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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


black archetype

■opening

 火の付いていない紙煙草を銜えた中年男が某ネットカフェの端末の前に座って何やら書き込んでいる。
 一度何処かの掲示板に書き込んではまた次。一応は場所を選んで、あちこち、何度も同じ内容――けれど文脈は少しずつ変えて書き込んでいるようなそんな感じだった。
 書き込んだ記事の投稿者名は御多分に漏れず匿名希望。
 …『彼』は『ゴーストネットOFF』の投稿掲示板にもまた同様の内容を書き込んでいる。
 書き込む前の時点で、同様のネタが既にして何度も振られている事を確認してから。

 そのネタとは――都内某所の鉄道車両倉庫付近で、一気に三人も惨い殺され方をしていた猟奇殺人事件についての事。
 それだけならばゴーストネットの話題としては畑違い。だがそれでもこのゴーストネットでちらほらと話題になっているだけあって、確かにそういう意味でも怪しい情報が垣間見えている事件でもある。

 三人とも、被害者の遺体は人間では有り得ないくらいの物凄い力で無造作に引き千切られたようにバラバラにされていたらしい。…それも、どうやら生きながらだったのではとか。
 足りない部分まで結構多くあったらしい、と言う話もある。
 だが――場所柄有り得なくもなさそうな轢死と言う訳でもないらしい。場所の方にはそれらしい痕跡は何も残っていなかったとの事。レールにも、車両にも。
 だからと言って――猛獣が近場の動物園から逃げ出したとかそういう話も無いそうだ。
 それから、現場の惨状には本来あるべきものが何故か何処にも無かったと言う話もある。
 無かったもの――それは、血液。
 遺体の破損状況を見る限り現場は血の海になっていておかしくないのだが――何故か血の色は無いに等しかったらしい。…まるで被害者の身体から、予め血が一滴残らず抜かれていたような。

 …ここまでは、『彼』が書くまでもない話。誰かが何処かで書いている話の繰り返しになる。
 だから『彼』はその話を織り交ぜつつ、別の新たな情報をそこに追加する。

 現場付近に設置されていた防犯カメラの映像が――それも、被害者が殺されるその時の様子の一部始終が映されている映像が存在する事を。
 けれどその映像は表立って公表される事は決して有り得ないと。…いやそれどころか、防犯カメラがあった事それ自体さえ表向きは否定される事になるだろうと。
 何故なら映されていたその映像は――何処からどう見ても『化物のディナータイム』としか思えないものだったから。そんなものが公的に認められる訳がない。CG、トリック、ツクリモノと思われるのがオチ。
 けれど、そんな映像が何の細工も無い筈の防犯カメラに実際に残されている。更には人間の力で起こすのは無理だろう猟奇殺人事件の痕跡まで、ツクリモノでは無い証拠とでも言うようにそのカメラが見ていた位置にはっきりと残されている。
 だから『彼』は書き込む事しか――情報を伝える事しかできない。

 ――『食事』であるならこの事件だけで終わると思うか?

 最後にこう問い掛けて、『彼』の書いた記事の内容は締められている。



「…誰か気付けよこれで」
 と、『彼』――紙煙草を銜えたままの中年男は某ネットカフェの端末の一つの前でぼそりと呟く。
 その男は普段はこの手の書き込みをする時は、自分を表す記号として『常緑樹』と言うハンドルネームを利用している事が多い。
 が、今回は使わない。
 …記事が何者かに検閲される可能性が高いから。
 こんなところでこの話――事件の話のみならず『防犯カメラの映像の話』まではっきり出せば、その記事はまず消される。
 だが、情報を提供する場所を選べば――例えばここゴーストネットで書くのなら、対応出来るだけの能力を持った上で首を突っ込んでくる奴も記事を見ている可能性が、高い。消される前に伝えたい連中に伝わる可能性も、高い。
 …実は関連各調査機関にも密かに話を通して、衝撃的な防犯カメラ映像のプリントアウトまで一応預けて来てありもする。
 どんな形でもいい、まともな人間が手を出せそうにないこの事件に、出来る限り速く対応して欲しいから。
 だから頼れそうな奴に出来る限り速く話が届くよう、なるべくこまめにあちこちに――この巨大掲示板であるゴーストネットに書き込む事までしている事になる。

 と。
 …「常緑樹」こと成り行きで怪奇系の担当刑事にされてしまっている常磐千歳――が思っていた通り、ほんの数分後、今彼がゴーストネットに書いた書き込みは何者かの手により消去されている。
 勿論、管理人の瀬名雫や彼女に連なる者の手によってでは無く――それ以外の何者かの手で。



■ヒルデブラント第十二夫人の場合。

 …話は少し過去に遡る。

 その、当の都内某所の鉄道車両倉庫付近。
 事件当日。
 当の、時刻。
 まともな子供など一人で出歩く筈も無い暗い暗い夜中の事。

 …まだ幼ささえ残る、十三歳程度だろう一人の少女がそこに居た。
 長く下ろされている黒檀の如き真っ直ぐな黒髪。
 ピンクの細いリボンが頭の左右にそれぞれ結んである。
 肌は雪の如く白くて、瞳は鮮やかな赤色で。
 そして、奇妙に先端が尖った耳を持っていた。
 暗い暗い夜道を歩くには、一見、似つかわしくない可愛らしいその容姿。
 …けれど彼女の場合、実は、そうでもない。

 何故なら彼女は、異世界から流れ着いたハーフエルフの吸血鬼であるのだから。

 そんな吸血鬼な彼女――ロルフィーネ・ヒルデブラントは。
 …その時、目を丸くして驚いていた。
 彼女にしてみれば、道を歩いていたらぺちゃぺちゃと舐めるような水音やら何だか良い匂いがしたから、何だろうと興味を抱き、見に来てみたところなのだけれど。

 そうしたら、そこで偶然、大柄で真っ黒なひとが、とっても美味しそうに『ご飯』を食べていた。

『ご飯』の入ってる器に、思い切り牙を立てて齧り付いている。
 かと思ったら、牙を突き立てたところじゃなくて、器を捕らえていた手の方で、凄い力で『ご飯』の器が無造作に引き千切られていた。
 そうしたら、とっても美味しそうな赤い液体が千切れたところから溢れ出していて。
 真っ黒なひとは今度はすかさずそちらに口を付けて、啜っていた。
 それでまた、『ご飯』の器をあちこち少しずつ壊して、壊したところから溢れる血を器用に啜っている――ごくごくと喉を鳴らして血を飲んでいる。
 そんな食べ方だから、零してしまっては、いる。
 いるけれど、『ご飯』の器が空っぽになったかなって段になって、その真っ黒なひとは今度は四つん這いになって地面に口を付けていた。それで、零してしまった血まで、舐め取っている。
 でも、ただ舐め取ってるってだけじゃなくて、何だか、真っ黒なひとの口に、血の方が自分から吸い込まれて行ってるみたいにも見えた。
 …どうやってるんだろ、とロルフィーネは思う。
 思っている間に、赤い色は綺麗さっぱり消えていた。
 大柄で真っ黒なひとは、いつの間にか立ち上がっている。
 それで、その段になって漸くロルフィーネの存在に気付いたのか、ロルフィーネの顔を振り返った。
 わ、と思う。
 …『ご飯』の食べ方が凄いなあと尊敬の眼差しで見ていた訳なので、そんな風に真っ直ぐ見返されると、何だか照れた。
「えっと…ボク、邪魔だったかな…?」
 人様の『ご飯』の邪魔をしちゃいけないと思って、終わるまで待っていたのだけれど。
 そう返してみたんだけど、真っ黒なひとの反応は無い。
 ちょっと警戒されてる気はした。でも、敵意とか殺意までは無い感じだった。…態度からして、ロルフィーネが同類だって事くらいは、その時点で認めてくれていたのかもしれない。
 なら、どうやって切り出そう、と思う。
 …やっぱり、まず名乗らないとかな。
 そう決めると、ロルフィーネは真っ黒なそのひとに笑い掛けてみた。
「ボクはロルフィーネ。…友達になろ?」
「…ロル…フィー、ネ…」
「うん。それがボクの名前。キミ、血を吸うの上手だね。コツ教えてよ。…そんなに器をグチャグチャにしちゃってるのに全然吸い残しが無いんだもん。すごいなぁ」
「…」
「ボクね、血を吸うのが下手クソなんだ。いっつも『ご飯』をグチャグチャに食べ散らかしちゃうから『オーガみたいではしたない』ってお姉ちゃんたちに叱られちゃうの」
 そこまで言うと、ロルフィーネは、へへ、と照れ笑う。
「…」
 返答は無い。
 と思ったら、真っ黒なそのひとに――ゆっくりと小首を傾げられてしまった。
 あれ? と思う。
「…えっと…ひょっとしてボクの言ってる事良くわからなかったのかな??」
「…わから、ない…」
「んー、じゃあ取り敢えず、色々な事は後で良いや。まず、友達になろ」
「…友…達…」
「そう。友達。…あ、嫌って事…あるかな?」
「…」
 恐る恐る訊いてみる。と、言葉に出しては何も言わなかったけれど、真っ黒なひとは、ゆっくりと横に頭を振った。…否定している仕草の気がした。
 良かった、と思い、ロルフィーネは、ぱぁっと笑う。この真っ黒なひとはただ、少し言葉に不自由って事なのかもしれない。でもでも、吸血の仕方はすごい。
 だから、ロルフィーネは腕を組むみたいにして、真っ黒なひとのその腕を取り、くっついて甘えてみる。
「じゃあボクたち、友達だね!」
 にこり。
「…」
 真っ黒なひとは、そんなロルフィーネを見下ろしている。腕を組んでも別に抵抗はされない。ただ、ちょっと困惑しているような感じはした。
「…」
「えっと…キミの名前、訊いても良い?」
 …取り敢えず、そこから始めよう。



■動き出す。

 一人、自室の端末に囲まれている中で。
 長い黒髪を赤いリボンで一つに結わえている少女が、電話の受話器を耳に当てている。
 十三と言う年の頃に似合わぬ冷静さと、それまでの人生で何かとんでもない修羅場を潜り抜けて来たような、独特の雰囲気を持つその少女。
 ササキビクミノ。
「――…それで。私に依頼すると言う訳か」
(そうだ)
 受けているのは草間武彦からの電話。
 事前の予想通り、都内某所の鉄道車両倉庫付近で、一気に三人も惨い殺され方をしていたと言う猟奇殺人事件…の件。草間興信所の所長から電話を受けたクミノにしてみれば、恐らくは暴露の書き込みをし、映像を流した張本人辺りが草間興信所辺りに真っ先に持ち込んでいそうだと思っていた――そして草間はすぐさまそれなりの伝手に連絡を取るだろうと思っていたのだが――果たしてその通りだった、らしい。
 …曰く、この事件の『次』が起きないようにして欲しいと言う話。
 ただ、持ち込んだ当人の方では『止めてくれ』とはっきりは言っていない。聞く者にそう思わせようとしている言い方で情報を流しているだけに過ぎない。
 …その時点で色々と察される。
「大変だな、常盤刑事も」
 常盤千歳――その『暴露の書き込みをし、映像を流した張本人』でもある先程私のネットカフェに訪れていた中年男。警視庁組織犯罪対策部四課所属の警部補にして、実質的には草間興信所をはじめとした関連各調査機関のパトロールを主に行っている心霊関係の斥候役。…名前と素性は先程調べた時点で出て来た。そして実際に今電話の向こう側にも本人が居るらしく、時折口も挟まれているようで声も聞こえてくる。
 この話、警察として動いている、と言う訳では無いのだろう。むしろこの常盤がこっそりと秘密裏に動いている結果。だから組織に対しての後の言い訳の為にはっきりは依頼して来ない。
 それでも、話を聞いた草間武彦は動いている。
 …お人好しだな、と思う。
 まぁ、私も人の事は言えないが。
(お前では向かないかもしれないが)
「さぁな。それは依頼次第だ。やれと言われればやるがどうする?」
 …それが私だ。
(わかった。…頼もう)
「了解した。ところで…」
 常盤刑事はそちらに居るようだが、IO2の方の動きには気付いているか?
(…そうなのか?)
 IO2が動いていると。と、武彦はクミノに確かめるが――同時に電話の向こうでは何やら軽く剣呑な気配が動く。…と言う事は、常盤刑事はそれを承知で、草間の方は知らなかった――伝えられていなかったと言う事か。
 …まぁ、今のこの段階で知れるなら大差無かろう。
「ああ。少し騒がしい。…さっき調べていてわかったんだが」
(…ササキビ、お前)
 調べていたって。
「ああ。…実は先程常盤刑事が立ち寄って暴露記事を書いていたネカフェはうちでな。直後に偶然例の書き込みを見付けた――無論、客人を監視していた訳では無いぞ。店内がガラガラだった上にこっちの見ていた端末でフリーズが起き、それで凍りついた当の記事が私の目を引いた。で、確かめてみたIPアドレスがうちの端末のもの、書き込まれたのが確認数分前の日時だった事で常盤刑事が書き込んだのだと偶然気が付いただけの事だ。内容に少々興味を持てたのでもうある程度は調べてある。映像の方も取り寄せて見させてもらった」
(…手回しが良いな。全く)
「偶然だ。私に知られたくなかったのならば運命を操る誰かにでも嫌われたのだろう。…まぁ、後はこの依頼を聞いた上でどう動くべきかだが。対象の居場所については少々騒がしいIO2の活動半径から割り出すと言う手がある。もしくは対象の生態から割り出す事も可能かもしれない…常盤刑事の方ではどのくらいまでこの映像を分析出来ている?」
 と。
 訊いた時点で、電話の相手が草間から常盤に入れ替わっている。
(常盤だ。…基本夜行性らしいとだけァ言えそうだ。『サヴァン・オーケストラ』から知らされた)
「…。…それはIO2に於ける情報処理に特化した能力を持つ子供で構成されているエキスパート集団のコードネームではありませんでしたか?」
 サヴァン・オーケストラ。
(お。嬢ちゃんも御存知か)
「…何処まで流してあるんですか?」
 この情報。
 組織と組織、人と人で何処まで話が通じているかも把握していた方が良い。…この常盤、まさかIO2とつうかあの仲な可能性もあるのか。…先程調べた時点ではそこまでとは思わなかったのだが。それはこの常盤の元相棒がIO2と言う組織に居る事は居る。が、袂を分かって以来、この常盤と元相棒であると話に出てきた現IO2捜査官とは殆ど接触した形跡が無い。
 常盤の声が受話口から聞こえる。
(や、手当たり次第に流してたら向こうさんからコンタクトがあってな。どうせそっちじゃここまで調べらんないでしょ、と来たもんだ。その割にゃ大した事言っちゃ来てねぇが…まぁ仕方無いやな)
 秘密主義なIO2である以上。
(それとな、虚無の境界までは行かねぇが、似たり寄ったりな新興の心霊テロ組織が一つぶっ潰されてるんだそうだ。奴さんらが騒がしい理由はその辺の事も大きいらしい。…幾ら小規模だっつってもこの東京にンなもんがあったのかって方が根が小市民な俺としちゃあ驚きだったんだがね。で、この『猟奇殺人事件』は殆どその直後に起きてるんだと)
「…潰された心霊テロ組織…関連は否定出来なさそうですね。わざわざサヴァン・オーケストラが出してきたとなると、余計に」
 その辺り、こちらでも調べてみましょう。



 帰り着いた自宅で。
 蒼王翼は何はさておきパソコンに向かっている。自分を慕う風から『事件』のあらましを聞かされた以上、次は改めて普通の人間で手に届く範囲の情報を洗い直し、どんな風に流れているのか知る必要が出てくる。
 手っ取り早いのはネットで確認する事。前にニュースの一つとして流し見た時には自分が関わるべき事としては全く気にしていなかった為、然程深く追ってはいない。
 だから、改めて深く追ってみる。
 …と、風に知らされた通りの情報が確認出来た。偶然『その瞬間』を切り取ってしまった防犯カメラの映像まであるらしい――と言う暴露記事まで掲示板で幾つか見付けた。が、あちこち見回る内に、そんな暴露記事と言える――防犯カメラの件が書いてある記事は、数分と置かず消されている事にも気が付いた。

 少し、おかしい。

 …書き込んだ者が消している…のだとも思えない。そして内容と掲示板の主旨からして、管理者側が消しているようにも思えない。…記事を消すのに普通に取られる手段はまずその二つ。だが、これの場合はどちらにも該当しそうにない。
 けれど、幾ら不都合な内容の記事と思ったからとて、完全な第三者が――こんなにすぐさま追い付いて、勝手に消して行けるものか?
 一度その記事を見てしまった以上は――そして良く考えれば簡単には有り得なさそうな方法でそれが消えている事に気付いてしまった以上は、これは却って気になってしまうだろう。もし暴露記事そのものを無かった事にしたいのだとしたら、むしろ逆効果だ。
 …ならば、その逆か。
 書き込まれる事も書き込みが消される事も何者かの想定内。…例えば、この『事件』の加害者は、能力者を集める囮の役でも振られている可能性も否定出来ないかもしれない。
 加害者もまた『哀れな被害者』である可能性、か。
 翼はそこまで頭に入れておく。
 が、それでも。
 死者と言う明らかな被害者が居る以上――平穏を破壊する手段を選んでいる以上、容赦は出来ない。
 一度、瞼を閉じて想いに耽る。
 それから。
 さて、と心を決めて、パソコンの電源を落としつつ、席を立つ。

 …この一件。片付けるには――剣は必要だろう。



■夜にほころぶ。

 居た。
「おーい! マヴロー、こっちだよー」
 暗い暗い――とは言え東京と言う場所柄、外灯とか夜でもあちこち点いてて、人が誰も居なくても何処でも結構明るいかもしれないそこで。
 ロルフィーネ・ヒルデブラントは満面に笑みを浮かべてぶんぶんと手を振っている。
 名を呼び、手を振っているその相手は――化物と言うのが相応しいような、異形の黒い影。
 前に、この近くで遇った――その時に出来た、ロルフィーネの新しい友達。
 多分ロルフィーネと同類な。
 …血を喰らうひと。
 そして、ロルフィーネから見て、血の吸い方が上手いひと。器はぐちゃぐちゃにしちゃうのに、中身は全然吸い残さないひと。
 呼ばれて、真っ黒で大柄な体躯のその異形――前遇った時、名前を聞いたらマヴロと名乗ったひとがロルフィーネに気付く。
 …側に来た。
 それで、また一緒に居る。
 ロルフィーネは、へへ、と照れたように笑う。
 …またお話ししよう、あそぼって、前に遇った時の約束通りにまた会えた。

 取り敢えず、近くにあった公園でお喋りをする。
 …もし誰か人間が居たら一緒に『ご飯』にしようって思ったんだけど、誰も居なかった。
 ちょっと残念だったけど、場所が公園でちょうど座ったり休んだりできるところがあるから、そのまま暫くそこに居てみる事にする。
「…マヴロはさ、ここに来る前ってどうしてたの?」
 前からこの辺に居た訳じゃないよね?
 最近この辺に引っ越してきたの? それとも最近生まれたの?
「…マヴ…ロ…生ま…れた…少し…前」
 …周り…怖い…人…閉じ…込め…て…縛り…付けて…痛い…事…する…人…いっぱい…皆…怖かった…怖く…て…怖く…て…。
 その怖い人が居なくなるように頑張った。
 頑張ったんだけど。
 …そんな頑張るまでも無く、ほんの少し撫でたらその怖い人たちはあっさり動かなくなった。
 動かなくなったところで。
 怖い人たちだった筈の、もう動かなくなったモノから赤い液体が零れてるのが見えて。
 …気が付いたらそこに口を付けていた。
 自分が、その赤い液体が欲しいと思っている事にその時点で漸く気が付いた。
 一滴も残したくないと思っていた。
 思ったら、赤い液体の方から自分の口の中に入って来た。
 それで、怖い人だった一人分の赤い液体を全部自分の中に取り込むと、何だか、落ち着いた。
 でも。
 落ち着いて、考えたら。
 …そのままそこに居ちゃいけないと思った。
 だから、逃げて来た。
 でも、逃げて逃げて、そうしたら。
 今度はまた別の怖い人に遭った。
 三人居た。
 …すぐ、逃げた。
 その時は逃げられた。
 でも。
 昼間になってしまって、動けなくて。
 また、喉が渇いて。
 次の夜。
 また同じ、三人の怖い人に遭った。
 あちこちで待ち伏せされて。
 怖くて。
 どうしようもなくて。
 何とかしようと思って。
 思い切って、閉じ込められてた時みたいに、また、頑張ってみた。
 そうしたら。
 …怖い人たちは、すぐに壊れた。
 赤い色がまた溢れた。
 見たら、喉の渇きが強くなった。
 思ったのと、自分が動いたのとどっちが先だったかまでは自覚していない。
 ただ、無我夢中で。
 …我に返った時にはもう、怖い人たちは何も怖い事を言わなくなっていた。
 それで、ほっとしていたら。
 不意打ちでロルフィーネに声を掛けられた。
 そんな経緯だったのだと、とても時間を掛けてマヴロはロルフィーネに話している。
 ふーん、と相槌を打ちつつ、ロルフィーネはその話をずっと聞いている。
「…大変だったんだね」
「大…変…」
 ロルフィーネに言われ、マヴロはおずおすと頷く。
 ん、とロルフィーネも頷き返した。
「ボクもちっちゃい頃閉じ込められて育ったからなー。マヴロの言う事何となくだけどわかる気がする。お兄ちゃんが助けてくれなかったらきっと今だって変わんなかった」
「お兄…ちゃ…ん」
「うん。お兄ちゃんはね、閉じ込められてたボクを自由にしてくれたひと。ボクのだぁ〜い好きなひとの事だよ♪」
 にっこり。
 ロルフィーネは心底嬉しそうに笑う。
 傍から見ても、本当にそのひとの事が大好きなのだろうと思える笑顔で。
「…でもマヴロの場合はボクにとってのお兄ちゃんみたいなひとは居なかった、って事なんだよね?」
 そう言うと、ロルフィーネは気遣うようにマヴロを見ている。
「居な…かっ…た…でも…今…ロル…フィー…ネ」
「うん。今はボクが友達っ!」
「…」
 無言のままでマヴロは頷く。
 …そこはかとなく嬉しそうでもある。
 と、うーん、とロルフィーネが悩ましげに唸っていた。
 その様子を不思議そうに見、マヴロは小首を傾げている。
「うーん…血の方から口の中に入って来た…って事はマヴロの場合は殆ど本能みたいな感じなのかな?? それじゃコツもわかんないか」
「…? …コツ…。…欲し…い…と…強く…思う…事…?」
「うーん。それは『ご飯』の時いつもなんだけど。…あ、ひょっとして魔法とか無意識で使ってるって事あるかな?」
「魔…法…?」
「うん。ボクとは細かいやり方とか違うのかもしれないけど。この前見せてもらった吸い方からするとそんな感じかもしれないなぁって」
 ボクの場合だと…影縛りの魔法とか応用出来るかな? そしたらマヴロみたいに上手く行くと思う?
「…」
 沈黙。
 暫し後。
 …マヴロ、こくり。
「そう…なの…かな…」
「んじゃ今度やってみよっかな。あ、これから一緒に『ご飯』にしても良いよね!」
 探しにいこ!
 無邪気に促し、ロルフィーネは無骨で爪の鋭い真っ黒なマヴロの手を取る。
 マヴロは特に抗わず、こくり。
 取られた手を引かれるまま、ロルフィーネに素直に付いて行く。



■夜に対峙する。

 ササキビクミノは人気の少ない夜道を一人歩いている。
 …私個人でどれ程役に立つかは不明だが、まぁ、夜行性の相手の活動時間帯と考えて直接出て来ては見た。
 さてどうする。
 先日の『猟奇殺人事件』、そしてそれに伴うと見られるIO2の活動半径を考慮に入れた結果、可能性があるのはこの近辺。
 また、常盤刑事に対してサヴァン・オーケストラが出してきた、潰されたと言う小規模な新興の心霊テロ組織についての話は、裏の伝手で少し探ったらすぐ見付かった。
 曰く、『メメント・モリ』とか明らかに何処ぞからの借り物な上、故意に語彙を曲解した――せめて故意にであって欲しいと思うのは幻想か――、センスの欠片も何も無いような名前の組織であるらしい。
 潰れた理由は内ゲバと見られている。
 要は、内部抗争と言うか、組織の内側で何かがあったのだと。
 それで、あっさり壊滅。
 …表現が変であるかもしれないが、裏の世界の『表向き』ではそうなっている。
 が。
 どうもしっくりこない。
 新興の心霊テロ組織が内ゲバで壊滅。
 直後からの化物によると見られる猟奇殺人事件。
 ネット内で書かれては消される、その一部始終を捉えていたと言う防犯カメラの映像の件の暴露記事。
 私でもすぐさま見える位置で騒がしくしている、本来秘密主義な筈のIO2。
 …どれもこれも、関連性を感じさせる不穏さがある。実際、絡む場所も日時も近い。
 IO2が動くのは表の世界に『あってはならない何か』を隠し通す為。
 猟奇殺人事件の犯人が『それ』と仮定してみる。
 ならば『それ』の出所が『メメント・モリ』と言う事だろうか。
 …その当の『メメント・モリ』を潰したのが、『それ』と言う事もあるか?
 組織で把握していた筈の実験体か何か。それが――手に負えなくなった可能性は考えられないか。
 新興の小規模な組織。
 その時点で、技術や設備が足りていなかった可能性は高い。

 …そこまで考えていて己が身を顧み、クミノはここまで来た目的が果たせるかどうかを思案する。
 クミノにしてみれば、己の周囲半径二十メートルにある致死性の障壁と同範囲内を取り巻く障気がある限り防御面ではまず鉄壁と言える。が、同時に――相手が化物だとしたら、攻撃面ではまず致命傷を与えられる気がしない。一時的ならともかく恒常的な捕縛にも多分向かない。…恐らくは良くて膠着の可能性が高い。
 まぁ、やるだけやってみよう、とは思う。
 …思いながら、歩いているのだが。

 私の身の周囲半径二十メートルの境目。
 …顔を見た事は無いでもない。けれど真実『誰』であるかは言い切れない者が、一人、入って来た。



 夜の道。
 風の声を聞きながら、一振りの剣を携えた年若き麗人が歩いている。
 その麗人が――蒼王翼がある一歩を踏み込んだところで、風がざわめいた。
 何だろう、と翼は思う。
 けれど、目的である加害者が居る――のではない事だけはわかった。
 道の先に居る者。風に知らされた特徴は、長い黒髪を持つ、十三歳程度の小柄な少女。
 …ならば『もう一人』の方か、とも思う。
 思いながら、先に進む。
 …風の声が聞こえなくなった。
 何か、警戒している。
 それでも翼は足を止めない。



「何者か」
 携えている剣を見た時点で、長い黒髪の少女――クミノは誰何の声を上げている。
 淡い金髪の短い髪に、青い瞳の麗人。クミノが事前に顔を見た事があった理由はネット内に数多散らばる情報の中で。『最速の貴公子』。そんな二つ名が付いているまだ年端も行かぬF1レーサー。マスコミへの露出が多い者。…そうでもなければクミノの方が知る筈もない。ただ、その情報があっても今のこの状況にはそぐわない。…どう見ても、只者だとは思えない。
 …不明な者に油断は出来ない。
 麗人――翼の方はそんなクミノの歳に似合わぬ年季の入った警戒具合を見、すぐさま『違う』と判断している。
 伝聞で聞く外見的な特徴だけを見るなら『もう一人』の吸血鬼と確かに近いかもしれない。けれど、違う。
「キミは…ここで、何をしている」
「同じ事をそのまま返そう。ここは法治国家である日本と言う国にある都市の街中だ。そのような武装、尋常の事ではあるまい」
「そうだな。その通りだ。尋常の事じゃない…僕はここに、闇を刈り取る使命を果たしに来たのさ」
「…それを私に言うのか」
「不都合が?」
「いや。そちらの言の真偽の程はわからんが…少なくとも問答無用で襲ってくる事が無い以上は…貴方があの事件の化物とは違う、と言う事だけは言い切れそうだ」
 ならば何も不都合は無い。
「…キミも同じ理由で、だな」
 こんなところに居る理由は。
「こんな物騒な事件が起きた中だ。他に一人で夜歩きをする理由が何処にある?」
「もっともだ」



 しー。
 口の前に指を立てて、長い黒髪の赤い少女は異形の黒い影に黙ってとジェスチャーで示している。
 一応、声は聞こえる距離。
 武装とか、闇を刈り取る使命とか聞こえた気がした。

 ――――――『ご飯』に良いかもと思った相手を、二人、見付けた。

 そう思ったのだが。
 …でも、その二人には――何か決定的な違和感があった。
 危険な気がした。
 それで、すぐに食べに行くのを止めて、少し離れたところで様子を窺っていた。
 闇に紛れて黒の中で。

 どうしよっか。

 少女は異形に目配せをする。
 声には出さない。
 でも、それで通じる。
 あの二人もきっと、ボクたちの邪魔をする気なんだ。

 なら。

 ――――――決めた。



 その声が聞こえないだけでは無くて。
 不意に風が止む。
 翼もクミノも、その事に気付いている。
 …二十メートル半径内。
 クミノは先に気付いていた。…能力の問題で。自動的にわかる事がある。翼の場合、その身に備わった超感覚の恩恵を得るにはまず事前に己で意識して研ぎ澄ましておく必要がある。幾ら常人には不可能な程数多の事を感じ取れると言っても、さすがにクミノの障壁のように自動的に、とは行かない。
 だから、クミノが先に気付いている。
 軽く目を見開き、翼に対して注意喚起の声を上げた――上げかけたそこ。翼の背後。一気に間合いを詰めて来た大きな黒い影。背後から翼の背中に突き出されるその鋭い爪。殆どコマ落としのスピード、寸前に巻き起こる剃刀のような風圧、そのまま胸部が貫かれるかと思われたところで。
 その時にはもう翼は携えていた剣を抜いていた。抜いたその剣で己に向けられていた攻撃――異形の貫手を遮り、あっさりと止めている――クミノが気付いた時には翼はもう振り返り異形と正対している。…見た目からすれば全く有り得ないその状況。まだ年若い少年――いやそう見える男装の少女が、この大柄な異形の速さに追い付き、あまつさえその化物が明らかな殺意を持って突き出した腕、そこに籠められていた常人離れした凄まじい力を受け切るなどと。
 だが。
 翼の場合は、『それで当然』で。
 のみならず、無事か、とすかさずクミノの方を気遣う余裕さえある。
 が。
 クミノの方もまた無事…とは言い切れなかった。
 異形が翼を襲ったのと同刻。
 クミノの方にも、背後から心臓を狙って鋭い切っ先のレイピアが突き出されていた。
 が。
 刺さらない。
 クミノはレイピアを突き出した主――ロルフィーネの事すら見ていなかった、何の対応もしているようでは無かったのだと言うのに。
 …当然のように弾かれた。
 きゃっ、と甲高い声が響く。
 それで、ロルフィーネはクミノから飛び退っていた。
「えっ、何今のっ!!」
「…そっくりそのまま返していいだろうか。お前は何だ」
 人をいきなり襲って――それも初手で命を獲りに来ておいて。
 今の一撃で、常人ならばまず死んでいた。
「ボクはロルフィーネだよっ。…キミ、ひょっとして人間じゃないの?」
 なんか凄く近付き難いし、いきなり何の動作も無く僕のレイピア弾くなんて。
「私は人間だが。…信じたがらない輩も多く居るだろうがな…。ロルフィーネと言ったか」
「そうだよっ。キミたち、ボクたちの邪魔する気満々みたいだったから先にやっつけに来たんだ!」
「私と彼女をか」
「…悪い? 人間はいっつもボクたちの食事の邪魔をするから嫌いなんだっ!」
「…」
 食事。
 と言う事は、これが『猟奇殺人』の犯人か?
 その可能性を考えてはみるが…何だかしっくりこない。それは連れの――翼を襲った方は防犯カメラの映像からして納得が行く気はするが、こちらのいかにも子供っぽい少女の方は何処から出て来た? こっちも血を喰らうモノなのだろうか。
 クミノは何となく困る。
 …確かめる事にした。
「邪魔…か。私はこの近辺で先日起きた『猟奇殺人事件』の犯人を止める為に来たのだが」
「ほらやっぱり邪魔しに来たんだっ!」
 叫びながら、癇癪のようにロルフィーネは魔法を練り、発動。クミノに対してそれで攻撃を仕掛ける――が。
 その時には飛び退りながら腰を落とし構えたクミノの手の内に、携帯出来るものとしては最大級な大砲が召喚されている。…とは言え、その大砲から砲弾が打ち出されるより先に、ロルフィーネの魔法の方が先にクミノに命中していた。一拍置いて、大砲の砲弾が打ち出されている――そちらもロルフィーネに命中する。
 が。
 ロルフィーネには、無効。
 クミノの方も、無効とまではいかないようだったが、それでもロルフィーネの目から見て、殆どダメージを負った気配が無い。…とは言えそれは実はクミノが元傭兵である為に、状況次第でダメージを態度に出さない事が徹底出来ているからなだけなのだが。その身に持つ障壁の効果で物理攻撃ならば完全無効に、魔法威力の場合は半減出来る。…だがあくまで、魔法威力は、半減するに過ぎない。命中させられてしまえば、半分は、直接来る。…やはり人外や能力者相手ではどうも上手く行かない。
 …不意に凄まじい咆哮が聞こえた。
 その源は、翼の方に居る黒い異形。
 身体能力的には充分に普通の人間の範疇になるクミノの目には、把握し切れない速さの中での出来事。時折地を踏み出す時や攻撃と攻撃がかち合う時などの僅かな停止時とそこから動く微かな残像のみ視覚で把握出来ている――翼と異形が対峙し戦っている。異形の方はともかく、それに平気で付いて行っている翼。…同程度の、いや、異形を凌駕する程の驚異的な身体能力を持っている可能性。それこそ、人間では有り得ないような。
 使命、と言っていた。
 闇を刈り取る事を。
「マヴロ!」
 ロルフィーネがそれを見て、叫ぶ。
「…それがあれの名前か」
 あの異形の。
「敵なキミに答える必要なんかない!」
 むくれてクミノに叩き付けるロルフィーネ。
 …確かに、異論は無い。
「そうだな。…ところで…聞くだけ聞いてみるが、私たちが手を引けばお前たちはああいう真似は控えるか?」
 件の猟奇殺人事件の如き真似。
「…。…えと。…どういう事?」
「私たちが手を引けばお前たちは人間をバラバラにして殺し喰らうような真似はしないか?と言う事だ」
「え、無理だよ。…て言うか、なんで控えなくちゃならないの?」
 即答。
 そして、心底不思議そうにロルフィーネは逆に問うてくる。
 …。
 そう来るなら、説得の余地は無い、か。
 クミノは思い、翼と異形――マヴロの対峙を見る。壮絶に戦り合っているようであるのに、どちらのダメージも全く見出せない。
 …それは、自分のせいとクミノは自覚している。
 クミノは翼を見た――実際には動きが追い切れていないが、翼に目配せをしたい、そんなつもりで見た。
 と、目まぐるしく動き戦況が変わっている戦いの中、翼の方でそんなクミノに気付く。
 ほんの一瞬、視線がかち合った時点で翼にはクミノの意図が読めた。
 クミノの方でもすぐに気付く。

 それで。

 クミノは先程ロルフィーネの魔法に対するカウンターとして召喚した大砲を無造作に送還、ロルフィーネから踵を返し、背を向けてその場から立ち去る事を選んでいる。
 え、とロルフィーネは驚いた。
「あれ、邪魔するんじゃなかったの?」
 背中に意外そうな声を掛けられる。

 答えない。

 …クミノはクミノ自身の手で彼らの邪魔は出来ない。
 が、邪魔をするつもりではあるからだ。
 だから、退散する事を選ぶ。
 闇を刈る使命を持つと言う翼の力は尋常では無い。黒い異形とのあの対峙、それでもまだ余裕があるのだと見ていてわかった。ほんの一瞬であってもあの中でクミノに反応出来る余裕。たった一人で剣だけを携えここを訪れた自信と覚悟。使命とまで言い切られてしまった以上は、他者の出る幕は無い。
 …ここは任せてしまった方がいいだろうと見たのだ。
 私は居るだけで邪魔になる、とクミノは思う。
 私の障壁の中では、物理攻撃も無効の上に魔法類も効き難い。
 そして、彼女の方に自覚は無いかもしれないが、私の障壁の中では体力も削られている筈だ。
 …だから、このまま去るのが彼女にとっても一番の助力になる。
 そして、草間からの依頼を達成するにはそれが一番手っ取り早い。

 クミノはそのまま歩き続ける。
 ロルフィーネは、何だかよくわからないながらも去っていこうとしているクミノの事を不思議そうに見送っている。…あの人間はレイピアが効かないし何だかよくわからないけど近付きたくない気がする。だから、邪魔をしないなら、放っておこうかと言う気はする。

 そのまま、暫し。
 元居た場所が――翼やマヴロ、ロルフィーネたちが今も居るその場所が。
 クミノの半径二十メートルの境目から、外れる。

 途端。

 ――――――爆発にも似た激突の音がした。

 その音を背後に聞き、クミノは目を閉じる。
 そしてそのまま、歩き続ける。



■夜に踊る。

 クミノの障壁範囲から外れた途端。
 翼は一気に黒い異形――マヴロに剣の切っ先を突き入れその身を貫いている。マヴロの方は翼のその肩口から喉首に掛けて抉る形で腕を爪を振るっている――両方で命中している。一拍置いて引き抜かれる剣、払われる爪。迸る赤。次。間髪入れずに互いに攻撃を繰り出している。どちらも明らかなダメージを受けた筈なのに全く気にする様子が無い――一拍置いて、どちらの身体もすぐさま再生が始まっている。闇の中で更に濃い闇が禍々しく舞い狂う。鋭い風がそれを引き裂く。剣の切っ先、その軌跡が光の弧を描く。黒い顎がその剣を持つ者に襲い掛かる――襲い掛かられるが軽やかに躱す。躱した白い姿――貴公子然とした白い服を纏った翼の振る舞いが、黒い中でよく目立つ。凛々しい麗人。異形に対するにはか細く儚げにすら見えてしまいそうなその姿なのに、負けるどころか互角以上で黒い異形を翻弄している。…何か、相手の力を量っているようにさえ見える動き方。
 そこに、友達を放っておけないとばかりにロルフィーネも飛び込んでくる。マヴロの攻撃によって出来た翼の死角、そこを衝く形でレイピアを構えて突っ込んでくる――が、翼が柄を握っている翻った剣身に遮られた。死角だった筈なのにすぐに追い付いている――凄い速さだとロルフィーネは思う。
 この相手。力も強いし再生もする。…やっぱり人間じゃない。でも。だったら何者だろう。何でボクたちの邪魔をするんだろう。理不尽に思いながらロルフィーネは裂帛の気合を入れる――先程クミノに対してしたように魔法を練り上げ翼に向けて放つ。剣はこちらのレイピアを押さえている。だから、別の一手を繰り出す。そちらは翼の支配する風に巻かれる――そしてそのまま、当然のように掻き消される? その事実にロルフィーネは驚く――が、それより先に、ロルフィーネの二手で出来た隙を衝くようにしてマヴロの身から闇が溢れ出、そのどろりとした闇が翼を飲み込むように包み込む。
 やった、とロルフィーネが喜びの声を上げた。
 が。

 一拍の後、その溢れ出た闇が一閃され切り払われた。
 同時に、咆哮――と言うより、絶叫。
 …マヴロの。

 闇に包まれていた筈のその中で、翼の姿が思い切り剣を振るった後のような態勢で止まっている。
 その剣で、切ったと言うのか。
 まだ次の動きに入らない段階で、翼はロルフィーネを見、その姿を確認する。
 たった一閃でマヴロから溢れた闇を払ってしまった翼に、目を丸くしているロルフィーネ。
 翼の見る限り、まるで、純真無垢な少女そのままのようなその姿。
 …無邪気に血を喰らう憐れな闇の子供。
 風が知らせてきた、赤の残らぬ猟奇殺人事件とは別。
 だが、彼女も彼女で。
 数多の人を殺していると、風は教えてくれている。
 …ならば、その呪われた定めから解き放ってやらなければ、と思う。
 そう決めたなら、する事は。
 ひとつ。

 翼に見られた途端、ロルフィーネは凄まじい殺気がぶつけられたのを感じる。反射的に、びく、と身を震わせ、止まってしまう。次の刹那。殆どコマ落としのように翼の姿が接近している――駄目だ、と思う。我に返った時には何をするにも間に合わないと理解してしまっている。諦めるも諦めないも無い、判断すら出来る余裕が無い。
 どんっ、と衝撃が来た。
 けれど。
 …痛くなかった。
 思わず瞑ってしまっていた目を恐る恐る開けてみる。
 そうしたら。
 目の前が。

 まっくろだった。

 なに? と思う。
 直後に。
 そのまっくろが、下方に崩れ落ちた。

 マヴロ。

「――!」
 咄嗟に庇われていた事に一瞬で気付き、ロルフィーネは崩れ落ちたその身体に縋り付く。
「あ…ロル…フィー…ネ…怪我…は」
「無いよだいじょぶだよそれよりマヴロがっ」
「…あの…白い…奴…少し…吸った…ら…凄く…強い…仲…間…の…血…だった…か…ら…今…追い…付けた…でも…なんか…駄目…身体…が…爆発…しそう…な…保た…ない」
「え? マヴロ、やだよやだやだやだ、何か変だよ? やられちゃったの? 痛いの?」
「痛…い」
 と。
 鸚鵡返しに呟いたところで。
 マヴロのその身が、破裂するようにして、爆散した。
 ロルフィーネには何が起こったかわからない。
 自分の顔や服に飛び散り張り付いた黒に――形を無くしたマヴロに、すぐに反応が出来ない。
「え…?」
 マヴロが居ない。
 自分の頬に付いている、いつもだったらご飯の時に汚しちゃうみたいな赤色と同じように付いている、黒の色。
 手で触って見て、初めて気付く。
 理解した。
 折角出来た『友達』が。
 殺された。

 ――――――絶叫。

「あれだけの殺し方をするモノでも、同胞への情けはあるんだな」
 翼はそう告げ、ぺたんと地面に座り込み、壊れたように凄い声を上げっぱなしでいるロルフィーネを改めて見下ろしている。
 と、ロルフィーネは翼のその声を聞いていたように絶叫を止めた。
 そして――そんな翼をキッと睨む。
「ボクの…ボクの友達殺したなっ!!! キミだって吸血鬼の癖にっ! 何で邪魔するんだっ――!!!」
 と。
 言い切るのと同時にふわりと髪が浮き力が――激昂する感情に伴うようにして魔力が発現する。練られる魔法――直後、それが翼に叩き付けられている。咄嗟に我が身を庇う翼。そこにロルフィーネが立ち上がり、立ち上がり様翼にレイピアを突き込み多段攻撃を仕掛けている。一度、二度、三度。どれもこれも躱される。後退る翼の姿。前に出るロルフィーネ。攻撃を止めない。止める気も無い。当たらない。当てたい。殺したい。マヴロが言ってた。仲間の血。だったら――こいつもきっと血を喰うものなんだ。なのに、マヴロを殺した。攻撃した。邪魔をした。
 許さない。
 翼はそんな一心不乱に自分に対して攻撃を仕掛けてくるロルフィーネの様子を見ている――見ていられる余裕がある。友達の仇。その思いやりは尊い――だろうが、呪われた闇のモノである限り、それでは、済まない。済ませてはいけない。その思いを果たさせてはいけない。この子の事もまた、解き放ってあげなければならない。それが、僕の使命。
 …今黒い異形が爆散したのは、僕の身を包み込み捕らえた時に、ほんの少しだけだが僕の血を取り込んだから…だろう。神祖の血と戦女神の血。取り込んだ器が保たない可能性がある。だから、この子が僕が仇だと思うのは、正しい。
 けれど。

 その姿が一所懸命であればある程、憐れで仕方無い。

 弄ぶのは本意では無い。
 心を決めると、翼は一気に身体を沈め、ロルフィーネに近接、攻撃の隙間を縫って――鮮やかに剣の切っ先を滑らせその心臓に容赦無く突き立てる。
 …翼の持つその剣は、神の剣。
 戦女神である母の形見。
 だから。

 効く。

「え…?」
 ロルフィーネは、自分が何をされたかわからない。
「同胞よ、安らかに眠れ」
 翼はロルフィーネに告げつつ、突き立て貫いた心臓から、剣を引き抜く。
 途端、ロルフィーネはその場に崩れ落ちた。
「あ…う…い、痛…痛いよ。痛いよ…お兄ちゃん…っ」
 胸を押さえる。
 貫かれた心臓の位置。
 押さえて、それで。
 再び、立とうとする。
 するけれど。
 立てない。
 力が入らない。
 入れようとして、逆にずるり、と倒れ込む。
 やだ、とその口から声が漏れる。
 翼は瞳を曇らせた。
「…まだ生きているのか」
 哀れな。
 と。
 思い、今度は確実に止めを刺す為に剣を構え直し、再び振り下ろそうとしたが。
 その時には。
 ふっ、とロルフィーネの姿が暗闇に紛れ、呑まれるようにして消えていた。
 …唐突に。
 止めをと思った対象を見失い、翼はその動作を止める。

 今。
 …あの子を助ける為に、何者かが、介入した。

 そう思った。
 …あの子の祖、だろうか。
 そんな気はした。

 風が、吹く。



 …真っ白な色と真っ赤な色が闇に浮かんだ。
 ほんのちょっとだけ傷付けられた指先が見える。
 その傷から、ボクの唇に、赤色が垂らされる。
「大丈夫かい?」
 優しい声。
 酷く安心する。
 ぺろりと唇を舐める。
 …そうしたら、凄く、楽になった気がした。
 楽になった気がしたら、訴えたい事を思い出す。
「…お兄ちゃ…あいつ…ボクの友達殺したっ、吸血鬼なのにっ…!」
「…うん。怖かったね」
「…マヴロ、ボクの事助けてくれたんだよ。なのに…ボク…!」
 何のお返しも出来てない。
「…でも。お兄ちゃんは知ってるよ。ロルフィーネはちゃんと頑張った」
 うん。
 頷く。
 殆ど声にならない声で言いながら、優しくて大好きなひとの胸にすりすりと擦り寄る。
 それから。

 ――――――血の色で赤く染まる吸血鬼は、大好きなひとの胸の中で、眠る。



■それから。

 ネットカフェモナス。
 クミノの自宅。
 白の麗人――翼に任せ、クミノはまた自室の端末に囲まれて座っている。
 取り敢えず、負傷した部位の応急手当は済ませた――応急手当で済む程度の負傷しかしていない。
 が、戻る気はない。
 半径二十メートルの範囲。他生命と共に居る事の困難さがクミノにそうさせる事を選ぶ。
 あの場では却って邪魔になる。
 あの後、どうなったか。
 確かめる。
 情報の上で。
 …猟奇殺人事件の続報が何か無いか。
 …あの『最速の貴公子』との顔を持つ存在について。
 …私と同程度の年頃にしか見えない娘の姿をした、恐らくは吸血鬼について。
 …私が行動の指針にと扱った、IO2の現在の動向について。

 まず私が気にすべき事は、草間の依頼通り、『止められた』か、否か。
 一番客観的な情報は、世間に流布する普通のニュースとIO2の動向から見出せる。
 恐らくは、果たせたのだろう。
 あの後、情報的に何の動きもない。…果たせなかったのなら、その分、騒がしくなって然るべきもの。マスコミ的に目立つ者も居た上に、あれだけの事をしていたのだ。失敗したのなら何も出て来ない訳が無い。
 草間と連絡を取る。
 と、向こうに、蒼王翼から連絡が入っている事を聞いた。どうやらあの『最速の貴公子』の方でも能力者が集まる場所と言えば草間興信所、と言う頭があるらしく、事が終わった後に、念の為と警告を入れていたらしい。そして、草間の方でも向こうに私が動いていた事も伝えておいたとか。
 あの黒い異形は、翼が滅ぼしたと言う。
 吸血鬼らしい娘の方は、止めを刺す前に何者かの介入があり、逃げたと言う。
 …なら、あの娘が翼を仇と追う可能性は無いだろうか。
 心配してみたら、翼の方はそれは元より承知、なのだそうだ。闇を統べる者として生まれながら闇を刈り取る使命を持つ者。事情を聴けばそういう事らしい。…因果な事だ、と思う。
 他を――IO2の方を辿る。
 潰されたと言う新興心霊テロ集団『メメント・モリ』について。先程、現場に出向く途中で思い付いた仮説を確かめる為に辿り直してみる――より深く辿る中、最近、裏の裏になる世界では様々な種類の『霊鬼兵』に類する心霊的な人造人間の製作、の噂があちこちで聞かれるようになっている事がわかってきた。中ノ鳥島を発端としたプロトタイプや最新型と言われる『オリジナル』とも、量産型と言われるものともまた違った形の、『霊鬼兵』。
 この『メメント・モリ』でも、そんな技術に手を出している節があると、今になって出て来た。
 それも。
 他者の血を喰らい燃料とし力を得る霊鬼兵、と。
 それは即ち――人造の吸血鬼でしかないでは無いか、と思う。
 …少し変な気がした。
 何故なら――そこは、先程、出向く前の時点でクミノが既に調べた筈の場所。その時には明らかに何も無く、念の為ともう一度見てみたら、今度は何故かあった情報。
 …今度は消されているのとはまるで逆、都合よく現れていると言う事か?
 ともあれ、その情報も考え合わせる限りは――自分の仮説の補強にはなる。
 その技術を以って『メメント・モリ』で作られた存在が、『メメント・モリ』を潰したと。
 某鉄道車両倉庫付近で見付かった、三人の被害者。
 常盤刑事に確かめる限り、表向きには共通点は何も無い。が――聞かされた被害者の身分証明に違和感を感じた。…『存在しない人間』。その可能性。こんな事件でとなれば、自然と思い付くのはIO2。
 思い付くままに、辿ってみる。
 …そうしたら。
 即座に直接、サヴァン・オーケストラからコンタクトがあった。

 ――――――それ以上は見なかった事にして、それはこっちで始末付けるからさ、と。

 ふむ、と思う。
 何か後ろめたい事はありそうな表現。
 推測するに、その三人は――IO2の中でもあまり褒められるべき行動を取っていなかった。そして、その為に殺され、でかでかと世間のニュースに載る事になってしまった。何か暴走でもした、と言う事だろうか。
 例えば、その『他者の血を喰らい燃料とし力を得る霊鬼兵』を自分たちだけで倒すなり、その技術を丸ごと手に入れるなりして手柄を立てようと逸った。
 そんなところかもしれない。
 確かめるか否か。
 …ここは言わぬでおくべきか。
 こっちで始末を付ける、と言い切るのなら。

 記事を消した理由やその犯人。
 ここはどうも、はっきりしない。
 サヴァン・オーケストラの仕業かと思ったが、それにしては――彼らが動いていると思しき事柄と逸れている気がしてならない。
 むしろ、無かった筈の情報が都合よく現れていた先程の感触の方が、余程近い気がする。
 結局、IO2の仕業なのかどうなのか。IO2だとしても一枚岩では無い。…左手が右手のしている事を知っているとは限らない。
 …こちらは今は、辿りようもないか。
 仕方無くも思いながら、一番初め、暴露情報が消されていた――と現時点で確認できている掲示板へと行ってみる。

 そちらには今はもう、何の変化も無い。
 普段通りの思わせぶりに煽りたがる記事が、あっけらかんと表示されている。

 …クミノは端末の電源を落とした。

fin.


×××××××××××××××××××××××××××
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
×××××××××××××××××××××××××××

 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

 ■2863/蒼王・翼(そうおう・つばさ)
 女/16歳/F1レーサー 闇の皇女

 ■4936/ロルフィーネ・ヒルデブラント
 女/183歳/吸血魔導士/ヒルデブラント第十二夫人

 ■1166/ササキビ・クミノ
 女/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。

×××××××××××××××××××××××××××

 …以下、登場NPC(□→公式/■→手前)

 ■マヴロ(未登録)

 □草間・武彦
 ■常盤・千歳

 ■サヴァン・オーケストラ(未登録)

×××××××××××××××××××××××××××
          ライター通信
×××××××××××××××××××××××××××

 蒼王翼様とロルフィーネ・ヒルデブラント様には初めまして。
 ササキビクミノ様にはいつもお世話になっております。
 皆様、今回は発注有難う御座いました。

 出来る限りGW前に…! と思ったんですが間に合いませんでした…orz
 …と言う訳で納期が連休絡みになってしまいまして蒼王翼様とロルフィーネ・ヒルデブラント様へのお渡しが遅れる事がまず確実に。…初めましてから何だか申し訳ありません。
 作成日数上乗せしてある上に大変お待たせ致しました。

 それから、ササキビクミノ様もですが、特に初めましてになる蒼王翼様とロルフィーネ・ヒルデブラント様。
 PC様の性格・口調・行動・人称等で違和感やこれは有り得ない等の引っ掛かりがあるようでしたら、出来る限り善処しますのでお気軽にリテイクお声掛け下さい。…他にも何かありましたら。些細な点でも御遠慮なく。

 取り敢えず。
 …マグロではありません。
 マヴロです。ちなみにギリシア語で「黒」の意。…付けてから日本語書き文字字面的に某魚類の事をどうしても思い浮かべてしまう自分が嫌になったりしてましたが次候補がどうにも思い付かずそのままで。
 ギャグではありません悪しからず。…こんな事を書いては本文の余韻もへったくれも無いかもですが…。

 内容ですが…初っ端は皆様個別、『動き出す。』部分から皆様共通文章になっております。
 三者三様、色々な方向から噛んで頂きました。
 で、悪役贔屓っぽい感触がそこはかとあるかもしれません。ライターの趣味です…。

 如何だったでしょうか。

 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが。
 では、また機会がありましたらその時は。

 深海残月 拝