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<東京怪談ノベル(シングル)>


 Nicol (ニコル)

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 Fish.
 ニコルは、魚が苦手だった。
 苦手っていうか、面倒くさいんだって。
 骨をとったり、ほぐしたりするのが、面倒くさいんだって。
 そのままガブッとかぶりつけばいいじゃんって、そう言ってみたこともある。
 でも、ヤダって。そんな野蛮な食べ方したくないんだって、そう言われた。
 すっごい、わがままだよね。自分で、骨をとったり、ほぐしたりできないくせにさ。
 でもね、そうは思いつつも、僕は、ニコルのために、そのわがままに応じてあげたよ。
 食べやすいように、上手にほぐしてあげた。骨だって、ひとつも残さずとってあげた。
 はい、どうぞって渡すと、ニコルは嬉しそうに笑ったけど。ありがとう、とは言わなかった。
 たぶん、それが当然だったんだろうね。だから、いちいちお礼なんて言わなかったんだと思う。

 Forest.
 ニコルは、森が好きだった。
 葉っぱが風に擦れ合う音とか、木々の隙間から洩れる光とかが、好きなんだって。
 森の中を探検だー! とか、そういうのは一度もなかったよ。いつも、のんびりしてた。
 二人でゴロンと寝転んで、長い時間を過ごしたんだ。会話も、ほんの少しだけ。
 今日の風、優しいね、とか、おなかすいたね、とか。そういう遣り取りだけ。
 しつこく話しかけると、ニコルが怒るから黙ってたっていうのもあるけど。
 でも、嫌々つきあってたわけじゃない。僕も、楽しんでた。
 森は、行くたびにその姿を変えたから。いつも違う景色を見せてくれたから。
 いつしか、僕のほうが、ニコルよりも森が好きになっちゃってたよ。
 今日は行かないの? とか、そういうこと言っちゃったりもしたんだ。

 Rain.
 ニコルは、雨を嫌った。
 雨が降っている日は、外に出たがらなかったんだ。
 悲しい気持ちになるんだって。ひとりぼっちになったような気がして怖いんだって。
 そう言って、雨の日のニコルは、部屋で膝を抱えてた。拗ねた子供みたいに。
 雨の日だって、楽しいよ? 楽しいこと、たくさんあるよ?
 そうやって、何度か連れ出そうとしたことがある。
 純粋に、ほんとうに、楽しいこともあるんだって教えてあげたかっただけ。
 でも、ニコルは嫌がった。かたくなに、外に出ることを拒んだ。なにを、どうしても。
 だから、僕は、連れ出すことをやめた。諦めたんじゃなくて、やめたんだよ。
 ニコルを困らせたくなかったから。



 奪った記憶。
 いや、正確に言うなれば、取り戻した記憶というべきか。
 クロノハッカー、ニコルから驚愕の事実を聞かされて数時間。
 千早は、自宅に戻らず、未だ歩いていた。ひとりで、ゆっくり、ときどき、立ち止まりながら。
 あてもなく歩いているわけじゃない。千早は、巡っている。その足で、記憶の断片を巡っている。
 ニコルと過ごした時間。覚えていなくとも、いま、確かに頭の中にあるその記憶を、千早は認めたかった。
 気持ちを改めるとか、クロノハッカーの悪行を許すとか、そんな気は、毛頭ない。ただ、理解しておきたかっただけ。
 どうして覚えていないのか、その疑問は残るけれど、ニコルと過ごした時間は、確かに事実として存在している。
 ニコルと過ごした場所を訪れる度に、こうして、優しい気持ちになっているのが、その何よりの証拠だ。
 例え、おぼろげでも、曖昧な部分があっても、その場所を訪ねれば、こんなにも鮮明に思い出せる。
 その時、自分がどんな言葉を発したか、どんな表情だったか、周りに何があったか、
 ちょっと不気味に思えるくらい、はっきりと思い出す。思い出せる。

 思い出したからといって、何かが変わるわけでもない。何も変わらない。
 仮契約を締結し、六人目のクロノラビッツとして生きる決断を下したのは、自分自身だから。
 やってみないか、という勧誘の過程があったにせよ、それを受け入れたのは、ほかの誰でもない。自分自身だ。
 やると言ったからには、途中で投げ出すような真似はできない。やるべきことは、しっかりとやりこなす。
 海斗たちとの関係だって、自分の意思だ。彼らに、仲良くしてくれって頼まれたわけじゃない。
 友達とか仲間とか、そういう関係に理由なんて必要ない。
 ニコルと過ごした時間も、おなじ。確かな事実として存在している以上、目を背けるような真似はしない。
 でも、それは、過去の話。いま、現在、起きている事象じゃない。思い出の類でしかない。
 僕を翻弄する思い出は、ひとつだけ。恋心を教えてくれた、あの思い出だけでいい。
 だから、なんにも変わらない。千早が、ニコルとの記憶に翻弄されることはない。
 ただ、心の片隅に。置いておくだけ。



 ふと気付いたとき、辺りは既に真っ暗になっていた。
 パーカーのポケットからケータイを取り出して見やれば、時刻は午後九時。
 もう、こんな時間なんだ。そろそろ、帰らなくちゃ。忘れていたけど、お腹もすいてる。
 ケータイをパチンを閉じ、ポケットに押し込んで、千早は歩き出す。
 そのときだった。一歩踏み出した、引き返した、その瞬間。
 鼻の先に、ポタリと雫が落ちてきたのは。

「 ………… 」

 空を見上げ、目を閉じる。
 髪に、頬に、まぶたに、睫毛に、唇に、落ちては垂れゆく雨。
 何の前触れもなく降りそそぐ、その春の雨に、千早は小さな声で呟いた。
 …… ニコル。 君はまだ、雨が嫌い?

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 The cast of this story
 7888 / 桂・千早 / 11歳 / 何でも屋
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 Thank you for playing.
 オーダー、ありがとうございました。
 2010.03.09 稀柳カイリ