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芳香の強い花束
〜♪
放課後。まだ空の日は高く、空も青い。
皇茉夕良が奏でるヴァイオリンの音が窓から流れ、草木をざわめかせる。
音。反響。共鳴。旋律。
流麗な旋律が最後に大きく伸びて、曲が終わった。
「うん。今日の自主練習は終わり」
茉夕良は満足しながらヴァイオリンを肩から下ろし、ケースに片付けた。
額に汗が流れて髪の毛が張り付いている。ずっと練習していたものね。
茉夕良は苦笑しながら汗をハンカチで拭った。
個室を出ると、あちこちからワルツのメロディーが流れている。皆今度の定期舞踏会で流れる予定の曲目だ。
アン・ドゥ・ トロワ アン・ドゥ・トロワ
3拍子のリズムを指を揺らして取りながら、階段を駆け下りる。
気のせいか、学園内が浮き足立っているような気がした。確かに怪盗が現れてからこっち、ずっと学園内は文化祭の前夜祭のように浮き足立っているが、今の雰囲気はまた違うものだ。
そう言えば。
茉夕良が足を止める。
海棠さんは何の曲を舞踏会で弾くのだろう。
前に海棠さんの同級生の人は授業にはあまり来ないと言っていた。おまけに普段から人が多い所ではあまり見ないらしい。
それに。
「海棠さん、あんまり人にとやかく言われるの好きじゃないみたいだから、舞踏会なんて人の多い場所に、行くのかしら……?」
海棠の性格からして、あまりなさそうな気がした。
茉夕良はしばらく考えた後、ヴァイオリンケースを抱えて理事長館の方へと足を運ぶ事とした。
「実際訊いてみた方がいいかもしれないし、ね」
しかし。
海棠に関してはまだ背後がよく分からないのであった。
前に聖栞理事長は「秋也が音楽をしている時以外は近付いては駄目よ」と言っていた言葉が引っかかる。
もし、海棠が舞踏会に現れない場合、前に1度だけ会ったもう1人の海棠が現れるのだろうか。近付いては駄目って言うのも、一体どう言う意味だったのか……。
そうこう考える内に、理事長館に辿り着いた。
今日も門が開け放たれている。
海棠さんは今日も中庭にいるのかしら? そう思い、門をくぐり、中庭に回り込もうと角を曲がろうとした時だった。
ザワリ
突然茉夕良を粟立つ感覚が襲った。
何? 今はまだ昼間なのに……。
肩を抱き締め、急に襲ってきた寒気をどうにか暖めようと、音もなくしゃがみこんだ。
「ありがとう。俺と踊ってくれて」
「……いいのよ」
この声は、海棠さんと……誰?
茂みに隠れて様子を伺った。
海棠が、見たことない笑顔を浮かべていた。自然と浮かんだ微笑である。
ワルツが流れている。この曲は……「花のワルツ」。3大バレエ「くるみ割り人形」の中の1曲である。
海棠と手を取って踊っているのは後ろ姿のせいで、誰かは分からない。背が高い、髪の長い女性とまでしか分からなかった。制服を着ている事からして、うちの学園の生徒なのだろうけど……。
リズムを踏み、ゆったりと2人が踊り始める。
気のせいか、空気が変わった。
2人の間からは、穏やかな雰囲気が伝わってくる。花のワルツは本来はお菓子の国の妖精の踊りだが、2人はまさしく妖精のように思えた。別にバレエのように跳躍をする訳でも、ポワントをしている訳でもないのに、質量を感じないのだ。
茉夕良の先程まで感じていた寒気が、嘘のように去っていった。
『秋也が音楽をしている時以外は近付いては駄目よ』
栞の言葉を思い出した。
ワルツの練習に、楽器は必要ない。
これはどっちかしら……?
茉夕良は前のように草を踏んで音を出さないよう、できるだけ柔らかい土の部分を選んで移動した。
ザワリ
鼻腔を、朝露に濡れた森のような匂いがくすぐった。
……何?
その匂いを嗅いだ瞬間、茉夕良の中の危険信号が鳴り響く。
前にこんな風に感じたのは……そう。海棠さんに初めて会った時。
やっぱりこの海棠さんは……。
「誰?」
「あ……」
草を踏んだ音も、土を踏んだ音も出していないのに、既に海棠は気付いたように曲と踊りを止めて、茉夕良の隠れている理事長館の影を見ていた。相手の女生徒は、眉を潜め海棠の手を取ったまま一緒にこちらを伺っている。
「お客さんね。それじゃあ、私はもう行くわね」
「……ああ」
海棠は、先程の優しげな口調は引っ込め、いつものぼそぼそとした口調に変わっていた。
女生徒はすれ違いざまに、茉夕良に頭を下げた。
「ごめんなさいね、お待たせしちゃって」
「いえ、別に待っていた訳では……」
「そう」
女生徒は茉夕良の横を擦り抜けて、理事長館を出て行った。
茉夕良はぽかん、とした顔をした。
「今の方は?」
「知り合い」
「まあ、踊っている位ですから、知り合いでしょうが……」
茉夕良はちらちらと海棠の手に視線を落とす。
前に会った海棠の指先はきれいだが固くなっていた。こちらの海棠はどうなのだろうか。彼女の思惑を読んでか読まずか、海棠は指を折り曲げて握っていた。
「何の用?」
「えっと……海棠さんは、今度の舞踏会に参加されるのでしょうかと……」
「……分からない」
分からない。
茉夕良は海棠の瞳を見た。
前に会った時と同じ、黒曜石のような瞳。相変わらず何を考えているのか目を見ても全く分からなかった。
これは前に会った海棠さん? それとも……。
「えっと、演目をお訊きしたいな、と……」
「………」
海棠の表情は全く変わらない。
ただ、ちらり。と中庭に置いてあるテーブルを見た。
テーブルには、青白い小さな花を付けた草が束ねられて置いてあった。
フワリ
先程嗅いだ、森の匂いの正体は、この花束だ。
その匂いを嗅いだ瞬間、茉夕良の心臓が、破裂しそうな位に激しく鼓動した。
コレ以上奴ニ関ワッテハイケナイ。
それは、茉夕良の第6感の警告だった。
「……申し訳ありません。急用を思い出しました」
「……そう」
茉夕良はそのまま頭を下げると、踵を返してこの場を後にした。
海棠は、引き止める事もなく茉夕良を見送った。
/*/
どれだけ走ったかは分からない。
理事長館を飛び出し、気付けば学園の外れに来ていた。
一体何? あの人は、誰?
ぜえぜえと息を切らした。理由は分からなかったが、あの人が危険な事だけは、第6感が警告を続けていたのだ。
茉夕良が息を切らしていると、温室からエプロンを着た生徒が出てきた。
急に、ひくひくと鼻を動かすと、突然茉夕良の方を向いた。
あら、私、何か変な匂いでもする……?
「あのー、失礼ですけど。ローズマリーの匂いしますよね?」
「えっ?」
もしかして、さっきの花束だろうか。花束にしては地味だった気もするけれど。
「あの、青白い花の、強い匂いのする?」
「そうそう。それです。どこかで見ませんでしたか?」
「えっと……」
理事長館に戻るのは気が引けた。
「……ごめんなさい。持ってた人どこかへ行ってしまって」
「すみません。その人どんな人か知りませんか?」
「えっと……何?」
「温室で育てていたローズマリー、誰かに全部切り取られちゃって。誰がそんなひどい事したんだろうって、皆で話してたんです」
「……ごめんなさい。すれ違っただけだから。見たら教えますね」
「お願いします」
頭を下げると園芸部員はそのまま去っていった。
一体、何なのかしら?
ローズマリー……何かあったような気がする。
怪盗、2人の海棠、ローズマリー……。
それらを繋げる糸は、まだ揃ってはいない。
<了>
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