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『暗殺指令(1)』
鬼鮫と呼ばれる男の暗殺。水嶋・琴美(みずしま・ことみ)が、彼女が所属する特殊部隊の上官から命令された任務であった。
琴美は自衛隊の中に非公式に設立された特殊部隊の一員であり、19歳という若さながらも受けた任務は常に的確に行う、組織にはなくてはならない存在であった。
忍者の血を引いた一族の出身である事もあり、身のこなしは軽く、これまでの任務も完璧にこなして来た。だからこそ、今回の暗殺という指令が、琴美に下されたのである。
「了解しました。すぐに任務へつきます」
特殊部隊の中にありながらも礼儀正しく、普段着を着ていれば家柄の良い令嬢と変わらない琴美であるが、任務を受けてから顔つきはまさに特殊部隊の戦士そのものの表情となる。
今現在は、一見普通のOL風であるが、よく見ると体のラインをはっきりと見る事の出来る、色っぽいタイトスーツ姿であり、さすがに戦闘も予測される為、この服装で任務へ行く事は出来ない。鬼鮫と呼ばれる男が現在出入りしているという、町外れの廃ビルへと向かう為、現場へ行く前に戦闘服へと着替える事にした。
くのいちの末裔である琴美の戦闘服は、時代劇に出てくるような地味な忍者衣装ではなく、女性の魅力を十分に引き出す事の出来るものであり、同時に戦場の中にあっても美しく飾られているものであった。
彼女は自身の部屋へ戻ると、衣装箪笥から戦闘衣装を取り出した。スーツのジャケットのボタンを外し、そしてスカートのホックを外してそれを壁にかけてあるハンガーへと丁寧にかけた。脱ぎ捨てずにきちんとハンガーにかけるところに、彼女の律儀で真面目な性格が伺える。
ブラウスは綺麗に畳んで箪笥の中へと仕舞い、立ったままの姿勢で肌色のストッキングを脱ぎ、くるくるとまるめて、戻ってきたらすぐに洗濯出来る様に椅子の上へと置いた。キャミソールと下着一枚の姿となった琴美の姿が、反対側にかけられている鏡に映し出されていた。
琴美は、そのキャミソールも脱ぎ、黒の体に密着しているタイプの下着に着替えた。黒い下着が、琴美の女らしいラインを浮かび上がらせ、ふくよかな胸の膨らみがさらにその魅力を強調させていた。
白くて細い足には、先ほどまで履いていた肌色の地味なストッキングから、黒いガーターベルトを締める。ガーターは激しい戦闘に置いてずり落ちてしまうのを防ぐ為であり、伸縮性もあるため彼女にとっては実に機能的な下着ではあるが、色気を持つ琴美が着るとどこかセクシーな魅力を感じてしまう。
彼女の体にフィットするスパッツをつけ、さらにミニのひだが特徴的なプリーツスカートを履く。着物の両袖を邪魔にならないように、半袖の長さまで短くし、帯を巻いた形に改造した上着を身につけることで、戦闘服は和服の雰囲気を持つものへと変わる。
編上げタイプの膝まであるヒールの編上げロングブーツを履き、最後に長くて艶やかな黒髪をしっかりと結び上げ、お団子状態にまとめた。
長い髪の毛をそのままポニーテールにしただけであれば、敵に髪の毛を掴まれてしまう。本来なら、琴美の様な戦闘要員は男性の様に短く切ってしまう方が良いところだが、特殊部隊の隊員であっても琴美は年頃の女性である。大切な黒髪を切るのは、やはり抵抗があった。
「参ります」
自分自身に言い聞かせた。これまでの任務も、確実にこなして来た彼女であるが、だからといって油断すれば取り返しのつかない状況に陥ってしまうかもしれない。
これまで通り、着実に冷静にしていれば必ず勝利する事が出来る。彼女は任務遂行の確信をすでに心に思っていた。
上官の情報によると、鬼鮫は通称であり、本名は霧嶋・徳治(きりしま・とくじ)という名前であるらしい。
入手した写真を見る限り、ヤクザの風貌の男で、年齢はやや中年に入りかけている年齢だろうか。琴美達の舞台に暗殺の指令が入るのだから、ただのヤクザではない事は明確であった。鬼鮫は魔物の遺伝子を宿しており、人間をはるかに凌ぐ力を秘めているのだという。
ほんの数週間前も、この男による殺人事件が起きており、現場には犠牲となった無残な者の亡骸しか残っていなかったのだという。
しかも、この鬼鮫が狙う相手は、特殊な力を持った超常能力者ばかりであった。事件を起こす時、特に相手の金品を狙うわけではないところから、鬼鮫を調査している特殊部隊の調査員達は、この男が超常能力者を戦って殺す事を楽しんでいるだけと判断し、このまま放置していれば危険な存在になると、琴美に暗殺の命令を出したのであった。
琴美の所属する組織の情報員もまた、魑魅魍魎の類を調査する役目を担っている為、常に調査は的確であった。鬼鮫は、町外れにある廃ビルに出入りしており、その廃ビルの地下には琴美達の組織と敵対する組織の基地が置かれているのだという。
廃ビル自体は、元々はどこかの会社が建てたものだが、不況の影響で会社は倒産し、新しく入るテナントが見つからないまま放置されているのであった。敵組織が買い取り、一見誰もいない廃ビルに見せかけて、それを利用して地下では、人目につくことなく組織としての活動を行っているのだと、調査員から伝えられていた。
廃ビルまで行くのは簡単であった。入り口は扉が閉められているが、琴美は2階の窓のガラスが割れている事に気づき、鍛え上げられた足をバネのようにして2階へ飛び上がり、割れた窓から手を入れて鍵を開けて、中へと侵入した。
廃ビルとなっている為、人気はなく、室内には古い型のパソコンや壊れた机、すっかりサビついている椅子が放置されている。調査員の話では、組織は地下にあるらしいので、どこかに秘密の入り口があるのだろう。階段を降りて一階へと行き、琴美は慎重に地下への入り口を探す。
「これかしら」
一階にある、受付のフロントのすぐ横に大きな看板がかかっている。かなり汚れており、何とか株式会社、と読めるところから、以前このビルに入っていた会社が使っていたものだろう。
その看板は壁にかかっているのだが、その壁の横に不自然な隙間がある。普通の人なら、こんな小さな隙間に気づかないところだろうが、琴美はその小さな隙間も見逃さなかった。
看板は琴美でも抱えられる程のサイズであり、看板を外すと予測通り、壁にさらに奥へと続く階段があった。まさしく、秘密の入り口であった。
急に空気が変わるのを感じた。敵組織へと侵入する緊張感はあったが、何が出てきてもすぐに応戦出来る様に、腰には専用のクナイをすぐに取り出せるように装着していた。
「ここは立ち入り禁止区間だ、色っぽい忍者娘さん」
あっさり過ぎるほどに、琴美はターゲットを見つけた。地下への階段を下ってすぐ、エレベーターホールとなっている広めの空間に出たのだが、そこに鬼鮫は立っていた。
「貴方が鬼鮫ですわね」
口調は敵のその前でも丁寧であったが、そこに感情は一切込められていない。
「室内で煙草を吸っている連中が多いんでな。俺は煙草は好きではない。意外だろ?」
そう言って鬼鮫は、余裕のある笑みを浮かべた。
「お前が迷子だったら、そのまま逃がしてやるところだが、そんなわけはないからな」
鬼鮫は、ゆっくりと琴美へと近付いてくる。
「ここに入ってくるって事は、ただの娘じゃないんだろうな。歩き方が素人離れしている。俺は耳がいいんでな。歩き方でどんな奴かわかるわけだ」
琴美は鬼鮫が話し終わると同時にクナイを抜き、その顔を目掛けて振り下ろした。だが、動きを一瞬で察知したのか、鬼鮫が琴美の攻撃を太い腕で弾いた。
「私は任務の為、貴方の命を頂戴いたします」
「ほう、お前何かの組織の女か?だが、その任務は実行出来ない。お前はここで、俺に殺されるからだ」
鬼鮫がガードしたのとは反対の腕で琴美を殴りつける。琴美はすぐに体を捻りその攻撃を避けて、右足で鬼鮫の横腹を蹴った。
鍛えられた細い足から繰り出された蹴りに、鬼鮫がバランスを崩してよろける。その瞬間を、琴美は決して逃さない。鬼鮫は琴美よりも頭2つ分は大きな男であったが、琴美は鬼鮫の懐に勢い良く飛び込み、みぞおちにクナイを力いっぱい差し込んだ。
「ぐっ」
鬼鮫はうめき声を上げた。さらに反対の手をクナイに添えて、刃を鬼鮫の腹に食い込ませる。クナイを伝って男の生暖かい赤い液体が流れ出したが、琴美は決して手を緩めない。
全てを完璧に、決して手を抜くことなくやらなければならない。少しでも油断すれば、それは琴美自身の敗北を意味するからだ。
鬼鮫が体を急に引いたので、クナイが腹から抜けた。鬼鮫は膝をつき、体を震わせながら腹をかかえている。大量の血液が床に流れ落ち、真っ赤な水溜りのようになっている。
「小娘だと思って、油断したのがまずかった」
「私はいつでも全力で向かいます。暗殺の命令を受けた以上は」
琴美は最後の留めを刺そうと、鬼鮫に近付き、力なくうな垂れている首筋に向かってクナイを振り下ろした。
「なっ!?」
クナイが突然鬼鮫の左手に握り締められた。刃は鬼鮫の左の掌に食い込んでおり、左手からは血がどんどん噴出しているが、鬼鮫は力ないどころか、余裕のある目つきで琴美を見つめた。
「それがお前さんの全力なら、この勝負は俺の勝ちだ」
クナイを抜こうとしたが、まったく抜けない。男は掌に大怪我を負っているはずなのに、力は決して弱まらなかった。
「真面目過ぎたのが、お前の油断だ」
鬼鮫はかがんでいた姿勢から立ち上がり、丸太のような足で琴美に蹴りを入れた。琴美の体は簡単に吹き飛び、壁に叩きつけられる。
「ううっ、どうして、私のクナイが刺さったのに」
琴美の額に汗が滲んできた。鬼鮫はさらに琴美に蹴りを食らわせる。女性だから、という考えなど彼にはないのだろう。
今度は琴美が腹に攻撃を受ける番であった。腹に攻撃を受け、吐き出してしまいそうになる。目がかすんで、膝が震えだしていた。
「俺は傷の治りが早いんでな。お前の武器は痛かったが、すぐに傷が塞がるからあまり意味ないってわけだ」
強烈な蹴りをみぞおちに受け、ついに琴美は膝をついてしまった。背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。
「それじゃ、さっさと終わらせようか。俺もそんなに暇じゃないんでな」
鬼鮫が近付いてくる足音だけが不気味に響いた。琴美は体を震わせながら、ただ一言だけ呟いた。
「私は必ず、任務を遂行します」(続)
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