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変化する音――A
ビターにスイート、ミルクにホワイト‥‥。
たくさんの種類のチョコレートを目の前に散りばめて。
この一粒一粒が、ほろ甘く、ちょっぴり苦い気持ちと重なる。
ボールに放りこんで自分の気持ちを織り交ぜて。ねってねって、形を変えて。
自分の心を形で示して固める用に、型に入れて冷やし固める。
不安と希望のサンドウィッチになりながら、一人しか見せない様に綺麗にラッピングして。
●
街角は音で溢れている。
様々な音は、自分に刺激を与え、新たなる創造へと発展させてくれる。
ミュージシャンである永嶺・蒼衣にとって、街は刺激をくれるありがたい存在であった。
日常の、何気ないものですら彼にとっては表現を助けるすべとなるのだ。
(「しかし、何だって今日は女ばっかり溢れてんだ?」)
いつもは人通りが少ないカフェでも、なにやらOLやら女子高生が溢れかえっているのだ。
「なぁ、マスター。なんかあったのか?」
カウンターで珈琲を落としているマスターへと声をかけると、視線を女性たちへと向け理由を促した。
「あぁ、バレンタインの影響でしょう」
コポコポと静かに音を立てて落ちるように、静かな答えが返ってくる。
(「バレンタイン‥‥」)
もうそんな時期だったかと、蒼衣は入れたての珈琲を口に運んだ。
ちょうど一年前になるだろうか。蒼衣は一人の青年に会った。
友人を通しての出会いであったが、それは大変衝撃的なものを蒼衣の中へと齎してくれた。
相馬・樹生。年下の大学生である。
口説き落とした末手に入れた彼と一緒に築きあげたバンド『Crescens』。今ではかなりの人気ある実力派として注目を浴びている。
そして、複雑な環境で育ってきた蒼衣の安らぎを感じられる居場所だった。
「まぁ、菓子会社の戦略というのが気に入らないが‥‥たまには乗ってやるのも手かもな」
ふと脳裏に浮かんだ計画。
そのことを実行するのには、もってこいの季節かもしれない。
忙しかった、そんなバンドメンバーたちへのお礼を込めて。
●
向かった先は、馴染みの店だった。
甘党の自分の口に良くあう、様々な嗜好を汲んでくれるショコラティエのいる店は、蒼衣は他に知らない。
「お久しぶりですね」
現れた店員ともすっかり顔なじみであり、そのときの顔を見て、お勧めのショコラを勧めてくれるのだ。
「あぁ、ちょっと頼みたいものがあってな」
「時期が時期ですし、お勧めのものがたくさんありますが‥‥どのようなのがいいですか?」
「ん‥‥、そうだなぁ」
あげる予定は、バンドのメンバーと世話になった人物が対象だった。
バレンタインといえど、乙女たちのように愛の告白などという考えではなく、日頃の感謝を示すのに楽なのと照れ臭さを隠せるからもある。
「‥‥まぁ、義理だから普通のでも良いかな‥‥」
ショーケースに並べられているショコラ達を見つめながら、手頃そうなものを物色していく。
手馴れた店員は、それでは此方はと、既成に作られた商品を数点ショーケースから取り出し、見比べれるように並べ始めた。
「そうだな‥‥これと、これと‥‥」
ふと、脳裏に浮かんだのは樹生のことだった。
このごろ、なにやら複雑な表情を見せるようになった彼を思い浮かべると、少しだけ悪戯心に火がつく。
(「まぁ、あいつのは豪華にしても面白そうだな‥‥」)
渡したとき、どんな表情を見せるだろう。
そして、それが他の者たちと違っていたのなら‥‥。
複雑な表情の奥底に芽生え始めた、樹生の新しい感情。それを揺り動かすことが出来たら‥‥そんな思惑を思いつきつつ、蒼衣は他の人たちとは違う、特別な包みを用意してくれるように頼んでいた。
●
「くそっ! 何だって待ち伏せなんかいるんだよ」
今日は打ち合わせも兼ねた『Crescens』の練習日だ。とはいうものの、アルバム作成が控えていることもあり、かなり本格的になるのは周知の事実である。
普段からバンドのことを気にかけている蒼衣にとって、スタジオ入りの時間は何よりも気にかけているのだが、どこで知ったのだろうか、スタジオに近い駅でファンが待ち伏せしていたのだ。
「たくっ! 俺は急いでるんだっていうのに、ファンだったら少しくらい考えろよな!」
バレンタインということもあったのだろうが、蒼衣にはそんなこと知ったことではない。
遅れを取り戻そうと、足早にスタジオへと向かっていた。
ようやく辿り着いたスタジオでは、すでにメンバーが揃っており、楽器の音を各自で調整しているようである。
「よっ! 遅れて悪かった‥‥」
入り口近くにいた兄貴分のドラムに声をかけると、顎で奥のほうを指し示された。
(「んあ? ‥‥マネージャーと」)
「蒼衣、なんか連絡ありました?」
樹生だった。
どうやらいつも早めに来る蒼衣が来ないことを不安に思い、マネージャーへと訊ねているんだろう。
(「へぇ‥‥面白そうだぜ」)
視線をドラムに投げかけると、チラッと合わせただけで、無言で頷かれた。
ベースの女の子も、その様子に口元に手を当てて見守っている。
奥で譜面を見比べていたアルバム作成のプロデューサーも気づいた様子だが、蒼衣の行動にそ知らぬ態度を決め込んだ様子だ。
足音を忍ばせた。
「何だ? 樹生‥‥そんなに俺が好きだったのか」
不意に耳元へ、ざわりと低めの声で囁く。
「‥‥あ、お、い?」
振り返ろうとする樹生の行動を妨げるように、肩に腕を置き、樹生の頭の上で手を組む。
「そう、お前が探していた蒼衣様だぜ」
低く響く笑いは、面白げな音を隠そうとしていない。
目の前で苦笑するマネージャーを見ると、どうやら樹生の戸惑いを理解しつつも、このじゃれて来る猫の行動を遮るつもりはないらしい。
「何だ、顔を見ないとわからないか? 声だけでわかれよ」
「わかるけどっ! こ、この手を退けてくれてもいいじゃないかな。何も出来ないじゃないか」
「‥‥はぁ、まだまだだな」
もう少し悪ふざけを堪能しようと思ったが、どうやら樹生の中ではそんな余裕がないらしい。仕方ないと思いつつ、蒼衣は最後の悪戯完了を示すために、持ってきた紙袋を頭の上に載せた。
紙袋に気づいて慌てる樹生の姿に笑みが浮かぶのを少しだけ隠すと、
「――Happy・Valentineだったか? まぁ、たまに菓子会社の戦略ぐらい乗ってやるさ」
気づけとばかりに、蒼衣は視線を投げかける。
一瞬口を開けた樹生に少し満足感を覚え、思わず声を立てて笑いそうになったのを、手を当ててこらえた。
「こ、これやるよっ!」
真っ赤になった顔を隠そうとしつつ、視線を合わせずに突き出された樹生の手。その手に握られていた紙袋は、先ほど他のメンバーと同じ包みであることに気づいた。
不意に、少しだけ寂しい気持ちに襲われる。
だが、それは一瞬のこと。
軽く吐いた息と同時に、その感情は綺麗に隠される。
「――Thanks。まぁ、俺に用意しただけ上出来だ」
受け取り、最後の仕掛けを施して。
この後、樹生はどんな想いに駆られるんだろうか。
悪戯に付き合ってくれたバンドのメーンバーやプロデューサー、マネージャーに買ってきたギフト箱を渡していく。
彼は気づくのだろうか。この、違いに。
(「俺のことで悩め。俺の事だけ、考えていろ」)
他人とは違う、それを形に示されたなら。
戸惑う樹生を置き去りに、今日も『Crescens』の演奏は始まる。
樹生のギターからは、いつもと違う、仄かな甘美の音が混ざっていることを、蒼衣だけは感じ取っていた。
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【8211 / 永嶺・蒼衣 / 男 / 21 / ミュージシャン】
【8177 / 相馬・樹生 / 男 / 20 / 大学生/ギタリスト】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度は発注ありがとうございました。
長らく時間を頂戴いたしましたこと、申し訳ございませんでした。
東京怪談からの発注とあり、久々に怪談の世界に触れました。
舞台は東京ということもあり、久々に日本でいいんだっ! と思い、筆を走らせた感があります。
他の納品ノベルも見てからの発注とあり、大変ありがたいと同時に恥ずかしくもありました。
ご満足いただける内容になっていれば良いなと思います。
仕掛ける彼が楽しくて、思わずノリノリで書いてしまいました。
人物像が崩れてないといいなと思いつつ、楽しかったです。
二人の視点の違い、楽しんでいただけたらよいなと思います。
それでは、またお会いすることを願いまして。
雨龍 一
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