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<東京怪談ノベル(シングル)>


サングレーザーでバカンスを


 ――さあ、集うがいい。
 天空の彼方、新たな楽園があなた達を待っているわ。
 決行の日は近い。
 その肉体から魂を解き放てば、楽園へと、神の園へと近付くことができるのよ。
 さあ、集うがいい。
 あの箱船に乗って‥‥この星から、全てから、その魂の救済を求めて旅立つの――。


 サングレーザー。
 それは、近日点において太陽から極めて近い距離を掠め通る彗星だ。これまでに観測されたそれはゆうに千を超える。
 そして今、観測史上最大に近い巨大なサングレーザーが太陽へと近付きつつあった。あの大きさであれば、太陽に近付いても蒸発することなく残るだろう。
「都内某所で、カルト集団『地球脱出教団』が集団自殺を計画中……か」
 三島・玲奈は抑揚のない声で呟く。
 それは幾度となく呟き続けた言葉だ。その度に、級友の笑顔が脳裏を過ぎる。何も手掛かりが掴めなかったことに、憤りさえ感じる。
 息を潜め、静かに囁かれているマヤ暦の滅亡預言。二〇一二年は遠くない未来だ。じわりじわりと近付いてくる、その「時」。そこに合わせるかのように太陽へと滑りゆくサングレーザーは、人類の霊魂をその滅亡から救う箱舟――それが教団の掲げる信仰の礎であり、唯一無二の救世主とも言えた。
 人類の霊魂を滅亡から救う、それはつまり肉体は必要ではないということだ。魂さえ存在すればいい。滅び行く世界で構築されている肉体は、その滅びと共に消えゆく運命。
 霊魂をサングレーザーという箱舟に乗せることで、新たな楽園へと導くのだ。
 そのためには自ら命を絶ち、肉体を捨てる必要がある。
 決して「自殺」ではなく、サングレーザーへの霊的移住。それが教団の弁であり、人間の心理の弱点を突く簡潔な説法でもある。
「でも、教団の信者達で『移住』するんだもの、集団自殺以外の何ものでもないわ。……こんな形で自殺者を募るなんて……」
 玲奈は先程街頭で渡されたチラシを握りつぶす。言うまでもなくそれは件の教団のチラシだ。
「……絶対に、阻止しなきゃ」
 玲奈がここまで強く決意するのには理由があった。
 教団が人類の心理の上へと網目状に広げた罠に、級友が囚われてしまったのだ。友を救うためには、教団を潰す必要がある。しかし、玲奈は教団のアジトを探ったものの、手掛かりさえ掴めずに無情に日々は過ぎ去っていた。
 ただ、わかったのは教祖……否、盟主の名とその正体だけだった。
 ――巫浄・霧絵。
 滅びを望む人間の願いの結晶たる、創られた神『虚無』に仕える神官でもあり、もっとも虚無に近い存在。
 そして、心霊テロ組織『虚無の境界』の盟主であり、虚無の境界そのものと言っても過言ではない。
 魂の救済と称して集団自殺を煽るには、充分すぎる正体ではないか。
 救済などでは決してなく、そこに待つ終焉を『虚無』へと捧げるのだろう。そこにサングレーザーを利用するとは、人間の好む終末論や集団心理をその両腕でかき抱く行為としか言いようがない。
 終末論の切欠はなんだっていい。
 例えば、偶然世界各地で続く異常気象。
 例えば、今回のマヤ暦のような預言や予言。
 例えば……そう、隕石や彗星といった天文的な『異変』。
 地質学、考古学、天文学、進化論、化学科学……あらゆる学問による歴史や現象の解明が為されていない太古においても、星々の位置や隕石、彗星は、凶兆や吉兆の証とされている。
 マヤ暦による終末論が水嵩を増していくなかで、これまで人間をある意味で「支配」してきた天体の動きがあることは、これ以上ない「滅び」への前菜となり得たのか。
 そして多感な少女達は、得てしてそういったものに惹かれやすい。実際、霧絵が率いる『地球脱出教団』は、その信者は全て十代の少女だという。
「……一体、どうすればいいのよ」
 アジトの場所はわからない。友人も決して語ろうとはしない。恐らく霧絵から箝口令が敷かれているのだろう。
 しかし、玲奈がここまで苦悩するのにはもうひとつ理由があった。
 天頂を見上げ、溜息を漏らす。
 サングレーザーが近日点に達するまであと数日しかない。アジトの場所がわからないなら、いっそ彗星そのものを破壊してしまえ――玲奈はそう考えた。
 宇宙船玲奈号ならば、それは容易い。だが破壊に伴う調査において、玲奈は発見してしまった。
 ――サングレーザーに原始的なアミノ酸が存在することを。
 玲奈は元来、木星大気圏内で成長した後、小惑星帯まで自力航行して恒星間蒔種計画のための資源を採掘する生きた宇宙船だ。
 命の種を宇宙に蒔くことを生甲斐とし、これまで遥かなる航海を幾度となく続けた。
 だからこそ、サングレーザーに発見されたアミノ酸を「見殺し」にすることはできない。あの彗星がこれから、どこかの惑星にその種を蒔くことも充分に有り得るのだ。
 数多もの可能性、大いなる未来。
 それを奪い去ることなどできない。
 破壊は……不可能だ。
「でもそれは霧絵だって同じ。人々の命を奪うことで、どれほどの可能性と未来を奪うことになるの……っ」
 友人の死か、破壊か。
 玲奈は揺れる。
 手の中にすっぽり収まるPHSを握りしめ、唇を噛んだ。
 何度電話しても、友人には繋がらなかった。それでも諦めきれずに、指がまたボタンを押し始める。その直後、手元に影が落ち、白く細い指先が玲奈PHSの電源を切った。
「何するのよ!」
 玲奈は怒鳴りながら顔を上げ、そこにある顔を見て絶句する。
「巫浄・霧絵……っ!」
 滴り落ちる血液の如く赤い瞳、そしてそれに負けないほどの紅が歪む唇。
 にたり、と淫靡な笑みを浮かべ、霧絵は玲奈を見下ろしていた。
「あなたね? 私のことを嗅ぎ回っていたのは」
「だったらどうだっていうの!」
「あなたみたいな女子高生風情が何をしたって無駄よ」
 くつくつと楽しげに笑む霧絵はしかし、その眼差しにあからさまな殺意を浮かべていた。
「無駄かどうか、わからないわ!」
 玲奈は、だんっ! と霧絵の足を踏みにじる。霧絵は表情ひとつ変えずに玲奈の瞳を覗き込んだあと、軽く髪を掻き上げた。
「女子高生は女子高生らしくしていなさい。探偵みたいな真似はやめることね」
 そう言って、霧絵は玲奈の足を振り払って背を向けた。
 遠ざかっていく霧絵の肢体を忌々しげに睨み据え、玲奈は叫ぶ。
「女子高生女子高生ってうるさいのよ! 女子高生はね、頭がよくって、情報量も半端じゃなくって、無敵なんだからぁっ!」
 つい荒げてしまう声。しかし叫んだ途端、玲奈の思考が晴れ渡った。
「……女子高生……。そうよ、女子高生は情報量も半端じゃなくて、無敵……」
 見る間に紅潮する頬、上がる口角。
「女子高生の脳内お花畑を馬鹿にしたら、とーっても痛い目見るんだから」
 くすくす、玲奈の全身から希望のオーラが立ち上った。

 ――さあ、お仕事の開始よ。
 ああ、太陽が眩しいわね。当然よね、太陽にとても近付いているんだから。
 眩しいって表現はおかしい……かなぁ?
 彗星を集団自殺に利用する狂信者に対抗するなら、本当に彗星をテラフォーミングして自殺を阻止しちゃえばいいのよ。
 人間が居住できる世界にしてしまえば済むだけのこと。
 自殺も馬鹿らしくなるくらいの、楽園に造り替えちゃえばいいのよ。
 それだけのこと。なんて簡単なの!
 あたしの情熱溢れる屁理屈はどんな理論にも勝る。
 だって、女子高生だもの――!

 玲奈号は静かにサングレーザーへとその航路を展開する。
 自らに待ち受ける運命を知ることなく、氷の彗星は炎の惑星へと迫り続けていく。
 ――もうすぐ、捕まえてあげる。
 くすり、玲奈は笑う。
 玲奈号はやがてサングレーザーとの距離を確実に縮め始めた。あと少し、あと少し。
 距離にして、地球と月ほどだろうか。
 もうすぐ、玲奈はその力を発動する。
 ――世界は全て情報でできているの。知ってる? 霧絵さん。
 くすり、もう一度、笑う。
 人の心も、あらゆる物質も、あらゆる物理法則も。
 全ては情報でできており、情報である以上はより強い情報をぶつけることで物理法則の書き換えなどは容易にできる。
 ――さあ、サングレーザー周辺の強引な物理法則書換えによる、即席環境改造と洒落込んじゃおう。
 そして、玲奈号はサングレーザー上空に影を落とした。
 まずサングレーザーが浴びる莫大な太陽熱を情報に変換する。情報と熱は一体だ。その証拠に、パソコンは放熱する。
 太陽の大いなる熱を情報に変換するために必要なのは、女子高生の情報処理力。
 古今東西衣食住の文化を結集した、二十世紀末経済大国の女子高生の情報処理力は最強なのだ。
 その情報処理能力を勉強に回せというのは大人の弁。
 女子高生が吸収する情報と、学校の勉強から得る情報は全く異種なものであるというのは、女子高生の弁。
 だけれど、その根底にあるものは同じだと……思ったとしても、認めたくないのは双方の弁。
 ――だから女子高生は無敵なの。
 ビキニ姿だった玲奈は、おもむろに女子高生の必須アイテムとも言えるスク水を身に纏った。
 そういえば、スク水という略し方はいつごろ誕生したのだろう。
 そんなことを考えながら、次々と着ていくひとりファッションショー。
 二十世紀末の女子高生が馴染んだファッション――混沌とした世紀末に、さらなる混沌を社会現象として生みだした無敵の時代を象徴する数々。
 レオタード、体操服に、白線日本入り濃紺ブルマ、テニスウェアにスコート。プリクラが流行り始めた時代だ、当然、写真写りにも気を遣ったポーズや表情は欠かさない。もっともサングレーザーが玲奈の写真を撮るわけではないが、玲奈の姿をより可愛く美しく見せることによって、情報をクリアな形で書き換えられそうな気がしなくはない。
 そして女子高生と言えば――長袖紺色セーラー服、プリーツミニ、運動靴、ルーズソックス、セミロングの鬘!
 ――追加オプションも必要かしら。
 玲奈は考える……前に、しっかり着用してみたり。
 ――さあ、あたしは無敵! サングレーザー、あたしの情報であなたの全てを書き換えてあげる!
 玲奈の萌え萌えむんむんな魅力が最高潮に達した時、サングレーザーの全てが玲奈のペースに巻き込まれ始めた。こうなってしまうと、あとは滑り落ちていくのを待つだけだ。
 あらゆる情報は全て玲奈に書き換えられ、やがて彗星は――変貌を、遂げた。


 ――さあ、集うがいい。
 天空の彼方、新たな楽園があなた達を待っているわ。
 決行の日は近い。
 その肉体から魂を解き放てば、楽園へと、神の園へと近付くことができるのよ。
 さあ、集うがいい。
 あの箱船に乗って‥‥この星から、全てから、その魂の救済を求めて旅立つの――。
 サングレーザーが近日点に到達する、その日。霧絵の声が某所にあるスタジアムに響き渡る。
 集結した少女達は呼応するように歓声を上げた。恍惚とした顔で霧絵を見つめ、そして空へと両手を伸ばす。その手にはカッターナイフや包丁などの刃物が握られていた。
「決行の時は来た。さあ、若き乙女達よ、自らの魂をその肉体から解放せよ――!」
 霧絵が腕を薙ぎ、少女達を死の世界へと誘おうとした。
 その、刹那。
 スタジアムを覆うかのように玲奈号がその姿を現し、霧絵の声さえも吸収してしまう。
「馬鹿なことはやめるのよ!」
 そして響き渡るのは、玲奈の凛とした声。
「その声、まさかあの女子高生か……っ!」
 霧絵が玲奈号を仰ぎ見て叫んだ瞬間、スタジアムから少女達の姿は消えていた。
 ――ただひとり、霧絵だけを残して。

「ここは……どこ?」
 おろおろと周囲を見渡す少女達。
 少女達は手に持った刃物を決して手放そうとはしないが、その表情からは先程のような恍惚としたものはない。
「ここは宇宙船玲奈号の中よ。これからあなた達をリゾート地でのバカンスに招待してあげる!」
 ガングロにPHS、玲奈は引き連れた少女達にそう告げる。しかしそう言ったときにはもう、玲奈号は「リゾート地」に到着しており、地球で見るよりも大きな太陽に少女達目を輝かせた。
 少女達は玲奈号から降りて、かつて彗星だった砂浜を踏みしめる。
 目の前に広がる青い海や、ほどよく肌を刺す痛みに変化する太陽光。少し離れた場所には高原もあり、もちろん少女達がショッピングを楽しめる施設もちゃっかりと建っている。
 砂浜の脇に見られるピンク色の花畑は……玲奈の脳内お花畑が本当に花畑として具現化したものだろうか。
「なに、これ……」
「サングレーザーよ。人類の霊魂を滅亡から救う箱舟……だったっけ?」
 玲奈は呆然として閉口する少女達に笑顔でそう告げる。
「ねえ、これを見ても本当に魂を肉体から解放したい? 解放しちゃったら、このリゾートでのバカンスはできなくなっちゃうのに」
 言いながら、玲奈は海の水をすくって空に散らしてみせる。
 少女達は顔を見合わせ、暫し何かを囁きあい――そして。
「やってられないわーっ!」
「自殺なんて馬鹿馬鹿しい! 生きたままこんな楽園に来られたんだし!」
 声を揃えて笑うと、手に持った刃物を全て地に突き立てた。
「可愛い水着買いに行こうっ! それから日焼け止め……んー、サンオイル……んー、悩むなあ。いいや、まずは水着水着!」
 そして次々に駆けだし、自分に似合う水着を買い求めに行く。慌ててメイクを直す者や、思い出したかのように携帯やPHSの電源を入れる者もいた。
「もちろん、電波もばっちりよ」
 玲奈が言うと、少女達は歓声を上げる。そしてすぐに座り込んでメールチェックや、留守電チェック。すぐ隣にいる友達にさえメールしたりして、馴染みの光景が戻ってきた。
「……よかった」
 玲奈はホッと胸を撫で下ろし、そして自分のPHSを握りしめる。
「……出て、くれるよね?」
 ゆっくりと、ひとつひとつ確かめるように、その番号を押していく。
 プルルルル。プルルルル。
 耳元で響く呼び出し音と共に――玲奈の後ろで、よく知った着信音が鳴り響いた。

『……もしもし、玲奈?』

 その声が聞こえてくる前に玲奈は振り返り――友を、抱き締めた。
「一件落着……よね?」
 玲奈が問えば、友は頷く。玲奈はもう一度友を抱き締め、そして満面の笑みを零した。
「さあ、この世の楽園でバカンスを堪能しまくっちゃおうっ!」



   了