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<東京怪談ノベル(シングル)>


真昼のコンチェルト

 封筒の中には『鍵』が入っていた。
 これはどう言う意味だろう。
 皇茉夕良は、文面を読みながら、この意味を繰り返し考えていた。

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 午前の個人練習が終わり、茉夕良はヴァイオリンケースを持ったまま、海棠秋也を探していた。
『鍵』を送ってきた意味を知りたかったのだ。
 しかし今日は合同オケもなく、同じ学科と言う以外は特に接点がないので、探しに行くのも難しい。
 仕方がなく、昼休みの鐘が鳴るのと同時に、海棠のクラスに顔を出した。

「すみません、海棠さんを探しているのですが」
「今日は見ていないわ」
「そうですか……」
「海棠君、あんまり授業に来ないから。出席日数はいつも綱渡り状態なの」
「ああ……」

 茉夕良は納得した。
 海棠は、確かに合同オケでもあまり顔を見ない。オーケストラの本番直前のリハーサルなどの、切羽詰まる時じゃなければ来ないのだ。
 しかし教師の評判はあまり悪くない。理事長の甥と言うのであまり悪く言えないのだろうかと言う憶測も飛んでいるが、海棠は試験も実技も優秀としか言いようのない成績を修めるので、誰も彼に文句が言えないのだ。
 確か合同オケを見に来た某楽団の指揮者が彼を留学に誘っていたが、それは蹴ったと聞いた。彼はこれだけ目立っているにも関わらず、大会などでは全く賞を取らない、無冠の王だった。

「普段海棠さんをよく見る場所とかって分かりますか?」
「さあ……? 普段あまり理事長館から出ないって聞くから、いるならそこじゃないかしら?」
「ありがとうございます」
「……あんまり海棠君の事知らないみたいだから言うけど、あんまり彼を刺激しない方がいいわよ。あの人、何するか分からない人だから」
「? ありがとうございます」

 先輩の言うセリフを反芻しながら、茉夕良は教室を出た。
 どう言う意味だろう?
 まあ、確かに海棠さんのファンって下級生がほとんどで、海棠さんと同い年とか上級生のファンって聞いた事がないけれど。同級生の人や上級生の人は、海棠さんの何かを知っているのかしら?
 考えながら歩いている内に、中庭に出た。
 中庭は、昼食を食べようと芝生やベンチに座ってお弁当を広げる人や、恋人とデートをする人、発声練習をする声楽専攻の人達で溢れていた。その中庭に、白亜の建物が存在する。あれが理事長館だ。
 理事長館は門が開け放たれていて、下校時刻までは生徒達が好きに行き来ができるようになっている。
 理事長はよく理事長館を訪れた生徒に理事長館の鍵を渡して遊びに来やすいようにしているらしい。茉夕良のような者は例外中の例外なのだろう。
 門をくぐり、扉の前に立った。
 鍵をもらっているけど、これを使ってしまっていいんだろうか?
 茉夕良は持っている鍵を見て、首を捻った。

 〜♪

「え?」

 振り返った。
 理事長館の庭だろうか。チェロの物悲しいメロディーが聴こえた。
 綺麗な旋律。茉夕良は、鍵をポケットにしまい、ふらふらとした足取りで、庭の方向へ歩いた。
 曲は、サーンスの「動物の謝肉祭」の中の1曲「白鳥」。
 チェロ独奏曲としては有名過ぎる位に有名な曲である。
 茉夕良は、できるだけ足音を抑え、館の影から庭を伺った。
 弾いていたのは、海棠だった。
 確か海棠さんはピアノ専攻のはずだけれど。チェロも弾けたのね。
 曲は伸びやかだが悲しく儚い。茉夕良の心の深淵に直接触れるような、心を揺さぶる旋律だ。
 バレエの中でもこの曲は振りを付けられ、踊られる事がある。
「瀕死の白鳥」。死に行く白鳥が息絶えるまでを踊るものとして。
 邪魔にならないようにしようと、後ろに下がった途端、茉夕良は間違って草をじゃくり。と踏んでしまった。
 チェロの音が止まった。海棠がこちらを見つけてしまったのだ。

「あっ……ごめんなさい。邪魔するつもりはなかったんで……あっ」

 長い草に足を取られ、茉夕良は思わず尻餅をついてしまった。
 恥ずかしい。茉夕良はヴァイオリンケースを庇いつつ、慌ててスカートを整えて立ち上がろうとした時だった。
 海棠はチェロをケースに片付けると庭のテーブルに置き、茉夕良の元に近付いて手を差し出した。

「あっ……ありがとうございます」
「……誰?」
「この間手紙を送った皇茉夕良です」
「……ああ」

 海棠は納得したようにぼそりと返事をした。
 ……まさか、この人あんな返事をしておいてこちらの事を覚えていないんじゃないかしら?
 どっちかと言うと、他人に無頓着なだけな気もするけど。

「……先日の夜も、こうして助けてもらったんです」
「何?」
「怪盗が出た夜。私は忘れ物をして音楽科塔にいました。その時背後に立たれて幽霊か、と思ったら……海棠さんだったんです」
「………」

 海棠の顔を見た。
 先日会った海棠と何一つ変わらないように見えた。夜の暗い学園内じゃ分からなかったが、目が黒曜石のように鈍い色をしていた。目は口ほどに物を言うとは言うが、彼の目からは何も読み取れなかった。顔の作りははっきりとしているのに、ぼんやりとした表情を浮かべている。
 でも……。
 茉夕良は違和感を感じていた。
 夜に会った海棠とは、何かが違った。
 何だろう……?
 茉夕良が訝しがっている間に、海棠は茉夕良を立たせると、そのままチェロケースを持って立ち去ろうとした。
 ……もしかして、地雷を踏んだのだろうか?
 どうしよう。話をしに来たのに何の話もしていない。
 おろおろとして、ふと手を見るとヴァイオリンがあった事を思い出した。
 茉夕良は、意を決すると、ヴァイオリンをケースから取り出した。

 〜♪

 弦が優しい旋律を奏でた。
 奏でる曲は、ブラームスの「ヴァイオリンソナタ1番」。通称「雨の歌」である。
 海棠が立ち止まって、振り返った。そして、そのまま立ち去った。
 何をやっているのかしら、私は……。
 茉夕良は自分の軽率な発言に後悔した。別に海棠を傷付ける気も、怒らせる気もなかった。何故彼が怒ったのかも、分からないけれど。
 ヴァイオリンを弓で弾き鳴らす。
 不意に、バタリ。と音がした。
 茉夕良はヴァイオリンを弾いたまま上を見た。館の2階の窓が開いたのだ。そこから、ピアノの旋律が流れてきた。
 この曲は。茉夕良は少しずつ音をずらした。
 ヴァイオリンの奏でる旋律をピアノの旋律に寄せる。かつてブラームスがピアニスト、クララに思いを寄せたように。
 天性の才能を持つ茉夕良のヴァイオリンの調べと、海棠の奏でるピアノの調べが混じり、溶け、天上の女神の奏でる旋律を思わせるものへと昇華されていった。

 そこで茉夕良は、夜に会った海棠との違いに気が付いた。
 前に手を取った時、海棠の指は柔らかかった。
 一方、今ピアノを弾いている海棠。彼の指は、ピアノを弾く人間にしては驚くほど綺麗な手だったが、指先が固かった。
 楽器をしていれば、手が荒れる。皮膚の油脂がどうしても楽器に奪われるからである。例え手が荒れなくても、どうしても指先が弾く楽器に合わせて固くなってしまうのだ。練習している人間であればある程、その差ははっきりと出る。
 やっぱり……。
 夜の海棠さんと、今いる海棠さんは、別人……。

 海棠は「双樹の王子」と言う異名がある。双樹ならば、樹は1対なければいけない。
 彼には、対の人がいるのではないかしら?

 茉夕良のヴァイオリンで投げる疑問に、海棠がピアノで答えたように、そう感じた。

<了>