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<東京怪談ノベル(シングル)>


至福の花


《この、樹は――》
 姿なきものの声が玲奈に囁く。
 深い洞窟へと分け入った先。天井に開いた隙間から、わずかな光の差し込む空間。
 玲奈と桂の前にあらわれたのは、とても大きな『樹』だった。
《……私達の村の、守り神なのです》
 無数に枝分かれした先、二枚の葉に包まれるようにして、今にもほころびそうに小さく震える白い蕾がいくつも顔を覗かせている。
「……綺麗……」
 思わず、玲奈は呟く。それ以上の言葉が出てこないほど、その『樹』は美しかった。
「でも、……何故この樹を、あたし達に?」
 見せる必要があったのだろうと、玲奈は首を傾げる。
《あなたがたが外で見た、人の骨。あれは、竜の餌などではないのです》





 異国の子供達が描いた絵の中にあった、『竜』を探していたのだ。
 銃を携え、戦地に赴くであろう人々。結婚の誓いとして、やはり銃を携えてあらわれる、迷彩柄のドレスに身を包んだ花嫁。
 子供達の目に映る、それは『戦場』の姿だった。
 しかし、そんな中に唐突に『竜』の姿があらわれたのだ。
 説明文には、『戦闘機の類ではないか』と書かれていたが、玲奈には、あれはどう見ても翼を持つ『竜』の姿にしか見えなかった。
 もしもこの時代に、本当に『竜』がいるのなら――見たいと思うのは当然のことだ。
 だから時空を超える力を持つ、アトラス編集部員の桂と共に、『竜』が描かれた舞台である場所へとやってきたのである。


 時間と空間を越えた先。最初に目に飛び込んできたのは広大な湖であったが――二人は、まず踏みしめたものの感触にある種の違和感を覚えた。
 おそるおそると言った風に足元をうかがってみると、そこには、人のものと思しき骨があった。
 それも、一人や二人ではない。
 湖岸をぐるりと囲むように転がっている、おびただしい数の人の亡骸――
「……竜が、食べてしまったのでしょうか、ね」
 先に口を開いたのは桂だった。気配を感じたわけではないが、いきなり見つかって牙を剥かれても困るので、二人はひとまずその場を離れ、周囲の森の木陰に身を寄せた。
「戦いで、殺されてしまったのかもしれないわ……」
 子供達が描いた、悲惨な戦争の光景が脳裏に浮かぶ。
 無残にも殺された人々は、あのように墓に入れてもらうこともできずに、野ざらしにされたままだったのだろうか――
「……玲奈さん、どうしますか?」
「誰か、人がいればいいのだけれど……、……っ!?」
「玲奈さん?」
「……待って。……声が聞こえる」
 口元に人差し指を添える仕草をすると、桂が不思議そうに目を瞬かせた。
 どうやら桂には聞こえないらしいが、玲奈の耳にははっきりと届いた。
 ――姿なきもの。おそらくは、死者の声だ。
 その声は、確かに、玲奈と桂を呼んでいた。
「こっちよ、桂」
 やはり不思議そうにしている桂の手を引いて、玲奈は、『声』が導く方向へと歩き出す。
 鬱蒼と茂る森を歩いていくと、やがて、洞窟が見えてきた。
「行ってみましょう」
 玲奈を呼ぶ声の主は、やはり、姿は見えない。
 だが、二人の目の前にあるこの洞窟の奥に、導こうとしているのは間違いなかった。
 ――そして、二人はこの洞窟の奥で、守り神と呼ばれた『樹』と対面を果たすこととなったのである。





《この樹は、私達……死者の亡骸を養分として育つのです》
 姿なき声――死者の霊が、そう口にする。
「死者の、亡骸を? そんなものが、守り神だと言うの?」
 よく桜の樹の根元には死体が埋まっているから桜は綺麗なのだと言うけれど、それとこれとは訳が違うだろう。
《古くからの、慣習でした。……私達の村では、死者が出るとその亡骸を……あの湖に沈めます。長い、長い時間をかけて、死者の肉体があの水の中で分解され……そして、この辺りの土壌に吸収されていく。……この洞窟の辺りの土も、その一部です》
「死者は土に還り、そして、新たな命の源となる……?」
 声の聞こえる辺りの、空気が揺れた。もしかしたら、声の主である死者の霊が、頷いたのかもしれない。
《この樹は、育つとたくさんの種を蒔くのです。それを我々は守り神からの贈り物として食し、霊力を蓄えてきました。しかし、文明の発展と共に、次第に我々の霊力自体が衰えて……死した我々の力だけでは、すでに、この樹を育てるための力を、ひいては、村を守るための力を、まかなうことができないのです……》
 玲奈は、そこでようやく理解した。
 今にもほころびそうな花の蕾が、震えながらもまだ開くことができないでいる、その理由を。
 咲くための力が、咲いて種を結ぶための力が、足りないのだ。
「……待って、あなたは……さっきも聞いたけど、今度は……何故、その話をあたし達に?」
《実は……》
 挟み込まれる、奇妙な沈黙。おそらくは、どう説明すればいいものか迷っているのだろう。
《……我々の一族の今の族長の立場である者が、あろうことか……このような危機的状況に瀕した村を守るためという口実を掲げ……その、……略奪行為を行っておりまして……》
 その言葉を聞いた瞬間、玲奈の顔が、拳が、ぴくりと震える。
 何故霊である彼、あるいは彼女がそのことを知っているのかというのは、この場においては全くもって問題ではなかった。
「……村を守るためというのを口実に? 一族の長ともあろうものが、略奪行為ですって……!?」
 気づけば、怒りに声までもが震えていた。
 一族の長――族長と言えばその一族の中で一番偉い人物だ。学校で言えば校長先生だ。
 そんな責任ある立場に置かれ、皆から親しみ敬われる立場であるはずの族長が、あろうことか何の罪もない他人から食料、あるいは金品までも巻き上げているという。
 そんなことをしても、この樹が育つはずもない。それどころか、略奪行為にいそしむような輩ならば、日頃の手入れだってきっと怠っているだろう。
 人の手によって育てられている樹は、人の手が離れてしまえば途端に枯れてしまう。
 一族を守るため――と偽って――の行為が、逆に一族を終焉に導いているなど、自覚できるようであれば、そもそも略奪行為などに手を染めたりはしないのだろうけれど。
《止めていただければなどとは、思ってはいないのです。ただ、我々は……ここに我々の命が息づいているのだと、誰かに知っていただきたかった……》
 ――もはや、そう語る霊の切々とした声は、玲奈の耳には届かなかった。
「わ、お、落ち着いてくださいっ、玲奈さんっ!」
 くるりと踵を返し一目散に駆け出していく玲奈を桂は咄嗟に引き止めようとしたが、既に全力で飛び出していった彼女を止めることなどできようはずもなかった。
 やわらかな太陽の光はいつしか星と月の光に代わり――
 後には、彼女が先程まで身に纏っていたはずのセーラー服だけが残されていた……





 村の場所がわかれば、族長の家を探し出すのは容易かった。
 静まり返った村の中で煌々と明かりが灯り、賑やかな声が外まで響いてくる、村で一番大きな家。
 ――バン!!!
 己の存在を知らしめるよう、わざと大きな音を立てて扉を開ける。
 中の喧騒が一瞬にして静まり返る。怪訝そうに眉を寄せる人々――そして族長の元へ、玲奈は一歩一歩、己の存在感と威厳を振りまくようにして歩いていく。
 あらわれた彼女の姿を目にした瞬間、その場に集まっていた人々は、その美しさに言葉を失った。
 輪を囲むようにして集う人々の中でも、中心に位置する髭面の男に、玲奈は鋭く細めた眼差しを向ける。
「……あなたが、族長ね……?」
「はっ、は、はい、……天使様……?」
 はたして、そこには。
 ――天使という言葉がもっとも相応しい、美しい乙女の姿があった。
 細く尖った耳、静かに燃え上がる、紫と黒の二色の瞳。真っ直ぐに延びた艶やかな黒髪。
 少女らしいしなやかなシルエットに、純白の薄衣。
 そして、背を覆う純白の――天使の翼。
 族長が深々と頭を下げると同時、その場にいた誰もが黙ってこうべを垂れる。
 厳かで、神聖な気配が、その場を支配した。
 玲奈は、ゆっくりと口を開いた。
「花が泣いているわ」
「……花?」
「知らないとは言わせない。あなた達の守り神とされる樹……そして、花」
 玲奈はびしっと、人差し指を族長に突きつけた。
「あなたはそれを守るためと言って、略奪行為を繰り返している。あなたのお腹はいっぱいになっても、あの樹はお腹がぺこぺこなのよっ! ……ご先祖様達が、とても悲しんでいたわ。あなた達のやり方では、村を守ることなんてとてもできない。……ご先祖様達もきっと浮かばれない……まさか、人を殺して湖に沈めたりはしていないわよね……?」
「そっ、そそそそそんな滅相もございません! どこの馬の骨ともわからぬ輩の血で守り神様を汚すことなど、できようはずもありません……! 今後一切、略奪などは致しませぬゆえ、どうか、どうか天使様、ご慈悲を……!」
 族長は床に額をこすりつけながら懇願した。
「……反省したみたいね。まあいいでしょう」
 純白の翼をばさりとはためかせて、玲奈は満足げな笑みを浮かべた。
 美しく気高いその姿は、その場にいた誰もが見蕩れずにはいられないほどのものであったという――

 かくして、辺境の国でのささやかな騒動は、黒幕であった族長が心を入れ替えると言う、まさにめでたしめでたしで締め括るに相応しい幕引きとなった。

 ――いつか、そう遠くない未来。
 あの地には、きっとたくさんの美しい花が咲くだろう。
 玲奈は、まだ見ぬその姿を脳裏に思い浮かべながら桂と共に帰途に着いた。



Fin.