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<東京怪談ノベル(シングル)>


救済の女神

 皆が消えていくのを、あたしはただ黙って見ているしかなかった。
 潰されて壊れた人形。水浸しになり腐食した人形。人型を失い闇の中に閉じこめられた人形‥‥‥‥
 様々な人形達がいた。人間から人形へと変えられた人達が、大勢いた。
 あたしは、そんな人達と同じように、人形に変えられていた。
 体は瓦礫に潰されて原形を留めているのは頭部だけ。視界にはただただ絶望を表すような暗闇ばかりが広がり、時折どこからか差し込む光が瓦礫と水溜まりを映し出す。
見るも無惨な廃墟。元々は大きなデパートだったと思うのだけど、地震か何かで崩れたデパートには、人の気配など何処にもない。あたしもデパートも、ただ静かに存在し続けるだけだった。
(‥‥‥‥‥‥)
 何も考えることが出来ない。考えても考えても助からないし、眠くもなければ疲れもしない。
 考えても考えても何も出来ない。何も変わらない。ただ個々があまりに退屈で、絶望的で空虚な時間を過ごすしかない場所だと思い知らされるばかりで、あたしの体と心が粉々に壊れるまでそれはずっと続いていく。
 転がっていた人形達も、既に外から着た人間達によって連れ出されてから結構な時間が経ったと思う。
 大きな人形が血まみれの人によって壊されて、このデパートは騒々しくなった。たくさんの人達がここを訪れて、たくさんの人形が連れ出されていった。
 あたしだけが助け出されなかった。
 あたしだけが残された。
 人形達を連れ出していった人達も、あたしに気付かないまま消えてしまった。
 もう、ここには誰も来ないのだろう。あたしは一人で瓦礫の下に埋まり、無為な時間を過ごすだけ。
 そう思うと、あたしの心は堪らず張り裂けそうになった。だけど壊れることは許されない。首だけとなったあたしは指一本動かすことも出来ず、声を上げることすら出来ず、壊れることも許されずに存在し続ける。
 ‥‥‥‥既に、あたしは何もかも諦めていた。
 時折残された家族のことを想うが、しかしそれも長くは続かない。追憶するたびに強襲が胸を押し潰し、心を圧迫する。何もかもが辛いばかりで、絶望しか思い浮かばない。
 そんな毎日を、あたしは過ごし続けた。
 数日か、数週間か、数ヶ月か‥‥‥‥流れる月日を数えることも億劫になり、過ぎゆく時間にも反応出来なくなった頃‥‥‥‥
 ガラガラガラと、あたしの目の前に、小さな小石が落ちてきた。
「ん? おーい! また一体いたぞ!」
 頭上から響く誰かの声に、あたしの心は揺さぶられる。
 それは、池に小石が投げ込まれて小さな波紋が起こったようなものだった。小さな波は瞬く間に消え去っていき、数秒も経てば跡形もなくなるだろう。しかし何もかも暗闇に溶け込んでいた中に投げ込まれた波紋は、些細なものでも長く静かに、あたしの心底にまで届いていた。
「人形か? それとも、お嬢さんか?」
「写真に似ていると思うんだが、今ひとつ自信が持てないなぁ‥‥」
「マネキンになっているんじゃ、仕方ないさ。おい! ちょっと旦那を呼んできてくれ!! 確認を取って貰うからな!」
 張り上げられる声が耳に痛い。
 暗闇に慣れていた目に光が当たり、ちかちかと視界が真白く染まっていく。目の前でライトが点灯したようだった。
目を差す光はあまりに眩く、それでも暖かくあたしの体を包んでいく‥‥‥‥
「娘は見付かったのか! みなもは‥‥みなもは!!」
 懐かしい声に四肢が痺れ、目頭に熱い何かが染み出していく。
 あたしは、何かを思い出そうとしていた。
 忘れそうになっていた何か。
 長い間閉ざされていた人間としての機能が、氷が溶けるように解凍されていく。
(――――おとう、さん)
 埋もれていた時間が掘り出され、忘れかけていた言葉を紡ぎ出す。しかしそれは、言葉として口から出ていくことはない。心の中で反響し、水のように染みていく。あたしは言葉を繰り返す。何度も何度もその言葉を叫び、そして自らの心を呼び起こす。
 人形から人間へと立ち戻れた時、真っ先にその言葉を叫ぶことが出来るように‥‥‥‥
(お父さん!)
「みなも! みなも!!」
 絶望など、もう何処にも存在しなかった。
 人形となってから、半年以上の時間を掛け‥‥‥‥
 あたし、こと海原 みなもは、ようやく日の当たる場所へと出て行くことが出来たのだった‥‥‥‥


●●●●●


 どれ程の時間が経過しているのか、あたしにはよくわからない。
 分厚い硝子越しに見える光景はあまりに代わり映えがなく、退屈ではなくとも日付を知る手掛かりにはならなかった。
 通り過ぎていく、何十何百何千何万もの人間達。貧しそうな学生に、教師に連れられた子供達。煌びやかに着飾った婦人に、厳つい顔をした大男‥‥‥‥もはや馴染みの顔だとすぐに分かる人もいる。悪そうな人から人の良さそうな人まで、本当にたくさんの人達が私の元へと現れる。
 毎日、毎日、毎日、毎日、人間をただ見続ける。上辺だけの言葉を交わすこともなく、ただ眺め続けるだけの毎日。それは意外にも退屈を紛らわすだけの材料となり、私の心を破壊することなくその場に留め続けていた。
「ママ、このお姉さん、なんだか寂しそうだよ?」
「あらあら。優しい子ねぇ‥‥でも大丈夫よ。ほら、周りに、いっぱいお友達がいるでしょう?」
 偶に、私を指差して私に声を掛けてくれる子供がいる。母親は苦笑しながら子供を諭し、そして足早に私の前から消えていくことだろう。私はそんな子供を見るたびに心が熱くなり、そして母親に連れられて消えるたびに、目尻が静かに熱くなる。
 私はここに居る。私はここに居るのと、そう叫び、助けを求めたい。でも私の声は外の世界には届かず、ガラスケースの中にすら響かない。
 よって、誰も私には気付かない。気付いても本気で助けようなどとは思わない。人形が生きている。閉じ込められているから助けよう。そんな人間がいるものか。自分が外を歩いていれば、気付いたとして指摘すらしないだろう。
 私がこうしているのは、そんな自分への誰かからの罰なのか‥‥‥‥
(‥‥‥‥はぁ。今日は、特に面白そうな人は来そうにないわね)
 お客を眺めながら、私は希望などとうに忘れた空虚な心で、静かに外の世界を見つめている。
 耳を澄ませ、子供達の笑い声に思いを馳せる。目を見開き、楽しそうに笑う大人達に涙を流す。
 私から奪われた世界に生きる人達。羨ましく思う。恨めしくも思う。何故私がこんな想いをしなければならないのか‥‥‥‥そう思えば通り過ぎていく人々全てが憎くて、憎みきれずに涙を流す。
 いったい何時まで私はここにいなければならないのか。分からない。分からない。分からない。誰か気付いて。私はここにいるの。ここに居続けるの。気付いて。気付いて。人形じゃないの。私は人形じゃないの。だから気付いて。助けて。誰か。誰か助けて!!
「きゅるきゅる?」
「え?」
 奇妙な声に、私は思わず声を上げた。
 私の視界は、常に一定に保たれている。ひたすら前を見据えて、視線を動かすことなど出来はしない。
 その所為で、足下から聞こえてくる奇妙な声に目を向けることも、目の前の光景から目を背けることも出来なかった。
「きゅるきゅるきゅるるる?」
 狐‥‥だろうか?
 見たこともないような奇妙な動物が、私の目の前に浮かんでいる。
 小さな動物。でも、それがただの動物でないことなど素人の私でさえも一目で分かる。何処の世界に翼もなく浮かぶ狐がいるというのだ。そもそも狐の体は美しい青い毛並みに包まれており、テレビでさえも見たことがない。
「きゅるきゅきゅ‥‥」
 私は狐に目を奪われた。目を奪われたが、しかし狐は退屈だったのだろう。私から興味を失ったかのように視界の外へとフワフワと飛んでいき、やがてその声も聞こえなくなる。
 私はしばし呆然と思考に耽り、今の動物(そもそも生き物なのかどうかも怪しいが‥‥‥‥)がいったい何なのかと考え込んでしまう。
「あ、この人ね。偉いですよ、みこちゃん!」
「きゅるきゅる♪」
「え? え?」
 目を瞬かせる。いや、感覚的にそうしていると言うだけで、私の体は一ミリたりとも動いていない。動くはずもない。私の体は未だに人形。可愛らしい衣装で身を包み、衆人観衆の目に晒されるためだけに用意された物を言わぬ人形。故に、声などでないし、私の動揺が誰かに伝わることもない。
 だから、目の前の少女が私を真っ直ぐに見つめながら狐の頭を撫でているのも、たぶん何かの偶然なのだろう。私は人形。私に話しかけるなんてあり得ない。
「待っていてくださいね。今、話を付けてきますから」
 そう言って、少女は何処かへと走っていく。後に残されたのは放り出された狐と、物も言わない私だけ。
「きゅるぅ」
 取り残された狐が、不機嫌そうに首を傾げている。
 その動物の声は、私の心情を代弁しているようだった‥‥‥‥


●●●●●


「はい。お父さん。情報の通り、ちゃんとみこちゃんが見つけてくれました。はい。店主の方の身元は確認しましたので、問題はないと‥‥‥‥買い取り? うぅ、そうなるんですか? ええ、はい。分かりました‥‥‥‥あの、あたしのお小遣いとか‥‥‥‥どっちにしろありませんか。そうですよね。はい。それではお願いします」
 みなもは道行く人々の中で溜息をつきながら携帯電話のスイッチを切り、目当ての人形を見つけた人形展を観察する。
 体育館の半分ほどの面積を持った小さな博物館、と言ったところだろうか。見窄らしくもないが決して派手に飾られているわけでもない。都心にあるそんな建物で開かれていた人形展に、みなもは足を運んでいた。人形展はそれなりに人気があるらしく、開催してから早一月ほどが経過しているにも関わらず、未だに客足が衰えない。
 それどころか、何処から流れたのかは知らないが、“人間の魂を宿した曰く付きの人形が混ざっている”との噂がネットに流れ、そうした物の好事家達までが集まってしまっている始末である。
「魂を宿した人形、ですか」
 そしてその人形を目当てに訪れたみなもは、複雑そうな面持ちでその人形展を見つめ続けていた。
 二ヶ月ほど前、みなもは瓦礫の下から掘り出され、“その筋”に対して知識と理解のある病院へと運び込まれていた。
 元々が人魚の海原一家だ。裏の業界、とりわけ医療施設に関しては特に特別なコネクションを必要とする。今回はそのコネが最大に生かされた例だろう。人形から人間への再生など、一般の病院で受け付けられる筈もない。人形から良心的な治療を受けて人間へと復帰したみなもは、喜び勇み歓喜に震える父親に、真っ先に他の“被害者”の救済を訴えた。
 人形として、何ヶ月もの時間を瓦礫の下で過ごしていた(瓦礫の下に半年ほど居たらしい)。
 瓦礫の下で同じように人形となり、そして回収されていった人形達を岩の隙間から見続けてきたのだ。
 彼女達が、ちゃんと人間に立ち戻ることが出来たのか‥‥‥‥それが、ずっと心配だった。
 自分は父親によって救済されたが、他の人形達はどうなったのだろうか? 人形から人間へと戻れたのだろうか? ちゃんと家族の元へと帰れたのだろうか? 動けるようになったみなもは、自らの足を使って走り回った。自分が人形となっている間に行方不明となった人達が戻れたのか、父親にも頼んで調べ回った。
 そして、現実は希望を簡単に裏切った。
 みなもと同じように人形へと変えられた女性達は、その尽くが行方不明となっていた。誰一人として救われず、未だに絶望の渦中にいる。救われたのか、みなもと共に救い出された数人だけ。闇から闇へと人形の多くが葬られ、悪魔と化した人間達の手によって、愛玩物として弄ばれる日々を送っている。
 みなもは、そうした人形達を救うために奔走することを決めた。父親にも頼み込み、情報を集め、自分と同じ被害者達を探して様々な場所を飛び回った。
この人形展を訪れたのも、そうした情報集中の成果である。
 展示されている人形の中に、とある成金富豪から払い下げられた“曰く付きの人形”が混ざっていると聞き付け、やっとの思いで発見したのだ。
「ふぅ、これで三人目‥‥まだまだ沢山いるんだよね。みこちゃん」
 溜息混じりに、みなもは肩の上に乗っているイヅナ(狐型の霊獣。管狐とも言う)に話しかけていた。意思が疎通出来ているのかも怪しいが、しかし誰かに声を掛けずにはいられない。自分が、もしかしたら自分があの場で展示されていたかの知れないと思うと、不安と恐怖で胸が締め付けられてしまうのだ。
(明日には、体を人形状態に留めている“呪”の摘出に移らないと。魂が定着したまま、人の多い場所に展示されていたみたいだし‥‥‥‥三日ぐらいで戻せるかな?)
 みなもは、発見した人形の状態を推し量り、治療の方法を段取りする。
 人形の回収は父親に手伝って貰っているが、治療はなるべく自分の手で行いたい。人形から人間へと戻った女性達に、「もう大丈夫だから」と声を掛けて安心させてあげたかった。絶望の終わりを告げて、共に涙を流したかった。
「あたしが助かったんだから‥‥‥‥みんなも、きっと大丈夫だよね」
 皆が皆、救われるとは思えない。心の底では理解しているが、しかしそれを否定したい自分が叫びを上げている。あの絶望と虚無の時間に閉じ込められている女性達とを想い、涙が目頭に溜まっていく。。
 ピリリリリリリ‥‥‥‥‥‥
 携帯電話の着信音。みなもは静かに携帯電話のボタンを押し、それを耳に当てた。
『みなもか。また一人、●×大学病院で発見した。部下を一人派遣しておいたが、確認のためにそちらへ向かってくれるか?』
「はい。すぐにでも‥‥!」
 父親の連絡に、みなもは口元を綻ばせていた。
 疲労など、今のみなもの胸中には存在しない。あるのはただ、これでまた一人が救われる‥‥‥‥その事実への歓喜だけだった。
 みなもは携帯電話を切り、度重なる治療と移動に疲労した体に鞭を打って歩き出した。
(待っていてください‥‥‥‥すぐにでも、きっと助けて見せますから)
 あの世界に閉じ込められた人間を、一人でも多く助け出す。
 みなもの目は、真っ直ぐに前を向きながら、力強い輝きを宿していた‥‥‥‥



Fin