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死体と眠る日
「いや、だからさ」
肘掛け椅子に腰掛けた草間武彦が、組んだ足をぶらぶらと揺らしながら、言った。
内浦はゆっくりと顔を上げ、その顔を見やり、「いや、だからさ」とか、世間話でも始めるかのように言うてはりますけど、あれ? この状況、分かってます? とでもいうような、不思議な物を見るような、残念がるような、複雑な表情を浮かべる。
「道を歩いてたら、突然旅に興味はありませんか、とか声かけられてね。若い青年だよ。内浦君と同じくらいかなあ、雰囲気も凄い普通な感じでさ。それでこの洋館の鍵をくれてね。いやあ、世の中には親切な人もいるもんだなあ、とか」
「とか、思わないですよね? っていうか、受け取らないし、最悪受け取ったとしても、行こうと思わないですよね、他人、連れて行かないですよね」
「ですよね、ですよね、って、実際、思う人もいるし、連れてくる人もいるんだから、断定しなくて、いいよ」
「いや思わないと思うんですよ、普通は」
内浦は表情を曇らせながら、草間から顔を背ける。すると斜め前に転がる刺殺死体が目に入り、やはり、目を背ける。
どうしてこんなことになってしまったんだ、と眉を寄せ茫然と地面を見ていると、「いや、だからね」と、草間がまた、言う。
「道を歩いてたら、突然旅に興味はありませんか、とか声かけられてね。若い青年だよ。内浦君と同じくらいかなあ、雰囲気も凄い普通な感じでさ。それでこの洋館の鍵をくれてね。いやあ、世の中には親切な人もいるもんだなあ、とか思ってね。それでね、面白そうだから、内浦君も誘おうと」
「いやもうだから」と、つい今しがた言ったのと同じような事を言いかけて、やめる。代わりに、違う不満を口にすることにした。
「っていうかもう、じゃあ、誘ってもいいですけど、最悪、誘うなら誘うって、言って貰えませんか」
「あれ、言ってなかった?」
「仕事のことで会いましたよね」
「そうだったっけ」
「それで送って行って貰えるのかな、とか思ってたら、何の説明もないまま、ここに」
「送って行くって言ったっけ?」
「いや言ってないですけど」
「でしょう? 言ってないもんそんなこと」
「でも、こんなところに来るとも言ってないですよね?」
「そうだったっけ」
あっけらかんと言った草間は、いやあ最近、何だか、記憶力が衰えてきてね、とか何か、どうでも良いようなことを言っていたが、そういう小芝居とかもういいので、とりあえず僕だけでも帰らせて下さいっていうか、ここから出して下さいっていうか、いろいろ思ったけど、どれも草間にはどうしようもできそうにないので、口には出さないことにする。
テレビ画面に目を向けていると、テーブルの上で携帯電話が振動した。
素っ気ない電子音が、響く。歌川百合子は、頬杖から顔を上げて、サブディスプレイを覗き込むようにした。名前の表示はなく、電話番号だけが通知されている。
背後を振り返った。
体を仰け反らせるようにし、バスルームへと続くドアを見る。
「兎月原さーん」と、声を上げた。
「えー?」という返事が聞こえ、バタン、とバスルームのドアの閉まる音がした。ちょうど風呂から上がってきたところだったらしく、「何、呼んだ?」と、更に、声がする。
「何か、電話、鳴ってるけど」
「えー、誰?」
「知らない」
短く答えると、えーとか何か、凄い不服そうな返事が返ってきた。
「別に百合子が知ってる人かどうかじゃなくて、表示された名前を読んでくれたらいいだけなんだけど」
あれそれって、軽く人のこと、馬鹿扱いですよね? と、ちょっと、ムッとする。「分かってるよ、そんなこと。その名前が表示されてないんだって」
「えー?」
兎月原正嗣は、あー、疲れたとか何か言いながら、部屋へと姿を現した。濡れた髪のまま、百合子の斜め前に、座る。よっこらしょ、とか言った。
「いやよっこらしょって」
「何でよっこらしょでしょ、別に」
「何でもいいけどさ、そのよれよれのジャージさ」
「なに、似合う? いやあ、俺って美形だから、何着ても似合うっていうか、格好良く見えちゃうっていうか」
「穴空いてるよ」
とか言ったら、三秒くらい無表情に見つめられ、何かちょっと、え、ってなった。
よれよれのジャージを着ていても、端整な顔に見つめられるのは、何か、引く。
「うん、知ってる」
「あ」
「新しいの買わなきゃとか思うんだけど、何かなあ。このよれよれ感が逆に癖になってる感があるっていうか」
「あ、そう」
「ほら、普段、こういう格好出来ないっていうのもあるしさ。高級ホストは、客の前では常に、高級で上品でいなきゃ駄目じゃない」
「ふうん、ま、そうかな」
「ねえ」
「うん」
「凄いどうでも良さそうだね」
「うん、ごめんね」
「あ、否定はしないんだね」
「だって普段着てないとか何のアピール、みたいな。何でそんなイキったのか、全然分かんないもん」
「出た、デビル百合子」
「なにデビル百合子」
「たまに出てくるんだよな、デビル百合子」
「いやだから何なのデビル百合子って」
「ちょっと意地悪したくなる百合子」
何が面白いのか、にやにやと笑いながら、言う。その顔こそデビルですよね、と、思う。
「俺にちょっと意地悪な事とか、意地悪なこと言ってみたくなるんだよね、時々ね」
分かるよ、とでも言いたげに、携帯電話を操作しながら、言う。「可愛いなあ」
思わず、何だコイツっていうか、何言ってんだコイツ、っていうか、いろいろ思ったけれど、何を言っても無駄そうなので、放っておくことにした。携帯の画面表示に目を向けている兎月原の横顔を、何となく、見る。
例の登録されていない番号表示を見て、誰だこれ? であるとか、何だこれ、であるとか、いやあ百合子の言うとおりだ、これじゃあ名前は言えないね、であるとか、そのようなことを言うのではないか、と期待した。そしたら絶対、「ほらみろ」とか言ってやるぞと、そのようなつもりで待っていたのだけれど、兎月原は、何も言わず、それどころか表情一つ変えず、発信ボタンを押し携帯電話を耳に当てた。
あれ、その件に関してはノーリアクションなんですか、とちょっと、肩透かしを食らった気分だった。かと言って、どうしても聞きださなければ気が済まない、ということもないので、なあんだ、面白くないな、くらいの気分で、テレビを見ることにした。
「もしもし」と声を発したところからして、相手が電話に出たのだろうと察する。テレビの音の隙間から、何かの報告を聞いているような、相槌ばかりを打っている兎月原の声を聞く。「そう」であるとか「へえ」であるとか、感心があるのかないのか、聞く気があるのかないのか、のらりくらりとした相槌を続けて打った後、友人と話すような調子で「ああ、その件は予定通り、頼むよ」と言っているのも、聞こえた。
電話の相手は、もしかしたら草間武彦かもしれないな、と考える。あの人は興信所の所長であるから、職業柄、幾つも携帯電話を持っていても不自然ではない気がしたし、兎月原にとってみれば、知らない番号は草間武彦、これ常識、くらいの調子だったので、特に反応もなかったのかもしれない。
とか。ぼんやり想像したが、結局、それが正解だったかどうかは、分からない。
「やあ、シュライン君」
興信所のドアを開けると、来客用のソファに腰掛けた草間武彦が、手を挙げた。隣に座っている青年が、顔を上げる。美しい顔をした、頬にかかるくらいの長さの髪をした青年だった。草間が、肩に手を回すようにして、腕を伸ばしている。
それは、つまり、密着というやつですね、というような体制で座る二人に見つめられ、何か、え? あれ? 帰った方がいいですか? と、困った。
「入りなよ」
シュライン・エマは、手招きをする草間と、何を考えているのかよく分からない無表情でこちらを見ている青年を見比べ、「いや、いいです」と、言った。
「あれ、何で敬語」
「とりあえず、返して貰いに来ただけだから、USBメモリ」
「まあ、そう言わず、入りなって。お茶くらい、出すし」
「いえ、いいです」
「あ、そ」
面白くないんだからもう、とでも言いたげな表情をした草間は、あ、そうだ。と声を上げ、隣の青年に手を翳した。「こちら、紀本君」
どうも、とか呟きながら会釈されたので、「はあどうも」とか会釈を返したら、そのまましんとして、え? 何ですか、これ? みたいな、凄い気まずい雰囲気になった。
「何か凄いままならなくなってきたんだけど、どうしたら」
草間を、見る。ソファから立ち上がり、事務机に移動して引きだしをごそごそ、とやっていた。何かを取り出し、目の高さに掲げる。
「これかな、USBメモリ」
「それですので、返して下さい」
「何で敬語?」
「ねえ、知ってた? 人んちから勝手に物を盗っていったら、泥棒っていうんだよ」
「だってこうでもしなきゃ、会いに来てくれないし」
「だからさ、何で別れた男がやってる興信所に、わざわざ会いに来なきゃいけないのかって、そこがもう既に分かってないんだって」
「だから俺はさ」
キャスター付きの回転椅子にどか、と座り、ゆらゆら、と半回転する。
「いつかシュラインが、俺と別れようと言ったのは間違いだった、取り消し、って言いだすのを、期待して待ってるわけだよ」
「無駄だからやめた方がいいと思う」
シュラインは一度、傷だらけのくすんだ床に目を落とし、また顔を上げた。室内に入り、紀本の向かいに置かれたソファに腰掛ける。「さっさと返してよ、USBメモリ」
「あ、入ってきた」
「書きかけの原稿のメモが入ってるんだって。返してよ」
あー、とか背伸びして、事務机に向かい腕を伸ばす。掌をひょいひょい、と動かした。
「はい、どうぞ」
草間は差し出した掌にUSBを乗せた。そのあとで、シュラインの手を掴み、そのまま引き寄せるようにして、隣に座る。「もれなく、俺もついてきます」
うわー、めっちゃうざ、みたいな、本気で嫌そうな顔で草間を見たシュラインは、顔を背けるようにした。そしたら何か目の前に人が座っていたので、とりあえずその人に話しかけておくことにした。
「あ、紀本君、でしたっけ」
「はい」
目の前で、男女がいちゃいちゃしている、のならまだしも、明らかに女性が嫌がっているとかいう、不自然な状況があるにも関わらず、平然というか、どちらかというと興味ないみたいな表情で、紀本は頷いた。「紀本です、はじめまして」
「はじめまして、というか、お噂は、かねがね」
見定めるように視線を向けると、紀本は、草間とシュラインを見比べて、「ああ、そうですか」と、曖昧にほほ笑んだ。得体の知れない、色気のようなか弱さが、ふわり、と漂う。
「何か話してたんでしょ、私、邪魔したくないし、帰るよ」
「別にシュラインが居ても平気だよ」
「今、口説いてたんじゃないの、紀本君のこと。ねえ? 口説かれてたんだよね?」
「さあ」
「お」
「いや、おって何よ」
「いや別に、おってこともないけどさ」
シュラインは垂れてきた前髪をわけながら、言う。
「そんなこと言ってあれでしょ、シュライン、気になってるんでしょ。俺が紀本君のこと好きになるんじゃないかとか思って」
「密着してたし?」
「そうそう、密着してたし」
「でもあんなけ密着しといて、今、思いっきり、さあとか、小首傾げられてたしね」
「手ごわいよね、紀本君」
「いや知らないけど」
「でも心配しなくても、何ていうか、俺は、シュラインを裏切らないっていうか、シュラインは別格っていうか」
「どの口がそういうこと言うのか本当信じられないよね」
「あの」
「うん、何だろう紀本君」
「いや、何ってことも、ないんですが。何ていうか、僕は、基本的に関係ないんで口を挟むのも申し訳ないんですが、さっきの依頼の話を」
「そうだよ、心配しなくても関係ないよ」
「あ、え?」
「だいたいこの人は俺が誰かを口説いてる場面に遭遇したごときで、取り乱すような女じゃないし」
「そうそう、彼女じゃないからね」
「あ、俺は駄目だよ。浮気とかされたら、浮気相手とかに、確実なダメージとか与えちゃうタイプだから」
「ね? 悪質だよね、怖いよね? そんな人と一緒に居たくないよね?」
「いや、僕は、関係ないんで」
「そうそう、紀本君は関係ないんだって。んもう、シュラインたら」
つんつん、とか肩を突いてくる草間の手を物凄い真剣に振り払う。
「とりあえず冗談はこのくらいにして」
「はあ」
あ、冗談だったんですね、まあ、どっちでも良かったですけど、くらいの顔で、紀本が頷く。
「依頼の話ね」
「あ、はあ」
何を考えているのか分からないぼんやりとした表情で、また、頷く。「人探しを、お願いしていました」
「人探し?」
途端にどうでも良さそうな表情で組んだ足をぶらぶらとさせた草間を見やる。
「まあ、そう。人探しを、頼まれてたね。アルバイトが一人、行方不明なんだって」
「アルバイト」
「あのー、ま……兎月原正嗣さんとこの、アルバイトだって」
「紀本君が探すんだ?」
「まあ」
「その後輩アルバイトが、どうやら紀本君が可愛がってた後輩アルバイトみたいで、その後輩アルバイトが行方不明になると、全然どうでも良い後輩アルバイトでも、あのー、何だ、兎月原正嗣さんが、いちゃもんつけないとも限らないから、その後輩アルバイトを探した方がいいんじゃないか、と、紀本君は思ったわけだね」
「しつこいくらい後輩アルバイトって説明してくれて、ありがとう」
「一応、可愛がってた後輩でもあるので、心配でも、あります」
人に心配はされても、人の心配などしたことはない、とでもいうような顔で、紀本が付け加える。
「人探しか」
「これを解決したら、俺の株もぐんと上がるというわけだよ、シュラインくん」
箱から抜き出した煙草を咥えながら、草間が、言う。
「とかいう、くっだらない話に付き合わされてたわけ」
シュラインはそう言って、アイスコーヒーのストローに口をつけた。
百合子は、クリームソーダのクリームたる部分をスプーンですくいながら、はーとか何か、間延びした相槌を返した。
例え、はー確かにそれは、くっだらないですね、と、思ってはいても、そう口に出したら、いろんなところに失礼な気がしたので、言わないでおいた。隣には、そのくっだらない、という形容詞の中に含まれているかも知れない仕事を頼んだ、紀本も居る。
「でも、あたし、結構、エマちゃんが草間さんの話するの、好きだよ。何か、二人の関係が羨ましいっていうか、いいなあって、思うし。草間さんって人は未だに良く、わかんないんだけど」
「大して興味ないからなんじゃないの」
指摘というよりは、感想を述べるかのような表情で言われた言葉に心当たりがあったが、そうだよ、と頷くのも失礼な気がしたし、かといって違うよ、と否定してもややこしいことになりそうな気がしたので、曖昧に、ほほ笑んでおくことにした。
「別に、知ったとしたところで、意味、ないしね。全然、役に立たないし」
また、意見というよりは、限りなく独り言の感想に近いようなことを、彼女は、言う。ほほ笑みながら、そうなのかなあ、とか何とか、否定とも肯定ともつかない返事を返すと、彼女がちら、とこちらを見て、目を伏せた。口元が、緩んでいる。
「え、なに?」
まさか、クリームが口元についていたりするのではあるまいな、と、心配になる。それくらいならまだ可愛いけれど、時間の経過のせいで化粧がよれて、アイライナーが大変なことになっている、であるとか、小じわが浮き出ている、であるとかだったら目も当てられない、と、同性の目は、中々、怖い。しかもそれが、常に、美しいシュラインの目なら、なおさら、怖い。
「なにが?」
「いや何か、今、笑ってたから。あたし、何か、変なことになってる?」
「変なこと」
シュラインは、きょとんとした表情で繰り返した。「変なことにはなってないけど、何か、面白いなあって」
「面白い、って、何が?」
「いや、エアーだなあと思って。百合子ってそういうところあるよね、何か」
「そういうところ?」
その漠然とした物言いこそ、エアーではないか、と思った。
「何かいつでもにこにこしてるの。事なかれ主義っていうかさ」
「そうかな」
「さあ」
「あ、断定はしないんだ」
「だって私は、百合子じゃないし」
「エマちゃんの前ではいい子ぶって、にこにこしてるだけかも」
「うん、いいんじゃない」
「でもだって、何かさ、あの、何か、無愛想なのより、いいじゃん、だって。状況とか見ないでさー、いちいち自分の意見とか押しつけてくる人やじゃん、だって」
「うん、そうだね、って、あれ何で、いいんじゃないって言ってるのに、必死に弁解してるの」
「だって」
拗ねるように唇を尖らせて、俯く。「何か、いい子ぶってるって」
「ヤな子、とか、きっつい女って、言われるより、ましだと、思うけど。しかも、いい子ぶってるって言ったの、自分だしね」
「そうだけど」
「出たね、乙女百合子」
「なに、乙女百合子」
「時々出るんだよね、乙女。こういうの、男は好きなんだろうなあ、ねえ」
と、これは、百合子の隣に居る、紀本を見て、言った。
それまで、彼は、特に何の発言をすることもなく座り、注文したホットコーヒーを飲んでいたりしたのだろうけれど、それはもうとても静かに座っていたので、そこに彼が座っていることを忘れかけてしまっていた百合子は、はっと、した。
あ、紀本君、居たんですね。
「そうですね、可愛いと思いますよ」
「だってさ」
自分で話を振ったくせに、凄い引いてます、みたいな、しかめつらをする。
「何かその、残念でしたみたいな顔だけは、やめてくれるかな」
「何ていうか私、嘘つけない性格なんだよね、ごめんね」
全然フォローになっていないというか、そもそもフォローする気ありませんよね、というような表情でアイスコーヒーを飲むシュラインを見て、隣で、別にこいつらごときにどう思われてもな、くらいの顔でコーヒーをすすっている紀本を見やって、じゃああたしも何か、くらいの調子で、クリームソーダを飲む。
「でも、そういうわけだったんだね、紀本君とエマちゃんが一緒に居たの」
「まあね」
「紀本君はもともと迎えに来てくれることになってたけど、まさか、エマちゃん連れてくるなんて、思わないじゃない」
「思わないよね。でもまあ、送って行ってくれるって言うなら、送って貰ったらいいか、と思って。ちょうど、方向同じだったし」
「まさか岡崎君が居なくなってたなんて、あたし、全然知らなかったよ。しかも、草間さんに探して貰うなんて」
そもそも、と百合子は思う。そもそも岡崎という青年の記憶自体が曖昧なのだから、どうしようもない。岡崎って、どんな人? その人、本当に居ます? という気分に近かった。実際、「その人って、どんな人だったっけ」と、口にも、出した。
「どんな人? 百合子、知らないの」
「何か、うーん、いや知ってるとは思うんだけど、ぱっと、思い出せないっていうか」
「見たら分かるってやつ」
うん、それだね、と首肯する。「あとで事務所のファイルで確認してみようかな」
「百合子ちゃん、たぶん、面接の時、会ってるんだけどな」
紀本が苦笑しながら、口を挟む。
「え、そうだっけ」
「事務所であの人が面接してた時、僕も居たし、君も居たよ」
「え、そうだっけ」
「そうだよ」
「面接、いっぱい見てるからなあ」
「まあね、仕方ないけどね。そんなに、華のあるタイプじゃなかったし」
「あ、そうなんだ」
「でも、真面目で熱心なタイプだったよ。努力家っていうか」
「ホストと真面目は、相容れるのか」
シュラインが疑問を口にした。「努力するホストって、格好良いのか?」
確かに、と百合子も思う。どうせ真面目に努力するなら、もっとまともな会社ですればいいのに、とも、思った。思ったけれど、だいたい、その「まともな会社ではないと人様が思うような会社」で働いている自分が言うことでもないな、と思ったので、黙っていることにする。
「新しいんじゃないんですか、健気なホスト」
どちらかといえば投げやりに、紀本が答えた。
「兎月原さんはまだ、知らないんだよね。その岡崎って人が居ないこと」
「たぶん」
紀本が神妙な表情で首肯する。「少なくとも僕は言ってないし、話も出ていない。まだ」
「じゃあ、忘れてんじゃない、きっと」
百合子の言葉に、紀本は曖昧な頷きをした。
「どっちにしろ、僕にとっては可愛がっていた後輩でもあるから、一応ね」
「ふうん、そうか」
その日の午後、事務所で経費の計算をしている際、ふと、件の岡崎某という青年のことを思い出した百合子は、履歴書を探してみることにした。青や黒のファイルが幾つも並んでいる、白色の事務的な棚の中から、一つを抜き出し、中を開く。
閉じられたアルバイト達の履歴書をめくっていく。自分がファイルしたはずなのに、記憶にない顔が幾つかあった。兎月原は、高級出張ホストとして自らも働く傍ら、繁華街などにホストクラブを二件ほど経営していて、その従業員の履歴書も、この事務所で統括していた。が、はっきり言って、ホストクラブに関しては各店舗の店長や一番の稼ぎ頭くらいの顔しか分からない。兎月原のスケジュール管理や、この事務所で一般事務員に毛が生えた程度の雑務や経理などを主な仕事としているので、人事に関しては基本的に管轄外であるし、紀本に関してとなると、益々、管轄外だった。
その岡崎某が、どこの店舗の為に面接に来たのか、一体どういう経緯で紀本の目に止まることになったのか、そもそも、紀本とどのような関わり合いを持っていたのか、思い当たる記憶は、全く、ない。
うーん、と小首を傾げながら、ページをめくり続ける。
従業員ファイルは、三冊あり、三冊とも調べたが、岡崎某、という名前は、見つからなかった。
結局、岡崎青年って、どんな子? 本当に、居たの? と、そんな疑惑が、膨らんだだけだった。
レンタルしてきた映画を見ながら、ストレッチ体操をしている最中に、テーブルの上で、携帯電話が、鳴った。
シュラインは、画面に表示された名前を見て、いやあな顔をした。ビデオを停止させて、黙って見ていると、音が止む。けれどすぐにまた、鳴りだした。
観念した表情を浮かべる。通話ボタンを押した。
「好きな俳優の、一番、いいシーンで電話してくるの、これなに、新手の嫌がらせ?」
「やあ、二週間ぶりだね。元気? 俺の声が聞けなくて淋しかった?」
「間違い電話みたいなので、切ります」
「いやあ、実はさ、あのシュラインにさ、ついて来て欲しいところがあるんだけどさ」
「おっとー」
「いや、聞いてる?」
「あのー、草間武彦さん」
「はい」
「何ていうかなあ。考えて欲しいんだよね」
「え、何を」
「行くわけがさ、ないじゃない」
「どうしてさ」
余りにも平然とした声が帰ってきたので、一瞬、あれ? 間違っているのは私ですか? と、洗脳されかける。
「いやいやどうしてって」
「分からないじゃないか。決めつけないでよ」
「いや、決めるのは、私ですよね」
「そうだけど」
「あの何か、忘れてるみたいだから言うけどさ、私達、半年以上も前に別れたんだよ? 別れた男女なんか、普通、他人だよ、他人」
「分かってるよ、わざわざ言わなくても。俺は、振られたんだし」
「あ、そこは分かってるんですね」
「じゃあさ、とりあえず一緒に、行ってくれるんだよね?」
「おっとー」
「あれ? 聞いてる?」
「いやこれ、私達、会話、成立してるのかな」
「ん、どうだろう」
「ねえ、何でさ、こういうさ、意味不明な電話してくるわけ」
「だって、俺はさ。いつかシュラインが、俺と別れるとか言ったのは間違いだった、取り消し、って言いだすのを、期待して待ってるわけだから」
「ああ」
「うわ、凄い投げやりな答え」
「とりあえず行かないから、切っていいかな」
「俺が物騒な人に始末とかされても、いいんだったら」
「物騒な人?」
「あ、食いついてきた」
「草間武彦を始末できる物騒な人になら、興味あるかな。凄腕の殺し屋とか」
「凄腕の殺し屋って、口にすると陳腐だよね」
「陳腐でも、確実に草間武彦を抹殺してくれるなら、いいよ。私はそういう人に依頼するお金もコネクションもないわけだから、勝手に始末してくれるなら、尚、いいよ」
「またまたシュラインったら冗談が上手なんだから」
いやあ、結構本気なんですけど、とか、思いながら、「だいたい何でそういう事になったわけ。また何かしょうもない依頼とか、受けたの」と、何となく、話を合わせる。どうせ今は、ビデオを見ていただけだから、暇で心に余裕があった、ということもある。電話を切る! とか、思いっきり拒絶する! とか、面倒臭い、とかいうのも、ある。
「何でよ。シュラインも知ってるだろ」
「は? 私? 何を」
「岡崎某の、捜索」
「えー」
「え、何、その、良くわかんない反応」
「いや」
シュラインは曖昧に小首を傾げる。「何となく、まあ、別に、興味もないけど、驚いておいた方がいいかなって」
「あ、そうなんだ」
「でも何、ただの失踪人捜索なのに、そんな物騒なことに、なってるの」
「たぶん」
草間は静かな声で頷く。それから、どうでも良さそうに、続ける。「もう、殺されちゃってるんじゃないかな。見つけることは出来るけど、生きては、いないね、たぶん」
「何でその子、そんな物騒な人に殺されなきゃいけない理由とか、あるの」
「あ、聞きたい? 俺がいかにこう、調査とかして、こう、その岡崎某の居場所に辿りついたかの経緯を。っていうか、俺の活躍を?」
「でもそれってさー」
「あれ? 無視?」
「死んでてもあれ、お金とかちゃんと払ってくれるのかなあ」
「どうなんだろうね、見つけたから、くれるんじゃないの」
「でも、ありがとうございます、とか何か言って、甘えた顔とかされたら、絶対、貰わなそうだよね、武彦さん」
「あ、それは貰わない、うん。他の物なら、貰っちゃう、っておい、何言わせんだよ、シュライン」
うひひ、とか電話口の向こうから気持ちの悪い声が聞こえ、シュラインは、顔を顰める。
「ねー、何かもうそういうところなんだよね」
「いや俺って、こう、何ていうのかなあ。好奇心が旺盛っていうのかなあ。こういろいろな、こう、人を、試したくなるんだよね」
「うん、いいと思うよ」
「あ、他人事みたいですね」
「で? 一緒に来て欲しいって、何、その物騒な人のアジトにでも乗り込むつもり?」
「いやアジトって」
馬鹿にされるように笑われ、ムッとして、それから少し、恥ずかしくもなる。
「いやまあ、アジトってこともないけどさ」
「久しぶりに聞いたよね、アジト」
「っていうか、そんな危ない場所に私誘うって、間違ってるんじゃないかな」
「危ない場所だからこそ、一緒に行きたいんじゃない。死ぬ時は、一緒よって」
「草間武彦さんとだけは、死にたくないです」
「じゃあしょうがない。仕方がないから可愛い男の子でも誘って行くことにするよ」
「可愛い女の子じゃないんだ」
「安心した?」
「っていうか、何でわざわざ、それを私に言ったのかっていうか、何の為に電話してきたの、全然わかんない」
「だろうね」
電話の向こうで飄々とした声が言う。けれどそのすぐ後に、「いいかい」と、殊の外真面目な声が言った。
「俺はこれから、岡崎某青年が監禁されていると思しき場所に向かう。それでね、これからメールを送るから、見て欲しいんだ」
「メール?」
「そうそう」
「メールを、見ればいいの」
「そうそう」
「じゃあ、この電話は何」
「前振り? もしくは、ストーキング?」
「うわー、どっちも嬉しくない」
「まあ、とりあえず、宜しく、頼むよ」
そう言って草間は、電話を切った。
暫くすると、件のメールが来たので、見てみる。
俺が明日、君に電話をしなかったら、下記の住所で殺人事件が起きてる上に、俺が凄い困った状態になってるはずだから、警察に電話して来て貰って欲しいので、よろしく。ただし、俺を見殺しにしたかったら、しても、いいよ。ハート。
いや、ハートって、と、シュラインはまた、顔を顰める。
「いや、だからさ」
肘掛け椅子に腰掛けた草間武彦が、組んだ足をぶらぶらと揺らしながら、言った。
内浦はゆっくりと顔を上げ、その顔を見やり、「いや、だからさ」とか、世間話でも始めるかのように言うてはりますけど、あれ? この状況、分かってます? とでもいうような、不思議な物を見るような、残念がるような、複雑な表情を浮かべる。
「道を歩いてたら、突然旅に興味はありませんか、とか声かけられてね。若い青年だよ。内浦君と同じくらいかなあ、雰囲気も凄い普通な感じでさ。それでこの洋館の鍵をくれてね。いやあ、世の中には親切な人もいるもんだなあ、とか」
「とか、思わないですよね? っていうか、受け取らないし、最悪受け取ったとしても、行こうと思わないですよね、他人、連れて行かないですよね」
「ですよね、ですよね、って、実際、思う人もいるし、連れてくる人もいるんだから、断定しなくて、いいよ」
「いや思わないと思うんですよ、普通は」
内浦は表情を曇らせながら、草間から顔を背ける。すると斜め前に転がる刺殺死体が目に入り、やはり、目を背ける。
どうしてこんなことになってしまったんだ、と眉を寄せ茫然と地面を見ていると、「いや、だからね」と、草間がまた、言う。
「道を歩いてたら、突然旅に興味はありませんか、とか声かけられてね。若い青年だよ。内浦君と同じくらいかなあ、雰囲気も凄い普通な感じでさ。それでこの洋館の鍵をくれてね。いやあ、世の中には親切な人もいるもんだなあ、とか思ってね。それでね、面白そうだから、内浦君も誘おうと」
「いやもうだから」と、つい今しがた言ったのと同じような事を言いかけて、やめる。代わりに、違う不満を口にすることにした。
「っていうかもう、じゃあ、誘ってもいいですけど、最悪、誘うなら誘うって、言って貰えませんか」
「あれ、言ってなかった?」
「仕事のことで会いましたよね」
「そうだったっけ」
「それで送って行って貰えるのかな、とか思ってたら、何の説明もないまま、ここに」
「送って行くって言ったっけ?」
「いや言ってないですけど」
「でしょう? 言ってないもんそんなこと」
「でも、こんなところに来るとも言ってないですよね?」
「そうだったっけ」
あっけらかんと言った草間は、いやあ最近、何だか、記憶力が衰えてきてね、とか何か、どうでも良いようなことを言っていたが、そういう小芝居とかもういいので、とりあえず僕だけでも帰らせて下さいっていうか、ここから出して下さいっていうか、いろいろ思ったけど、どれも草間にはどうしようもできそうにないので、口には出さないことにする。
「っていうか何で俺達が閉じ込められないと駄目なのかってそこが既にもう、分かってないですよ。俺が何したって言うんですか」
「あ、内浦君。閉じ込めたのは、俺じゃないから。そんな目で見ないでくれるかな」
「どんな目、してますか」
「この糞野郎、ぶっ殺したいけど、ぶっ殺したらぶっ殺したで面倒臭いしな、って目」
「ああ」
「否定はしないんだね」
「どうにかして出ないと、やばいですよ。俺達も。あんなところに、死体だってあるし」
「そうだねえ」
他人事のように同意をする。「でも、今は無理なんじゃない」
「どうしてですか」
「いや、別にどうしてもないけど。俺なら、そんなすぐ逃がすつもりなら、閉じ込めないし、とか思って。あ、また。そんな目で見ないでくれるかな」
「どんな目で見てますか」
「やっぱりお前がやったんじゃねえの、みたいな、変質者を見るような、目?」
「ああ」
「いやだから、俺は違うよ。俺は関係ないよ」
「そうですか」
信用なんてしてませんけど、面倒臭いんでそれでいいですよ、とでもいうような表情で、俯く。
「でも、これ例えばさ。俺が人を殺したとするじゃないか。仕事とかでさ。でもその死体を、すぐに発見されてしまったとするだろ。俺がまだ、その場から立ち去る前にさ。姿は見られてないし、証拠を残したりはしてないけど、この勢いのまま逃げたら、逃げる姿を目撃されるとも限らないし、相手は二人も居るんだ。襲ってくるかもしれない。だろ?」
「仕事って、何ですか。そんな仕事、ないですよ」
「と、すれば、どうするか」
「だから、見た人間を始末、する、とか、なんじゃないんですか」
「二人も? いちいち、殺す? その方が面倒だよ」
「じゃあ、どうするんですか」
「死体を発見して驚いている間に、戸を閉めて、鍵をかけて、閉じ込めるね。ここはちょうど、窓のない四角い部屋で、うってつけだ。いやもしかしたら、そういう場面も想定して、ここで殺したのかも知れない。ここなら、死体を発見した奴のことも、閉じ込められるぞ、とね。それで、時間を稼ぐ。自分は、逃げる」
「随分、簡単ですね」
「仕事のできる人間というのは、無駄なことをしない人間だよ、内浦君。頼まれた仕事は、きちんと、こなす。頼まれていないことをやって、馬鹿を見るのは、俺なら、ごめんだね」
「それで結局、閉じ込めた人は、どうするんですか、草間さんなら」
「そうだなあ。俺なら、放っておくだろうね」
「でしょうね」
「後は閉じ込められた人の運次第。俺は、関係ない。運が良ければ助かるだろうし、運が悪ければ、死ぬ。どのみち、自分の仕事は、終わってる」
「結局駄目じゃないですか、最悪だ」
「ま、とりあえずこのままだと、あれだね。あの死体と一晩、過ごすことになるね」
得体の知れない洋館に閉じ込められて、死体が転がっているこの状況の、一体何が面白いのか、にこにこと笑いながら、草間が言う。
一晩ならまだいい。一晩以上だったらどうするんだ、と内浦は考え、その自分の考えにぞっとした。死体と一晩、いや、それよりも、草間武彦と一晩過ごさなければならないのかと思うと、ぞっとする。
「呑気ですね、自分が死ぬかもしれないのに」
「でもそのうち、警察とかが発見してくれるかも知れないし」
「いやもうどんなけ他力本願なんですかっていうか、他力本願のくせに、何でそんな余裕ぶってるのか、聞いていいですか?」
「別に、余裕というのではないけどさ」
草間はポケットから煙草を取り出して、火をつける。この場の空気が薄くなってしまいやしないかと、内浦は、不安になる。
「助けてくれそうな気が、するんだ」
ふと見ると、一か月前とは、兎月原の携帯電話が違っていた。
百合子は、テーブルの上に置かれた携帯電話を何となく眺め、それからテレビをぼーっと見ている兎月原の顔を、見た。
「なに、俺の顔なんか、見て」
「兎月原さん、携帯、変えてなかった?」
一か月前、まさにそのテーブルの上で振動していた携帯電話の姿を思い浮かべ、百合子は、言う。
「そうだっけ」
「そうだっけって返答、おかしいと思う」
「だよね、俺も思った」
でも確かに、変わってる気がするんだよなあ、とか、でもだからと言ってどうなのだ、とか、もしかしたら、こっそり何台か持っている内の一つだったかも知れないとか、いや何でこっそり持つ必要がある、とか、いろいろ考えたのだけれど、結局、別に彼の携帯が変わってようが変わってなかろうが、あんまり自分には関係ない気がしたので、それ以上追及はしなかった。
「あ、そういえばさ」と、話を変える。
「んー?」
「あのー、何だっけ、あ、そう。岡崎ってアルバイトの子、兎月原さん、知ってる?」
言ってしまってから、もしも兎月原が覚えていた場合、どうしてその人物を知っているんだ、であるとか、その人物がどうしたんだ、であるとか突っ込まれたら、逆に厄介なのではないか、と思い当たった。紀本はアルバイトが居なくなったことを兎月原に知られたくないようだったし、何故知られたくないのかといえば、兎月原に文句を言われるからだとか、草間武彦が言っていたような気もするし、そんな事で兎月原が怒るとも思えなかったが、とにかく、自分の口からばれた、とかいうことになって、面倒臭いことになったらやだな、と、思った。
ただ、けれど逆に、もう戻っている可能性だってあって、そしたらまあ、何となくいい加減な事を言って誤魔化せるのではないか、という思いもあった。
頬杖を突いた格好で振り返った兎月原が、無言で、こちらを、見つめる。
何を考えているのかは、分からなかった。人の真意を見定めているようでもあるし、何も考えていないだけのようにも、見える。やがて、彼は口を開いた。
「誰、それ」
百合子は、ちょっと、ほっとする。
「いや、何か。ほら。紀本君と一緒に居なかったかなー、と思って」
「ふうん」
唇を釣り上げた兎月原が、テレビに視線を戻す。「紀本が、そう、言ってた?」
「いや、偶然なんだよ、偶然。別にこそこそ会ってたとか、そういうことでは、ないよ。っていうかそもそも、紀本君から聞いたわけじゃないって」
これこそしどろもどろだ、っていうか、こんなにしどろもどろではばれるのではないですか、というような、しどろもどろな感じで、弁解を、した。
兎月原がどう聞いたかは分からない。ただ、ほほ笑みながら、「ふうん」と、頷いただけだった。
「でも、岡崎か」
呟いてから、小首を傾げる。「さあね。記憶にないな。そんな子、いないはずだよ。今も。それから、きっと、過去にも」
「やっぱり、そうなんだ」
「あの人の、気のせいなんじゃないの。そんな、可愛い後輩が居たなんてさ」
そう言った兎月原が俯いた瞬間、唇が薄く笑っているのを、見る。
どうして彼がそのように、そこで、笑うのか、可愛い後輩などという言葉が、何故、出たのか、もっと言えば、その笑みは酷く性質の悪い物のような気もしたのだけれど、百合子は結局、それを、見なかったことにすることに、した。
百合子にとって兎月原正嗣は、優しくて、時々ちょっと意地悪で、時々子供のようで、時々とても頼りになる、掴みどころのない美男子だったので、何かを深く考えて、それ以外の事を知りたくはないな、知らなくていいな、という、気持ちがあった。
例えば自分の知らない兎月原正嗣があったところで、それを見さえしなければ、それはないも同じで、この楽しい時間は損なわれない。自分が楽しくなくなりそうなことを、わざわざ自分から見ようとするのは、愚かではないか、とも思うからだ。
百合子って、そういうところ、あるよね。事なかれ主義っていうかさ。
百合子はテレビ画面に目を向ける。
シュラインの言っていた言葉を、ふと、思い出した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号0086/ シュライン・エマ (しゅらいん・えま) / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【整理番号7520/ 歌川・百合子 (うたがわ・ゆりこ) / 女性 / 29歳 / パートアルバイター(現在:某所で雑用係)】
【整理番号7521/ 兎月原・正嗣 (うつきはら・まさつぐ) / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。
このたびは当ノベルをご購入頂き、まことにありがとうございました。
愛し子をお任せ下さった皆様の懐の深さに感謝を捧げつつ。
また。何処かでお逢い出来ることを祈り。
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