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<春花の宴・フラワードリームノベル>


 花か嵐か、屋台のメシア

【02】

「なぁ、美紀ぃ。今からデートに行かねぇ?」
ソープランド『El Dorado』。
常連客である國井和正は、スタッフに美香を引き合わされるや否や、美香の腕を捕まえてごねはじめた。
「何言ってるの?」
対して、美香の返事はつれない。
元々は和正に主導権があり、また生来の強引な性格もあって、美香がそれに振り回されることの方が多かった。
しかし、去年のクリスマスに和正が美香に無理矢理デートを強請った時の一件以来、どうも立場が逆転しつつある。
クリスマスのデートで和正は美香にとてつもなく不様な姿を見られてしまった。
だから、今の美香のすげない返事も、「何言ってるの?」の後に「またあんな格好悪いところを私に見られたいの?」という言葉がくっついていそうに思えてしかたがない和正である。
和正としてみれば、いわば弱点を握られているようなものだから、美香にデートを強請るのは本当なら今しばらく控えた方がいい。……ような気がしている。
だが、そう自分でわかっていても、こうして店に足を運んではデートを強請ってしまう自分が不思議だった。
和正としては、若さ溢れる年頃だけに、美香と『El Dorado』でのひとときを過ごすので充分なはずだったし、デートに誘えばついてくるだろう女たちなら、美香のほかにも何人かいる。
デートをしたいなら、そういう女たちを誘えば一番都合がいいはずなのだ。
彼女たちはそこそこ値の張る物を買ってやれば多少強引な注文をつけてもたいてい喜ぶし、和正としても「女を侍らせながら豪遊する恰好いい俺」を演出して一日を終わらせることもできる。
だから自分の体面を保つためにもその方が断然都合がいい、と思うのに、いざそういう女たちにメールを打とうとすると手が止まってしまう。
(俺の財布とデートしたがる女なんてなぁ……)
そういう考えが常に頭を過ぎるのだ。
自分もたいがい非道の極致を行っているのだが、そんな時は自分の日頃の行いは棚に上げ、金だけが目当てのあばずれ風の女とデートするのは自分の美意識が許さないと思ってしまう。
そして止まった指は、美香の連絡先を探し出すのだ。
結局のところ、自分は、ソープ嬢でありながらも妙なところで世間ずれしたところがない美香を選ぶことで、「厳格な父と貞淑な母」の二人の姿を追いかけ再現しようとしているのだということにも薄々気づきながら――。

だが、現実はなかなかに手厳しく、なかなか和正の思い通りに事を運ばせてくれようとはしない。いや、少し前までなら叶えられた願望だったのだが、今はそういかない。
『El Dorado』のカウンターにべったりと張りつきながら、和正はどうにもしぶる様子でいる美香を窺い見た。
「今からデートに出るって言ったって……。私、今日はお酒飲みたくないし。お腹もいっぱい」
にべもない返事をよこした美香に、しかし、和正は食い下がった。
「いいだろ。ちょっとぐらい。ていうか、デートっていうかさ。桜見に行こうと思って、それで美紀も見に行かないかなって。夜桜きっときれいだよ。夜店もいっぱい出てるだろうしさぁ」
それはほんの思いつきで出た言葉だった。
「デート」という言葉を引っ込めれば「うん」と言ってくれるかな、と思っただけで、元々桜を見に行こうと考えていたわけではない。
が、意外なことに美香の反応は著しかった。
「……夜桜? 夜店?」
それまで少しも見ようとしなかった和正の顔をじっと見かえしてくる。
「どこの?」
「え。ええと、あー…Y公園?」
うっかり語尾の調子が上がってしまったあたり、何も考えていなかったボロがでたようなものだったが、幸いなことに美香には疑念を抱いた様子もなかった。
「夜桜……。そう。なら、見に行こうかな」



【03】

和正たちがY公園に着いた頃には、あたりはすっかり夜だった。
Y公園の近辺にはさすがに高い建物はそうないが、少し首を廻らせば高層ビルの窓明かりや、航空障害灯の赤い光が明滅しているのが目に入ってくる。
橋を渡ってぞろぞろと歩く花見客の後に続いて行くと、ぼんぼりの灯された桜並木が見えてきた。
道沿いばかりではなく、桜は芝生のあちらこちらに大ぶりの枝を伸ばしていて、その下にはずいぶん前から楽しんでいると見える先客たちが一升瓶を片手に酔った声を張り上げては揺れているのが見えた。
美香が和正の隣で息を呑んだ。
「すごい……」
美香は一本の桜の木へと近付いていく。
そして花の重みに耐えかねて垂れているかのような枝へと手を差し伸べて、桜色の花を指の間にそっと包んで眺めた。
「おぉ。すげぇいっぱい屋台出てんな。美紀、何食うよ。あれ? 美紀?」
和正は美香の後を追う。
「美紀、焼きそばとお好み焼きとたこ焼きだったらどれ食う?」
「春、ね……」
美香は和正の言葉を聞いていないようだ。
ちぇ、と舌打ちして和正は「クレープ」、「りんご飴」と書かれた黄色い屋台を物色しはじめた。
「あら、あの人、何かあったのかしら」
桜の下から戻ってきたらしい美香のそんな呟きが後ろで聞こえたのは、それから少ししてからのことだった。
和正としては目の前のクレープとりんご飴のどちらを買うかの方が重要事項だったのだが、美香に肩まで叩かれては無視しているわけにもいかない。
りんご飴の屋台から無理矢理視線を剥がして見ると、前方から物凄い勢いで走ってくるステテコ姿の男の姿が見えた。
頭をもげんばかりに振りながら人垣を押しのけ掻き分けやってくる男は誰かを探すようにあっちを見こっちを見しては、通りすがりの人に声を掛けているようだ。そして声を掛けられた花見客たちの首を横に振ったり男の存在自体を無視して去っていったりする姿が遠目にも見えた。
美香が眉を顰めた。
「何か事故でもあったのかしら。管理の人を呼んできた方がいいかしらね」
「さぁ。てか、知らねぇ。それよりさ、向こうの屋台いかね?」
和正にはどうでもいいことだったから正直そのままにそう言ったのだったが、美香はふっと押し黙ると唐突に和正の耳を摘み、勢いよく引っ張った。
「いってぇ!?」
いきなりのことに驚いて思わず大声を上げてしまった。前を歩く客がこちらを振り向いた。美香なりの抗議らしい。
「……なんだよ、めんどくせぇ。まさか俺に管理者呼んでこいとかっていうんじゃねぇだろな」
そうこう言う間にも前方の人混みの中で軒並み振られていた男――「親爺さん」と言った方がよさそうな年格好の男が近付いてくる。
その親爺は相変わらず鬼気迫る形相で道行く人に声を掛けていたが、ふと美香と和正の姿を見ると、――正確には美香の姿しか見えていなかったのかもしれないが、やにわに駆け寄って来た。
「ネェちゃん!」
「え……」
息せき切った親爺の形相に美香が目を丸くしている。
「ちょっとアンタに頼みたいことあんだけどよ! 俺の屋台を預かってくんねぇか!?」和正ですら驚くいきなりのことに、美香の丸くした目がさらに丸くなる。
「わ、私が屋台を、預かる……?」
「おうよ! 俺が手ぇ離せなくてよ。今も隣のヤツに頼み込んでどうにか回してもらってんだ」
「……はぁ……」
驚きを通り越して半ば呆気にとられている美香を見ているのかいないのか、親爺は首に巻いたタオルの端で目元を拭った。
「俺の倅がよ、えっらい熱出してよぉ。入院するかしねぇかってウチのやつから電話がかかってきてよ……。けど、今店をたたむわけにゃいかねぇんだ。医者代もかかっし、第一飯がかかってっしよ。んだけども、倅ぁ俺の遅い一人息子でさ。万が一のことがあったらもう、俺ぁどれっだけ後悔しても後悔しきれねぇ。ほんっと、このっ通り、頼むわ!」
言うやいなや、美香の前に身を投げ、地べたに額をこすりつけんばかりに土下座したではないか。
「ええっ!? ちょっと待って。そんな、あの、立ってください」
通りすがりの人々が何事かという視線を四方八方から寄越してくる中で、美香は慌てた様子で親爺の手を取った。
「そんな風になさらないで。ええと、つまり私たちが代わりにお店で働けばいいってことですか?」
「美紀、ちょっと待てよ。『私たち』って俺もかよ!」
「私とデートしたいんでしょ?」
「いやだからって……」
そこでもはや美香の返事しか聞こえていないらしい親爺がガバリと顔を上げ、和正の言葉を遮るように言った。
「ホントか!? 頼まれてくれるか!?  店じまいはだいたい9時ぐらいや。それまでもたせてくれたら俺ァこれっぽっちも文句いわねぇ!!」
親爺は唾を飛ばす勢いだが、だからと言って何の縁もゆかりもない赤の他人に付き合わねばならない理由はない。和正としてはデートの邪魔をする厄介事でしかない。
「美紀ぃ。面倒だ、面倒。行こうぜ?」
「あと二時間とちょっと、ぐらいかしら」
腕時計を見ながら美香は首を傾げた。
「でも、おじさんからお店を預かるってことは、私たちがおじさんが作っていらっしゃった物を作って売らなきゃならないってことですよね?」
「ん? ああ、俺んトコはたこ焼きだが、この際」
「この際?」
「なんでもかまわねぇ」
「へっ。なんでも……。なんでも?」
「なんでも!!」



【04】

美香と和正は狭苦しい屋台の中で立ち尽くしていた。
油に塗れた調理台と、横長の業務用たこ焼き器。
屋台の親爺は相当急いでいたらしく、たこ焼き器の中には黒く焦げたたこ焼きが5つも残っていたし、アルミ板を貼った調理台の上にはたこ焼き生地を入れたボウルも放置されたままだ。
「あのオヤジ!! なんでもって言いやがったけどよ! これで何作れってんだよ……! たこ焼きしか作れねーじゃん!」
「たこ焼きは……私、作ったことないし。どうしよう。あのおじさん、たしか、屋台の後ろに道具ならなんでもあるって言っていたわよね。カズくんちょっと後ろ見てきてくれる?」
「ええ? 俺がかよ……」
和正はしぶしぶながら天幕を張った屋台の裏に回ってみた。
ビニール幕を押さえるように端にはコンクリブロックで重石がしてある。その傍らにもう一つブルーシートを被せた車一台分ほどの山ができていた。
「これをどかせっていうのか。めんどくせぇ……」
今しがた文句は言ってみたものの、どことなくデートの誘いには無理をしてついてきた様子の美香をいま怒らせると「帰る」だのと言いだしかねない気がする。
「それにしても、美紀ってあんなに強い感じの女だったかな……」
ボヤきながらシートを捲るとごっちゃりと積み上げられたガスコンロに中華鍋、発泡スチロールの箱に詰め込まれた包丁だの皮剥き器だのが見えた。
「カズくーん! どう?」
屋台の端から顔を出した美香に、和正は手招きしてみた。
「なんか、俺よくわかんねぇけど、色々あるみたいだ。――美紀ってさ、たこ焼き作ったことないってさっき言ってたけど、なんか珍しいな。なんでも作れそうに見えんのに」
「あ、けっこう揃ってるのね。ちゃんと洗わないと怖そうだけど。……え? たこ焼きもお好み焼きも作ったことないわよ? 焼き鳥だって」
「お好み焼きも作ったことない? すげー意外。だって、普段自炊してるんだろ? 何作ってんの」
「何って……和え物とか、かぶの餡かけとか、なますとか。それから、たまに時間があったら穴子寿司とか、かぼちゃのすり流しも好きかな。洋食だったらお魚のカルパッチョ。あともう少ししたら筍と木の芽のオーブン焼きとか……?」
「……はぁ……」
普段、スーパーで買ってきたコロッケにレンジで温めるハンバーグをつけて、焼きそばと一緒に炒めて夕食にしているような和正だ。絶句するしかない。名前だけなら聞いたことのある料理もあったが、実際にどういう料理なのか、ぱっとイメージが浮かばない。時々一人暮らしの生活を心配して母親がおかずの差し入れにくることはあるが、食えればそれでよかったので料理の名前にまで注意を払ったことはなかった。半ば感心、半ば呆れて声も出ない。
「あぁ、そう……」
「そんなこと言っている場合じゃないのよ。早くお店を再開させなきゃ。お鍋は何種類かあるし、包丁も、まな板もあるし。あとは材料……ねえ、カズくん。これ、全部洗ってきてくれる?」
「あー洗って……って、全部!?」
全部、と美香は頷いた。発泡スチロールの箱に山のように積み重なった鍋、フライパン。そして調理器具の間にほとんど針山のように突き刺さっている包丁が数本。
「ええっ! いや、俺洗えないって! 割る! ぜってぇ落として割る!!」
嫌だ、という本音はぐっと押し隠して、無理だ、と美香に訴えてみたが、
「瀬戸物が入っているわけじゃないし。割れないものばかりだから大丈夫よ。向こうの水飲み場で洗ってきて? 洗剤とスポンジならコンロの下にあったからそれも大丈夫。それと」
さらりと流された。しかも、「それと」とまだ続くらしい。
「たこ焼きとか焼きそばは上手に作れるかどうかわからないから、試作しないといけないんだけど、その間売るものがないのも困るから、バナナとチョコレート買ってきて?」
「なんで? あ、チョコバナナか?」
「そう、それ。私、食べたことないの。露店の食べ物なんて食べちゃだめって言われていたから。だから、こんな機会なんてめったにないし、作ってやろうと思って。公園を出たところにスーパーがあったと思うの。製菓材料のコーナーにチョコペンとかあると思うから買ってきて? 今、買い物メモを作るわね」
なるほど、と納得したが、和正の仕事が増えたことには変わりない。
「ええぇ。俺、ヤだ。めんどくせぇ……」
思わず本音を漏らすと、美香が振り向いた。
「だったらたこ焼き作る?」
一点の曇りもない笑顔が逆に恐ろしい。
「……いや、やります。やります……」
「じゃあ、よろしく」
そして、美香はこう付け加えるのも忘れなかった。
「なるべく急いでお願いね!」



「どうせ俺がこうやって買い物してる間、何も作れないんだろうがよ……。ええと、チョコペンと板チョコだっけ」
スーパーの中を歩きながらぼやく和正の姿が、他の客たちの目にどんな風に映ったのかはわからない。
バナナとチョコレート。それから美香から渡されたメモにあった材料。一杯になった買い物袋は結構重いのだと和正は知った。
洗い物を終えた後、大急ぎで買い出しに来た和正だ。両手がふさがっているために首筋を流れる汗も拭えずに美香のところに戻ると、驚いたことに美香がいるはずの屋台の前には人だかりが出来ていた。
「おい、美紀っ!?」
何か事件でもあったのかと駆け寄ってみると、正真正銘の客が小銭や札を握り締めて、屋台の中を忙しなく走り回っている美香に「それ一つくれ」「俺にも一つくれ」と口々に言っている。
和正は慌てて屋台の幕を潜った。
「なにやってんだ!?」
「あ、買ってきてくれたのね? ありがと。 今ちょっと忙しいの、お会計手伝って?!」
まごうかたなきたこ焼きの匂いがする。だが、会計を済ませた客たちの手にたこ焼きパックはない。
「カズくんがお買い物に言っている間に、挑戦してみたの。たこ焼きに。少しコツはわかってきたんだけど、まだ上手く丸くできなくて。だから、たこ焼きせんべいにしてみたの」
「たこ焼きせんべい?」
「そうよ。これ」
そう言った美香に手渡されたのは、丸い朱色の煎餅で挟んだたこ焼きだった。焼きたてのたこ焼きから香ばしい甘辛い香りと、温かさとが手のひらに伝わってくる。
「裏にえびせんの袋がたくさんあったの。おじさんのおやつだったのかしらね。で、たこ焼き、上手く丸くできなかったから、挟んじゃった。これだったらお客さんの手もそんなに汚れないし、歩きながら食べられるし。いいでしょ? で、天かすと紅ショウガとキャベツもたくさん入れてみたの。ボリュームたっぷり。ひとつ100円よ」
「へぇ……。まあ、これだとたこ焼きの形はあんま関係ないよな。って、俺が買って来たバナナはどーすんだよ!」
汗水を垂らして慣れない買い物をしてきたことを思い出して思わず睨みつけると、美香は人差し指を和正の目の前にずいと押し出した。
「人間、塩っ辛いものを食べたら次には甘い物が食べたくなるでしょ? はい、バナナ出して? そっちのお鍋に湯煎の準備は出来てるの」
「美紀って意外と商魂逞しいんだな……」
「あら、そう? 私だったら食べたくなるなーって思っただけなんだけど」
そんなことを言いながら、さっさと鍋の中の容器にチョコレートを割り入れ、ボウルにカラースプレーやクラッシュドナッツを入れていく。
「カズくーん! たこ焼きせんべい三つ、そこのお客さんに渡してあげて。お会計もお願いね。あ、あと、呼び込みも!」
「はぁっ!? 三つ、ええと、三つってこの袋か!? え!? 二つしか入ってないじゃねーかよ! って、あ、これ入れるのか。――スイマセン、三つで300円デス。釣り……お釣り700円デス。えっと、ありがとう、ございました……。いらっしゃいませー……」
「カズくんってば、棒読みっ」
あれやこれやと走り回っている間に気付けば日が暮れてからかなりの時間が経ち、あたりはいっそう寒くなってきた。そんな中で美香特製たこ焼きせんべいは飛ぶように売れていく。
「チョコバナナできましたよー!」
どこから出してきたのか――恐らくテントの裏に転がっていたのだろうが、メガホンを使った美香の声が響いた。




【05】

美香の胸はどきどきと高鳴っていた。
これまで物を作って売ったという経験はなかった。
それが今、小さい頃に遠目に指をくわえて見ていたたこ焼きを作って、その上売ることまでできている。
そんなことを言えば、人は「たこ焼きがなんだ」と笑うかもしれない。
だが、幼い頃に「露店に近付いては駄目」「あんなもの食べては駄目」と親たちから禁じられていた記憶は、今思い出してもやるせなく切ない気持ちが蘇ってくる。
暖かい色を灯した提灯が連なり、楽しげな歓声が溢れる祭りの光景を、何度走る車の窓越しに涙を飲んで眺めただろう。
自分と同じ年頃の子どもたちが、跳んだり跳ねたりしながら綿飴の袋を抱えて走り回っていた。
どうしてあそこにいる子たちと同じことが許されないんだろう、そう子ども心ながらに思った。
十年以上経った今、この花見客が賑わう露店の光景は美香の目に、十年前に車窓から見た祭りの光景に重なって見えていた。
橙色の灯りに照らされた客たちの顔が、口々に声を上げながら美香の方へと身を乗り出してくる。
たこせん五つちょうだい。
そこのチョコバナナも二本もらえるかな。
和正が渡したチョコバナナをさも大事そうに握って親の元に戻っていく子どもたち。ビール缶を片手に子どもにたこ焼きを買ってやる親たち。友人同士悪ふざけをしながらたこ焼きせんべいを囓って次の露店へと歩いていく学生たち。
自分が作った料理を人に食べてもらったことならば無くもなかったが、これほどたくさんの見ず知らずの人たちに食べてもらったことはなかった。
それが、今、美香が作ったたこ焼きせんべい、それからチョコバナナ、そしてとうとう作れるようになった丸いたこ焼きを美味しいと言って笑い、奪い合っている。
そして、皆が満開の桜と祭りの雰囲気とに酔いしれ、道を流れていく。
これが祭りなんだ。
ずっと憧れていた祭りの空気なんだ。
耳に飛び込んでくる喧噪も、発電機の音も、照明の熱さも、油の匂いも、仄かに花の涼しげな香りがする夜気も。全部に耳を澄ませ、全部を胸に吸い込もうとした。
「美紀ー! あのオッサン! オッサンが戻って来たぞー!」
和正の声に我に返った。
「え? もうそんな時間?」
外していた腕時計を見ると、和正が言ったとおりに時計の針は21時手前を指していた。客足が引かないので気付かなかったが、相当な時間が経っていたらしい。だが、忙しい時ほど時間を感じないというのはよくあることだ。
屋台の外で会計役と呼び込み役をやっていた和正がぐったりした様子で雪崩れ込んで来た。隣には、夕方に会ったときと同じステテコ姿で、よほど急いで走って来たのか首のタオルで首の汗を拭っている親爺がいた。
親爺は屋台に入ってくるなり美香の手を握り締めた。
「ほんっとあんがとヨ、ネェチャン! あんたンおかげで、でっけぇ病院に倅連れていけてよ、医者にももう大丈夫だって言われたしよ。んで、戻ってきたら店にえっらい客がいるし、俺、ビックリした。ほんっとビックリ」
「本当……!? 息子さんが無事で良かった……!」
「オヤジ、俺に手柄はねぇのかよ!!」
親爺の後ろで和正が暴れているが、この際、無視を決め込む。
「いやぁ、ほんっと助かった! でよォ。俺、ネェチャンにお礼してぇんだけど、何がいっかな。俺がえっらいジャマしちまったけど、ホントはデェトの途中だったんだろ?」
「あら、全然デートなんかじゃ」
「そうだよ! てめーが邪魔しやがったせいで」
美香の言葉を掻き消した和正の剣幕に親爺は呵々と笑い、色とりどりのカラースプレーを被ったチョコバナナを一本取り上げると、和正に握らせた。
「ま、これでも食って落ち着けェ?」
「このクソジジイ!!」
口汚く罵りながらも美香が作ったチョコバナナにかぶりつく和正を見て美香は笑った。
「おじさん。お礼の話だけど」
「ん? うん、何がいい?」
「お礼なんていいわ。私、何もいらない」
親爺は目を瞠り、そして物凄い勢いで首を振った。
「なんでぇ。そらいかんヨ! こんだけ働いてもらったんだし、まずアルバイト代も出さなきゃなんねぇトコだってのに」
「なんででもよ。本当、いらないの。――カズくん、行きましょ?」
「へっ?! 美紀、帰るのか? ちょっと待てよ、美紀!」
エプロンを外して手を拭き、バッグを肩に掛ける。そして引き留めに来た和正の手首を掴んで引っ張った。
「そうよ。おじさんが戻ってきたんだから、もうここにいることないでしょ? 早く行きましょ。私、おなか空いちゃった。――おじさん、今日はありがとう!」
「ダぁメだって! 俺、あんまりにも申し訳ねくて、それダメだってば!」
泡を食った態で美香の肩を掴んできた。
「そうかしら。……じゃあ、一つだけ。一つだけお願いしてもいい?」
「うん? なんだっていいヨ。なんでも」
「じゃあね、おじさんのたこ焼き、1パックちょうだい」



親爺は「そんなのでいいのか」と何度も聞いてきたが、美香としてはそれで充分すぎるほど充分だった。
幼かった頃の祭りの記憶は、手の届かない物への悲しみ一色に染まっていた。
その傷が、今夜、薄皮を剥ぐように、少し、癒えた気がする。
親爺がくれたたこ焼きの袋を手に提げて、美香は今は遠くなりつつある公園の露店の灯りを振り返った。
――ありがとう。
そう、口の中で呟いた。


「美紀ーぃ……俺もすっげぇ腹減った……」
隣を窶れた面持ちで歩いていた和正が、ボヤくように言った。
「その袋からすんげぇたこ焼きの匂いしてんだけど、食ってい?」
「……絶っ対、だめ」

二人の影が落ちる夜道に、「酷ぇ!」だの「冷血女!」だのという罵声が響いたとか響かなかったとか。

夜闇にほの白い桜の花びらが二人を追いかけるよう、音もなく転げていく。
花見客の賑わいは、もう遠い。





<了>


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

  7002  國井・和正  男性   23歳   大学生
  6855  深沢・美香  女性   20歳   ソープ嬢

【NPC】
 屋台のオヤジ(親爺)

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
まずは、ありがとうございました!
美香さんには屋台で懐石料理作りを!などとも考えてみたのですが、食べたことのない物を作って食べてもらう方向に転がりました。
今回、各章に【01】から始まるナンバーを付しています。
和正さん編では【01】から【04】まで、美香さん編では【02】から【05】までとなっています。
【05】のみ、美香さん視点の続編+後日談になっておりますので、そのような順番でご覧になってみてください。