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<東京怪談ノベル(シングル)>


そんな彼女達の幕間

 暗闇の中、海原 みなもは、遠くから聞こえてくる声に耳を澄ませていた。
 人形となり、瓦礫に埋まったみなもを救いに来る足音を、ずっと待っていた。遠くから聞こえてくる音が、いずれは自分の元に辿り着いてくれるのだと、そう信じて待っていた。
 ‥‥‥‥しかし、それが救いかどうかは分からない。
 彼女の同様の運命を辿りながら、様々な結末を向かえた、少女達の物語‥‥‥‥



 がらがらがらがら‥‥‥‥
 頭の上から、何か大きな物を持ち上げる音がする。
 ぱらぱらと落ちてくる汚い砂粒が、私の頭の上を転がり、そして床の水溜まりに溶けていく。
「おーい! あったぞ!」
 頭の上から聞こえてくる誰かの声。
 私の視線は床を見つめ続けていて、どんな人なのかは分からない。
「壊れてないか?」
「見たところは大丈夫ですよ」
 たぶん、と誰かが言う。
「人間か?」
「それは、私には判断出来ません。見た目は普通のマネキンですから」
「掘り出して、さっさと研究所に送ってしまえ」
「所々欠けていますけど、どうします?」
「どうもするなよ。専門家じゃないんだから」
 そうですよね。と、誰かが言うと、がらがらともう一度私の頭に砂が滑り落ちてきた。
 側頭部の滑らかな曲線に触れて落ちてくる砂は、私の眼球を撫でて床にまで落ちていく。小石が混ざっていたらしく、ぽちゃんと小さな音がした。
 ‥‥‥‥私は、目の前を、目の上を流れていく砂を、ただ呆然と眺めていた。
 痛みも何も感じず、ただ見つめていた。
「ここは、何処?」
 私は声に出して言う。声にならない声で、誰かに声を掛ける。
 がらがらと落ちてくる砂。コロコロと転がり落ちてくる小石。
 そして、光が私の視界を照らし、誰かが倒れ込んでいた私の体を抱き起こした。
 ぱらぱらぱら‥‥‥‥
 ワタシのカラダが、クズレテいく。
「おわ!」
「どうした?」
「思ったよりも壊れてやがる‥‥‥‥持ち上げただけで顔が、ほら」
「‥‥‥‥丁重に扱ってやれ。修復出来るのかどうかも分からないしな」
「もう、がらくたって事で廃棄しません?」
「その方が楽なんだがなぁ‥‥当たりなら、良い値で売れるらしいぞ」
 誰が何を売るのか。私は誰に拾われ、どうなるのか。
 私は考え、そして思考を停止する。
 持ち上げられた体。四肢は力もなく投げ出され、ぶらぶらと振り子のように揺れている。
「――――眠い」
 この体になって、私は初めて“眠気”という物を覚えていた。
 仰向けの体勢で抱き起こされた私の目は、揺れながらも空を見ていた。誰かに抱き起こされて担がれ、首が折れ曲がって空を見る。
 何日ぶりの陽差しか、それとも何ヶ月か、何年か、私には分からない。
「――――――――あれ?」
 私はふと、空を瞬きもせずに凝視しながら、動かない首を傾げようとした。
「何を考えていたんだっけ‥‥‥‥」
 何を聞き、何を疑問に思い、何を考え、どんな答えを出したのか‥‥‥‥
 分からない。思い出せない。記憶は何処にも見付からない。私が誰なのかも分からない。何をされているのかも分からない。ソラを見上げ続ける目は、タイヨウに灼かれて懐かしいイタミを思い出していた。
「ぁ――――あぁ――――――――」
 熱い。熱い陽差しが痛くて目蓋を閉じたくてでも固まった体は目蓋をほんの少し動かすことも出来なくて指先はただ揺れるだけで掌で目を覆うことも出来ずただ灼かれる灼かれる痛い痛い体が痛いまるで太陽に吸い込まれていくような錯覚体が浮き上がる誰かの手から離れていく人形から命が離れていく助けて助けて誰か助けてこのままだと私きっと――――――――
 ‥‥‥‥‥‥
 ‥‥‥‥
 ‥‥
「‥‥‥‥あれ?」
「どうした?」
「いえ、今、何となく冷たい霧のような物が、マネキンから出て行ったような気がしたので‥‥‥‥」
 若干、人形が軽くなったような気がした。
 まるで、中身を完全に刳り抜いてしまったようだ。それまで人間一人分の重量を保っていたマネキンが、人形のように軽い。
「ま、いっか」
 そう言い、マネキンに変えられた被害者を回収に訪れた作業員は、早々に作業を再開した。



 痛みはない。あたしの体はもう、何も感じることなど何も無かった。
「ふぅ、これで修復は完了だ。どうですか? 傷を埋め合わせただけですが、そうとは見えないでしょう?」
 あたしに語りかけるように、傷付いていたあたしの体を撫でながら、白衣を着た老人が言う。
 老人は、あたしの体を直してくれた人だ。でも、あたしに話しかけてくれている訳じゃない。老人の背後、気難しそうに眉を顰めているスーツ姿の男の人に話しかけている。
「見たところ、ただのマネキンにしか見えないんだがな」
「ふぇっふぇっ。見た目はそうでしょうねぇ。ですが、“協会”のお墨付きですから、間違いありませんよ」
「魂付きか」
「それも悪霊の類ではなく、“生の人間”の魂が入っているとのことですから、観賞用にはもってこいですよ」
 老人は楽しそうに、あたしの目を覗き込んで言う。
 ヤメテ。
 顔を背ける。
 壊して。
 老人の目は、まるで愛孫を見る老人のように慈愛に溢れている。でも、背筋が凍り付いて、寒気がした。
 あたしを、壊して。
 だから、顔を背ける。動かない体を動かそうと、あたしは悲鳴を上げて、震えながら力を振り絞る。
「こうして儂が話している事も、聞こえているらしいですよ?」
「痛みは?」
「感じてはいないでしょうなぁ。それだけが残念で‥‥ああ、太陽の光には当たらないように気を付けてください。中途半端に変化が解けて、死んでしまうので」
 それで良い。
 修復された裸体。でも、女性としての色香なんて微塵もない。人形の体に、そんな物は求められない。
 動かない体。
 着飾られる。何も出来ずに、良いように扱われる。人間の時には触れたこともない綺麗なドレスで着飾られ、愛玩物として出荷される。
 あたしを殺して。
 スーツ姿の男は興味深そうにあたしを見つめている。
 まるで解体待ちの豚を見るような目。どんな悲鳴を上げ、どんな中身を晒すのか、目を背けたくなるような惨状を望む目が、そこにある。
「分かった。報酬は、いつもの通りに」
「へへ、毎度」
「楽しみ方は、こちらで考えるとしよう。なに、時間はたっぷりある」
 スーツ姿の男が、あたしの頬を撫でてから背を向ける。
 頬には男の体温も、撫でさすられた感触もない。
 それでも背筋を走る悪寒に、あたしの全身が総毛立った。
 勿論、この愛玩人形と化した体では何も出来ない。
あたしが声高に叫んでも、逃げようと藻掻いても、何も変わらない。何も変えられない。
「綺麗に包んでやるからなぁ。ちゃんと可愛がって貰うんだぞ」
 笑いながら、老人は丁寧な手付きであたしの体を布で包んでいく。
やめて。行きたくない。生きたくない。逝きたくない。
元に戻りたい。あの暗闇から解放されたのに、今ではその暗闇の中に戻りたい‥‥‥‥
「い‥‥やぁ‥‥‥‥」
 救いのない現実で、あたしは翻弄されるがままに存在し続けるのだろう。
 途方もない時間を、ただ、ただ‥‥‥‥‥‥
 外道の道を歩む者達の愛玩物として、過ごし続ける‥‥‥‥



「ん‥‥‥‥」
 目を開く。
 視界に広がるのは、真白い清潔な天井。
 首を傾げれば、窓から青い空が見えていた。
「ここは‥‥‥‥」
 見覚えのある場所。子供の頃から、何度も何度もお世話になっていた。
「病院‥‥なの?」
 目で見渡すと、そこは見たことがあるけど、馴染みの薄い場所だった。
 入院患者が寝泊まりする、綺麗な病室。これまで入院するようなことがなかった私だけど、それは見ただけで判別出来た。
 私の格好も、薄水色の寝間着でぱりっとしている。たぶん、看護婦さんが着替えさせてくれてから、ずっとベッドで眠っていたからだと思う。寝間着には皺一つなくて、人形の衣装みたい。
 軽く手を動かして、自分の身体の有無を確認する。
 体にかけられたシーツが盛り上がり、下で手が動いている。
 ある。私の体が、ある。動く。何でだろう。その事実が、堪らなく嬉しい。当然の筈なのに、嬉しくて仕方がない。
 天気が良いからか、窓は微かに開けられていて、心地良い風がカーテンを揺らしている。
 頬を優しく撫でる風の感触に、私は目を細めて息を吐く。
(気持ちいい‥‥)
 暖かい風は、春風のそれだった。それもけして強くなく、弱くもない。体を撫でていく風は何処までも優しく、私の心を癒していく。
 全身から、自然と力が抜けていった。
 脳裏を過ぎる眠気に誘われ、体が再び休眠に入ろうとする。その感覚すら懐かしい。
 その懐かしさからか、それとも体が疲労しているのか、私の意識は、抵抗することも出来ずに遠い世界へと旅立っていく。
 ‥‥‥‥そのまま放置されていれば、私はそのまま眠ってしまっていただろう。
 でも、そうはならなかった。
 まるで私が起きるのを待っていたかのように、病室の扉ががらりと開いて、何人もの人達が入ってきた。
 白衣を着た男の人と、看護婦さんが三人も。私一人しかいなかった病室が、途端に賑やかになったように錯覚する。
「――――さん。起きてますか?」
 白衣を着た男の人、たぶんお医者さんだと思うけど、その人が私の顔を覗き込んで言っている。
「は、はい」
 私は怯えながら返答した。
 男の人の目はぎょろぎょろと見開かれていて、怖くて直視することは出来なかった。思わず視線を逸らし、肩が震え出す。
 ‥‥‥‥こうして、長い間震えていた気がする。
 でも、何故震えていたのか、私は思い出すことが出来ずにいた。
「そうですか。良かった。何処か、体に痛いところはありますか?」
「いえ、あの‥‥‥‥アレ?」
 何故、自分がこんな所にいるのか‥‥
 そう訊こうとした時、私は、記憶の断片を求めて心を走らせていた。
 そして違和感と、確信と驚愕を覚える。
 ない。何処にもない。過去をいくら思い返そうとしても、何処にも私の記憶が見付からない。
「わ、私‥‥何で、ここに?」
 それでも、私は努めてそれを気取られないようにと、記憶がないことには触れないよう、言葉を選ぶ。
 この白衣の男性が、看護婦が、信用出来ない。
 まだ出会って一分も経っていないけど、私はそう直感した。そう感じていた。動悸は早鐘のように打ち鳴らされ、痛みすら感じられる。
 怖い。この人達が、怖い。この病院が、怖い。
「あなたは事故に遭いまして、この病院に運び込まれたんですよ」
「事故、ですか?」
「ええ。デパートの地下が崩れ出しまして、多くの負傷者が‥‥‥‥覚えてはいませんか?」
 事故‥‥‥‥事故? 私は事故で運び込まれたの?
 何も覚えていない。この病院に運び込まれる直前も、運び込まれてからも、もっと遠い子供の頃、学生時代も、成人してからも、思い出せない。
 ただ、私が私であることは覚えていた。物の名前や、部屋の様子から記憶が朧気に霞み掛かって蘇る。
 それだけだった。霞は取れず、濃霧の向こう側を覗こうと目を凝らしているような、そんな錯覚。
「酷い事故でした‥‥‥‥運び込まれてから二ヶ月、あなたはずっと眠ったままだったのですよ」
「二ヶ月、も?」
「その間に、怪我の治療が終了していたのは幸いでした。リハビリも、軽い物で済むでしょう」
 白衣の男はそう言って、満足そうに頷いた。その間も、私の目を見続けていて、やはり怖い。
 看護婦さんの一人が「体温計りますね」と、体温計を取り出していた。
 病室の扉が開き、誰かが顔を覗かせる。
「――――先生、こちらに入らしていたのですか」
「ん? どうかしたのかね」
「ラボの方で少々トラブルが。来て頂けますか?」
「やれやれ。では――――さん。私は席を外しますが、体のことは、こちらの皆さんが教えてくれますから、何でも訊いてください」
 白衣の男の人が、私に振り向きながら言う。
 私はそれを、ジッと押し黙って聞いていた。
「‥‥‥‥」
「大丈夫です。不安になることはありませんよ。あなたの記憶も、ちゃんと回復させて見せますから。それまではゆっくり‥‥そう、ゆっくりしていってください」
 白衣の男の人は、病室から出て行った。私はベッドに体を預けて、看護婦さんに為すがままにされている。と言っても、体温を測られたりしているだけだけど、私は何も訊かず、大人しくしていた。
(言ってない)
 何故なら、私の体は、恐怖に竦んで言うことを聞かなかったから。
(記憶がないなんて、私は言ってない)
 ガチガチと歯が微かに鳴っている。
 思い出せない過去。体に痛みはない。傷跡もない。怪我をしていた痕跡なんて、何処にもない。異常があるとすれば、ただ記憶がないという、この一点だけだった。
 それが、怖い。医者が、看護婦達が怖い。看護婦達は反応を返さなくなった私を見ても、何も言わずに淡々と仕事をこなしていく。それだけだった。誰も笑わず、誰も不思議そうに首を傾げることもない。
 私には感心など無いように、道具をメンテナンスするかのように、淡々と私の体を調べていく。
 ‥‥‥‥まるで人形だった。
 看護婦が、ではない。
 看護婦に為すがままにされている私が、人形のようだと思ったのだ。
「あの‥‥」
「はい」
 私は看護婦の一人に顔を向け、もう一度訊いてみた。
「ここは、どこですか?」
「病院、ですよ」
 看護婦が、ここでようやく表情らしい表情を見せた。
 笑っている。口元に、微かな笑みを浮かべている。
 患者に看護婦が笑いかけるなど、それは当然のことだろう。笑みは相手の警戒心を解き、安心を与える。
 だが、その看護婦の笑みから感じられたのは、それとは正反対の物だった。
(さっきの人は、“ラボ”って言っていた‥‥‥‥まさか、ここは‥‥)
 ぷすり。
 音は聞こえない。事前の説明も、何も無かった。
「お疲れのようですね。ゆっくり、眠っていてください」
 看護婦の一人が、やはり笑って私を見下ろしている。
 首筋に痛みが走り、私は反射的に痛む部分を押さえようとした。でも、それは出来ない。腕が動かない。まるで万力に締め付けられているかのように、私の体は動かない。それは怪我や恐怖の影響じゃなく、もっと単純に‥‥‥‥看護婦さん達が、皆して私の体を押さえ付けていた。
「ひゃっ、はぁ、ぁぁ」
「おやすみなさい。何も考えないで、休んでいてください」
 視界が黒く染まり、私の意識が沈んでいく。
 ‥‥‥‥次に目覚めた時には、新たな私。
 過去を忘却した、私が現れる。
 そうだ。私はこの時、ようやく思い出したのだ。
 私は、何度も目覚めていた。
 一度目は、全部をハッキリ覚えていた。二度目は、人形にされる直前のことまで覚えていた。三度目は、この病院から脱走しようとした。四度目は、医者を殺そうとした。五度目は、自殺しようとした。過去を何もかも、時間を掛けて思い出して、様々な行動を取っていた。
 眠っちゃダメ。寝たらダメだ。寝たら、もう起きられない。看護婦達は笑っている。私が壊されていく様を見ながら、笑っている。
「助けて――――」
 ‥‥‥‥私の言葉は掠れ、私の耳にも届かなかった‥‥‥‥




Fin



●あとがき●

 お久しぶりです。メビオス零です。
 今回は番外編(?)的に、みなもさん以外の方々は不幸な目に遭っています。
 ある人は回収時のミスで、ある人は裏の業界に売られ、ある人は病院で拘束されています。
 うーん、三人分だと、少し物足りない気も‥‥‥‥やっぱりゴミ処理場で粉々にされるとか、色々と試してみても‥‥‥‥怖いですね。マネキンとはいえ、人が壊されるのは。
 体は動かず、意識はある。
肉体的な痛みは感じないけど、精神的に痛みを感じる。
 眠気も寿命もないけど、自分では何も出来ない。
 人間が壊れる要素が揃い踏み。ただ動けないだけでも、凄まじい圧迫感と絶望感ですよ。なまじ意識があるだけタチが悪い。眠気がないけど、それは睡眠への逃避がないと言うこと。延々と目前の光景を見続ける以外になにもない。
 自分なら、絶対にこんな状況は避けたいですね。余程のことがない限りはないでしょうけど。

 ‥‥‥‥では、改めまして、今回のご発注、誠にありがとう御座いました。
 今回の作品はいかがでしたでしょうか? 最近は文字数を出来るだけ押さえて書くように心掛けているので、これまでの作品と比べると物足りないかも知れません。作品に対するご意見、ご感想、ご叱責などが御座いましたら、遠慮容赦なくお送りくださいませ。いつもファンレターを送って頂き、感謝の念が絶えません。
 今後も出来るだけ期待に応えられるよう、作品を作っていきたいと思っておりますので、どうか、よろしくお願いいたします。(・_・)(._.)