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<東京怪談ノベル(シングル)>


   狼の残り香

 月の輝く蒼い夜。遠吠えが、ビルの狭間に響き渡る。
 黒い影が、ざっと壁を走った。
 少女、海原みなもは青い髪をなびかせ、それを追う。
 深追いはしない。むしろ相手が逃げやすいよう、余裕のある距離をとっている。
追いつめて、牙を向けられては大変だ。
 距離をとりつつ、決して離れようとはしない少女を警戒したのか、相手は看板の上で足を止め、顔を振り向かせた。
 月光に照らされる、四本足の獣の姿。
ぴんと立った耳、大きな肢体にふっさりとした尾が揺れる。
 立派な毛並みをした、凛々しい狼だ。
 輝く瞳が、追跡者であるみなもを捕らえる。
 ――向かってくる?
 身構えたものの、狼は顔を背け、宙を駆けるように、ふわりと跳んだ。
 悠然としたその姿は、どこか神秘的なものを感じさせた。
 みなもは思わず足を止めてしまったが、はっとして、また後を追ってゆく。
 曲がり道で、応援が現れた。
 人が増えたことにぎょっとして、狼は方向を変える。
 いくつか路地を曲がったところで、行き止まりに突き当たった。
 逃げているつもりが、追い込まれていたのだ。
 その先には、1人の男――草間武彦が立っていた。
 手には、特殊な紋様が記された札。それを目にするなり、狼は向きを変えようとした。
 だが、渦を描いたような図像の中に、引きずり込まれていく。
 地面を引っ掻き、抵抗する姿に心を打たれ、みなもは思わず、足を踏み出した。
「危ない!」
 瞬間、ドンッと強い衝撃を受け、その場に倒れ込んでしまう。
「大丈夫か?」
 さすがの草間も慌てて、みなもの元へと駆け寄ってくる。
「へ、平気です。それより狼さんは?」
「問題ない。ほとんど吸引を終えていたからな。お前に突進した後、霧散したよ」
 その言葉にほっとして、起き上がる。
 今回の依頼は、狼の残留思念の暴走を止めること。
 神格化されていたが、信仰が薄れて暴走するようになった、動物霊のようなものだ。
 力の源である祠から遠ざけ、追い込んだところで草間が札を手に吸引することになっていた。
「悪かったな、できるだけ危険の少ない役割についてもらったつもりだったんだが」
「そんな、草間さんのせいじゃないです。あたしが……」
 言いかけたところで、みなもはようやく、自分が注目されていることに気がつく。
 どこか怖がっているようにも見える、驚きと心配の表情。
そんなに派手に転んでしまっただろうか、とみなもは自分を省みる。
「――みなも、なの?」
「まさか。彼女、間違って札に取り込まれたんじゃ?」
「怖いこと言わないでくださいよ。草間さん、彼女……海原みなもさん、なんですよね」
 集まってきた仲間たちが、てんでに声をかけてくる。
「何言ってるんだ、お前らは」
 当たり前だろう、とばかりに言葉を返し、草間はポケットからタバコを取り出す。
 みなもはわけもわからず、きょとんとしてしまう。
「だって……どこからどう見ても、狼じゃないですか」
 想いもよらぬ発言に、草間は大事なタバコを地面に落としてしまうのだった。


「――要するに、あれだ。神もどきの狼が身体を通り抜けたことにより……狼の姿をとるための何かが、残されてしまったと。そういうことか?」
 自分自身の発言に、草間は顔をしかめる。
 怪奇事件には首を突っ込むまいとしているのに、何故か毎度のように巻き込まれている探偵、草間にはある程度の予測がついてしまう。
 本人はもちろん不本意なのだが。
「他の連中には、お前が狼に見えているようだな。俺が無事なのは……おそらく、札を持っていたせいか。守りの効果もあるなら、お前に持たせておくべきだったか。しかし人魚の末裔なんてのが札を持てば、どうなるかわからない、と言われていたしな」
 独り言のように、ぶつぶつと状況を整理している。いや、最後の方はみなもに対する言い訳だろうか?
「……あたし、ずっとこのままなんでしょうか」
 みなもは、心細げにつぶやいた。
 すでに夜は明け、日が高くなっている。
 狼の姿では家に帰れないため、とりあえず公園で時間をつぶしている。
 店には当然入れないし、下手をすれば保健所だの警察だのに捕まったり、同業者から攻撃を受けかねないので、おとなしくしているしかないのだ。
「それはないだろう。本体はもう吸引してあるんだし、いずれは残滓も消えちまうさ」
 草間の言葉に、若干ながら元気づけられる。
「それまでは、俺が一緒にいてやるよ。俺にも責任があることだし、何より……話ができるのも、今は俺だけみたいだからな」
「助かります」
 同じ依頼を請け負った仲間たちは、別の仕事や用事などのために散っていた。
 中のいい数人は、戻る方法を調べておく、と言ってくれたのだが。
 どちらにしても今は待つことしかできない。
「見て、あの犬、ベンチにおすわりしてる」
「犬っていうより、狼みたいじゃない?」
 可愛い、という声と、同時に不安そうな声があがる。
「ハスキーだよ」
 そこで草間が、狼に似ている犬種をあげる。
「えぇ? シェパードじゃないの?」
「……どっちだっていいだろう」
 顔をしかめ、あっち行け、とばかりに追い払う。
 それから少しもしないうちに、今度は小さい子供がみなもの姿にわんわん泣き出し、母親から、公園に連れてくるならリードと口輪をつけるようにと怒鳴られる。
 二人にはみなもがどういう姿に映っているか確認できないが、狼はもちろん、それに似た大型犬であっても、放し飼いにすれば危険と見なされて当然だろう。
 かといって……。
「首輪だの紐だのつけるわけにはいかねぇし、ましてや口輪なんてのは……」
 ちらりとみなもに目を向けて、草間は深いため息をつく。
 それを紛らわすかのように、新しいタバコに火をつけた。
 飲み終わったコーヒーの缶は、吸殻で埋め尽くされつつあるようだ。
「すみません。あたしのせいで、ご迷惑をおかけして」
「気にすんな、お前のせいじゃねぇよ」
 うなだれるみなもに、草間は視線も向けずにさらりと答えた。
 優しい慰めというよりは、ただ事実を述べるような口調。それが、今のみなもにも嬉しく思えた。
「ママー。あのおぢちゃん、ワンちゃんとしゃべってるー」
「しっ、目を合わせちゃダメよ」
 灰皿代わりのスチール缶を、草間は強く握りつぶす。
 ハードボイルドを志す草間にとって、かなり堪える発言だろう。
 みなもはその様子を、はらはらしつつ見守った。

 ――結局、彼女が元に戻れたのはほぼ、丸1日後。
 それまでずっと傍にいてくれた草間にお礼とお詫びをしようと、草間興信所を訪れたところ……。
「草間さん、犬としゃべってったって本当ですか?」
「何か悩みでもあるんですか?」
 例の事件を知らない――もしくは、知っていてわざとやっているのか――人たちが、草間を取り囲み、質問攻めにしていた。
 みなもがその思わず立ち尽くしていると。
「おい、こいつらにちゃんと説明してやってくれ!」
 怒ったような口調で、助けを求められるのだった。


            END