コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


貴方のお伴に 〜雛祀り〜

 冷たい雨が降っていた。
 ついこの間までは急に暖かくなったと思ったのに、気づけばまた寒くなっている。それに、ここしばらく晴れ間を見ていない。菜種梅雨というやつだろうか。
 ただでさえ沈みがちな気分が、より重くなる。
 傘を差しているのに、身体全体に雨が染み込むようで、身体まで重く感じてくる。
 それでも。
 一歩一歩踏みしめるように、足を前に出して進む。

 いつから、こうなってしまったのだろう。
 最初は、毎日のように通うことが楽しくて仕方がなかった。
 これまでは、そんなに頻繁には通えなかったから。理由がないのに、毎日押しかけるのが申し訳ないと思っていたから。
 でも、理由ができた。押しかける、という点では同じだけれど、意味があって通い、助けてもらいながら、からかわれながら頑張る。そういうやり取りが楽しかった。
 そうして、一日が過ぎ、一ヶ月が過ぎ。

 暗闇の部屋の中で、心を落ち着けて、じっと佇む。自分自身も闇に溶け込ませるように、無心の、無我の境地に入る。
 少しずつ慣れてきて、より長い時間部屋に滞在できるようになってきていた。
 けれど。
 二ヶ月を過ぎた頃から。
 壁に、ぶつかった。
 暗闇には慣れてきた。でも、コントロールどころか、人形になることすらできなくなっていった。
 そうなると、とても無心ではいられなくなる。
 なぜ、だめなのか。どうすればいいのか。色々考えてしまって、余計に惑わされる。
 すっかり、雛人形の意識を呼び起こすことなどできなくなっていた。
 そうして、さらに一ヶ月以上が経って。
 いつしか、久々津館を見ても、住人たちと話しても、励まされても――苦しさを覚えるばかりになっていた。
 それでも、通うのは止めなかった。ほとんど、意地だった。でも、その力みもまた、状況を悪くしているような気がしてしまう。
 完全に、袋小路に入ってしまっていた。

 見慣れた門をくぐり、庭を通りぬける。
 ホールに佇む炬に挨拶する。レティシアは出かけているようだった。
 いまだたどたどしい言葉遣いで心配の声をかけてくれるが、それも白々しく聞こえてしまう。事務的な調子で、いつもの部屋を借りる旨を伝えて、返事も聞かずに奥へ進んだ。
 館の中も、もう慣れたものだった。見た目以上に広く、そして複雑な館だが、例の暗闇の部屋へ行くまでの道順だけは、完全に覚えてしまっている。
 いくつかの角を曲がり、ほどなく、部屋にたどり着く。ノブに手をかけ、扉に身体を預けるようにして、全身でゆっくりと押し開けた。
 今の自分の心と変わらないくらい、重い扉。
 そしてその先には、暗い空間、何もない空間が広がる。それすら、自分の心を映しているかのようだった。
 扉を閉じると、真の暗闇が訪れる。
 自分の姿すらも確認できないほどの闇。襲ってくる浮遊感、そして、喪失感。
 でも、それすらも慣れてしまっていた。
 どれだけ待とうとも、人形化どころか、人形の意識すら呼び起こせない。
 数十分か、一時間は過ぎていただろうか。やがて――諦めて、部屋を出た。

 ――今日も、だめだった。
 肩を落として、俯いて。階段を上り、廊下を戻る。
 今日はこのまま帰ろうと思った。
 ――炬さん、いないといいな。
 そう思う。なんだか、会話するのも億劫だった。慰められると、余計に堪える。
 ただ、そういう時に限って。
「あら、今日も来てたの? どうだった――って、聞くまでもないか」
 玄関ホールで待っていたのは、もう一人の久々津館の住人、レティシアだった。正直言って、今日の気分だと、炬より会いたくなかった人物だった。
 また来ます、とだけ言って、少し離れたところを通りすぎる。
「らしくないわね。嫌になっちゃった?」
 背後からのその声に、扉にかけようとした手が、止まる。
 そこには、明らかに――嘲笑の響きがあった。
「あら、怖い顔。図星、かしらね」
 艶やかに、笑いかけられる。でも、そこにはいつもの包容力が感じられない。向けられているのは、悪意。はっきりとそれが分かる。
 睨み返す。でも。気づいてしまう。本当にそれが図星でしかないことに。
 反論できない自分が、情けなくなる。
 目を伏せる。視線を合わせることなどできもしない。もともと、付き合わせているのは自分なのだから、どうしようもない。今まで数え切れないくらいたくさんお世話になったのに、いつのまに自分は思い上がっていたんだろう。
 立ち尽くす。涙が出そうになる。
 ぽん。
 柔らかい感触に、目を上げる。いつの間にか目の前にいたレティシアの手が、頭の上に乗せられていた。
「力を抜いて。そんなに強張ってちゃ、何一つ、うまくいかならいわよ」
 さっきまでとは裏腹に、囁くような声。そして、染み渡るような声。それと同時に、優しく、引き寄せられる。
 強く抱きしめられる。動けない。
 でも、なんだか――心地良かった。
「見失っちゃだめ。思い出すのよ。はじめてのときを」
 レティシアの肩ごしに、ホールの先にある、窓から庭の景色が見えた。
 桜に似た薄紅の花が、揺れていた。けれど、桜にはまだ早い。
 ――杏。
 あの時見た、杏の花だった。あれから、もう二年が経つ。
 ほのかに覚えがある甘い芳香が漂ってくるような、そんな気がした。
「ありがとうございます。もう、大丈夫です。また、明日も来ます」
 背中に回された腕をゆっくりと解きほぐすと、彼女の目をしっかりと見て、そう答える。

 そして、翌日。
 大きなスーツケースを抱えて、みなもはいつもより早い時間に久々津館を訪れた。
 庭で掃き掃除をする炬に元気に挨拶をする。
 ホールに入ると、今度はレティシアがいた。特に何をするでもなく、朝のけだるさを体現するかのように窓際の椅子に座っていたが、陽射しが横顔を照らすその姿がまた、絵画のようだった。
 こちらに気づいて、ゆっくり振り向く。
「あら……ずいぶんすっきりした顔して。ひとつ、乗り越えたみたいね。よかったわ」
 その問いかけに、昨日のことを思い出して、ちょっと気恥ずかしくなる。
「マリーを連れてきたの? メンテナンスなら、鴉を呼びましょうか?」
 スーツケースを目で示しながら、言う。確かにこのスーツケース、普段は、久々津館で譲ってもらった球体関節人形のマリーを入れてくるものだった。
 けれど、今日は違う。
「あ、これはですね……今日は、違うんです」
 言って、スーツケースを床に置いて開く。
 赤、緑、黄色、青……色とりどりの布が現れる。
「十二単、借りてきたんです。形から入ろうかなと思って。後、私の中の子にも――着せてあげたくて。着るの、手伝ってもらえますか?」
 微笑みながら、もちろん、とレティシアは頷いてくれた。

 例の地下室で、レティシア、炬の二人にに手伝ってもらって十二単を着込む。三人がかりでも、かなり重労働だった。そもそもレティシアが着付けの方法を知らなければ、なんともならなかった。本当に、頭が上がらない。
「それじゃあ、閉めるわね。せっかくの格好だし、真っ暗闇の中というのもなんだけど」
 そして、部屋が闇に包まれる。
 思い出す――最初の時。彼女の気持ち。もっと生きたかった。もっと。
 私の中で、今でも生きている。きっと、支えてくれている。
 唯一残った、彼女の形――お守りにして持っている、彼女の瞳を握り締める。
 心が静かになっていく。
 ――ありがとう。
 そう聞こえたのは、きっとの気のせいじゃない。
 暗闇の中、自分の姿は確認できないけれど――分かった。
 人形の、あの子の姿になっているということが、感じられた。
 こうして――みなもは、人形の姿になる力を手に入れたのだった。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【1252/海原・みなも/女性/13歳/女学生】

【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
 伊吹護です。度々のご依頼、ありがとうございます。
 一応、雛人形の話に一区切りをつけてみましたが、いかがでしたでしょうか。
 むしろ引っ張りすぎたかもしれませんね汗
 アイテムが少しだけ変化しているかと思います。人形化するのは、このアイテムを所持していることが条件です。