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<東京怪談ノベル(シングル)>


正義の味方は趣味じゃない

 既に夜も更け、木々も寝静まった時刻だった。
 イシュタルは時計塔に立っていた。
 初めて怪盗に会った時は、確か曇っていて月も見えない日だったと思うけれど、今日は月がよく見える。少し欠けているけれど、柔らかい色の月がよく見え、いい月見日和だ。おまけに、今日は典雅じゃない自警団の姿も見えない。
 いい月見日和だが、別にイシュタルは月見に来た訳ではない。
 怪盗に、会えるかもしれないと思って、こうやって来たのだ。

「会ってみたい……けどね」

 イシュタルはそう呟いてみる。
 下の時計盤を見る。
 あの時、時計盤は13と言うありえない文字が出ていたけれど、今日は文字は12まで。13と言うありえない数字が出る気配はなかった。
 この所、怪盗オディールが現れると言うような話は聞かない。
 今度舞踏会で現れるとか言う噂は聞くが、予告状も送られて来ない以上、憶測のままである。
 風が吹いた。
 夜風が、気持ちいいを通り越してやや冷たく感じた。イシュタルの服はやや露出が高いので、余計にそう感じる。
 いい加減いい時間だから、そろそろ帰ろうか。あんまり夜更かしして、声が出なくなったら嫌だし。
 イシュタルは最後にもう一度、時計盤を見た。
 文字は12のままだった、いつも通り、変わる気配もなく。

/*/

 時計塔を離れ、聖学園を離れ、町からやや外れた。
 流石にイシュタルの格好で寮に帰るのはまずいだろう。誰に見つかるか分からないし。
 いつも変身に使っている空き地までイシュタルはトン。と飛んだ。
 この辺りは寮から近い上に、不法投棄のおかげで廃棄された粗大ゴミのおかげで、影に隠れれば周りからは目立たない。いつもイシュタルはここで変身をしていた。
 いつものようにアポート能力でイシュタルから明姫クリスに戻ろうとして……。

「キャー!!」

 女性の悲鳴が聞こえて、アポートをやめた。
 何? こんな時間に痴話喧嘩……なんて平和なものはないわよね……?
 イシュタルは粗大ゴミの影に隠れながら、声の近くに寄った。
 耳を澄ませると、聞こえてくる声は女性1人に、男が……3・4人。明らかに、痴話喧嘩なんて微笑ましい喧嘩にしては人数比がおかしい。

「やめて下さい……!」
「そんな事言ってもさー、こんな時間に歩いている方が悪いんだぜー」
「そうそう。よく言うじゃん。「夜遅くなる前にお家に帰りましょう」ってさー」
「こっ、来ないで!! 叫ぶわよ!! 誰か!!」
「あー、聞こえない聞こえない。こーんな時間じゃだーれも聞いてないって」
「それじゃあ……」

 男の1人が女性の手を無理矢理掴んだ。
 女性が息を飲む音がかすかに聞こえるか聞こえないか。

「待ちなさい! 女の子に何て事をしているのあなた達は!!」
「ああーん?」

 男達は振り返った。
 振り返ったそこには業務用冷蔵庫が廃棄されており、そこから影が落ちていた。

「星の見えぬ夜なれど、爛々と輝く星の光。金星の使者、イシュタル! 愛のない行為は、女神の名の下におしおきよ!!」
「ああん? 何だこのコスプレ女は」
「ありゃ? でもよく見ると結構可愛くない?」

 男達はそれぞれにやにやとした笑いを浮かべた。
 女性は男達に掴まれていた手を急に離され、尻餅をついた。

「あなた、早く逃げなさい!」
「あ……ありがとうございます……!」
「早く!!」
「はっ、はい!!」

 女性はOLだろうか。鞄を胸に抱いて泣きながら逃げていった。

「ああ! 何するんだ!?」
「まあいいじゃねえか。この姉ちゃんが遊んでくれるだろ」
「……それもそうだな」

 男達が、一斉にイシュタルの立つ冷蔵庫の前に群がってきた。
 イシュタルは、弾みを付けて跳び、そのまま冷蔵庫に蹴りを入れる。ゴミ山はゴミを雑然と乗せているだけなので、踏み場が緩い。グラリ……と冷蔵庫が傾いた。

「うわあ!!」

 男達が冷蔵庫を避けようと散った隙に、イシュタルは高く跳んで男達の側面に回る。

「はあ!!」
「ふぐぅぅぅ!?」

 跳んだ勢いで脚を蹴り上げ、そのまま男の一人を吹き飛ばす。
 イシュタルはそのままストン、と着地した。
 よし、1人減った。あと2人……。
 目の端に男が2人いるのを確認して気が付いた。
 ん……? あと1人はどこ行った?
 4人、のはずだったけど。
 イシュタルが一瞬考えた時だった。

「―――!!?」

 背中に、突然激痛と痺れが走った。
 嫌、何、息が、できない――!?
 イシュタルはそのまま崩れ落ちた。

「へへっ……持っててよかったぜ」

 イシュタルが見失った男が1人、ゴミ山の後ろに隠れて隙を伺っていたのである。
 バチバチとひどく大きな音を立てる得物は、スタンガンだ。

「へへへ……手間取らせやがって」
「でもじゃじゃ馬も嫌いじゃねえよ。乗りこなせたら気持ちいいからな」
「下品だろ」
「わはは」

 うつぶせに倒れたイシュタルは、そのまま男の1人に抱きかかえられ、顎を掴まれた。

「ほう、見れば見るほど、可愛いねえ」
「くう……」

 スタンガンの電圧は改造されたものだったのか、まだ身体が思うように動かない。

「でも、せっかくなんだから、顔見たいよなあ」
「!! 仮面は、ねえ、お願い、仮面は止めて」

 イシュタルの口元が強張る。
 男達が顔を見合わせた。にやにやと軽薄な笑みを浮かべて。

「おい、お前、こいつの腕押さえとけ。俺がこれ引っぺがす」
「了解」
「見せろ見せろ」
「いやっ! お願い、仮面だけは、仮面だけは……!!」

 情けない。
 人助けに来たのに、こんな目に合うなんて……!!
 イシュタルが悔しさで目に涙を溜め始めた時だった。
 ふんわり
 鼻孔をバラの匂いがくすぐった。

「典雅じゃないわね。この町で男の人が女の子をいじめるなんて」

 明らかに場違いな、浮世離れした声が響いた。
 この声は……。
 そう思った瞬間、バラの優雅な匂いが、イシュタルを睡眠へと誘った……。

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 どれだけ時間が経ったのかは分からない。
 目が冷めた時、イシュタルは1人、空き地に倒れていた。
 何もされてない? 顔に触れると、仮面は付けたままで、服も乱れた形跡はなかった。
 あら? 仮面に何か付いている……。
 仮面に付いた何かを剥がしていて、背後の物音に気が付いた。
 ドンドンドンドンと音がする。業務用冷蔵庫からだ。

『出せ!!』
『狭っ、暴れるな……!!』
『おい、何で開かないんだよ!?』

 中からは先程イシュタルと一戦交えた男達の声がくぐもって聞こえた。
 ああ。確か冷蔵庫は外側からしか開かないんだっけ。あんなところに押し込められたのね。
 誰も見ていない事を確認してから、イシュタルは変身を解いた。

「もしもし、警察ですか? 何か空き地が騒がしいので見ていただけますか?」

 クリスは、空き地の端にある公衆電話で、声色を替えて警察に電話を済ますと、そのままこの場を後にした。
 手には、先程剥がしたメモがある。
 新聞紙の活字を破いて繋いだそれを読み、クリスは微笑んだ。

『正義の味方は趣味じゃないの。次からは気を付けてね。金星のイシュタルさん』

「どうやら貸しを作ってしまったようね」

 名前も何も書いていなかったが、自分をそう言う人間を、クリスは1人しか知らない。
 クリスは丁寧にメモを破いて、夜風に飛ばした。風になぶられ、メモはあっと言う間に散り散りになって消えて行った。
 気持ちのいい風は、気のせいかほんのりとバラの匂いがした。

<了>