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<東京怪談ノベル(シングル)>


南海の底深く

 深夜の海辺。潮風が荒れ狂う断崖絶壁の上で、三島玲奈は一人、せっせと石板を埋めていた。静かなのは月明かりだけ。打ち付ける波頭がむき出しになった地層を洗い、波しぶきは細かい霧のようになって髪や服にまとわりついたが、玲奈はそれらを気にすることもなく、石板を埋めた。
「よし、と」
 潮風に煽られる髪をまとめて脇に垂らすと、ほぼ同時に足元で何かが光った。水晶玉だ。石板と未来占いの水晶玉は、遥か未来の世界との通信手段だ。玲奈が埋めた石板は、遥か未来で掘り出され、返信は予知占いとして水晶玉に送信されてくる。取り上げて、じっと中を覗きこむ。今しがた、玲奈はここ、日本周辺で起こっている異変について、石板に書き送ったのだ。これは、それに対する返信。
「リュウグウノツカイの異常発生は看過できぬ。因果律に作用必至。竜宮に異変有りと予測。原因を調査し、必要とあらば直ちにそれを除去せよ」
 水晶玉に現れたメッセージを読み取ると、玲奈は小さく頷いた。
「了解です。賢者さま」
 ざん、と波が打ちつけ、飛沫が断崖をはいのぼる。月の明かりだけが、歩き出した玲奈を見送っていた。

―リュウグウノツカイ100匹、回収完了。
 宇宙船玲奈号のハッチがゆっくりと閉じられた。回収されたリュウグウノツカイは皆いい感じのミイラになっていた。
「お仕事終了」
 玲奈は己の分身である宇宙船をゆっくりと日本の南海に向けて降下させた。リュウグウノツカイ100匹のミイラが欲しい、などと言うとんでもない依頼をしてきた依頼主が持つ倉庫が、沖縄のとある港にあるのだ。彼女の名は、九条アリッサ。運輸業を基幹とした九条財閥のお嬢様だ。玲奈本体は、彼女と共に港で荷を待っていた。
「良かった。さすがは玲奈さんですわ」
 無事到着したミイラたちが納品されていくのを見送りつつ、アリッサが微笑んだ。
「大変だったでしょう?」
「それほどでもないですよぉ」
 てれと笑って見せたのは、別に嘘ではない。実際、探してみて驚いた。海洋上には、発見されている倍以上の魚影があったのだ。
「賢者様の予想、当たりですねえ、きっと」
 何ですの?と振り向いたアリッサに首を振って、九条系列のマークをつけたハイヤーに乗り込んだ。勿論、アリッサも一緒だ。リュウグウノツカイを納めた倉庫を離れ、漁港にさしかかった所で、急にハイヤーがスピードを落とした。
「どうしたのです?」
 アリッサが声をかける。が、原因は運転手の答えを待つまでもなかった。漁港周辺が騒がしいのだ。
「ああ、またか…」
 運転手が呟く。
「いえね、ここんとこ、鯛だのヒラメだのの大漁が続いてましてねえ。それも時間も関係なく獲れちまうもんだから、港はそれ、船がつくたんびにこの騒ぎで。まあ、内地向けに随分な量が出てくんで、儲けにはなるんですけどねえ」
 運転手の話に、二人は顔を見合わせた。脳裏をよぎったのは、どうやら同じ昔話だったらしい。
「鯛やヒラメの…」
 アリッサが呟き、
「舞い踊る…」
 玲奈が受け、慌てて、
「何だか、竜宮城みたいですねぇ」
 と冗談めかすと、アリッサが思いがけなく、それよ!と手をたたいた。
「その可能性、無くもないですわよ、玲奈さん。調べてみる価値がありますわ!」
 今度は玲奈と運転手が顔を見合わせる番だった。

 アリッサがハイヤーを漁港に止めさせてから30分後、二人はアリッサが手配した小型潜水艇に乗り込んでいた。
「別に、浦島太郎が行った竜宮城だなんて思っている訳ではありませんわよ?」
 見事な手際で艇を潜航させながら、アリッサが言った。
「けれど、海の中で何かが起こっているのは確かだと思います。いくら玲奈さんが優秀でも、リュウグウノツカイがあんなに一度に獲れるのも妙ですし」
「はあ」
 そこまできっぱり言い切る割りには、当然のような顔で注文してきたような気がしたが、玲奈はとりあえず黙って頷いた。
「それに、あの漁港の騒ぎ。ここ1年、この辺りの海水温や海流に変化があったという報告は受けていませんし。あと考えられる事と言えば」
「海の中、ですかぁ」
「そういう事です」
 アリッサがにっこりと笑う。
「でも、危険なものかも知れませんよ?ほら、浦島太郎だって、最後は大変な事に…」
 脅しではなく言ってみると、アリッサは笑って片目をつぶった。
「大丈夫。玲奈さんも一緒ですもの。それに私、玉手箱は開けませんわ」
 二人が笑いだしたその時、がくん、と潜水艇のスピードが落ち、近距離レーダーに何かが反応した。モニターを見たアリッサが息を呑む。
「あれは・・・何ですの?」

 四万年後の未来―。延々と続く荒野を見下ろす岩壁の上に、一人の老人が立っていた。賢者、と呼ばれるようになってどれくらい経つか。長きにわたる竜族との戦いに、飽くことも忘れてしまった。竜族の力は強大であり、戦局はおもわじくない。最初の兆しが見えた21世紀に送り込んだ少女の存在は、彼にとって、いや、全ての人々の希望だ。
「ニシンの王とはのう」
 リュウグウノツカイは北欧においてはニシンの王とも呼ばれる豊漁の前触れだ。いわば、幸運の魚。だが、大きすぎる幸運は因果律を狂わせる。そのままには出来ない。
「心して行くのじゃぞ」
 はるか過去で奮闘しているであろう少女に、賢者と呼ばれる男は静かに祈りを送った。

 ざざっ。海水の中でもそんな音が聞こえてきそうなくらいの勢いで、魚群が旋回する。
「大漁ですね」
 旋回して突入してきた魚群をよけながら、玲奈が呟く。魚群の攻撃を受けたのは、二人が竜宮を発見してすぐのことだ。魚雷で応戦しようとするアリッサを止めて、玲奈は自ら海中に出たのだ。鰓呼吸に切り替えれば、海の中は玲奈にとって故郷のようなものだ。
「丁度いい海水浴ね」
 視界全てを埋め尽くす魚影。だが、残念ながら舞い踊っている訳ではない。半開きの口からは鋭い歯が光り、明らかな攻撃の意思を持ってこちらに突撃してくるのだ。魚の兵隊。ヒレや鱗は刃物のように切れ味が良く、掠めただけでも普通の人間ならば傷を負うだろう。すれ違う度彼らを監察してみたところ、彼らの体には竜族の特徴が刻まれているのが分かった。
「まさか、竜族が…?」
 だとしたら、尚更このままにはしておけない。急がなくては。
「お魚さんに恨みはないですけど…」
玲奈はすっと伸ばした銛を一閃させた。途端に周囲に群がった魚群が四散する。散らばった鱗が差しこんだ陽光にきらめく中、巨大なシャコ貝の形をした海底の城が白く浮かんで見えた。鯛やヒラメの舞い踊る、海の姫の城。人々の間ではそう伝えられている存在だ。だが、竜宮とは実際の所、海に生きる全ての種の進化を司る巨大なプラントであった。玲奈自身それ程深く知っている訳ではないが、転々と海の底深く移動しつつ、何者にも支配されることなく海に生きる種を守り育て、多彩な種を育むのを助けてきたのだと教えられている。しかし今、その大いなる胎内に宿るのは…。
「はぁ…」
 竜宮の内部に入り込んだ玲奈はため息を吐いた。竜宮はやはり、竜族の手に落ちていた。竜宮の長たる乙姫の姿は見当たらない。既に竜族に隷属しているか、放逐されたかのどちらかだろう。
「沢山居ますねぇ…」
プラントの試験槽の中では、竜族により手を加えられた生き物たちの幼生が育っている。先刻の鯛やヒラメのように、竜族の兵隊として使うつもりなのだ。見ると、既に成長したリュウグウノツカイもうねっており、更に奥では…。
「竜の胎児!」
 玲奈は思わず息を呑んだ。幸い、竜の胎児はまだ小さい。この養育槽さえ壊せば…。玲奈は銀の銛を手に勢いよく胎児の眠る水槽に向かった。防ごうとする竜族たちを切り伏せて突っ込む。水槽が真っ二つに割れ、まだ生物としての形状が安定していなかった胎児が声もなく泡と消えた。竜族と魚たちの攻撃を振り切りながら全ての水槽を破壊した玲奈が離脱したのを見計らったように、巨大な網が竜宮を取り囲んだ。アリッサの仕業だ。出来るならば竜宮ごと拿捕したいとでも思ったのかも知れないが、所詮、小型潜航艇の1隻や2隻で引き上げられるようなものではない。竜宮は網に覆われたまま、ゆっくりといずこかの海底へ消えて行った。2日後、竜宮を覆っていた網だけが、近海の海上で見つかったと、後でアリッサが教えてくれた。それきり、リュウグウノツカイの噂も聞かなくなった。春先の、南の海での話である。

<了>