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<東京怪談ノベル(シングル)>


願わくば彼女に祝福を

第二次世界大戦直後。
浅瀬に座礁した赤錆びた戦艦に櫓が組まれ、大勢の人々が溶接の火花を散らしている。
その船の甲板の縁に腰掛けている人影がある。
人影の主は年の頃は30代ほどに見える。軍の制服を身につけ、凛とした佇まいの女性の姿をしていた。
彼女の名前はウオースパイト。
解体作業が進められ、今まさに消え行こうとしている船の魂だ。


―私はまだまだ現役よ。

魂は口惜しそうな、そして悲しそうな目をしていた。

―お金のことしか頭にない木端役人共に私は殺されるの。


「ああ女王陛下、もっとご奉公しとうございます」
嘆きの声は人々には聞こえない。溶接の火花が散っては消えていく。
嘆き悲しむ魂に救いの手を差し伸べたのは、ひとりの幸運の女神だった。
女神はウオースパイトを、ある戦争博物館へと導いた。
「御覧なさい、あの展示物を」
そう言われて、船の魂は、はっとした。
「あれは私の砲弾」
「そうです、貴女はあれを拠所になさい」
ウオースパイトが振り向くと、もう女神の姿は無かった。
彼女は再び砲弾に向き直る。
そうだ。私は生き延びるのだ。
平和を得る戦いはまだ終わっていない。
魂は、砲弾にそっと手を伸ばした。
愛おしい、自身の一部。そこに宿り、時を待とう。
魂は砲弾に憑依し、それから長い眠りについた。
いつか、いつになるか分からないけれど。
再び目覚めるその時まで。




「あ」
危ない、と思った時にはもう遅かった。
碧摩・蓮は手を伸ばしたが、壺はその指先をかすめ、店の商品の上に落下した。
店の掃除をしている最中の事だった。高い位置にある棚を整理しようとして、壺を倒してしまったのだ。
陶器の壺は丁度真下にあった古い戦艦の砲弾の上に落ちた。がしゃりと派手な音をたてて割れる。
割れた壺の中から出て来た粉末が煙のように舞い上がる。
あらら。
蓮はそう思いながら、口元を手の甲で覆った。
この粉、薬品?なんだったかしら…。
粉末は弾幕のように広がり、視界を覆った。
やがてその弾幕の中に、人影らしきものがゆらりと動くのを見た。
蓮は慌てる訳でもなく、その様子をただ眺めている。


姿を現したのは裸の娘だった。
その娘の頭に髪は無く、耳は尖り、背中には翼が生えていた。
「これは…」
蓮は、娘の背後にある砲弾を見た。
辺りには散らばった壺のかけら。壺の中に入っていた粉末。
そこで蓮は思い出した。
壺の中に入っていた薬はある錬金術師が作ったと言われる、即席ホムンクルスの粉末だった。


砲弾に宿った船の魂、ウオースパイトは長い眠りから目覚めた。
薄暗い店の中。雑多に物が置いてある空間。
自分を見つめている女性の存在に気付く。
赤い髪、黒い瞳。ちょっときつめの美人で、チャイナドレスに身を包んでいる。
一瞬、あの戦争博物館の中かと思ったが、よくよく見てみると、全く違う場所だという事に気付いた。
ここはどこだろう。自分を見つめているこの女性は誰だろう。
ウオースパイトは、ぼんやりとした思考の中で思う。しかしそんな事はどうでもいい事のように思えた。
自分の両目は今、見えている。自分の体の存在を感じる。
ウオースパイトは自分の手の平をしげしげと見つめた。これは私の体だ。
「顕現しおった!」
喜びのあまり、叫んだ。
私は蘇ったのだ。
ウオースパイトは店のドアに向かって勢いよく駆け出した。
しかし、ふと視界の端をかすめたものが気になり、足を止める。
それは売り物の大きな鏡だった。
ウオースパイトは鏡に映る自分の姿を見て唖然となる。
頭髪の無い頭部。尖った耳。背中に生えているらしい翼。
しかし彼女がショックを受けたのはもっと根本的な事で、自分が一糸まとわぬ姿でいる事についてだった。
激しい羞恥心に襲われた。このような姿でいるのは耐えられない。何か着なくては。
慌てて辺りを見回した。古着のジーンズ見つけ、それをひっつかんで、足を通す。
彼女にはサイズが大きすぎるジーンズの裾を引きずりながら、再び店のドアに向かう。
すると入り口の暖簾が頭髪の無い頭に張り付き、彼女はバランスを崩し、転倒した。
「はっ」
短い呼吸をして慌てて飛び起きた。
気は焦れども、体が思うように動かない。ジーンズの裾が足に絡まるのだ。足元の壺を蹴飛ばしてしまった。
なおも店から出て行こうとするが、翼がドアに挟まり、もがいているうちに、ついにドアが壊れてしまった。


「ちょっと」
女店主は口を開いた。
さすがに、これは堪ったものではない。
「あんた、ちょっと落ち着きなよ」
ウオースパイトの腕を掴んで、店の奥へ引きずって来た。
「名前は?」
問われて、ウオースパイトは蓮を見た。
その黒い瞳を見つめていると、気持ちが少し落ち着いて来た。
「ウオースパイトといいます」
なるほど、と蓮は思い、砲弾を見た。
ウオースパイトとは、二つの世界大戦を歴戦した無敵の英国戦艦。
浮沈艦として名を馳せたが、解体処分されてしまったはずだ。
その砲弾がこの店に来たのも、たまたま蓮が薬をぶちまけたのも、あるいは運命なのだろうか。
「ふうん。あんたも色々苦労したんだね」
蓮は唇に指を当てて、呟くように言った。
しかし今はこの場を何とかする方法を考えねば、と思った。
これ以上店を壊されては堪らない。
「あなたは?」
ウオースパイトに問われ、蓮は名乗った。
「あたしは碧摩・蓮。この店の店主だよ。ずいぶん派手に壊してくれたね」
蓮は肩をすくめた。
「まあ、壊れちゃったものは仕方が無いか。ええと…どうしようかね」
そこで、蓮は良い事を思い付いた。
たしか奥の引出しにしまっておいたはずだ。
蓮は、とある衣類を取り出して来た。
「これ、着てみな」
ウオースパイトは差し出された服をしげしげと眺める。
「見た事もない服じゃ」
そう言いながら、白いビキニを見つめている。
「ビキニを見るのは初めてかい?水着だよ。次はこれ」
次に蓮が差し出したのは、体操着とブルマだった。
それからセーラー服とスカート。
体操着の胸の辺りには「白夜雪(びゃくやゆき)」と書かれている。
「白夜雪…とは」
「…ああ、前の持ち主の名前じゃないかな。まあいいじゃないか」
蓮は何かをごまかすように、そそくさとウオースパイトに体操着を着せた。
ウオースパイトは体操着とブルマを懐かしがった。嬉しそうに、鏡に映った自分の姿を見つめている。その瞳には、穏やかな光が宿っていた。
体操着の背中からはみ出した翼はブルマのゴムの中に収納した。
水兵服たるセーラーを身に付けスカートを履く。
「座って」
蓮は椅子を持って来ると、ウオースパイトを座らせた。
「何をするのですか?」
顔に手を触れられて、ウオースパイトは警戒した。
「怖がらなくていいわよ」
蓮は鼻歌交じりにメイク道具を広げる。
蓮はウオースパイトに化粧を施して、最後に鬘をかぶせた。


小柄で色白な体にセーラー服を装備し、長い髪を揺らしているその姿は控えめに言っても美少女の姿だった。
鏡を覗いている本人も満足したようで、華奢な指先でセーラーの襟を持ち上げて楽しそうにしている。
後姿を見ようとして、ぎこちなくターンする姿が何とも可愛らしい。スカートの裾がひらりと揺れた。


蓮はそんなウオースパイトの姿を、満足げに見つめていた。

―実はこの服、なんか病死した子の遺品だけどね。構うもんか。

「白夜雪」という名の娘の遺品に宿るのは、呪いか、祝福か…。
なにはともあれ、厄介払いができて万々歳。
蓮は穏やかな笑みを浮かべ、キセルを咥えた。