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第1夜 時計塔に舞い降りる怪盗
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午後10時50分。
時計塔からやや離れた、普通科塔の初等部教室に、飛鷹いずみはいた。
この学園は少子化問題どこ吹く風と言うマンモス校であり、学科ごとに1つの校舎が存在する。初等部はまだあまり細かく学科が分かれる事はなく、そのほとんどは普通科塔の最上階に存在した。縦に長いので、普段校舎は塔と呼ばれ、今でも校舎と呼ばれる所は現在は新聞部しか存在しない旧校舎以外はない。
聖学園にはおかしな風習があり、学年が若ければ若いほど塔の上、学年が上になればなるほど、塔の下に教室が存在している。つまり、初等部は朝早くに塔をえっちらほっちら昇る所から学園が始まるのである。
普段は朝から疲れるこの階段も、今晩だけはありがたいと思っていた。
さすがに上級生達を次々と反省室に連れて行く自警団も、まさかこんな時間まで初等部の生徒が残って怪盗を待っているとは思っていなかったらしく、この階だけは自警団の見回りがなかったのである。
下校時刻まで何とか生徒会に見つからないようやり過ごした後は、誰に会う事もなくこの階にとどまる事ができた。
いずみは昼間に食堂で買っていた冷めてもおいしいアップルパイを頬張りながら、双眼鏡を覗いていた。普段ならもう眠い時間だが、今は眠気よりも空腹の方が勝っていた。
覗いた先には、学園にたくさん並ぶ塔の中でも一際高い、時計塔が映っていた。
「時計塔の中には、手動とは言えどエレベーターがあるのよね……羨ましいな。他の塔にもエレベーターがあればいいのに」
いずみはそうごちながら、シャクッとアップルパイを齧る。
人の気配が完全に消えるまでの間は何も口に入れる事も、飲む事もできなかったのだ。
待っている間に遠足前の子供(もっとも今も子供なのだが、当のいずみ自身は自分は人よりずっと大人だと思っている)のように落ち着きがなくなり、夜に備えて少し残していたお弁当を夕方の内に食べ切ってしまったのだ。お腹が鳴ったら自警団に気付かれてしまうかもしれない。自警団がもうここには来ないと踏んだ午後9時以降まで、腹の虫が聞こえないように必死でカーディガンをお腹にぐるぐるに巻いてこらえていた。こうして苦労したからこそ余計に、アップルパイの甘酸っぱさが胸に染み渡っていた。
時計塔の下の方に双眼鏡を合わせると、黒山が見えた。自警団が時計塔の周りを張っているらしい。多分周りの塔も監視されているだろう。
「さて、怪盗はどんな人なのかしら?」
怪盗は、黒いクラシックチュチュを纏った人間だと聞いている。その影は、まだ双眼鏡には映っていなかった。
時計盤はもうすぐ11時の時を刻もうとしていた。
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午後2時50分。
本来なら初等部は下校時刻だが、何をする訳でもなくまだ上級生のいない文芸部の部室でぼーっとしていた。
ふと本棚を見ていたら、まだ手の付けていない一角があるのに気が付いた。そこから埃の被った文庫本を1冊取り出してみた。紙魚が出てきたら嫌だなあ。そう思いながらめくり始めた。
手に取ったのは太宰治の「人間失格」。やや小学生が読むにしては難のある小説を、パラリ、パラリとめくって、いずみは考え込んでしまった。
いずみには、大人にとっては些細な事だが、子供にとっては重要な悩みを抱えていた。
どうも自分は、同い年と比べると考え方が変わっているような気がしたのだ。何が変わっているのかまでは分からないが、何か違うと思ったのだ。
別に変わり者と思っているのは自分だけで、傍から見たらよくある悩みなのだが、いずみはそれを誰にも言えずにいた。
もしかすると、自分はいつか大きな間違いを犯し、犯罪者になってしまうんじゃなかろうか。
いずみは、クラスメイトとしゃべっていて、どうも自分は人より頭がいいらしいと言う事に気が付いた。別にそれを見せびらかす事ができるほど子供じみていたらそんなに問題はなかったのだが、いずみはそれははしたない事のように感じられ、それをひた隠しにするようになった。
しかし、頭のいいいずみはそれもあまり解決になっていない事に気付いていた。
ならどうすればいいんだろう?
そういずみがぼんやりと考えながら、ページを進める。
「人間失格」の主人公は、ただ生きているだけで、自分を傷つけている人物だった。
馬鹿みたい。ちょっと賢いと言うのは不幸だ。
そういずみが思いつつ、次のページをめくろうとしている時だった。
「号外号外―!!」
新聞部だろうか。掛け声が塔と塔の間で反響している。
窓から下を覗いてみると、新聞部が声の通り号外を配っていた。
確か昼休みも配っていたと思うけれど、それとは違うんだろうか。
いずみは鞄からガサガサと昼休みにもらった号外を取り出した。
号外には今晩怪盗が時計塔に現れると言う予告状の事が書かれていた。
怪盗はシルエットが華奢でクラシックチュチュを着ている事以外は号外に載っている写真では分からなかったが、恐らく女性だろう。もし男がこの格好をしていたら最悪だ。
彼女を観察したら、答えが出るんじゃないかしら。
いずみはふと、そんな妙案が思い浮かんだ。
怪盗が本質がいいのか悪いのかは知らない。でも、今やっている事は明らかに犯罪だ。なら、彼女がどんな気持ちで犯罪を重ねているのかを知る事ができたら、自分が犯罪者になるのかどうかが分かるかもしれない。
そうと考えると、いずみは不思議と気持ちが楽になった。
まるで真夜中に遠足でもあるような、そんな気分になってきた。
いずみの頭はくるくると回転を始めた。
どうやったら、自警団に見つからずに怪盗を観察する事ができるだろう。自警団も怖がられているとは言えども、初等部にはやや甘いのは、観察していれば分かる事だった。それを利用しよう。初等部に隠れていれば、遠くからだけれど観察もできるだろう。遠くからでも双眼鏡があればいい。鳥の観察の宿題をしたいって言ったら先生が貸してくれるんじゃないかしら。
夜中まで張っているんだったらお腹が空いてしまう。食べ残したお弁当があるからそれと、おやつを食堂で何か買ってこよう。
遠足の準備をするように、浮き足立った感覚で、予定を組み立てていった。
予定が組み立て上がったら、後は行動するのみ。
生徒会に見つからないよう初等部に戻らないといけないから、早めに行動してしまおう。上級生が授業している間に。
時計を見ると、もう3時を過ぎていた。今上級生は6時間目の授業中のはずだ。急がないと。
いずみはガタリと椅子から立ち上がると、鞄を掴み、文庫本を本棚に突っ込んで走っていった。
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午後11時20分。
いずみは教室の床に座り込んでいた。
11時ちょうどに、時計盤の針がいきなりぐるぐると高速回転を始め、針はあるはずのない13の数字を指し示していた。
13時に現れるってそんな事だったんだ。
もちろん、それも1つ重要な事なのだが、もう1つ重要な事があった。
怪盗は今、いずみの頭の上にいるのだ。
いや、正確には初等部教室の真上、普通科塔の屋根の上にいるのだ。
ずっと双眼鏡で追っていたら、屋根の上を跳んできて、ここまで来たのだ。確かにここに隠れていたのは、時計塔から学園外に逃走するルートに近かったと言うのはある。普通科塔は学園の裏門近くに存在するからである。
いずみはどきどきと自分の鼓動を感じていた。
このどきどこは興奮してなのか、緊張してなのかは分からなかった。
一応見つからないように床にしゃがみこんでいるが、見つかっていないだろうか。見つかったら逃げてしまう。
いずみはできるだけ自分を落ち着けようと服を掴みながら、息を潜めた。
誰か怪盗を追いかけてきたのだろうか。誰かと話している声が聴こえる。
……駄目だ。今頭の上にいるのに、聴き取れない。
「私は―――ご機嫌よう―――またお会いしましょう?」
何とか聴き取れた声は、ひどく優しげな声で拍子抜けした。
この人本当に犯罪者? まるで自分が悪い事しているなんて思っていないみたい。
いずみがそう思っている間だった。
怪盗が、いずみがしゃがみ込んでいた教室の窓から見えた。
「!!!」
怪盗が、屋根の上から飛び降りたのだ。
窓には、彼女が落ちていく様がスローモーションのように見えた。
顔は仮面で覆い、黒いクラシックチュチュを纏った華奢な人。
もっと颯爽と消えていくのかと思ったのに、その動作はひどく優美だった。
いずみは思わず窓に張り付いて下を見下ろした。
下はちょうど渡り廊下で、降りるとしたらそこしかないはずなのに、怪盗は見つからなかった。
本当に、突然消えてしまったのだ。
いずみは溜め息をついた。
あの人、何考えているんだろう。
でも。
あの人追っていったら、分かるのかな。
私が犯罪者になるのか、ならないのか。
いずみは立ち上がった。
まずは自警団に見つからない内に帰る事にしたのだ。
<第1夜・了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1271/飛鷹いずみ/女/10歳/小学生】
【NPC/怪盗オディール/女/???歳/怪盗】
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■ ライター通信 ■
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飛鷹いずみ様へ。
こんばんは、ライターの石田空です。
「黒鳥〜オディール〜」第1夜に参加して下さり、ありがとうございます。
ジュブナイル小説を目指しましたが、目指せましたでしょうか? お気に召されたら何よりです。
第2夜も現在公開中です。よろしければ次のシナリオの参加もお待ちしております。
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