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<東京怪談ノベル(シングル)>


記憶の在り処

 栗花落飛頼の朝は早い。
 華道の家元の家なので、早寝早起きなど、規則正しい生活リズムが定められているのだ。
 飛頼は白いご飯に味噌汁、魚の干物、ほうれん草のおひたし他小鉢数品と言う、昨今だと純和風の宿ではないと出て来ないような丁寧な朝食を済ませた後、広い庭を散歩していた。
 今日取っている授業が始まる時刻が遅いので、時間をある程度潰さないと暇なのである。
 そこで、花を見つけた。

「あれ……もう咲いてるんだ」

 純和風の家で庭もわびさびの効いた作りになっているが、客人があまり見ないようなスペースは割と好きなように庭をいじってもいいと言われている。故に飛頼は普段華道では使わないような花も庭で育てていた。
 咲いていたのはスノーフレークだった。
 鈴蘭にも似ている白い花を咲かせていた。
 飛頼はしばらく見た後、はさみを持ってきてそれを切った。
 丁寧に切って白紙に包んだ後、時間はかなり早いが、学園に行く事にした。
 授業が始まるまでの時間、理事長に話をしに行ってもいいかもしれないと思ったのである。

/*/

 大学部とは違い、高等部や中等部、初等部は既に授業中である。
 いつもはあちこちに人がいるのに、すっかり人気のなくなった学園内を、飛頼は歩いた。
 そう言えば、あまり人気のない学園を歩くのはあまりないな。どこかで窓を開けっぱなしで練習をしているのだろうか。声楽専攻の伸びやかな歌声が聴こえた。
 そうこう考えている内に、中庭が見えてきた。
 そう言えば。
 何でここで倒れたんだろう?
 飛頼は首を傾げた。
 普段自分が極端に眠たくなるのは、バレエを踊っているのを見ている時だけなのだ。なのに、バレエを踊っている人がいる訳でもないのに、理事長館に入ろうとした途端に倒れたのだ。
 飛頼は少し考えた後、中庭に設置してあるベンチの1つに座ってみた。
 普段下級生がじゃれあって転がっていたり、カップルがデートで座っていたりする芝生も、今は誰もいない。誰もいない所を見てみると、程よく刈られているのがよく分かる。園芸部が普段学園内の植物の管理を徹底しているためだ。芝生管理や雑草抜きまで自主的にしているせいか、生徒会も園芸部にだけは遠慮している節があり、園芸部専用の温室を与える位には優遇されているのだ。
 ベンチでぼんやりと座ってみて、気が付いた。
 普段ここ人多いからあんまり気にした事ないけど、芝生の中央が少しだけ出っ張ってるんだ。
 飛頼も園芸部所属だから、高等部まではここの雑草を抜いた事もある。でも雑草抜きに夢中で、そんな事には気付かなかった。
 飛頼はそこに立ってみた。
 そして、そこから中庭を見渡した。

『――では――の演目を披露い――ます』
「えっ?」

 声が聞こえた。
 その声は、前に倒れた時に聴こえた少女のものだった。
 瞼の裏にその少女の幻が見える。
 少女は、白いロマンティックチュチュに身を包み、丁寧に脚を折って礼をしていた。
 何でこんなものが見えるんだろう?
 もしかして、これが僕が忘れていたもの――?
 何かを思い出そうとした瞬間、突然波のように眠気が襲ってきたので、考えるのを中断した。
 ……もしかすると、今までバレエを見ると途端に眠たくなるのは、思い出さないための安全弁だったのかもしれない。
 それだけは、ぼんやりとした意識の中で、確信に変わっていた。

/*/

 飛頼は何とか眠気をこらえて、理事長館に辿り着いた。
 ベルを鳴らした後、栞からもらった鍵を使って扉を開けた。
 扉を開くと、ちょうど栞がチャイムの音を聞いてか、出迎えに奥から出てきた所だった。

「まあ、いらっしゃい。栗花落君」
「こんにちは、理事長」
「どうかした? 花持ってきて」
「あっ、はい、これ庭で摘んだんです」
「スノーフレーク……鈴蘭水仙ね。ありがとう」

 飛頼が花束を差し出すと、栞は嬉しそうに受け取った。

「いえ。先日ベッドを借りたお礼です。甥ごさんにもよろしくお伝え下さい。自分を運んで下さいましたし」
「ああ。あの子ね。気にしなくていいわよ。あの子普段から部屋に篭りっきりだから、追い出すのにはちょうどよかったのよ」
「はあ……」

 そう言えば理事長の甥ごさんってどんな人だっけ?
 僕を運べるって事は、多分高等部の人だろうけど。

「まあ、立ち話も難だから、奥でお茶でも飲みながら話をしましょうか」
「あっ、ありがとうございます」
「いいのよ」

 そのまま栞の後に付いていくと、奥は応接室になっていた。
 上等であろうソファーに、本のたくさん詰まった本棚。ピアノ。隅にはいつでもお茶を楽しむためなのか、ガス台まで置かれていた。
 栞は手馴れた手付きでスノーフレークの根をはさみで整えると、花瓶に生けた。

「はい、そこのソファーにでも座って待っててね。水切りは後できっちりやりましょう。お茶は、何飲む?」

 栞は隅の水道で手を洗いながら言った。
 飛頼はおずおずとソファーに腰を落とした。

「ええっと。緑茶は大丈夫でしょうか?」
「緑茶? いいわよ。待っててね」

 栞はポットを火にかけながら、奥を漁り始めた。

「ちょっと待ってね。お椀出すから」
「はい。すみません」
「いいのよ。趣味だから。で」
「はい?」
「別に、来たのはお礼、だけではないのでしょう?」
「……はい」

 飛頼は少しだけ視線を彷徨わせた。
 先程まで感じていた眠気は、ようやく覚めてきた。

「……自分が、何を忘れているのかは分かりません。ただ、思い出せるなら、思い出そうと、そう思ったんです」
「ふむ。前に言っていた、倒れてしまう原因ね?」
「はい」
「前に医者をしている知人と記憶の話をしていたんだけど」
「はい?」

 随分話が飛ぶなあ。
 飛頼はそう思ったが黙った。
 栞はお椀を見つけてきて、湯気の出てきたポットのお湯をお椀に注いで冷まし始めた。

「記憶を忘れるって言うのは、別に悪い事ではないらしいの。事故のせいで突然忘れて生活するのに支障が出るようなものは困るものだけれど、自分から忘れた記憶と言うものは、身体がそうするように、って出したサインだからって」
「僕の記憶喪失は、自分から忘れたものじゃないかと?」
「うーん……思い出そうとすると貴方が辛そうだから、私がそうなんじゃないかと思っているだけなのだけどね。ただ、思い出そうって思うのなら、無理のないように思い出さないとね」
「はい」

 飛頼が頷くと、栞は少し冷ましたお湯を急須の葉に注いで緑茶を淹れ始めた。
 お湯を注ぐと、柔らかい匂いが立ちこめた。
 栞はお盆に萌黄色のお茶の入ったお椀を乗せて持ってきた。

「はい、緑茶。貰い物だけどね。おいしいお茶が手に入ったのよ」
「ありがとうございます」
「はい、どうぞ」

 飛頼が一口口にすると、柔らかい甘い味がした。
 栞は微笑んで向かいのソファーに座った。

「私は話を聞く事しかできないけれど、本当に辛くなったら言ってね」
「ありがとうございます」

 飛頼はもう一度頷いた後、お茶をすすった。
 栞はそれを見て微笑んでいた。
 多分何となくで摘んだんでしょうけど、自分で選んだんでしょうね。
 頑張ってね。
 栞はそう思いながら、自分もお茶をすすり始めた。


 スノーフレーク
 花言葉:記憶、決意


<了>