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<東京怪談ノベル(シングル)>


Water and Ice


「まったく。キミという子は……」
 と言いかけたところで、草間武彦は思案顔のまま黙りこんでしまった。
 観光船を装った玲奈号の船上。切り裂くような冷気の中で、三島玲奈が武彦の顔を見つめている。真冬の北極海。視界いっぱいに広がる海は青白く澄みわたり、大小とりどりの流氷が海面のほとんどを覆い尽くしている。死んだように静かな光景。その中で、ただ玲奈だけが揺らめく炎のような意思をその瞳に宿していた。
「おねがいします。草間さんなら解決できるはずです」
 玲奈が懇願すると、武彦は渋々といった具合にうなずいた。
「わかった。わかったよ。引き受けよう。しかし、キミはどうして毎度毎度ややこしい事件を俺のところに持ってくるんだ? ……いや、答えなくていい。どうせ、俺自身の不運を嘆くことになるだけだからな」
 その言葉どおり、今回もまた草間武彦は「厄介な事件」に巻き込まれたのであった。──正確には、巻き込まれようとしているところなのであった。


 事件のあらましは、こういう経緯だった。
 流氷観光で有名な海域に、某国の砕氷船が乗り込んできた。もともと、玲奈の船が独占していた海域だ。ふつうなら一言あいさつがあってしかるべきだが、そういった礼も何もなく、ある日突然にして観光事業戦争がはじまったのだ。
 相手側の主力商品に、「光るカクテル」というものがあった。言葉どおりの、光り輝くカクテルだ。玲奈は、このカクテルの技術を探ろうと、何人かの産業スパイを敵側の船に送り込んだ。ところが、結果は思いもよらないものになった。潜入させたスパイの全員が、自殺してしまったのだ。報告によれば、極度の幻覚に苛まれたあと海に身を投げたとされている。凍りつくような北極海の海に、だ。
 なにかの陰謀が絡んでいるのは間違いなかった。そうして、玲奈は私立探偵草間武彦に連絡をとったのである。


 その日のうちに、ふたりは砕氷船に潜入した。ふつう簡単にできることではないが、玲奈の身体能力をもってすれば造作もないことだった。
 事件は、その夜のうちに起こった。前もって忍び込ませていたスパイが、やはり重度のノイローゼを患って自殺しようとしたのだ。さいわい、警戒中の玲奈が気付いたことで事なきを得たものの、スパイの女はすっかり怯えきった顔で、こう口走った。
「──幽霊を見た」と。見ただけではない。幽霊に追われ、逃げようとした結果が投身自殺の未遂という形になったのだ。
 べつだん、幽霊自体は珍しくもない。船で死ぬ者だっているだろう。しかし奇妙なのは、玲奈の霊感をもってしても現場にはまったく霊反応が見られないという事実だった。もちろん彼女以外の人影も見あたらず、さらに言えば現場は完全な密室だった。
 玲奈と武彦は、それぞれの霊能力や科学知識を駆使して現場検証にとりくんだが、これといって不審なものは発見できなかった。ただ、現場の床が水で濡れていたことだけが唯一不審な点ではあった。が、ただそれだけだった。


「ともかく、情報量が足りないな」
 現場で見つかった水を鑑識にまわすと、草間武彦はその一言で状況をまとめた。
「情報って? なにをすればいいんですか?」
「玲奈。キミは、もうすこし現場を見ておいてくれ。俺は酒でも飲んでくる」
 さらりと言ってのける武彦に、玲奈は声を荒げた。
「ええっ? こんなときにお酒なんて、飲んでる場合じゃないと思うんですけど!」
「聞き込みさ。……たしか、光り輝くカクテルとかいうのが人気なんだろう? せっかく、この船に乗り込んだんだ。一杯ぐらい飲んでおいても損はしないだろうよ」
「それって本当に必要なんですか」
「もちろんだとも」
 どことなく怪しげな笑みを見せて、武彦はバーへ向かった。


 キャビンを出てエレベーターで一階に降り、ラウンジを抜けてバーに入る。それは、船内とは思えないほど立派なライヴバーだった。中央に巨大なステージがあって、それを取り囲むようにテーブルやシートが並べられている。天井は高く、床は絨毯敷きで、音響効果を考え抜いた配置でスピーカーが設置されていた。ステージで演奏されているのは、やや砕けた感じのモダンジャズだ。黒人の女が、みごとな美声を披露している。
 通りがかったウェイターに例のカクテルを注文すると、すぐに運ばれてきた。一口飲んで、首をかしげる武彦。とりたてて、どうということのないカクテルだ。たしかに光り輝いているが、氷の中に超小型のLEDが仕込まれていることぐらい、彼にはお見通しだった。
 味のほうも、べつにたいしたことはなかった。ちょっとうまいが、ただそれだけだ。
 これはハズレだったかなと思いつつも、武彦は聞き込みを開始した。
 いくつか得られたことはあった。近年、温暖化の影響で北極海のルートが次々に開拓されていること。おかげで、国家間のもめごとが絶えないこと。表面化されない部分で熾烈な争いが繰り広げられていること──等々。


 三杯目のカクテルを飲み終えたとき、武彦は窓の外に青い光があることに気付いた。どういう光の加減か、窓の外に貼りついた水滴が青く輝いているのだ。見慣れない光だった。
 撮影しようとカメラを取り出した武彦だったが、さっと近付いてきたウェイターがそれを制止した。「撮影はご遠慮ください」と一言。ステージを撮影しようとしたわけでもないのに、妙な話だった。武彦が訝しんだそのとき、携帯電話に連絡が入った。
「自殺未遂したスパイの所持品を調べたら、ちょっと不可解なものを見つけたんです」
 と、玲奈は言った。
「不可解なもの? というと?」
「カメラです。フィルムがぜんぶ露光してて……」
「待て。フィルムだって?」
 武彦の頭に、ひとつの可能性が思い浮かんだ。
 その可能性を検証するため、彼は玲奈との通話を切り、そして鑑識につないだ。現場から採取された水についての鑑識結果を確かめたのだ。さすがにまだ結果は出ていなかったが、武彦には察しがついていた。
「その水は、重水じゃないか?」
 果たして、すぐに検査結果は得られた。武彦の予想どおりだったのだ。


 真相は簡単だった。流氷観光を装った砕氷船の本当の目的は、重水の密造密売だった。中性子を透過しにくく天然ウランを効率よく反応させる重水は、原子力関連事業では高値で売れる。北極海から得られる氷塊を精製することで大量の重水を作りだし、売りさばくことが、彼らの目的だったのだ。
 スパイが立て続けに自殺を図ったのも、彼らの組織的陰謀だった。方法は、およそこのようなものだった。まず、高波にまぎれて被害者の船窓に重水を浴びせる。そこへ、衛星アンテナから高出力波を照射する。このとき、チェレンコフ放射によって重水が青白く光る。スパイたちが幽霊と見間違えたのは、これが原因だった。フィルムが露光していたのも、高出力波のためである。
 ──そうして、真実は暴かれた。しかし、多くの事件同様今回の事件もまた武彦にとっては憂鬱な結果でしかなかった。


 翌日。冷たい風の吹く甲板で、武彦は灰色の空を眺めていた。どこまでも静まりかえった光景。凍りついた水平線はノコギリのような波形を描いて、海と空の境界を分けている。
「真相がわかったのに、なんだか暗い顔してますね」
 武彦の後ろから、玲奈が声をかけた。
「そうか? いつもこんな顔だと思うがな」と、武彦。
「いつもより暗く見えますよ」
「じゃあ、いつもより暗いことがあったのかもしれないな」
 武彦の言葉に、玲奈は顔をゆがませた。
「……スパイの人たちが殺されたのは、草間さんのせいじゃありません」
「そんなことはわかってるさ。そもそも、俺が引き受ける以前に死んだ人間のことまで責任とれないしな。……しかし、それにしたってこんな冷たい氷の海で死ぬことはないだろうに。……そう思うだろ?」
「ええ……」
 それ以上、玲奈は何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。
 手すりにもたれながら、武彦は持っていたバーボンのボトルをあおった。二口ほど飲んだところで、ボトルの中身を海にあけてしまう。
「これで、すこしは暖まるだろうよ」
 そう言って、武彦は振り返った。右手には空のボトル。左手には茶封筒を持っている。
「それ、なんですか?」
「今回の件をまとめたファイルさ」
 つまらなさそうに言って、武彦は言葉をつなげた。
「しかるべき機関に送りつける。……連中がどう判断するかは知らないけどな」
「きっと、ちゃんと判断してくれますよ」
「どうだかな。……ま、そんなことはどうでもいい。すこし冷えてきた。あたたかいコーヒーでも飲もう」
 武彦は、ゆっくり歩きだした。そのあとを、玲奈が笑顔で追いかけた。