は自分より先に、そのことに気がついていた、ということだ。
一義の顔から血の気が引いた。
不審そうに自分を見返す女性に、一義は無理に笑顔を見せると、さっさとその場から身を翻した。
今の十四郎は目が見えない。
歩くことすらやっとなのに、誰かに襲われたらひとたまりもないだろう。
それに加えて、自分は極度の方向音痴だ。
十四郎のいる場所に帰り着くのに、どれだけ時間がかかることか。
だんだんと焦りと不安と恐怖が、気持ちを黒に塗りつぶしていく。
それでも、十四郎の許に何とかして戻ろうと、記憶力や判断力をかき集めて、あちらでもない、こちらでもないと、何度も間違いながら、一義は歩き続けた。
ある意味、執念だった。
おかげで、いつもよりずっと早く約束の電信柱の傍に戻って来ることが出来た。
だが、そこには「待っている」と言ったはずの十四郎の姿がない。
「と、十四郎?! どこだ?!」
恐慌状態に陥って、周りをぐるぐると見回しながら、一義は十四郎を探した。
電信柱を見失わないよう、その位置を確かめながら、近くの小道や路地裏をのぞく。
だが、そこにも十四郎の姿はなかった。
「何しとるんや?」
不意に、後ろから声をかけられ、過度の緊張状態にあるせいか、文字通り一義は驚いて飛び上がった。
「なんや? そないに驚くことかいな」
あきれ返った声で、居候の自称・悪魔の来生億人(きすぎ・おくと)がつぶやいた。
「お前はここで何をしてるんだ?!」
振り返った一義に、億人は言う。
「俺か? 俺は散歩の途中。 それにしても、どないしたんや? だいぶ慌てとるようやけど」
「と、十四郎が…」
一義はかいつまんで、億人に事情を説明した。
ふむふむ、とうなずき、億人は少しだけ視線を上に向けた。
「きっと、さっき見かけたあれやなぁ…」
「見かけた?! どこで?!」
「あっちや」
億人は手を上げて、裏道に続く方向を指差した。
すかさずそちらに走って行こうとする一義の腕を、むんずとつかんで、にこっと笑う。
「迷子になったら困るやろ? 俺が連れてったる」
一義を先導するように前を歩き始めた億人の後ろを、一義も歩き出した。
一歩、二歩とその背中を追う内に、なにやら奇妙な感覚が一義を襲った。
(何だ、この感じは…)
どこかで、こんな光景を見たことがあるような気がした。
同じ背中を追って、ほこりの舞う人通りの少ない道を足早に歩いて行った――いったいいつのことだろう。
一義が、さらに記憶の底に沈もうとした、その時だった。
「うぎゃああああああ!!」
すさまじい悲鳴が前方からあがった。
「どけ!」
思わず一義は億人を押しのけ、悲鳴の方向へと駆け出した。
まさか、と嫌な予感を覚えながら、逸る気持ちを抑えて走り続ける。
さっきの奇妙な感覚は、すっかり遠のいて行ってしまっていた。
曲がった路地の先に、ふたつの人影が見えた。
ひとりは腕をおさえてうずくまり、もうひとりは。
「十四郎!」
十四郎は、道路に気を失って倒れていた。
その時、一義は見てしまった。
うずくまって低い声でうめき続ける初老の男の、右腕から先がなくなっていた。
男の腕は、肘から先が溶けたように焼けただれていた。
傍らに転がった十字架を模した銀の短剣も、男の腕同様に溶けている。
一瞬立ちすくんだ一義が息を飲んだ。
はっとして、人の気配に気づいた男は短剣を拾った。
また十四郎を襲われては困ると、とっさに取り押さえようとする一義を突き飛ばし、男は大通りの方へと逃げていった。
一義は男には構わず、袋小路になった道の奥へと走った。
後からのんびりとその裏道へと現れた億人は男を視線だけで見送った。
「なんや、折角教えたったのになぁ。あの男もこいつの父親も・・・ま、人間には手に負えん代物やろな」
そう独りごちて、頭の後ろで手を組む。
そうだ、元々期待などしていない。
どうせ誰にも、手は出せないのだろうから。
「ま、モノは試しってやつやな」
もしかしたら、そのうちのどれかひとつくらい、面白い結果を引き起こすかも知れない。
上は急げと急かすが、これくらいの「実験」は楽しみの内だ。
「何せ、あとは回収だけやし…最後の余興、満足のいくまで楽しみたいやないか、なぁ?」
にいっと、口の端まで曲げて、億人はつぶやいた。
この距離では、一義にも十四郎にも、この声は届きはしない。
仮に届いたとしても、結果に大差はないだろう。
「30年も待ったんや、花くらい添えたらんと」
毒々しい色の花やけどな、と億人はひとり嗤った。
まるで、地獄の淵に、ひっそりと咲くあの花のように。
前方に意識を向けると、必死な叫び声が耳を打った。
「十四郎?! 十四郎、大丈夫か?!」
大丈夫に決まっとるやろ、と心の中で返事して、億人はそちらに歩き始めた。
「十四郎?! 目を開けろ、十四郎!!」
一義はぐったりとして動かない十四郎を抱き起こし、何度も声をかけた。
その頬を軽くはたいてもみたが、一向に目を覚ます気配はない。
ぴしゃ、と足元が軽く音をたて、一義はそちらに視線を流した。
大きな血だまりが出来ている。
我に返って、十四郎の身体を見てみたが、首筋にうっすらと切られたらしい傷跡しか見つからなかった。
服も特に破れていないし、擦り傷すら見当たらない。
(じゃあ、この血は…)
一義はさっき逃げて行った男を思い出した。
男の右の腕から先が、まるで塩酸をかぶったかのようになくなっていた。
(あれはいったい誰が…?)
自分が飛び込んで来た時、この場所にはあの男と、十四郎しかいなかったのだ。
だとすると、出せる答えはただひとつだった。
一義は、腕の中で意識を手放したままの十四郎を見下ろした。
(まさか、十四郎が…?)
じっとりと脂汗が背中を流れ、指先からゆっくり冷えていくような気がした。
その時。
「う…っ」
「と、十四郎?!」
身じろぎする気配がして、一義は十四郎を見やった。
眉をしかめ、つらそうに唇をゆがませて息をしながら、十四郎が意識を取り戻した。
「大丈夫かぁ?」
横から、億人が十四郎をのぞき込んだ。
その暢気さにカッと来て、一義は億人を振り返り、怒鳴りつけた。
「いいからさっさと救急車を呼ぶんだ!」
「へいへーい」
おどけて、億人が首をすくめ、トコトコと路地裏を出て行く。
その様子を見送りながら、一義の胸に先ほどの既視感が去来する。
(そう言えば…)
記憶の底から、嫌な音と共に、何か得体の知れない不安が首をもたげ始めていた。
(あの時、十四郎が廃屋にいると、私に教えたのは…)
路地から大通りに消えて行く銀色の髪――あれは、紛れもなくあの時の。
一義は背筋を這い上がって来る、とてつもなく気味の悪い「何か」に、ぞくりと全身を震わせた。
そう、それは明らかに、禍々しい予兆をはらんだ「何か」だった――。
〜END〜
〜ライターより〜
いつもご依頼、誠にありがとうございます!
ライターの藤沢麗です。
今年もどうぞよろしくお願い致します!
億人さんが…だんだん正体を見せ始めましたね…。
歯車が回り始めた感じがして…いったいどうなるのだろうかと、
今からハラハラしています…。
この兄弟はどうなってしまうんでしょうか…。
それではまた未来のお話を綴る機会がありましたら、
とても光栄です。
この度はご依頼、
本当にありがとうございました!
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