コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


鋼の殻は器とならず

 思い切り手足を伸ばした少女が、軽々と宙を舞う。
「いぃやったぁあー!」
 晴れやかな笑顔を振りまきながら胴上げされているのは、三島・玲奈だった。校内球技大会で盗塁王となった玲奈は、クラスメイトや所属しているサッカー部の仲間からお祝いに胴上げされていた。俊足を生かして活躍したおかげで玲奈のクラスは上位に食い込み、成績は上々だった。何人もの腕に支えられた小柄な体が、一度、二度、と跳ね上がり、三度目もあるかと思われたが、玲奈は無数の手に絡め取られた。クラスメイトや部員達だと思っていた者達は、皆、紛い物であり、玲奈は異変を察知したが手遅れだった。
 必死の抵抗も空しく、玲奈は連れ去られた。



 巨体の異形が、人々の営みを滅ぼしていく。
 高層ビルが呆気なく貫かれて折れ曲がり、道路が割れ、名も知らぬ人々が次々に命を落としていく。無数の瓦礫が散らばり、土埃と黒煙が立ち上る。恐怖と絶望に染まった悲鳴が絶え間なく上がり、地表が割られ、そして。
 正視出来なくなり、玲奈は目を逸らした。都市で暴れているのは、虚無の境界が開発した大型魔道兵器ナグルファルの中でも特に強力な、体高20メートルの巨大兵器ヨツンだった。あらゆる生き物と機械と呪物を混ぜ合わせて造り上げられた禍々しい兵器は、複雑な紋様が描かれた鎧を纏っていた。その足が一歩踏み出すたびに清らかな命が蹂躙され、穢れと死が蔓延していく。
「あらあら、大変ね」
 玲奈の目前に現れたのは、虚無の境界を統べる盟主、巫浄・霧絵だった。彼女はヨツンによる破壊活動が映し出されているモニターを背にし、手術台に固定されている玲奈を見下ろした。
「このままでは、地球なんて滅んでしまうわね」
 緑の髪に赤い瞳を備えた豊満な肢体の女は玲奈の傍らに立ち、紫の口紅に彩られた唇をうっすらと広げた。
「あなた、なかなかの霊力を持ち合わせているわね。どう、その力、もっと有効に使ってみない?」
「今でも充分有効活用してるわよ!」
 玲奈は気丈に言い返しながら起き上がろうとするが、両手足は拘束具に戒められていた。
「いくら優れた力でも、それを収める器が貧弱では意味がないのよ。だから、あなたには力に相応しい機械の体を授けてあげるわ。その力で地球を救うのよ」
「そんなもの、欲しいわけないじゃない!」
「つれないわね」
 玲奈の反発に、霧絵は唇の端を僅かに下げた。
「もっとも、候補はあなただけじゃないのだけど」
 霧絵が身を引くと、玲奈の隣の手術台に明かりが落ちた。そこには、年端も行かぬ少女が縛り上げられて座らされていた。霧絵が立ち去ると、どこからかバリカンを手にした人影が現れた。鈍い唸りを上げる機械の先端が少女の前髪に入り、少女は喘いだ。
「うぁっ…」
 玲奈よりも一回りは幼い少女は、きつく目を閉じて懸命に恐怖と苦痛を堪えた。玲奈は我慢出来なくなり、声を上げた。
「あたしがやります! だから、その子は許してあげて!」
 途端に、バリカンが止まった。少女が運び出されていくのを確かめてから、玲奈は抵抗を押し殺した。拘束具を解除されて椅子に座らされると、頭皮にたっぷりと石鹸の泡を塗り付けられて冷たい剃刀が当てられた。自慢の黒髪が床に散らばり、玲奈は視界が歪んだ。滑らかに剃り上げられた頭部から垂れ落ちてくる泡に混じる毛屑が、胸を鋭く抉った。戦闘兵器に髪は邪魔だ、平和を背負うためなんだ、と玲奈は何度となく自分に言い聞かせるが、鼻の奥がつんと痛んで目頭が熱くなった。頭の処理が終わると今度はジャージの裾にハサミが入り、素肌に触れる外気が増した。ハサミがハーフパンツに及ぶと、玲奈は我に返った。機械の体を持つようになったら、服はいらないだろう。だが、玲奈は女子高生だ。高校の制服は気に入っているし、花嫁衣装だって着てみたい。なのに、それを着る前に生身の体を捨ててしまうなんて。玲奈の己の体に強い執着心が湧き、スパッツ一枚にされた体を抱き締めた。
 刹那、玲奈の霊気が膨れ上がり、施設全体を吹き飛ばした。



 瓦礫が当たった頬は、ざっくりと切れていた。
 その傷に触ろうにも、肝心な手どころか腕もない。火照った脳と高揚の余韻が色濃く残る意識で自分の体を捉えようとするが、どこにも見当たらなかった。玲奈の霊気の暴走は収まったが、虚無の境界の霊鬼兵に首を切り落とされてしまった。首から下の生身の体も、その場で虚無の境界に奪われた。玲奈の霊的感覚が正しければ、体の部位はばらばらにされて兵器の素材に転用され、脳髄だけは手が付けられないから、と手付かずだった。さてどうしたものか、と玲奈が思考しながら覚醒すると、抑揚の平たい男の声が掛かった。
「お目覚めかな、お嬢さん」
「え……」
 玲奈が目を上げると、巨体のロボットが覗き込んでいた。玲奈は、その手の内にある。
「何、なんなのよ」
 玲奈は動揺するが、耳に届いた自分の声に違和感を感じた。
「君はなんと美しいのだろう。分厚い積層装甲、滑らかな塗装、均整の取れたフレーム、透き通ったレンズ、涼やかな電子合成音声……」
 飾り気のない外装と兵器然としたシルエットのロボットは、赤い単眼のレンズを迫らせる。
「いやっ、来ないで!」
 玲奈はロボットを振り払おうと手を挙げるが、視界に入った自分の手も金属製だった。目を下げると、手どころか、両腕も胸部も腹部も両足も、そして頭部も機械だ。玲奈は激しく混乱し、腕に爪を立てた。だが、爪はなく、硬い外装が同じ外装を引っ掻いただけだった。
「私の体を返せ!」
 嫌だ、こんな体は脱ぎたい。だが、脱げない。
 脱げない、脱げない、脱げない!



 「……また、やってしまったわ」
 玲奈は荒い呼吸を整えながら、掠れた声で漏らした。ベッドには昨晩まではパジャマと呼ばれていた細切れの布が散らばり、汗を吸ったシーツも破れていた。悪夢から覚めたばかりの頭は重たく、喉は引きつりすぎて痛い。虚無の境界に誘拐された時のトラウマが尾を引いている。玲奈はベッドから這い出すと、熱いシャワーを浴びた。汗で肌に貼り付いた糸屑を流すと、全身を強張らせていた悪夢が溶けて消えた。バスルームを出て新品のビキニを身につけ、髪と翼をブローした。おはよう、と虚空に挨拶すると、海上に浮かぶ戦艦玲奈号が感知した水温が伝わってきた。海水は冷たく、春はまだ遠いようだ。
「今日は、もう一枚着よう」
 身だしなみを整えてから独り言を呟いた玲奈は、寝室に戻った。体操着とブルマを着てからフリルが可愛らしいアンダースコートを重ね、ポロシャツを着た上にセーラー服を着込んだ。若干身動きが取りづらいが、服を着るだけで心の平穏が取り戻される。今日の体育はテニスだ、と思い出すと、玲奈号が参考用にと録画しておいた深夜に放映された国際試合が頭の中に映し出された。が、同時に空腹も感じ、玲奈はちょっと笑った。この体は、一見人間離れしているようでいて、どこまでも人間臭い。機械の体にならなくて本当に良かった。
「こんな体でも私は私。だから、好き」
 玲奈は姿見に映った自分に、穏やかな笑顔を向けた。姿見から目を離して掛け時計を見上げると、その笑顔が引きつった。気付けば登校時間ギリギリで、ぼんやりしていたら遅刻は免れない。玲奈は慌てて朝食を詰め込むと、紺と白の二重のスカートを翻して駆け出した。
 さあ、学校に行こう。


 終