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幻影浄土〜天狗の眼〜
天波慎霰は公道からいくらか奥まったところにある山門の前まで行って、それを見上げた。
その門に繋がる公道も、しょっちゅう人が通るというものではない。山間なのだ。だが人里より離れていると言うほどでもなかった。人と山と、両方に微妙な距離を保っている。
そこは王禅寺という寺だった。
慎霰が人伝に聞いてきたのは、ここには浄化と過去を見る力を持った小坊主がいるという話だ。
小坊主と言っても坊主の修行をしているというわけでもなく、もちろん一つ目のような妖怪でもない。妻帯した生臭坊主の血筋ではあるが、見た目は普通の人間の子どもであるようだった。
異能を持った人間も、ようよういる。その子どもは、そういうものなのだろう……聞く話によれば、怪しい狭間の住人たちともそこそこ付き合いもあるようだ。
慎霰が話を聞いたのも、そういう繋がりだった。
慎霰はピンポン玉程度の大きさの、濁った玉を目の前まで持って来た。
それは『天狗の眼』だ。名前の通りで単純明快、遠見……千里眼の妖具である。だが、今は濁ってしまって何も見えぬ。
眼なので、本来は二つ合わせてあるべきものなのだ。
だが一つが行方知れずになって、久しい。
一つだけでもそれなりに使えていたのだが、やはり無理があったものか、このように濁ってしまった。濁りが進んでからは、やはり見えなくなった。
しかし役に立たなくなったからと、捨て置けるものでもない。
片割れを探し出すか、濁りを浄化するか。どちらをするに、どこに向かうかと思っていたところに、
「それなら、ちょうど良い人間の子どもがいるよ」
と教えてくれた山姥がいたわけである。
そして都下とは思えぬ山深さの中に、その山門はあった。
慎霰は迷っていたわけではないが、仏徒に頼ると言うのも天狗らしからぬという気はした。狐の姐御辺りに知れれば、からかわれるかもしれぬ。
そう思うと、少し気が重い。
なので、山門の前でしばし足を止めていた。
しかしそこに立ちんぼでいるのも馬鹿げていると、慎霰はもう一度山門を睨みつけると、それをくぐった。
参道を進めば、境内の掃除をしている少年がいて、それが話に聞いた子どもであろうかということはすぐにわかった。二人はいなかろうと思う。
「おまえが王禅寺万夜か?」
「そうです。お寺にご用事……ではないみたいだね。僕?」
「ああ、時雨山の婆様の口添えで来たんだが、聞いてるか?」
「いえ」
「……あのタヌキ、道草でも食ってやがるか。先触れが俺より遅くてどうすんだよ」
慎霰があけすけに悪態を吐くと、万夜はくすりと笑って慎霰を奥に招いた。
「僕はいつでも忙しくはないから、大丈夫だよ。とりあえず中にどうぞ」
万夜の先導で、本堂の横を抜けて奥の方丈だか宿坊だかの方へと向かう。普通の家とさして変わらぬそこで、万夜は暮らしているようだ。
座敷に通されて、茶が出て来て、普通に招かれた客のような扱いに、慎霰は少し居心地の悪さを感じた。
「今日は何のご用で」
「慣れてんな」
「今日みたいなこと、よくあるんですよ」
「……まあいいや、飲み込みが悪いよりマシだな。俺は天狗の慎霰。早速で悪いが、ちっと見てもらいたいモンがあるんだけどよ」
そう言って、濁った『天狗の眼』を前に置いた。
「……手に取ってもいいですか?」
「危ないもんじゃねぇよ」
置かれた『天狗の眼』に手を伸ばし、握って万夜も目の前に翳した。
「これは」
「本当は二つ同じものが対になった澄んだ玉なんだがな、一つ行方が知れなくなって、そいつは濁っちまった。できれば過去を探って、片割れを探し出したい。濁りも二つ揃えば、とれるだろう。でなければ、せめて浄化して濁りをとりてぇんだが」
頼まれちゃくれねぇかと、慎霰はもごもごと告げた。
人に頼むというのは、どうにも慣れない気がした。
「俺も浄化の術が使えないこたないんだが、俺が神仏に祈るとかありえねぇんでな」
それは最後の手段にしておきたいと、息を吐く。
その間も、万夜はじーっと『天狗の眼』を見ていた。
「これは……」
「無理か?」
「いいえ、ただ」
「ただ?」
「現在の正確な在処は、僕にもわからないんですが」
「やっぱ無理なのか」
「ああ、いや、在る場所自体はわかるんです」
「もうわかったのか! どこだ?」
「うちの蔵です」
「……はァ?」
慎霰は、本当に胡散臭そうに顔を歪めた。
「……なんだそりゃよ」
「うちの蔵に、確かこれと同じものがありました」
その言葉を信じて良いものか慎霰は数瞬逡巡して、とりあえず信じることにした。
何か変な条件を言い出さないなら、これほど早い話もない。
ただ話が旨すぎて、どうにも信じきれなかった。
「……まあいいよ、そんなら話は早ぇ。案内してくれるかい、その蔵とやらに」
「案内するのは、吝かではないんですが……」
「ただじゃ渡せねえってなら、礼は相応にするぜ」
「そうじゃないんです」
「じゃあ、なんだよ」
「現在の、正確な在処は、わからないんです」
「…………」
確かに先刻もそう言ったな、と、慎霰は僅かに考えを巡らせた。
蔵の中にあるはずのものの、正確な在処がわからないとは、如何なることか。
改めて見た万夜は、とても情けない顔をしている。
「……すみません。うちの蔵、時々中の物が勝手に動いたりしてめちゃくちゃになるんですが、最近整理ができてなくて……」
理由を察した慎霰は、とてもうんざりした顔を隠すことができなかった。
「ここなんですが」
万夜がぺりぺりと、扉に貼った封印の札を剥がす。
まず、蔵を開けるのに封印の札を剥がすところから始めなくちゃならないというのが、慎霰にはこの前途の多難さを物語っている気がした。
「多分」
と言って、万夜はたすき掛けして仁王立ちでいる慎霰を振り返る。
「飛び出してきたりとかはしないと思うんだけど……一応、気をつけて」
「そんな単純に飛んできたもんなんざ、あたらねえから安心しろよ」
「……じゃ、開けますね」
ぎぃと万夜が扉を開けた瞬間。
しゅっと空気を切る音がして、開けた扉の僅かの隙間から万夜の横を何かが飛び出してきた。
それが徳利で、慎霰目掛けて飛んで来たことも瞬時に察して、首を傾けただけで避け……ようとしたが。
1cm弱ばかりの距離で避けたはずの徳利は、慎霰の頭の真横で物理法則を軽く無視して直角に曲がった。さすがにその距離からでは避けきれず、がつんと徳利が側頭部に直撃する。
「……俺にケンカを売ろうってなァ、いい度胸だ……」
……転がった徳利を、慎霰はゆっくりと拾った。
「向こう三年は片付けが要らねえように厳重に封印付きで整理整頓してくれるぜ!」
「あ、いや、出すこともあるんで、お手柔らかに……お願いします」
「ぐっちゃぐちゃだな、ホントによ」
言われていた通り、中がめちゃくちゃだったので、外に出すだけでも一苦労だ。開けてすぐには足の踏み場もないどころか、場所によっては何かに触ると崩れ落ちそうな絶妙なバランスで積み上がっていた。
誰かがどこまで崩さないように積み上げられるかゲームでもしたんじゃないかと、慎霰は疑いすら持った。
こういう古い蔵だと、ないとは言えない。
そういう巫山戯た悪戯の好きな古妖は、けっこういる……と、いくらか慎霰は心当たりを思い浮かべたりもしたが、今は答のわからぬことだ。
それもどうにか――二度ほど、慎霰が頭から崩れてきた箱を被ったりもしたが――外に出した。
さほど大きくはない蔵の中の箱やら壺やら玉やら人形やらを一度外に出すと、驚くほどの数になった。
どこにこれだけ入っていたのかと思うほどだ。
そして、綺麗に拭いてから、整理しながら戻していく。
幸い、片付けの間に飛び回るような非常識な古道具はないようだった。ないと言うよりは、そうしないように一応一つ一つ抑えてあるようだが。
それでも長く置きっぱなしになっていると、パワーが有り余るヤツもいるらしい。それが暴れて、中がぐちゃぐちゃになるのだという話だった。
修行中には先輩天狗にこんな古蔵の片付けも仕込まれたので、慎霰にとっては懐かしい作業ですらあったが。
「こんな酷ぇのは初……いや、あったな、これより酷ぇの」
「これより酷かったんですか?」
「あったあった、一度だけな」
しかもまだ慎霰も新前で、これほど片付けの手順も飲み込めていない時のことだった。
そんな古い記憶が重なって、溜息が出る。
「ここと同じで、変なもんばっか集めた蔵でよ。しかも本当に長いこと手つかずだったもんだから、蔵ごとおかしくなっててな。途中で腹立って、蔵ごと解体して建てなおしてやろうかと思ったぜ」
あの時はどうしたものだったかと思い出しながらも、手早く拭いては中に戻していく。
日暮れに間に合わないと、これに二日がかりはさすがに御免だと思った。
天狗の眼の片割れは箱に入っていたという話で、それらしい箱があればいったん封印を切って、中を確認してもう一度封をして……と、結構な手間だ。
「しかし、出てこねぇな……本当にあったのか?」
「あったのは間違いないです。持ち出したこともないはずなので、この蔵の中に眠りっ放しのはずなんだけど……どんな箱だったかなあ」
封印を切って張って切って張って切って張って……
さすがの慎霰も疲労してきた頃合いだった。
「……ったぁー!」
手のひらに乗るほどの小さな桐箱の中に、布で包まれた玉があった。
それは美しく澄んだままで。
慎霰はもう一つの濁った眼を懐から出した。
揃えて同じ掌に握り込む。
――しゃーん……
鈴の音とも何ともつかぬ、ただ澄んだ音が暮れかけた空気に響いて、散って消えた。
もう一度掌を開くと、両方の眼が澄んでいて、はらはらと薄紅の何かが零れ落ちた。
「……なんだこりゃ」
拾い上げれば、桜の花弁だ。
「季節外れだな」
まだ冬だと言うのに。
その花弁は瑞々しく、今散ったかのごとく鮮やかで。
さきから来たものか、まえより来たものか、さてそれもわからぬが。
「なんだろう。でも、悪いものではなさそうですよ」
そうか、と、慎霰は桜も共々に宝玉を懐にしまい込む。
不思議はあってもいい。
なにも不思議ではない。
「……借りができたな」
人に借りを作ったままではいられぬと。
「何かあったら呼ぶがいいぜ」
――この借りの分は必ず返すと、急速に夜闇が迫る冬の空へ慎霰はそれと同じ色の翼を広げた。
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■登場人物(この物語に登場した人物の一覧■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1928 / 天波・慎霰 (あまは・しんざん) / 15歳 / 天狗・高校生】
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■ライター通信■
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再度ありがとうございました!
楽しく書かせていただきました、お気に召していただければ幸いです。アイテムも発行されていると思いますので、ご確認ください。
そんなに遠くはない過去のお話にさせていただきました。前回の話より少し前、くらいがいいかな、と。
また慎霰くんを書ける日があれば、光栄です〜。
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