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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『黄金世界』
▼opening
暖かくなりかけてきた頃だったが、雨が降ると途端に冷えた。
室内は小綺麗ではあるが、暗く陰鬱でもあって、何より寒々しかった。
暖房を炊きたい衝動を堪え、温かいインスタントコーヒーをちびちびとすすりながら書類を眺めている、静かな朝だった。

房総半島の南東端に位置する村、地名は町だが、資料にはその地形が随分詳しく印刷されていた。
それも、主だったものは人里離れた山中だった。
その辺りに、鬼が出る。

鬼とは単に伝承による呼称であって、それは未特定の生物だった。
しかし海沿いの小さな村に伝わるささやかな昔話が、全くの無駄と言う訳でもなかった。
住民の誰もが知るように、その地では度々神隠しのような事件が囁かれてきたし、畑が動物ではない何かに荒らされたり、山に獣の無惨な死骸が転がっている事が時たまあった。
調査で遡ると、少なくとも六十年程前にも同じような事が伝えられていた。

「昔からいらっしゃるんですね」

同じ個体と言う確証はない。
だが例の事件を境に現れたものでもなさそうに思えた。
長くお話の域に留まっていたその活動が最近になり活発化して、人を襲う事に関しては、住民が戦々恐々として無視が出来なくなっていた。

事態の発生原因は不明。
当該個体はつがいの鬼。
住処の位置はほぼ特定されているが、時空の歪みの向こうにあるため、能力者が向かう必要がある。
ほころびは緩やかで、特別な力の持ち主が寄れば自然と紛れる事が出来るだろう。
目的は、目標の始末。

「鬼さんは、どうしてこんな事をするんでしょう」

文面は、零の言うような思索の介入を嫌っていた。
よく調べの付いている報告も含めて、草間はその事にいい気がしなかった。
しかし人が消えている事は事実で、それは明確に処理しなければならない事だった。



▼main plot
山向こうに見える空は青かったが、点在する雲は重苦しくうら淋しかった。
空気は冷ややかで、ソフトトップを降ろしたまま車を飛ばすと鋭い冷気が肌を刺した。
しかし草間興信所でたっぷりつけられた煙草の匂いがまだ気になるのか、夜神潤は不機嫌そうにアクセルを踏み続けていた。
それにしてもこんな田舎にまで高速が伸びていたとは、馬鹿馬鹿しくもひどく便利になったものだった。
視界にはただ道が続くだけで、道路には彼の愛車が立てる心地よいエンジン音だけが響いていた。

「依頼者の方の事、ちょっと期待できそうにありませんでしたね」

横に座る海原みなもは、風に乱される髪を抑えながら彼の横顔を見やった。
潤は一呼吸置いて、ああと答えた。

今回の件について腑に落ちない点があったのは、草間も同様だった。
だから依頼主や報告者について洗い直して欲しいと言う彼らの頼みも草間にとっては当然の申し出と思えたが、既に行っていたその作業は芳しい結果を得られていなかった。
彼はその事も含め、興信所の評判と現地での柔軟な対応を考え部外者として関わろうとした潤の提案を、気持ちだけ受け取り、その必要はなしと判断した。

「きっと鬼さんにも、訳があったんですよね」

一人ごちたようにも聞こえたその言葉は、興信所にいた皆が感じた事だった。
意識した訳でもなかったが、声は小さく、過ぎ去っていく風景にすぐ溶けていった。
聞こえたのかそうでないのか、潤はただ、車を走らせていた。

高速を降りてしばらく経つと、右手に松を植えた防風林が続いた。
それが時折途切れると、その先には海が見えた。
左手には小さい魚加工場や、夏場には海水浴客で賑わうコンビニエンスストア、営業しているかも分からない古びた料亭等が並び、向こうには深い緑をした山が連なっていた。

ハンドルを切って背の低い家々の間に入っていき、いくらか進んだ。
舗装もままならない田畑の中を走る道で徐々に速度を落とすと、砂利道がざっざっと音を立てた。
エンジンを切るとどこかで鳥が長く鳴いて、潤はバックミラーの中の空に、ぽつんと映る黒点をじっと見つめていた。

それは徐々に大きくなり、やがて鋭い黒翼を駆る天波慎霰が降り立った。
翼をしまい、軽く頭を振ると、彼は車から出てくる二人をさらっと見渡した。
丁寧にドアを閉め、キーをポケットに収める潤を見て、少し悪戯な笑みを浮かべる。

「遅かったな」

潤はちらと目を向けたが、さほど意に介した風もなく、振り向いて山を見上げた。
日は正午を回るくらいだったが、その色は暗い。
さて、と彼は口を開いた。

「俺は歪みの周辺から何か分からないか、調べるつもりだ」
「先走って無闇に接触しないでくれよ! 俺はここら辺を飛んで、周辺の妖怪達に話を聞いてみる。身勝手な人間共への恨み言が聞こえるようだ」
「私は住民の方々に話を聞いたり、荒らされた場所を見てみます。色々と、確かめたい事があるんです」

三人共が、最終的に取るべき行動については言い及ばなかった。
ただここでもう一度合流する事とその時間だけを決めた。
それ以外は何も言わず、そこで別れた。

みなもが確認できた荒らされたとされる田畑は、はっきりと収穫物を狙った被害を受けていた。
彼女はこの事からも、鬼達の行動動機を食料集めと正当防衛と考えていたが、引っかかっている事はもう一つあった。
人は襲われると言う課程を飛ばし、ただいなくなっている。
その事実は、無自覚の異能者が綻びの緩い歪みに、迷い込んだだけのようにも見えた。
これらの裏付けを取るためにも、町行く人々、その大半は腰の曲がった年寄り達だったが、彼らに件について何か見ていないかを聞いて回った。

しかし、なかなか成果は得られなかった。
聞こえる声は、人々が抱く悲劇だけを告げた。
恐怖と、不安と、中には強い悲しみがあった。
息子を失った父親は、人目もはばからず泣いていた。
母を失った少年は、奥歯を噛みしめ目を伏せった。
少し出かけただけだと、寂しそうに笑う者もいた。

彼らの顔を、言葉を思い出しながら、寂れた商店街通りを歩き、みなもは考えていた。
皆、何を求めているだろうか。
それは詮無い問いであり、明々白々な答えでもあった。
そんな時、ふと潮の香りが通り過ぎ、海風が彼女の頬を撫でた。
懐かしさから横を向くと、日に焼けた服飾店の脇に細い小道が真っ直ぐに伸び、そこだけ海へ視界が開けていた。
しばらく、その狭い水平線を眺めた。
波が寄せて返す音が聞こえた。

気が付くと、向こうからじっとこちらを見ている老婆がいた。
気のせいかとも思ったが、そうではないらしい。
遠くを見るように細めた目をこちらへ向け、杖でその身を支えている。
みなもが足を踏み出すと、老婆は背を向け、ゆっくりと歩き出した。
また風が吹き、彼女は路地へ入っていった。

「夢のように綺麗な世界だったよ」

もしかするとあれは本当に夢だったのかもしれない、そう聞こえるか聞こえないかの大きさで、しわがれた声が言った。
壁際に物がうずたかく積まれた古い平屋は、昼なのに暗い。
老婆が感情も意志も示さず淡々と言葉を選ぶ様は、ただ疲労だけを感じさせた。

「私の事を見ても、あれは何もしなかった。ただ見ていただけだ。帰る時も、不思議そうに首を傾げていた」

随分前の話だ、そう嘆息のように言って、彼女は口を閉ざした。
それ以上は何を聞いてもじっと下を向いて押し黙り、何か考え事でもしているように、結論を決めあぐねているように、目を閉じてしまった。
開け放たれた玄関から入る光が部屋の明暗を二分し、時計がコツコツと時を刻んでいた。

みなもの収穫はこんなようなものだった。
過去の事例についても調べようとしたが、ただでさえ不確かな伝聞とも言えない伝承を辿るのは容易でなかった。
得た情報はどれも言葉にまとめるのが難しく、彼女は出会った事実を全て、出来るだけ簡素に話した。

「鬼は無闇に殺している訳ではない、か。その婆さんが言っている事が本当かどうかは判断できない。だが俺の見た歪み周辺の獣の死骸に捕食の跡がなく、そのどれもが獰猛な種だった事は、海原の推測の範疇には収まるな。しかしそうだとしても、奴らが外で食事をしないとなると、結局中に入らなければ何も分からない。お前の方はどうなんだ、天波?」

偉そうに。
草葉の上にあぐらをかいていた慎霰は口中で悪態を付くと、車に寄りかかっている潤を睨んだ。
すると、どうした、と彼は少し心配げな表情をした。
慎霰はふんと鼻を鳴らした。

「ここには普通の奴しかいないってよ。ただ生きてるだけの、生き物しか」
「それはどういう意味だ」
「さあねえ、言葉通りなんじゃねえの」

ぶっきらぼうに答え、頭の後ろで手を組むと、上を見上げた。
陽が長くなったものだ。
徐々に深みを増していく青空を見て、彼はぼんやりとそんな事を思っていた。

歪みまで行く事に苦労はしなかった。
山と山との合間に台地のように開けた場所があり、そこは木も途切れがちで、うっすらと明かりが降りていた。
周囲の気配が妙にそぞろで、そこにいるとどうにも落ち着かなかった。
三人がそんな風に感じながら歩を進めていると、ある時、かすかに響いていた自分達の足音が、ほんの少しだけ遠くなった。

思わず、彼らは眩しさに目を細めた。
光に溢れた世界に慣れるまでには多少時間がかかった。
そよそよと揺れる空気は穏やかで暖かく、地面も敷き詰められた落ち葉で柔らかだった。
やっとの事で瞳を開けると、視界を占める無数の木々は銀灰色の幹からたくましく枝を伸ばし、その先には紅葉したように鮮やかな黄色の葉が豊かに茂っていた。
森は深く、しかし上を見上げれば空はただ白く明るく、彼らのいる場所は煌めく金色に包まれていた。
絶えずひらひらと落葉が舞っていたが、それは永遠の出来事のようにも思われ、事実枯れ果てた樹木などどこにも見当たらなかった。

どれ程そうしていたのか、誰にも分からない。
靴が落ち葉に埋もれていた。
それだけが、この場所にも時が存在していた事を教えた。

「行くぞ」

目を覚まそうとするかのように、潤はやけにはっきりとした調子で言った。
全く変わらない景色の中を何の迷いも見せず進んでいく彼を、慎霰とみなもは少々危ぶんだが、口を挟む余地はなかった。
空間操作にひとかどの技術を持つ潤は、その構造把握にも一定の知識を持つ。
何よりこの件に関しては、歪みの向こうで調べる事が幾つもあると考えていた。

どれだけ歩いたろう、足を止めた先には、ぽっかりと大きな穴が開いていた。
表面がいくらか落葉で覆われてはいるが、中にある物が何であるかは十分に見て取れた。
獣の骨もあれば、紛れもない人骨もあった。
口を開く者はいなかった。
時折落ちていく葉が、少しずつそれを隠していくのを見ていた。

「腹が減りゃあ、何か食うさ。でないと、死んじまう」

慎霰の言葉は宙を彷徨い、森はさやさやと鳴るだけで、その事には答えなかった。
やがて誰と言わず歩き始めたが、気付けば後ろを振り返ってもそこはもう金色に包まれ、穴は見えなかった。
まるで最初からそんなものなどなかったかのように、思えてならなかった。

突然ガサガサっと大きな音がして顔を上げると、彼らは自分達が突如開けた場所に足を踏み入れていた事に気が付いた。
視線が地面を辿っていくと、離れた先にじっとこちらを向いているものがあった。
その邂逅はひどく緩慢で、そしてそれ以上の意義も進展もない、一つの出来事だった。

二匹の身の丈は二メートル程で、長い手足を折り、屈むように立っていた。
体表はぼんやりとした白で毛が無く、ざらざらとしているように見える。
鋭い爪がある訳ではないが、手には細長い指が四本ずづ備わっていて、脚は人とは逆に曲がっており、馬のようだった。
頭部には閉じられた幅広の口と、全く平らな鼻と、そして真っ黒な、鳥によく似たギョロリとした目があった。

それは鬼でも妖でもなく、生き物だった。
しばらくして潤がおずおずとオイと声をかけたが、二匹はただ向こうでじっとしているだけだった。
襲ってくるような気配は見られなかった。
少し怯えているような、そんな気さえした。

長い沈黙が皆に思案を強制させていると、脇から、何の警戒もなく地面を蹴る音が飛び出してきて、場にいた全員がそちらを見た。
中にはびくりと身体を震わせた者もいた。
それはとても小さい命で、来訪者の事など気付いてもいないかのように、二匹の元に駆け寄って甘えるように身体をこすりつけた。

「子供……」

みなもは絞り出すように呟いた。
二匹はそっと、子を自分達の後ろへ置いた。
子はまだ駆け回ろうとしたが、親は包むように両腕で押さえていた。
それを遊んでくれていると勘違いでもしたのか、小さな体は嬉しげにころころと転げた。

「……何とか、なんねえかな」
「しかし、言葉が通じない」
「別の山に移してやるとかさ」
「この特別な場所を離れて、こいつらが生きていけるか、分からない」

潤も似たような事を考えていたが故に、自分にも言い聞かせるような響きだった。
だから慎霰も、それ以上口を出さなかった。
目の前の生命達は、ただ、生きていた。

ただ生きているだけの、哀しい生き物達。
それは人間と何ら変わりがない、ただ生きているだけの哀しい生き物だ。
しかし、彼らは言葉を解さない。
知性はあったかもしれないが、人の言を知らなかった。
たったそれだけで、彼らは死なねばならないのだろうか。

この疑問は誰よりも重く、三人にのしかかった。
夜神潤は吸血鬼、天波慎霰は天狗、海原みなもは人魚の末裔、それはいずれも人の外に在った。
自分達と彼らの何が違うと言うのか、その答えは、出なかった。

「俺は降りる」

しばらくして、慎霰が吐き捨てるように言った。
睨むように、強く前を向いていた。
ためらいがちに口を開いたのは、みなもだった。

「だけどこのまま放っておいたら、また誰かが」
「犬にでも噛まれたと思うんだな。地震だって、人間同士の殺し合いだって、突然の死はどこにでも転がってる」
「それでも、今なら防げる事も……」
「こいつらを殺してか。人間が言うところの、可哀想な死だ」

彼女もまた、分かっていた。
ちらと潤の方を見た。
彼は、昔を思い出しているようだった。

吸血鬼の中でも異形とされたその長い過去の内には、似たような事は何度もあった。
その度に血は流れ、いつ果てるとも知れなかった。
そしてどんな時も、生きようと言う無数の意志だけがそこには残った。

辺りは一層静かだった。
三人は、その黄金世界に背を向けた。
踏みしめる地は優しく、景色は美しかった。
緩やかな風と共に、言葉は流れて消えていった。

「そうして、これからここで起こる事には目と耳を塞ぎ、過ごしていくだけだ」




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【7038 / 夜神・潤(やがみ・じゅん) / 男 / 200 / 禁忌の存在】
【1252 / 海原・みなも(うなばら・みなも) / 女 / 13 / 女学生】
【1928 / 天波・慎霰(あまは・しんざん) / 男 / 15 / 天狗・高校生】


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■         ライター通信          ■
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これは決して失敗の物語ではなく、単に何を選ぶのかと言う決断が成された現実に過ぎません。
正否や善悪を問わず、参加して下さった方々の設定や行動の組み合わせが、僕にはとても魅力的に思えました。
ご意見ご感想ありましたら、是非お寄せ下さい。

ありがとうございました。