|
幻影浄土〜傾城太夫〜
「姐さん姐さん、人形芝居どうだい」
天波慎霰が手刷りのビラを手元に押しつけると、狐耳の女は耳をぴくぴくさせて振り返った。
「おや、天狗の慎霰じゃないサ」
「ご無沙汰で」
「ほんに、ご無沙汰だねェ。もうちょっとこっちのお山にも顔を出しなよ」
まだ山に冬の気配は抜けないと言うのに、しどけなく桔梗色の着物を着た女は慎霰にしなだれかかる。
「おうっととと。いや姐さん、旦那が」
相手は狐――だとわかっちゃいても、やっぱり女は女、見えている姿はしかもとびっきり。女は不慣れな慎霰には目の毒な見え方だ。
慎霰が耳まで赤くなるのを、狐の姐御は笑って見て。
「うちの宿六なんざァ、気にしなくっていいんだよ。それにしても、いったいぜんたい、いつの間に商売替えしたんだい?」
天狗は廃業かい? そう言って狐の姐御はビラをひらひら揺らした。
「天狗家業は廃業しようったってできるもんじゃねえ。姐さんだって、狐は廃業できねぇだろうが」
「そりゃァそうだね。ほんじゃ副業かい?」
「まあ、そんなとこで」
「人形芝居ねェ。まあ暇つぶしに行ってやろうかね」
「ありがてぇ」
「場所は……王禅寺かい。篝舞台かぇ」
演目はなんだいとちょっと楽しそうにビラをひっくり返して、狐の姐御は「なんだいこりゃァ」と頓狂な声を上げた。
それに、慎霰は少し申し訳なさそうに頭を掻く。
「すまねぇな、阿波の鳴門とでも言いてぇとこだけども、今回はちぃと子細ありでさぁ」
「ふぅん。ま、今時の芝居も悪かぁないかね。こんなことでもなきゃ、観に行くこともないしねェ」
それじゃ旦那と来てくれよなと手を挙げて、慎霰はばさりと黒翼を広げて山の空に舞い上がった。
「今夜でありんすか」
傾城太夫は襖を開けた慎霰に流し目をくれた。
女が苦手な慎霰だったが、太夫の流し目に動揺はしなかった。
太夫の面の左片側が、見るも無惨にひび割れているからか。
人の傷ではない。
人の傷は、こんなに乾いたものにはならぬ。
この太夫が人ではないのだと、その壊れた顔が語っている。
いや、相手が人ではないから動揺を感じぬのでもない。
人外だと言うならば、慎霰だって人外のものである。
慎霰を冷静にさせているのは、その顔そのものであるのかもしれなかった。
太夫の顔の右側は、傾城の名に恥じぬ美しさを保っていた。だからこそか、美と傷の差が生を感じさせない。
かつては花のかんばせに魅了された者も多かろうが……その美しさが、今は慎霰を冷めさせるのか。
「おうよ。特等席から見るといいぜ」
「……楽しみにしていんす」
慎霰は畳にどっかりと座り、残ったビラを座卓に置いた。
「客も招いた。今夜は大入りだ。舞台はちゃちぃがな」
それが似合いだろうよ、と、外に面した障子の方を向く。
「あんたの顔をそんなにした野郎にはな」
「まことに楽しみにしていんす」
「……それじゃあ、そろそろ主演を迎えに行ってくるとすっかね」
伝統芸能を伝える市民参加の人形芝居一座の座長というのが、その男の肩書きだった。外面は良くて、関係者は概ね真面目な座長だと思っている。ただ内弁慶で当たり散らすので、座員からの評判はよろしくない。
最近一座の人形が一つ壊されたのは、表向きは誰かが夜に忍び込んで悪戯で破壊したのだろうということになっていたが、座員たちは座長が八つ当たりして、そのはずみで壊したのだろうと思っていた。前から嫌なことがあると座長が人形に八つ当たりしていたのを、知っている座員は多かったのだ。
だが犯人は座長であると告発できるような証拠もなく、外部犯の犯行ということになって決着した。
人形は酷く頭が壊れ、その時はめていた胴も腕も折れていた。
美しい傾城人形だったが見るも無惨な有様で、座員が知り合いの伝で人形供養してくれる寺に納めたという。
そんなことが年末にあって、年を越して――しばらくしたところで。
「座長さんかい」
男が座の事務所を出たところで、座長を待っていたらしい少年が声をかけてきた。
「なんですか。座員の応募なら、事務所で事務員に……」
「……いや、おまえに用があるんだ」
少年はにやりと嘲う。
「え?」
「一緒に来てもらおうか」
少年は、座長の顔を掴むように手を伸ばし。
座長の記憶は、そこで途絶えた。
「ようこそ王禅寺特設篝舞台へ――」
人ならぬ者の気配が、周囲に篝火の炊かれた舞台の周りにひしめいている。
人のように見せかけている者も、そのまんまのものもいた。
王禅寺は東京という名の土地にはあっても山間だからか、来やすかったのだろう。適当にビラを撒いた割には大入りだな、と慎霰は思った。
演出も司会ももちろん慎霰だが、慎霰の姿は黒子だ。人形芝居の操り師なら、黒子と決まっている。
「今宵の人形芝居は特別製。生き人形を使った芝居にごぜぇやす」
とくとご覧あれ――と口上が終わると、音楽が流れ始める。
音楽は残念ながらCDだ。ちょいとちゃちぃ感じが、逆に似合いだとも思う。
白鳥の湖のメロディーに乗って――
舞台には今宵の主役が登場だ。
白ふんどし一丁の人形芝居一座の座長が、てけてけてけと踊り出る。
意識はあるが、自分の現状を認識できている様子ではなかった。
「い、いいいいったい何が」
やむを得まい。
普通の人間ならば悪い夢でも見ていると信じて疑わないところだ。
周りを様子も、自分の有様も。
「こ、ここはどこだぁー!」
叫びながらカクカクと踊る様はぎこちない。
まだまだ夜にふんどし一丁の陽気ではない。カクカクしているのは寒さで震えているのもあるが、無理矢理操られているのが、そもそもカクカクしているからである。
無理矢理操っているのは、もちろん慎霰だ。
「下手クソォー!」
そんな野次が飛ぶと、ふんどし座長は更にがくりとコケて、どっと笑いが沸いた。
「そこの黒子ったら、もっと上手くできないのかえ?」
「うるせーな、俺だってこんなもん踊れるわけじゃねぇんだよ!」
慎霰が怒鳴り返すと、更に笑いが沸く。
「黒子が喋るんじゃないよ!」
「天狗の子は黒子向きじゃあないねえ」
「やかましいっての! ……あ!」
操る手が緩んだか、べしゃりとふんどし座長が顔からコケた。
また観客がどっと沸く。
「ちくしょう、おまえらが五月蠅ぇから上手くいかねぇんだよ! ええい、最初からやり直しだ! 音楽巻き戻せー!」
慎霰がやり直しを宣言すると、それでまた笑いが出て。
「いやァ、思ったより楽しいじゃァないか」
前の方にいた狐の姐御がころころ笑っているのを、慎霰は睨み付けて。
「俺が笑われるのは楽しくねえ。上手くいくまでやるぞ! ほら!」
この悪夢がまだまだ続きそうなことに、ふんどし座長はひぃいと目を剥いて悲鳴を上げる。
「もう一回!」
「ひぇー!」
「こんちくしょう、もう一度だ!」
「ふぎゃああ!」
「巻き戻せーっ!」
「あーッ!」
一幕無事に踊り終えるまでに、どれだけコケたかはわからない。とりあえず、ふんどし座長は意識も途切れ途切れに操られ続けた。扱いがぞんざいすぎて、せっかく意識が遠ざかっても、コケた衝撃で引き戻されてしまうのだ。
それでもいつしか周りの様子もわからなくなって。
最後の決めのポーズで、踊りが終わる。
終わったということがうすぼんやりと認識できると、苦行の終了に喜びの涙が……
出たのもつかの間のことだった。
「やだ、変態よ変態」
「おまわりさーん、こっちですこっち」
「ふんどし一丁の変態がー」
そんな声にはっとして、人形芝居の座長はようやく自分が今どこにいるかを把握した。
その時にはもう、なんでそこにいるのかわからない。
それまで何をしていたのかもわからない。憶えていない。
「え? ええ?」
そこは、いつの間にか渋谷駅前の交差点。
昨夜の記憶はなかった。思い出そうとしても真っ白だ。
「あんた、ちょっと」
肩を叩くのは、紺の制服。
「ふんどしで隠してれば良いってもんじゃないんだよ。ほら、こっち来て」
「えー! ちょ、いや私は」
「言い訳はあっちで聞くから。こんなとこじゃ、他人の迷惑だ。春になると変なのが色々出て来るけど、ちょっと早いんじゃないかい」
と、茫然自失の座長を引っ張っていった。
「まったく、割食った気がするぜ」
仏頂面でぶつくさ言っている慎霰の横で、傾城太夫は鈴を鳴らすように笑っていた。
「俺が笑われるためにやったんじゃねぇっての! だってのに」
「それは申し訳ありんせん。でも、あちきにはおつなものでありんした」
「そうかい」
仏頂面はまだ崩れなかったが、慎霰はしばらくもぐもぐと口の中で何か呟く。半分は美しく、半分は醜いその顔に変わりはないと言うのに、前には感じなかった照れというか居心地の悪さを感じてか。
顔を背けて、慎霰は言った。
「そいつは良かった。おまえのための舞台だったんだからな」
「まことに……楽しゅうございんした」
すっきりしんした、と花のように笑う。
「祟り殺すよりもいいものでありんした」
もう、心残りはありんせん。
それは声になっては聞こえなかったように思えて、慎霰は振り返る。
振り返ったその時に、ことりと傾城人形の頭が傾いた。
その顔はただの人形で、活きていない。
――もう、魂がない。
その時、襖が開いた。
「おささをお持ちしました、太夫」
学生服で膝を突き、盆を持った王禅寺万夜が顔を出す。
「あれ」
すぐに変化を察したか、傾城人形と慎霰を交互に見て。
「……もう眠られましたか」
訊ねる。
「今な」
慎霰は淡々と答えた。
「そうですか……今回は、ありがとうございました」
万夜は盆をを置き、そして深々と慎霰に頭を下げた。
「やめろ、そんな礼を言ったって、今回限りだからな。……これで、チャラだぜ」
慎霰は以前の借りは返したと嘯く。
万夜は、答えずにただ笑んだ。
「荒ぶるモノを鎮めるのは、人の仕事だ。俺の仕事じゃねぇ」
「でも今回は、そういう方でなくては無理でしたから」
古い芝居人形は、あまりに古くてその形に沿った魂を得ていた。傾城というのは美しい遊女人形の名。
「なにぶん気位の高い方で」
人の話など、聞いてくれなかったのだと。
「古いものだから、力も強くて。でも祟り神にならずに逝ってくださって良かった」
万夜は盆に載せてきた杯の一つを、慎霰に勧めた。
「いかがですか、一杯。太夫の供養に」
もう一つは自分で取り。
「いいのか、おまえまだガキのくせに」
どう見ても、慎霰の見た目よりも年下のくせにと咎めると。
「これは麹の甘酒です。アルコール入ってないので、子どもでも大丈夫ですよ。ちょうど、桃の節句でしたから」
「そうか……もう、そんな時期か」
春の訪れを主張するような外の明るさに目を遣って、慎霰も杯に口をつけた。
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■□
■登場人物(この物語に登場した人物の一覧■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1928 / 天波・慎霰 (あまは・しんざん) / 15歳 / 天狗・高校生】
□■■■■■□
■ライター通信■
□■■■■■□
ご参加ありがとうございました〜。
納期ぎりぎりまで引っ張りまして、すみません。引っ張りついでに、ひっそり時節ものに合わせてみました。
またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。
|
|
|