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○伝えられた伝説
それは‥‥遠い夢。まるで霧の彼方のような‥‥。
「姉様〜〜!」
浜辺で涙ぐむ幼女の前で覚悟を決めた少女達が海上に突撃していく。
次々と上がる火花。
それを一人残された幼女は止める事も動くこともできず、ただ泣きじゃくり立ち尽くしていた。
「‥‥太、勇太‥‥勇太ってば!」
ボカッ!
頭に走った強い衝撃に、西尾勇太はハッと意識を取り戻し跳ね起きた。
周りを見回す。上りかけの朝日が照らす部屋は、見覚えのある風景。
アトラス編集部‥‥。
「あ〜、そうですよね。僕はここでバイトして仮眠していた筈で‥‥」
「そうよ。少しだけ寝させてっていうから毛布かけてあげたのに、突然泣き出すんだもの」
ぼんやりと独り言のように呟いた勇太は、思わぬ方向からの返事の主、そして自分を文字通りたたき起こしたであろう人物の名を呼んだ。
「玲奈さん、ありがとうございます」
三島・玲奈は真っ直ぐに自分を見つめる少年に少し照れたように顔を背けた。
どんな特殊能力を持つメイドサーバントだろうと、ジーンキャリアであろうと自分を見つめる曇りない瞳には照れるものだ。
「別にそれはいいのよ。でも、一体どうしたの? なんか変な夢でも見たの? それとも彼女の夢でも?」
心配そうに声をかける玲奈に勇太は‥‥少し言いよどんだ後、はい。と頷いた。
「へえ〜、彼女いるんだ?」
とたん勇太は頬を赤くして首を振った。
「違います。その変な夢‥‥の方です」
そして玲奈に問いかける。
「玲奈さん。軍艦の霊とかにお知り合いは?」
「は?」
驚きとか、なんでと思う以前の訳のわからない質問に勇太は自分の言葉が足りなかった事を謝罪して、改めて理由を説明した。
「夢を見たんです‥‥。不思議な夢‥‥」
勇太は語り始める。
自分の身体がまるで空気に溶けたようになって、いくつもの場面を見たのだと。
最初に見たのは、泣きじゃくる幼女だった。
海の上で悲鳴と、花火のような爆音を残して消えていく少女達を彼女は一人浜辺で見つめている。
「姉様〜〜!」
場面が変わると身体を縄でがんじがらめにされて、引き立てられていく女性がいた。
「お役御免だなんて! わらわはまだ女王陛下にご奉公を!」
彼女の叫びが聞こえないかのように周りの男達は眉一つ動かそうとはしなかった。
破壊槌を打ち込まれ、身体の筋の一本一本抜かれていく。
彼女はやがて鉄屑となり‥‥ふわりと金髪の美しい女性がその中から抜け出したのだった。
「わらわはウオースパイト。船の御霊。戦いを鎮むる者。わらわは使命を果たすまで死なない!」
と‥‥。
「鉄屑? 船の御霊? で、美女? それって仕事のしすぎじゃない? そもそもこんなのに囲まれてたら変な夢だって見るわよ」
玲奈はあまりの話に息をため息のように吐き出した。
今、白王社は新作ムック。別冊・世界の船幽霊図鑑の編集中。
そのせいで、軍艦の写真と何故か美少女の絵が山のように重ねられている。
勇太の横には一抱えもある軍艦の模型、そして沢山の美少女フィギュア‥‥。
「軍艦って女性名称が基本らしいのよ。だから、今流行の萌え化しましょう!」
という編集長の案で軍艦を女性イメージで描き、それにコラムを付けるという作業中だったのである。
「勇太の得意分野じゃないにの頑張ってたでしょ? だからそんな夢を見るのよ」
玲奈はそう勇太の夢に結論をつける。この話はおしまいと言う様に。
「‥‥そもそも編集長もね。売れるだろうからって安易に走りすぎなのよ」
「でも玲奈さん、この話にはまだ続きがあって‥‥」
「確かに事大主義にも程があるの〜。あざ〜す!」
「「えっ?」」
二人は突然現れた三番目の人物に、瞬きする。
編集部は圧倒的な夜型職場、そして今は朝。ここにいるのは勇太と玲奈だけである筈なのに。
しかもその人物は金髪で、スタイル良く‥‥水着を着ている。
いつの間にか横にあった筈の軍艦模型は消えて‥‥
「化けるのに苦労しました」
と言って笑う女性がいた。
「雪さん!」
「こんなモデルいたっけ‥‥って? あれ? 勇太の知り合い?」
勇太の反応に玲奈は首を傾げる。
だが勇太は大きく首を横に振り玲奈の手を引くと、雪の手と重ね合わせた。
「玲奈さん。貴方の命の恩人で守護霊ですよ」
「えっ?」
驚く玲奈の手に触れた感覚は冷たいのにどこか暖かい。
そして戸惑う玲奈に雪と呼ばれたその存在は、柔らかくまるで母のように微笑んだのだった。
それから数日後のスコットランド。
まだ雪と氷、そして冬の気配の残るその海辺に、セーラー服姿の美しい女性が立っていた。
海のある一点を見つめて髪の毛一筋さえも動かさず敬礼する彼女を見るものは誰もいない。
夏であれば物好きが怖い者見たさに集うダイビングスポットであるのだが、この冬に命をかけて潜ろうとする者は流石にいない。
「女王陛下はドイツの家系なのに、何故私たち姉妹艦は争ったのでしょう?」
答えるもののない問いを風に乗せ、彼女。
雪は遠い昔に思いを馳せていた。
思い出したくは無い。けれど‥‥忘れる事の出来ないあの時を。
「まったく、迷惑な話ですね」
凍りつくような水中、自分の隣に立つ勇太に玲奈はそう愚痴をこぼした。
だがモバイルを開く勇太は小さく笑うのみ。
「迷惑だなんて思ってないくせに」
見透かされたような勇太の微笑みに、玲奈は小さく頭を掻いてそして降参というように手を上げた。
「もういいわよ。あれが居なかったら私も生まれてなかったのは解ってますから、少しくらいは親孝行しておかないと‥‥」
本物にできなかった分まで‥‥という心の声を彼女は飲みこんで前を向いた。
あの日、雪が玲奈にも『語った』自分の過去。
最初は勇太が言った恩人であり守護霊などという言葉など信じては居なかった彼女だが雪の手を取った時彼女には『解った』のだ。
自分が生まれた日のことを。
‥‥その日、余命僅かの妊婦は出産間際、祈る想いで戦争博物館に来ていた。
解説を読む”奇跡の不沈艦”
彼女はそれを縋るように見つめていたという。
母親である彼女には解かっていたのだろう。
力の強すぎる赤子。その出産には奇跡が必要である。と‥‥。
彼女はその船を見つめ続け‥‥やがて『時』を迎える。
「こんな所で‥‥あたしの可愛い玲奈‥‥ねぇ神様はいないの? 幸運の女神なんてインチキよ、クソババー」
そのあまりにも正直な思いを願いを神は聞いてくれなかったであろうけれども、聞いてくれた者はいた。
『その赤子わらわが護ります。孫娘よ‥‥』
玲奈は勿論そんなことは覚えては居ない。
ただ、今、自分はここにある。
そして雪の『言葉』が真実であると知っている。それだけで十分だった。
「玲奈さん?」
勇太の言葉に玲奈は自分の頬に何かが流れているのに気がついた。
「あ‥‥、なんでもない。なんでもないわよ!」
服の袖で慌てて目元を擦った玲奈を、彼女の涙を、勇太は見ないふりをして、足元を見た。
「玲奈さん、あれです!」
玲奈の作った結界の中、彼らの真下に捜し求めていたものが見える。
腐食と海草に覆われてなお、それらは昔の面影を残している。
「あれが、彼女の姉妹達ってわけね」
モバイルから顔を挙げ勇太は玲奈に問う。
「引き上げられますか?」
と。
「それは可能よ。でも‥‥引き上げてどうするの? 引き上げられたあとゴミ扱いされたらそれこそ可哀想そうじゃ‥‥」
玲奈の返事に大丈夫。と勇太は笑った。
「僕に任せて下さい。手配はもう済んでいますから‥‥」
その後の説明と、彼が言った手配は本当に、驚くほどにスムーズに終った。
「まさか、こんな手があろうとは‥‥」
雪も感心したように頷く。
「僕は、僕にできることをするだけですよ」
‥‥玲奈は叶わないと思った。
自分はなんでも出来る。望むことを大体叶えられる力を持っている。
だが、自分に比べたら何の力も持たないただの人間に、時々、本当に時々思うのだ。
叶わない‥‥と。
それから暫くの後。
白王社の編集部のテレビは新しい国産人工衛星が打ち上げられたと報じた。
迫る締め切りに追われた者達も、一瞬仕事の手を止め、ロケットの打ち上げに見入っていた。
多くの者は知るまい。
実はこれは最後の一人の旅立ちなのだ。
海から宇宙へとその活躍の場を移す姉妹達の。
「坊やのお手柄じゃの」
髪を撫でる雪に勇太は照れたような、でも嬉しそうな笑顔を見せた。
海から引き上げられた戦艦の残骸は人工衛星の材料として売り込まれ生まれ変わった。
古い戦艦の鉄材が、宇宙での放射能センサーの素材としての価値があることを勇太が調べたのだ。
今ごろ宇宙では玲奈号に並んで雪のウオースパイトとその姉妹達が並んでいるだろう。戦争と言う悲劇によって切り裂かれた姉妹達は、今、星となって人々を見守っている。
「今度はいつまでも、皆ずっと一緒にいられるといいですね」
優しい少年の願いに、それを見守る者達は静かに頷き、微笑んでいた。
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