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<東京怪談ノベル(シングル)>


花、ひらく



 遠い遠い国の海では、珍しい海藻があるという。
 それは深い緑色のもので、海中のごく僅かな光すら独占して、大きく膨れ上がる。
 光の途絶える冬に朽ちるが、春の訪れと共に再び膨れていく。
 ――この話を聞いた人々は、口々に「その海藻を見たい」と言う。海中をおぞましい姿で揺らいでいるのか、それとも細く可憐な見た目をしているのか……。
 あたしも友達からこの海藻の話を聞いたとき、同じことを思った。
(だけど、違う)
 今なら――………………。


 生きている金属のような、液体のような……“ケリュケイオン”という、この奇妙なものをあたしの体内に取り込んで一週間が過ぎていた。
 問題は殆どなかった。“生きている服”との相性が悪くて、不具合が起きたらどうすればいいんだろうと心配したこともあったけど、それも杞憂に終わった。どちらも“それなりに大人しく”してくれていた。
 この一週間、あたしは自分の能力について考えていた。
(やっぱり、転生より他の道を模索してみようかな)
 そう思ったのは、能力的な不安を除いても、転生というのはあたしにとって重かったからだ。転生させたことによる事実の歪みや、その後の責任を取ることは、あたしには難しそうだった。
 だったら、とりあえず他の活用法を考えた方がいい。
 そこで思いついたのは、転生のように対象を変化させるのではなく、対象を取り込んであたし自身を変化させるということだった。
(理論上は可能……だと思う)
 結果どうなるのかは判らないけど、試してみる価値はあるはずだ。

 少し怖かったけど、あたしはシンと静まり返った家の中で一人、服を脱いだ。
 浴室に入ったのは、裸でいることを自然だと自分自身に思わせるためだった。居間や自室では裸でいるのが不自然に思えて、凄く恥ずかしかった。
 あたしは両手を前に出して、掌に意識を集中させた。
「…………っ」
 前回のように大きく息を吸うまではしない。胸に力を入れるだけにした。
 ぐっと胸に力を入れると、筋肉の縮小のせいか、胸の膨らみがぴくりと上へ動いた。
 同時に聞き覚えのある機械音が響き出した。
「……つめたっ」
 現れた杖を握ると、冷えた掌があたしの全身に触れて……反射的に声が出た。
(そうだったね)
 この杖はあたしと感覚を共有しているのだった。握られているあたしと、握っているあたし。奇妙だけども、面白くもある。
 ――取りこむ対象は、前回と同じく青い野花にした。と言っても、前回種にしてしまったので、花ではない。鉢植えから出ている芽だ。
 浴室に持ち込んだ鉢植えを前に、あたしは意識を集中させる。
(さあ、目を覚まして……)
 すると水銀色の光の中で、一匹の蛇が起き上がった。
 蛇は鉢植えまで這っていくと霧へと姿を変えて――。
 瞬間、芽の感覚があたしの中を駆け巡った。
 まだ誕生したばかりの芽は瑞々しく、乾いたところなど一つもない。それでいて頼りなく、しんなりと大人しい。
(あとはこの感覚を、あたしの身体に混ぜるだけ……)
 ギュルルルルルル……。
 耳障りな金属音が近づいてくる。いくつもの感覚の粒があたしの体内に溶け込むために。
「ンッ………………ッぁぁぁああ!!!!」
 全身に棘が喰い込まれたような鋭い痛みに、あたしはもんどり打って浴槽の中に倒れた。
 放出したくてたまらない異物感に、あたしは侵されている。
 頭の中では数え切れない程の抽象的なイメージが洪水のごとく溢れていた。拒絶したくてたまらない、気持ち悪さに眩暈がする。
(だけど、ここで耐えなきゃ次に行けない……!)
 咄嗟に口を手で覆う。自分自身を静かにさせ、落ち着かせるために。
「ンぐ…………」
 それでも、指と指の間から、くぐもった声が浴室に蕩けて行く。フ、ヤ、ぁぁぁ。ヤ、いや。嫌。いたい……。
 最初に変化したのは足の指だった。
 五本あった指が溶けだし、一つの柔らかな塊になった。肌色がどんどんどす黒く染まり、そこから細かな茶色い毛が生え出してきた。
 範囲は拡大していく。足だったものは見る見るうちに植物の根のような異形へと変わった。
 腰からは緑色の塊になっていく。へそが消えてくびれもなくなり、茶色のものよりも硬そうな、芯のある姿である。表面に毛はなく、表面は滑らかだ。
「ンンンンン……!」
 あたしはうつ伏せになって悶えている。強くなりすぎた痛みは、興奮の渦の中で悦楽へと転じていた。“逆鱗”のおかげか、限界近くで何とか耐えている……。
 やがて腕も、植物の茎のような異形に取り込まれていき――、
「ぁぁあああ!」
 そこから葉が生えてくる。最初はデロンとした緑の塊だったものから、次第に先が割れて行き、ギザギザの葉になるのだ。
 葉の先が割れて行く感覚は奇妙そのもので、針を肌に当てられたように恐ろしい気もして、意識が遠のいていきそうだった。

『……みず』
 ――気づいたときには唇がなく、人間の音を発音出来なかった。
『……水。水が欲しい……』
『このままじゃあ、乾いちゃう……』
 あたしは本能の赴くまま、細くなりかけた根を傷つけないように、茎を動かして蛇口を探し当てた。
 洪水のように浴槽に落ちてきた水道水は、命を潤してくれる。
 今のあたしには口がないから水を飲むことは出来ないけど、吸い上げることなら出来る。
 根は太くなって、勢いよく水を吸い上げる。
 ずずずず、と音を立てて。根という根が飢えた舌であるかのように、数え切れない程の水滴を舐め上げていく。
『……美味しい!』
 あたしは人間が鼻歌を歌うような気分で、茎を左右に揺らす。
 軽やかなリズムを持って、茎と葉が動く。メトロノームのような機械的な動作ではなく、踊るように。
 潤った身体に、窓から零れてくる日差しの心地良いことと言ったら!
 あたしは茎を目一杯太陽に向けた。暖かな光が身体に溶け込んで、ぽかぽかする。
 茎はどんどん濃い緑色になっていく。
『……?!』
 あたしの頭だった部分が急に疼いてきた。痒いけど、手がないから掻くことが出来ない。
 痒みは次第に強くなってきた。
『んっ。ん〜〜〜〜〜〜〜!!!』
 苦し紛れに葉の先を震わせ、小刻みに身体を揺らす。
 しかしそれも無駄なこと。
 メリメリメリメリ!
 疼いて仕方なかったところを突き破って、蕾が顔を出した。
 ――あたしは有りもしない唇を動かして……呻く。
 微弱な電流を流されたような感覚が、身体を突き抜けた。痛いのか心地良いのかも判らなかった。ただ刺激が強くて、全身の力が抜けてしまいそうだった。
 ぐったりと浴槽に寄りかかったあたしの茎とは対照的に、蕾は花開いた。閉ざされていたところが解放され、空気にふれ合う感じがした。
 
 花を開くと、あたしは土に飢えだした。
 水に濡れて重くなった土の感触を根が求めていた。
 無くなった鼻の代わりに、全身であの独特の湿った匂いを味わいたい。
 根を土の中に潜らせ、その匂いにむせかえりながら、根から生えている毛の一本一本を使って丁寧に水を舐め取ってしまいたかった。
 しかし『外に出てはだめ……』と僅かな理性があたしを止める。
 されど土が恋しく……。
 あたしは葉を使って、鉢植えを浴槽の中に落とした。
 少しの、本当に少しの土だけども、その中へ根をそっと差し込み、濡れた土の感触に歓喜した。一気に水を吸いこんでしまいたい気持ちを抑えて、飴を舐めるように、ゆっくりと舐めた。
 あたしの身体はグングン大きくなる……。

 そう、あたしは生長し続ける。
 やがて花が落ち、枯れ果てるまで、根を伸ばし続け、茎を太くしていく。
 枯れ始めたら、それこそ根に生えた毛という毛が落ちてしまうまで朽ちていくだろう。そして再び大きくなるのを待つのだ。
 想像するだけで、満たされた思いが身体を駆け巡っていく。人間の言葉で表わすなら、これを快楽と呼ぶのだろう。


 遠い遠い国の海では、珍しい海藻があるという。
 それは深い緑色のもので、海中のごく僅かな光すら独占して、大きく膨れ上がる。
 光の途絶える冬に朽ちるが、春の訪れと共に再び膨れていく。
 ――この話を聞いた人々は、口々に「その海藻を見たい」と言う。海中をおぞましい姿で揺らいでいるのか、それとも細く可憐な見た目をしているのか……。
 あたしも友達からこの海藻の話を聞いたとき、同じことを思った。
『だけど、違う』
 今なら別のことを考えるだろう。
 この話で本当に興味深いのは、海藻が繰り返している、生命の拡張と縮小という感覚にあったのだ。増える限り増えていき、朽ちるときは朽ちて行く……この感覚について想像すべきだった。

 ……だって、こんなに気持ち良いんだもの。



終。